冥皇計画


第4話「騎士哀歌」


 リディアが入浴すると言って部屋を出た後、リシュアは少しベットによこになった。
ただ睡眠をとりたいと思った訳ではなく、少し考え事がしたかったからだ。

もし、杖を手に入れて記憶がもどったら、また七王国を相手に戦争するんだろうか?、そして二人を死なせて、自分も死んでしまうだけになってしまうんじゃないだろうか?そんな恐ろしい未来予想が彼の頭をよぎる。
ただの15歳の少年もすぎない自分を、あれほど慕ってくれるあの二人と別れることは絶対にイヤだとリシュアは思う。しかし杖を手に入れなければ、彼女達のいう魔皇ラグナの暗殺者に、自分はもちろん、二人も殺されてしまうかもしれない・・・。
これが、リディアの言った悲しすぎる運命なんだろうか・・・。
大好きな二人を守ることすらできない自分は、なんて無力なんだろう・・・そう思うと涙がでてきた。
眠っているエメリアを起こしてしまうかもしれないと思ったリシュアは、嗚咽が漏れそうになるのを必死で堪える。
しかし、その努力も空しく嗚咽がもれるのを止めることができなかった。


エメリアは幸せな眠りから目を覚ました。
その胸の奥には、今までどんなに望んでも手に入れられなかった、リシュアとの夢のような愛の記憶が刻みこまれている。
リシュアと共に生きたい、ずっと・・・そんな決意めいた想いが胸をよぎる、私の姿が変わっても、私が私でなくなっても・・何度でも生まれ変わって彼のもとに帰りたい。

私のこの想いをリディアが聞いたら、純情バカとかストーカー神官とか言って笑うだろう、でも、きっと・・最期には貴女らしいわと言って微笑んでくれるに違いない。
そういう確信めいた想いが胸を一杯にすると、暖かな感情がこみあげてきた。
そう多分、幸福というのはこういうものなんだろう。そう思うとエメリアは自然に微笑んでしまう自分をおさえることができなかった。


暖かな感情に包まれながら、エメリアが微睡んでいると、押し殺した嗚咽が聞こえた。
彼女はすぐに気づく、これはリシュアだ。
エメリアは一糸まとわぬ裸体を起こし、隣で寝ているはずのリシュアの方へ体をむける、するとそこには体を丸め、声を殺して嗚咽する愛しき人の姿があった。

「リシュアちゃん・・・・?どうしたの?具合でもわるいの?」

自分との情交で無理でもさせたのではないかと、彼女らしい妙な心配もしながら、リシュアの体や顔色を観察する、すぐに答えがでた。大丈夫みたいだ・・よかった。
彼女が安堵のため息をつくや否や、リシュアが抱きついてきた。

エメリアはおもわぬ抱擁に、顔が緩むのを必死に堪えながら、

「リシュアちゃん。ど、どうしたの?」

エメリアは自分が微妙なトーンで、声をかけてしまったことを後悔した。
心配そうではなく、デレデレな感じで言ってしまったに違いないと思うと、

(これじゃ喜んでるみたいじゃない!・・私のイメージぶちこわしだわ・・・。)

彼女は心の中で舌打ちし、猛省した。ここは聖女のイメージで、心配そうにいくはずだったのだが。

(ガンバレ私!)

妙な挫折感に苛まれながら、エメリアは自分を心の中で励ます。

「これから、無事にイズドマルクにたどり着けるのか心配で・・・ボクは弱いから自分がもし死んじゃってもあきらめるけど・・・二人が死んじゃうは絶対イヤなんだ・・・・。」

(リシュアちゃん可愛すぎ!でも、ここで押し倒すのはダメだわ・・・話をきかない女だと思われるのは致命的だし、なんでも相談できる相手の位置をキープしないとっ!!)

さらにエメリアは心の中で気合いをいれる。

潤んだ目で最愛の人が自分をみつめる。リシュアの小春日和の空のようなブルーの瞳を愛しげに見つめ返すと、エメリアは今、自分ができる精一杯の笑顔で微笑んだ、

「大丈夫、きっとたどり着けます。貴方のものになった私にはもう何も怖いものはありませんから。」

そう言うとリシュアのゆるくカールした手触りのいい髪をなで、優しく抱きしめる。

「でも、二人がボクのせいで死んじゃったら・・・。」

(リシュアちゃん!リディアはいいのよリディアはっ!わたしだけをみてよ!もぅ!)

と心の中で叫ぶと、エメリアは自分の額をリシュアの額にくっつけ、短いキスをした、

「わたしだって、大好きな旦那様にこれからもずっと・・・毎日でも抱いてほしいから・・・・・死に急ぐつもりはありませんよ。」
頬を染めながらエメリアは微笑む。

 あれこれ考えてはいたが、エメリアにとって言葉はすべて本心であったし、自然と口からでたものだった。もちろん彼を残して死ぬつもりもなかった。
トドメの科白を聞いたリシュアに押し倒された時、心の中でおもいっきり右手を掲げ親指を立ててはいたのだが。

「盛り上がってるとこ悪いんだけど、朝になったから出発しないとね。にししし」

いつのまにかベットの側に立っていたリディアが怪しい笑みを浮かべながら言う。

「いつからそこにいたのよっ!」

ベットから起きあがりエメリアが抗議すると、ニタニタ笑いのリディアが

「どうしたの?あたりからかな?エメリアのデレデレ顔がおかしくってねぇ、笑いをこらえるのに必死ですた。」

風呂上がりで上気した顔を、いつのまにか取り出した扇子で扇ぎながら、いまだにリシュアを抱きしめているエメリアを簡単に引き剥がす。
リディアは彼女の旦那様に口づけ、今度は優しい微笑みを浮かべると、耳元で囁く

「お風呂はいっておいで、話はあとでちゃんと聞くからさ、わかった?」

リシュアは二人が蕩けそうになるような笑顔で頷くと、入浴の準備をしだした。
彼が入浴するために部屋を出た後、リディアが例のニタニタ笑いでエメリアを見る。
「あーそうそう、エメリア。」

「なによ。」

エメリアは仏頂面で答える。
せっかくのリシュアとの逢瀬を邪魔され、だいたい彼女がこの笑いをするときはロクなことを言わないからだ。

「早く髪洗ってきたほうがいいと思うけど?ソレ、乾くとお湯でもなかなか落ちないよ?」

「これ?」

彼女は自分の胸位まである黒髪を一房手にとると、きょとんとした顔でリディアに見せた。
その髪には乾きかけた少年の精液の飛沫が点々とついていた。
それをみてリディアがやけに嬉しそうな顔をして、大きく一つ頷く。

「そうなの?」

今度はいつものニタニタ笑いで大きく二つ頷く 。リディアの言っていることの意味がようやくエメリアに理解できた。途端にエメリアの顔から血の気が引く。

「わ、わたしも、お、お風呂はいってくる・・・。」

エメリアはなるべく平静を装って返事したものの、動揺は隠しきれない。

「なんでもっと早く教えてくれないのよ!」

エメリアが作務衣を身につけながら悪態をつくと、リディアは自前の鏡の前で化粧をはじめながら素っ気なく

「きかなかったじゃない。」

と言った。
たしかにその通りだ、反論できずにエメリアは口ごもる。エメリアは高神官であるから、医学にも精通していることはリディアも知っている。しかし、精液が髪につくとなかなか落ちないなんて、医術の本にはなかったし、初めてだったのだから解る訳がない。

くよくよ考えながらエメリアは部屋を後にする、髪を他人に見せない為にタオルを頭にかぶる。頬被りのようにかぶったタオルと灰色の作務衣、これは他人からみればかなり怪しい風体で、今が夜なら泥棒に間違われてもおかしくなかったのだが、彼女は全く気づいていなかった。




 今日何本目かの蒸留酒の瓶を空にすると、リリアはそれを壁になげつけた。
彼女の私室の石壁に衝突した瓶は粉々に砕け散り、キラキラとした破片を散乱させる。

酔眼でベットから起きあがり、朝日を反射させて輝いている破片をみて、夜があけたことに気がついた。しかし、リリアは新しい蒸留酒の瓶の封をあけ、蓋を乱暴にあけて投げ捨てると、また直接口をつけてぐびぐびと飲んだ。

強い酒が喉を通ると、また酒の灼熱感が胸を襲う、しかし今の彼女を苦しめている、エメリアに対する叶わぬ恋の胸の痛みに比べれば、リリアにとっては些細なことだった。

「エメリア・・・。」

愛しい彼女の名前を呟くと、また涙が溢れてくる。
エメリアと戦ったときに着ていた金襴の鎧は、引き千切るように脱ぎ捨て、今は部屋の中にそれぞれ部位が散乱しているばかりだ。

リリア達聖騎士の魂であり、唯一無二の愛剣であるはずのアーティファクトソード「ナグードルーン」すらも剣帯ごと引きちぎって部屋の隅に放り投げたままだ。

今は鎧下も脱ぎ捨て、シンプルな白いショーツと黒いタンクトップのような下着だけの姿になっていて、ベットに横たわり、ただ、酒に溺れていた。
また、ぐびぐびと胃の腑に酒を流し込む。夜中から何本も酒を飲んだが、まったく酔えず渇愛の苦しみだけが増すばかりで、リリアの想い人であったエメリアから剣を向けられた心の傷も、一向に癒えなかった。

リリアは右手をショーツの中に差し込み、自慰の快感で心の痛みを和らげようとする。
どんなに激しく自分を愛撫しても、エメリアに対する熱情とみじめな自分に対する怒りが増すばかりで、絶頂に達することができなかったのだが。
あの時、首を刎ねてくれたなら、こんなに苦しむことはなかった。そう思うとリリアは声をあげて泣くしかなかった。




リリアの貴族的で傲慢な態度や、激しやすい性格に恐れを抱いている部下の神官戦士達は、彼女の慟哭を聞いても誰一人やってこなかった。

「こんなものか。」

一人呟き、凶暴で卑屈な笑みで顔を歪めると、自分の人望のなさや部下達の冷淡な態度を呪い、空虚な乾いた笑いを漏らした。
急にのどの渇きを覚えたリリアは、自室の丁度向かい側の廊下にある水瓶を思い出した。彼女は酔眼におぼつかない足取りで私室をでようとする。

酩酊し、よろめきながらドアにたどり着き、ドアノブに手をかける。それだけで息があがり汗が流れた、リリアは自己の無様さに自嘲の笑みを浮かべ、ドアをあけようとした。
するとドアの外から力がかかり、ドアが引かれる、その力でリリアはよろめき片膝をついた、虚ろな目で見上げると、そこにはマージェが立っていた。


 マージェは見た目の年の頃はリディアと同じくらいで、明橙色と言っていいような、明るい色の赤毛の長髪に褐色の肌の女性で、リリアの氷の如き怜悧な美貌とは対照的な、親しみやすい暖かな美貌の持ち主だ。
彼女はシェレイド教団の神官戦士でもなければ、リリアのようなミリタリアと呼ばれる軍事専門の武官でもなく、教団に金で雇われた兵士。つまり傭兵だった。

 4年ほど前にニウスの代官兼守備隊長に志願したリリアが、当時10名ほど雇った兵士の一人にすぎなかったのだが、癇気の強いリリアの副官を長く勤めることのできる人物はそうそうおらず、リリアに忠節で教養もあり事務能力も高かった彼女が、異例の抜擢ではあったが、副代官兼守備隊長補佐に任命されたのは当然の成り行きと言えた。

 彼女は決して自分の才能や、出世を誇るところがなく、リリアの部下の神官戦士達や領民にも人望があり、誰にでも細やかで人情味のある配慮ができる女性でもあった。
 ある意味大人物なリリアは、彼女の人望に嫉妬することもなく、しばらくは有能な副官とその上官という関係が続いた。


しかし、1年ほど前のある日、例によってエメリアに言い寄って冷たくあしらわれたリリアが、やけ酒をあおり大酔してマージェの私室に押し掛け、彼女を犯した。
女性しか愛せないリリアにとっては代償行為にすぎなかったのだが、それ以降彼女はリリアの身の回りの世話まで、自分からするようになった。

 傭兵出身で素性のはっきりしない女性ではあったが、才色兼備で戦士としての名声もあり、明るく家庭的な面も持ち合わせているマージェには、自分の妻にと言い寄ってくる人物は多かった。しかし彼女は、リリアの愛人でいることを望んだ。

 その後、マージェを強引に手に入れたことがいつの間にか知れ渡り、そのことでリリアの声望はさらに下がったが、都合のいい相手を手に入れたことに満足したリリアには、どうでもいいことだった。

現に彼女は、リリアがエメリアに懸想し続けていることに恨み言ひとつも言わず、リリアが毎週3時間かけてエメリアに会いに、彼女の住まうロートリア大神殿に通う時も、毎度弁当まで持たせてくれていた。

「リリア様・・・・どうされたのですか・・・!?」

マージェが部屋の惨状に驚愕し室内を見渡すと、リリアの愛剣までが打ち捨てられているのを発見する、騎士の魂の剣までもがあのようなことになっているのを見て、マージェはひどく心が痛んだ。リリアは彼女が知っている他のだれよりも、純粋に騎士であることに誇りをもっているのを知っていたからだ。

マージェは跪くとリリアの顔をのぞき込んだ。リリアの酒臭い息が彼女にかかる、その匂いを感じたマージェはすぐに立ち上がると、水瓶から水を汲んで戻ってきた。
リリアは水の入った手桶をマージェから荒々しくひったくり、喉を鳴らして飲み干した。そしておもむろに立ち上がると、喘ぐようにしてよろよろ歩き、ベットに腰掛けると頭を抱えて俯き、それから一言も発しなかった。


 マージェはあまりの痛々しさに声がかけられず、愛しい女騎士が苦しむ様をしばらく見ているしかなかった。自分が一週間の間、教団本山に行っている留守に何があったのだろう?あれこれ考えてみたが、彼女がこれほど落胆することと言えば、エメリアのことしか思いつかなかった。
しかし、そのことをリリアに尋ねるのは、自分の心の中を全て吐き出してしまいそうな気がして、マージェにはとても恐ろしかった。
自分のこの思いが、リリアにただの嫉妬だと思われるのは悲しすぎる。

リリアは、こと個人的なことでは、純真無垢な少女のような人だった。クフォリン王国のリープシュタイナー侯爵家に生まれ、少女時代は蝶よ花よと育てられたこともあるのかもしれない、だがマージェには判っていた、リリアは前世で自分をこの上もなく愛してくれた、騎士ミストレルと同じ純粋な心と魂を持つ人なのだから。




 8歳の時に記憶の一部が戻った時、マージェは当初、それは大好きだった12英雄の話の夢だと思った、英雄に憧れるあまりに自分が作り出した幻想だと。
だが、年齢をかさねるごとに自分の喉元に冥皇の紋章が少しづつ、やがてはっきりと現れてきた、それを鏡で見るたびにマージェはもしかしてと思った。

マージェはその記憶の中では、冥皇に仕えるミストレルという名の騎士の妻だった。
最初の頃は、女騎士の妻ということに違和感を感じたが、ミストレルのことをすこしづつ思い出すたびに、恋心が激しく募った。騎士ミストレルが神に祈る様は一幅の画のように美しかったし、彼女は黄金の古代龍のように強く勇敢で誇り高く、そしてなによりもマージェを乙女のような純粋さで愛してくれた。

そしてマージェはいつの頃からか、ミストレルにもう一度逢いたい、逢って一生添い遂げたいと願うようにまでなっていた。

現世でのマージェは特殊な技術を持つ剣士、暗剣使いの子として生まれ、父はその組織「バロック」の幹部であった為、少女時代には父と共に各地を旅した。

そこでみた各地の文物や建物、初めてみたはずの多くのものも、見た記憶があることもあった。マージェが学んだこともないはず言葉の読み書きができ、話すことができることに父親は大いに驚き、喜んでくれた。
父を尊敬していた彼女には、父の役に立てたことは、すごく喜ばしいことであったが、それよりも転生したことが事実であったと、自身の中で実感し確認できていくことが無性に嬉しかった。それはミストレルと一緒にみた光景かもしれなく、一歩一歩彼女に近づいて行っているような気がしたからだ。

だが、同時にある疑問も沸いていた、どうして自分は転生したのかと。

その後、父が戦死し、彼のアーティファクト剣「ヴァイレイン・スカイル」を受け継ぎ、剣の力でマージェは年を取らなくなった。
そして「バロック」有数の剣の使い手としての人生を送り、80年程たったある日。

偶然マージェは、影竜ナーシアの居場所を知った。

冥皇親衛隊の唯一の生き残りで32柱の古代竜の王の一柱。それが影竜ナーシアだった。

伝説のエンシェントドラゴンに会うのは命がけであったが、険阻なニーフラム山脈を一人で分け入り、数々の苦難を経てマージェが彼女の目の前にたどり着くと、青みががった黒い鱗をもつ巨大な竜は深蒼色の髪の女の姿に変わって、マージェの前に舞い降りると、優しく抱きしめてくれた。

「幸せなメルヴィントリス。愛しいミストレルには逢えたのかい?」

ナーシアは自分の前世での名前を言い当て、ミストレルという言葉まで発した。

マージェにはその一言だけで十分であった。

その言葉で全てを悟り、押さえがたい激情に魂が震え、同時に歓喜の涙が止めどなく流れた、世界を彩る色彩さえも全て変わり果てたような気がするほどの恍惚を彼女は感じた。

古代の竜は私の今までの人生全てを肯定してくれたのだ。

ナーシアは何故、マージェが生前転生の秘術を受けていないはずのに、どうして転生できたのか語ってくれた。

戦死したメルヴィントリスの屍を抱きかかえたミストレルが、冥皇に懇願し秘術をかけてもらったのだと言う。それを聞いたマージェは詳しい経緯をナーシアに問いただしたが、

「自分で求めることに意味があることもあるのだよ。」

そう言うと笑って取り合ってくれなかった。
そしてマージェはもう一つの大きな疑問、今ミストレルはどこにいるのかを尋ねた。
するとナーシアは一瞬同情するような目をしたが、また笑い

「アーティファクトに宿る神霊は持ち主の血と魂に仕えるものだ、ミストレルが転生しておるのなら、ヌァゼの戦神、戦乙女ナグードルーンもその手に還っているはずであろう。そなたの剣もメルヴィントリスの剣であったものだ、魂の色で解ったというのもあるのだが、その剣を見て確信した。」

「そして、もうひとつ。古い友人として忠告したい。」

ナーシアはマージェの喉元を指さした。皮帯で隠しているはずの冥皇の紋章がナーシアには見えるようだ

「そなたが、ナグードルーンを持つ者を見つけられたしても、その紋章がその者になければ、それはミストレルではないぞ。その紋章は転生者の証であるからだ。それに剣は本当の持ち主の手に還るために、仮の持ち主に身をゆだねることがあるでな。」

仮の持ち主という言葉には思い当たることがあった、自分の父がそうであったのかと。

それから、旅の疲れを癒す為、ナーシアの元で客人として暮らした。
マージェは竜というのは孤独に暮らしているものだと思っていたが、常に数匹の眷族が彼女の側にいた。古代竜の王ともなると、たくさんの眷族がいるらしい。
眷族達は全て蒼黒い鱗の古代竜で、全部で40匹ほどもいた。そのそれぞれが古代竜達が下僕と呼んでいる、かれらにくらべるとかなり小柄な黒い竜達を数匹、沢山つれているものは数十匹も連れていた。

当初は神話の一場面のようなその光景にマージェは圧倒されっぱなしであったが、見慣れると人間のように竜達にも、角の数や翼や鱗の形、顔つきなどに個性があるのに気づき、見分けるのが楽しくなった。



 半月程経ったある日、鱗の色の違う古代竜がナーシアを訪ねてきた。
その鱗の色は薄い水色で、日の光を反射してキラキラと輝いていた、驚くことに14枚もの翼を持ち、ナーシア達に比べるとかなり華奢な体つきをしていた。ナーシア達も美しいと思ったが、この竜の美しさは神秘的ですらあった。

天空竜の王シルラヴェルタ、それが彼女の名前だった。

彼女は水色の髪の妖艶な人間の女性の姿に変わると、ナーシアと話し込んでいた。
マージェは彼女達の会話を盗み聞きしたかったが、解らない言葉で話していて、ナーシアの表情だけから推察すると、かなり切迫した話のようだった。

ナーシアは会話を切り上げ、足早にマージェに近づいてくると、

「魔皇ラグナが復活して、軍を集めているらしい。ということは私の冥皇様も、もうどこかに転生されている可能性が高い。もちろんお主のミストレルも確実にどこかで転生しているはずだ!ああ、なんたるよき日か!我らが真祖にして神、フレドよ!再び冥皇様に逢える運命を授けてくださったことに、万億の感謝を!!」

最期のほうは絶叫に近い声音であった。そして彼女は崩れ落ちるように跪き、何度も床に叩頭し、フレドに祈った。
号泣しながら額を床に打ち付け、血を流しながらナーシアが祈る様は、同じような境遇のマージェには、胸に迫るものがあった。

シルラヴェルタはナーシアを立たせ、マージェに歩み寄ると、

「ナーシアに頼まれて探していたんだけど、ナグードルーンの在処がわかったわ。大陸西にあるシェレイド教団にリリア・リープシュタイナーという騎士がいて、その人物が今の持ち主よ。すぐに行ってみましょう。」

「シルラヴェルタ、優しいことだな。乗せていってあげるのか?」

さっきまで号泣していたはずのナーシアがケロッとした様子で聞く。
まだ額から血がでていてマージェにはちょっと怖い。

「アナタ程じゃないけど、わたしも人間が好きだから手伝ってあげたくてね。」

シルラヴェルタはそう言うと、マージェの肩を優しく叩いて励ましてくれた。

「戦乱が起これば、きっと私の良人は、私を必要としてくれる。それだけが私の望み・・。」

天空竜の王はそう言い終えると、神秘的な竜の姿に戻り、マージェを優しく掴むと飛び立った。彼女は暖かな結界のようなものに包まれていて、不思議と寒さや恐怖は感じなかったが、恐ろしいスピードで景色が後方へ流れていく。

 20分ほど飛んだだろうか、シルラヴェルタはどこかの森のすこし開けた所にに着地した。マージェを丁寧に降ろすと、優しい竜は言った。

「ここはニウスという街の近くです。そこに騎士リリアがいます。上手く逢えることを祈っていますね。もし、イズドマルクに来ることがあったら、私はシルラという名前で薬草の店をやっていますので、是非立ち寄ってください。」

それだけ言うと天空竜の王は飛び去った。

そして、ニウスにたどり着いたマージェはリリアの部下になり、そして愛人になった。

リリアがミストレルであるという確証がつかめぬまま、4年の歳月がすぎてしまった。




窓を閉めきった薄暗い彼女の私室でマージェはリリアを見つめていた。マージェの愛しい人は深い懊悩の中にあって、頭を抱え無言だった。マージェは意を決し、リリアの横に座った。ベットが小さく軋んだ。

マージェが俯いたリリアを愛しげに眺める。そして躊躇いながらも右手を伸ばしリリアを抱き寄せようとした、しかしそこで彼女は、凍り付いたように固まった。


リリアの左耳の後ろに「冥皇の紋章」があるのを発見したからだ。

魂が震えた。手も震え同時に懐かしい暖かな気持ちが蘇ってきて胸がつまる。

どうりで見つからぬはずだ、どうりでわからなかったはずだ、紋章は彼女のブロンドの髪に隠れていたのだから。

「ミストレル様・・・・この言葉を覚えていらっしゃいますか?」

恐怖と感動に震え、喉の紋章の疼きに涙声になりながらもマージェは言った。

驚いたリリアが顔をあげ、マージェの顔を見る。

「わたしは多くの人々を殺めました。だからきっと地獄に堕ちるでしょう・・・。もし地獄の神様の前に立つことができたら・・・、胸を張ってこう言います・・・。本当につろうございました・・しかしミストレルと出会えたことだけが、私の幸せでしたと・・・。そしたらきっと・・地獄の神様も哀れんでくださるわ・・・・。私のミストレル・・」

マージェの言葉を聞いたリリアは、絶句した。

リリアはずっと、エメリアこそがメルヴィントリスだと信じていた。

しかし、この言葉は自分の前世であるミストレルとメルヴィントリスしかしらないはずだ。

それは彼女が息絶える前に、ミストレルに語った言葉だったからだ。

「メルヴィン・・・おまえなのか・・・?」

リリアはたしかめるように尋ねた。するとマージェは優しく微笑み小さく頷いた。

その笑顔を見て、リリアは瞠目した。
初めてメルヴィントリスとマージェの笑顔が重なってみえたからだ。

自分の愚かさを呪いつつも、激情に翻弄されながら、リリアはマージェを荒々しく抱き寄せると、唇を重ねた。

マージェに声をかけたかったが、感涙にむせび言葉にならない、マージェはそれを察してか、リリアの頭を口づけながら優しく撫でてくれる。

二人は幸福だった。300年ぶりに愛を確かめることができたのだから。



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