ドレアム戦記

ドレアム戦記 黄龍戦乱編

第3話

 玄武地方で開かれた戦端。それは、これから始まる大戦、魔界の侵略に対してドレアム世界とそこに住む者達が生き残るための戦いの時が、ついに到来したのだということを予感させるものだった。
 タイミングを推し量ったような帝国とノースフロウ王国軍の攻勢、それはようやく魔界に対抗するために一つになった人間達に大きな痛手を与えていた。
 その緒戦にて連合は2つの拠点、商都リガネスと月の神殿を失うに至った。リガネスは帝国に占領され、月の神殿は町が破壊されて当座の復興もままならず放棄せざるを得ない状況に陥らされた。それでも彼らにとって僥倖だったのは、人材までは失わなかったことであろう。もちろん尊い犠牲がなかったとは言えない。リガネスを武の柱として支えてきたライセツ将軍、将来を有望視されていた地方領主の雄将ザトー子爵などが天に召されていた。
2方面から脱出した人々達は、必然的にドレアム連合の領地内に仮初めの宿を得ていた。そして、アルタイア公爵やノルマンド神官長などの主だった面々は残軍を引き連れてノルバに馳せ参じた。玄武地方最大の拠点であり、連合の本拠地でもあるノルバに終結したのである。
 だがそれは、早くも人間達が剣が峰に立たされていることを意味していた。地勢的に見ると、魔界に対抗しうる唯一の希望であり、その拠点でもあるドレアム連合の本拠地ノルバは今や3方を敵に面する最前線に位置しているのだ。本来ならば本拠地を移すのが一般的なのだが、かといって西側諸国の領主には現在の連合軍を受け入れるだけの物理的余裕はなく、転送の魔方陣を使って他の地方へ逃れるには人数が多すぎたし、玄武地方を放棄すればそれだけ危うくなることがわかっている。現時点で青龍地方、朱雀地方においても連合軍が抵抗を続けていることで、10万とも20万とも言われる帝国軍の兵力が分散しているのだから。
このような状況下での連合幹部達の判断は、戦力を分散させるよりはノルバに終結させる方がより良いというものだった。次の戦いが玄武地方をかけての一大決戦となる可能性は高かったが、連合として完全な体制で迎え撃つことは望むべくもなかったのである。

ノルバ城、連合作戦室。
楕円のテーブルを囲んで席についている人々が、これから始まる軍議を待っていた。部屋は元々王家の方々が訪れた際の休憩室をあてがったもので、開放感のあるゆったりとした広さを持ち、壁の絵や調度品も派手さは無いが洗練された逸品であった。
ただ、そんな部屋の内装など今ここに集まっている顔ぶれに比べると霞んでしまうのも事実だった。ノルバ公カゲトラ、息子のモトナリとノブシゲ、リガネス公アルタイアと妻ライラ、軍師シメイと新しく情報局長となったマクウェル、ノルマンド神官長(現イリス聖堂司祭長代理)、朱雀地方代表として解放軍副将格のイレーヌとセクティの太守クリスティーヌ侯爵、青龍地方からはパメラ公女と銀龍将ムカリ、鳳凰島のヨウラン・ヤリツ、そして連合の主宰であるジロー、その両脇にはイリス聖堂司祭長で聖女イリスの再来と言われるルナとサウスヒート王家唯一の血脈であるアイラ(この話はイレーヌから主だった人々には伝えられていた)、まさに豪華絢爛というメンバーが揃っている。
それでも、集まった面々にまるで反比例するかのように重い空気が漂っていた。いきなり突きつけられた魔界軍の脅威、それがひとりひとりの身に、ひしひしと伝わっているかのよう。それも無理はなかった。連合の防衛線とも言える月の神殿−ノルバ−リガネスの南北2つの拠点が陥落し、ドレアム連合の本拠地であるノルバが南北東の3方向を敵に晒す結果になったのだから。
「ジロー殿」
 重い空気の中で、口火を切ったのはカゲトラ公爵だった。低く、しかしよく通る声に室内の一同の注目を集める。
「まず、確認したい。ここを放棄するという選択肢はあるのか」
 ジローは首を横に振った。
「いえ、考えていません」
 短く答えたジローの言葉に頷き、カゲトラは言葉を続ける。
「うむ。だが我々が窮地に立たされていることも事実。いざとなれば捨石となる覚悟はとうに出来ている。そのことを覚えておかれよ」
「父上・・・」
 モトナリが父の覚悟をはっきりと感じ、横のカゲトラを見た。その顔には一点の曇りもなく、武将としての矜持に溢れている。
「ありがとうございます。でも、俺は、・・・いや、俺達はまだやれると信じています。確かに3方が敵地となり、同時に3方向から攻められることも十分考えられます。だけど、俺達は負けられない。このドレアムの世界を守るために」
 ジローが噛み締めるように、はっきりとした意思の力を顕示した言葉を吐いた。その言葉に反応するように、周囲の人々の意気が上がっていく。
「では、具体的な対策を立てる必要がありますね」
 連合の軍師となったシメイが静かに語り始めた。
「まず、状況をおさらいします。我々のいるノルバ城はここです」
 シメイは立ち上がってテーブルの中央にある玄武地方の地図を指し示した。
「連合側と敵との境界線はこのようになります」
 地図の南西側、丁度テルパの辺りから北東方向に線を引く。次に地図の北西の山岳地帯から南東にもう一本。その2本の線が交わる場所にノルバ城があった。
「このようにノルバは今や3方を敵地に囲まれる死地にあります。しかし、見かたを替えてみると、敵地に築いた強力な橋頭堡とも言えます」
 おおっ!というような感心した声が静かに上がる。だがそれを全く気にかけずに、シメイは説明を続けていく。
「我々を取り巻く敵についてですが、南側には帝国軍がリガネスに駐屯しています。リガネスを攻めた軍勢がそのまま残っているようです。但し、現状ではこれ以上の増援は難しいと思われます」
「青龍地方、朱雀地方への援軍のためですね」
 智将でもある銀龍将ムカリが納得したように言った。
「はい。次に北ですが、どうやら月の神殿に攻め寄せたのはバスク公ボルトン公爵の軍勢のようです。公爵の子息アイザック子爵が敵軍を率いていたとの確かな情報があります」
 シメイはノルマンド神官長の背後に立っていた剣士テムジンの顔をちらりと見て、言葉を続ける。
「バスク公の軍勢は、元々の軍勢だとすると約5千。ただし、全員が虎の魔物となっている可能性がありますので、力は3倍の軍勢に匹敵するでしょう。そして最後に東、ノースフロウ王国軍」
 シメイは一旦言葉を切り、再び言葉を紡ぐ。
「王国軍ははっきりとはつかめていませんが、東の草原に繰り出してきた軍容からみて3万から5万と思っておいた方がいいでしょう。それに加えて最も強敵となる騎馬隊の存在があります」
「ジャムカの騎馬隊か」
「はい。ジャムカが玄武地方に逃れて来た時に連れていたのが2万、ノルバを攻めた時に多少は減ったものの、王国からの教練を依頼された部隊が加わっていますから、3万程度はいると思われます」
「となると、王国の戦力は8万ということになるか。守備隊を差し引いて実戦力は6万から7万だな」
 リガネス公アルタイア公爵が即座に計算して言った。政治ではここまで早く計算できない筈だが、戦評定では水を得た魚のようである。
「はい。3方合わせると10万になります。我々は、各地からの応援も集めて4万、彼我の差は倍以上というのが現状です」
 数字の上での不利を話すにもかかわらず、シメイの声は全く沈んではいなかった。その何かを感じさせる予感が、作戦室の澱んだ空気を振り払ってくれることを期待しているかのように。
「では、この状況を踏まえて、戦略をお話します。まず、南の帝国軍は棄ておきます」
 アルタイアがシメイを睨んだ。が、それを無視してシメイは言葉を続ける。
「帝国軍3万は、リガネスを占領してまだ間がなく、更なる進軍をするとしても形だけとなる筈です。リガネス攻略の手際を見るに、率いる将の力も並程度と思われますのでこちらに対しての守りは薄くても大丈夫でしょう」
 アルタイアの表情が緩む。
「北と東ですが、同時攻略はこちらの戦力上難しいので、北を守って、東を叩くふりをします」
「ふり?」
 アイラが思わず突っ込みを入れた。
「はい。本命は、北のバスク公を叩くことです。できればボルトン公爵を討ちたい」
「ならば、わしが出るしかなかろう」
 そう言ったのはカゲトラだった。シメイは素直に頷く。
「はい。閣下のおっしゃるとおりです。北の守りには閣下自ら出向いて頂きたいと思っています」
 カゲトラは力強く頷いた。
「同意いただいたところで、ここからは戦術になります。北の守りは5千、カゲトラ閣下とラカン将軍にお願いします。南の守りも5千、こちらはシデン侯爵にお任せします。そして、東の守りは残り全軍を持って当たります。大将はノブシゲ様に・・・」
「えっ、ジロー殿じゃないのか?」
 ノブシゲが即座に切り返した。シメイは軽く微笑むと、話を続ける。
「ジロー殿と配下の混成部隊の方々には別の仕事をお願いします」
「対魔物部隊としての遊撃戦だな」
「はい。でもそれだけでは」
 ジローの問いに楽しそうに言葉を紡ぐシメイであった。
「ジロー殿にはバスク公を討っていただきます。私の予想では、多分1度だけ、その機会が訪れるはずです。これを逃さずに遂行してください」
「わかった」
 ジローは真剣な顔で頷いた。

 そして数日の後。
 4方に放たれた斥候が、敵軍の接近を知らせたのはまだ夜が明けやらぬ頃だった。南から、約2万の帝国軍が迫ってきていた。
南の守りを任されたシデン侯爵は、城に拠らず門の前に陣営を築いていた。味方の兵は自領から引き連れてきた2千の他、地方領主軍から3千を組み入れていた。彼我の差は4倍。だが、シデン侯爵はその情報を受けても全く同ずることなく、部下達を配置に就けるための命令を発したのみだった。
<確かに数だけならば脅威ですな>
シデンは軽く微笑みながらそう思った。確かに4倍は脅威だが、それを率いる将の質により兵の数の差は十分埋めることができる。今回については、ノルバにはまだまだ遠いところで動きが悟られるということから考えても、率いる将の力は知れている。
「まあ、守る戦ならば十分いけるわな」
 シデンは椅子から立ち上がり、陣幕を後にした。

 朝日が昇り、陽射しが強くなる頃になって、帝国兵の姿が湧き出すように南方に現れた頃、北を守っていた兵士達の前にも敵兵が出現していた。
 ボルトン侯爵配下の魔虎兵が2人の魔虎将に率いられて味方の陣営に迫っていた。北の城壁を背に陣営を設けていたラカン将軍は、敵襲とわかるや否や愛用の斧を持って先陣を切って飛び出していく。
「ふんっ、ふうぅん、やあっ!」
 気合のこもった一撃が、魔虎兵達を次々と倒していく。ばっさばっさという表現がぴったりの活躍に、味方の兵達も士気もぐんぐん上昇して行く。
 と、ラカンの進撃が止まった。ラカンの前には1人の魔虎将の姿が立ちはだかっている。ラカンは不敵に嗤うと斧を振るう。風を斬る音が後方にまで聞こえてくるほどの渾身の一撃。
ガッ!
 鈍い音と共にその一撃を金属製のクラブで受ける魔虎将。見れば体躯はラカンよりひとまわり以上大きく、黄色と黒が混じった剛毛が生えた腕の太さは重量級であるラカンの太腿よりも分厚い。
ガッ!ガン!ガッ!ガン!ガッ!
 ラカンと魔虎将の打ち合いが続く。その姿は周りを魅了し、いつしか魔虎兵も彼らと戦っていた兵士達も武器を納めて見物に廻っていた。
 しかし、ラカンは戦いに熱中する余り失念していたことがあった。そう、魔虎将はもう1人いたのだ。そいつは、ラカンが別の魔虎将と一騎打ちに興じている間に離れた場所に部下の魔虎兵を密かに集め、戦いに見入っていた連合軍兵士達の横に突如打ちかかった。
「カゲトラ様、右手に魔物達が終結しています。このままではラカンさん達は横から破られてしまいます」
 ルナが『聖探索』を使って魔物の動きを伝えた。戦場の空気で悟ったのか、それを聞いた時には、カゲトラは出陣の準備を整えていた。
「あの、筋肉馬鹿が!」
 そう一言だけ言い残して、カゲトラはルナにここに残れと手で合図し、本陣の櫓から降りていった。
 結局、ノルバ城北の戦いは横槍をついた魔虎将の部隊によってラカンの部隊が崩れる前に、カゲトラ率いる数百の軍勢が介入し持ち直すことができた。双方の損害も大きくはなく、小競り合い規模で収まったといえた。但し、ラカンは別室に呼び出されてカゲトラからこっぴどく叱責され、大きな身体をしゅんとさせていた。
 ラカン・カゲトラ。彼は妾腹ではあったが、カゲトラの子供の中では一番年上だった。だが、子供の頃から武芸は好きで学んだが、学問系は苦手を克服できなかったことが影響したのか、戦い方も猪突猛進型。
 そんな彼を一番愛したのは、実はカゲトラ自身であろう。ラカンを自身の親衛隊長として常に傍に置いたのは、武芸の実力もさることながら、カゲトラの目の届かない処で一軍を預けてしまうことで彼を失うのを恐れたからだった。
 今回は、カゲトラ自身の出陣ということで、前衛の陣と呼応する形を取ったのでラカンに千人程預けてみたのだが、魔虎将の策略にまんまと乗せられて危ういところだった。
 仕方なくカゲトラは、軍容を変更して全員を自分の指揮下に置き、ラカンには再び自身の警護隊長を命じ、自らが陣頭指揮に立つことを決めたのだった。

 雲ひとつなく、澄み切った青い空。上空を見上げると、自分達が戦場にいることなど忘れてしまいそうな爽やかな気持ちを呼び起こしてくれる。
 その空が、黄色く霞み始める。直上から東の方角に向かって霞みは徐々に濃さを増し、地平線が見える角度まで視線を降ろしていくと、そこは一面の黄土色だった。
「敵が来ました!!」
 櫓の上に立っていた見張りの兵が真下に向かって叫んでいる。黄土色は魔界の先鋒となったノースフロウ王国軍が作り出した砂煙なのだ。そして、高い櫓の上から見れば、その兵数が数万規模であることが見て取れた。
「やはり、奴らは一気に片を付けるつもりか」
 報告を受けたノブシゲは、横のシメイに向かって言った。
「ええ。苦しい戦いになりそうです」
「シメイの口から苦しいという言葉が出たのを初めて聞いたな」
 ジローがそう言うと、横のアルタイアが相槌をうった。
「だが、厳しいとは言わないのだな?」
 そう言ってアルタイアは不敵に微笑んだ。
「ええ。我が軍は無勢、ですが将の質は上まわっています」
「率いる将を倒せば、軍としては人間の軍よりも脆い」
 シメイの話にノブシゲ続く。その場にいる全員が頷いた。魔物は力の論理で将に従う故に、人よりも集団行動が取れにくい。将が倒された時に、人ならば味方同士纏まって集団を維持しようとする力が働くが、魔物の場合は従うべき者がいなくなった途端に個人行動に走るのだ。
「確かに、個々の強さは兵士個人を超えるだろうが、集団対個ならば勝ち目も十分でるからな」
 アルタイアが自分の腕を擦りながら言い切った。リガネスを失って悶々とした気持ちを発散させたくてうずうずしているようだ。
「では、皆さん。配置の通りに」
「ああ」
「わかった」
「任せとけ」
 ジロー、アルタイア、ノブシゲは短く答えるとシメイの陣幕を後にした。

 ジローは味方の陣地を眺めながら自分達の構えた軍営へと向かっていた。シメイが英知を振り絞って築いた陣地は活気に溢れている。倍の大軍相手で、本来ならばノルバ城の堅牢な城壁に拠って戦った方が有利に思えるのだが、シメイは迷わなかった。城壁は確かに敵軍から身を守るためには最適のものだろう。但し、相手の数が多く、犠牲を省みずに攻められた場合、ただ耐えるだけの壁ではいつかは破られることは、ドリアード攻防戦が証明している。そうなると、ノルバの市街地に3万もの兵力を篭らせても逆に身動きが取れなくなって各個撃破されてしまう。それがシメイの出した答えであり、城外決戦という選択だったのだ。
 自分の軍営に戻ったジローは、配下の兵士達に軽く声を掛けながら一番大きな天幕へと進んでいった。天幕の入口には2人の少年兵、ジローを師匠と仰ぐシュラとライデンの姿があった。結局、月の神殿の戦い以来、2人はジローと共に行くことを望んでカゲトラに直訴し、カゲトラの2つ返事の承諾をもらってここにいるのだった。
「師匠、お帰りなさい」
 ライデンがジローの姿に気付いて明るく言った。シュラも何か言いたそうだったが、ライデンに先を制されて口をもごもごさせている。
「ああ、守衛ご苦労、少し休んでいいぞ」
 2人は、ジローの言葉に頷くと、持ち場を離れた。それを横目で感じながら、ジローは天幕の中に入っていく。
「ああ、ジロー。お帰り」
 一番初めに気がついたのはアイラだった。横にエレノアの姿がある。2人は近寄ってきたジローを抱きしめるとまずアイラが熱いキス。続けて少し照れながらもエレノアが口に触れるだけのキスをしてきた。
「んで、どうだったの?軍議は」
 ジローの左右に連れ立って歩きながら、アイラは聞く。
「まあ、緊張も無く、泰然とした感じだったな」
 ジローは感想だけを述べて、天幕の中に仕切られた広間へ繋がる幕をくぐった。
「「ジロー様、お帰りなさい」」
 愛嬢達が次々とジローの許へやってくる。そして、挨拶のキスを交わす。そうやって7人全員とスキンシップを行った後、ジロー達はそれぞれの席に着いた。
「ジロー様、軍議はいかがでしたか」
 ミスズが静かに口火を切った。ジローはそれに対してシメイが話した相手の規模や取ってくるであろう戦術、味方の動きなどの情報を伝える。愛嬢達は、それぞれ真剣な表情で聞く者、話についていけなくなって退屈そうにしている者など人それぞれの反応を示しながら、無駄口を叩かずに聞き入っていた。
「ジロー様、では我々の部隊は予定通りの行動ですね」
「ああ、敵の大半は人と魔物の混成部隊、それと騎馬隊だ。まずは2つの部隊に分かれて混成部隊の魔物を中心に叩く。魔物は指揮官でもあるらしいから、これだけでもかなりの戦果が期待できると思う」
 ミスズがジローの答えに頷いた。横ではユキナも真剣な顔で頷いている。
「よし、では部隊を分けるぞ。一つは俺、もう一つはアイラに任せる」
「了解」
「アイラの副官はミスズに頼む」
「はい」
「うんうん、適任ね。実際の指揮は任せたわよ」
「はい、お姉さま」
「俺の副官はユキナ」
「はい。お任せください」
「それから、アイラ班の連絡役兼魔法部隊指揮官としてイェスイとレイリア、俺の部隊にはエレノアをつける」
 すると、横から手を上げたのがシャオン。
「ちょっと、あたしはどうすんの?」
「シャオンはシメイのところで働いてもらう。戦場全体の情報を上空から把握する重要な役目だ」
「ああ、ドリアードでやったあれね。うん、わかった。まっかせといて!」
 全員の配置が決まった後で、ジローは更に言葉を続けた。
「よし、ここまではいいな。いいか、みんな。今までのは混成部隊に対抗するものだ。だが、敵にはもう一つ、騎馬隊がある。この騎馬隊をどうするかで戦いの帰趨が決まると言ってもいいと思う」
 ジローの話を聞き逃すまいという意思の現れか、愛嬢達の表情が真剣になっていた。
「この騎馬隊の対処については、俺たちでしか出来ない方法でやる。その方法は・・・」

 ノルバ城東側の平原。そこは、かつてテオドール男爵がノルバを攻めた時に陣を張った場所でもある。今はそこを挟んで10万の戦士達が一触即発の時を待っていた。
 ノルバ城を守るドレアム連合の兵力は3万、ノースフロウ王国軍は7万、双方共に動員できる兵力を振り絞っての決戦が始まろうとしていた。
「シメイさん、敵軍の配置はこんな感じよ」
 シャオンが白地図の上に敵軍の配置を書き込んでいく。上空から鳥瞰している相棒、精霊フレイアからの情報が、シャオンの頭の脇にふわふわと浮かんでいるミニフレイアから刻々と伝えられる。
「シャオン殿、ありがたい。情報を制すれば数倍の敵に勝ります」
「いや、あの、殿はつけなくても・・・」
 シャオンが照れる。
「いえいえ、貴女は我らが総大将ジロー殿の奥方なのですから、呼び捨てはできませんよ」
「んぅ〜、だったら、さんにしてくれないかな」
「わかりました」
 軽い会話を交わしながら、シメイの眼は地図上の敵配置をくまなく見ていた。敵は味方の陣を取り巻くかのように南北に2つの大きな塊となって陣を構えている。その後方には騎馬隊が、南北の陣の間を通路として使える位置に控えている。3隊に分かれているところを見ると、突撃退却を交互に繰り返す自在の戦法を使用するようだ。そして少し離れた薄暗い林の近くにも一軍が陣取っている。そいつらは禍々しい『気』を放っていることから、魔物で編成された部隊のようだ。
対する味方の陣は大将ノブシゲのいる中央を囲むように南北に2つの陣地が出来ている。南はリガネス公アルタイアの率いる5千にインドラ率いる3千、北はノブシゲ配下のフドウが歩兵3千、ランが騎兵2千、それからジローの混成軍とノルマンドから推挙されて一軍の将となったテムジンが歩兵2千を率いていた。
 中央にはノブシゲ旗下の1万とカエイ、ケイの率いるそれぞれ2千ずつの遊撃弓兵隊、そして変幻自在の遊撃隊としてジロー配下の千人が陣の中に紛れている。
「だいじょうぶかなぁ・・・」
 倍以上の軍勢の姿を書き終えたシャオンが、ちょっと心配そうに呟く。
「確かに倍の敵です。でもご心配には及ばないでしょう。ノブシゲ様、アルタイア閣下、インドラ将軍、フドウ将軍、ラン、テムジン殿、ケイ、カエイ隊長、そしてジロー殿。9個の軍勢が一つになれば勝負になります。そう、まるで9つの頭を持つ竜のように」
「9つの頭の竜かぁ、じゃあ、みんなは九頭竜将だね。それでシメイさんが頭脳」
「ではシャオンさんは、目と耳ですね」
 2人の会話が再び軽くなっていた。シメイの自信に感化されたのか、先ほどまでのシャオンの心配はどこかへ飛んでしまっていた。

決戦が始まった。
最初に動いたのはノースフロウ軍の北側の塊、1万の人と魔物の混成軍である。率いるのはターナトスという名の若い将軍だった。元々ツパイ配下の近衛軍から出世した英才である。
混成軍の特徴は、指揮系統を握っているのは魔物か既に魔物化した元将校クラスの人間だということである。そして、配下の兵たちはまだ人間だったが、洗脳されているため自分達の指揮官が魔物であることに違和感を覚えることはなく、唯々諾々とその指揮に従っていた。
 ターナトスの1万に最初に当たったのはフドウ率いる3千だった。騎馬隊の突撃に備えて据え付けた馬防柵を利用して3倍の敵の圧力に耐える。
 1万の兵士達が手に手に槍や盾、剣を振るいながら突撃してくる様は、終わりの無い水の流れのように次々と味方の兵士を圧迫していき、序々に死傷者の数が増えてくる。
 それでもフドウは勇戦しながら部下を激励し、耐えた。ナスカとシーダの父親の形見となった鉄の杖を鋼鉄で打ち直した金剛杖をぶんぶんと振り回しながら押し込まれた部分への応援、負傷した部下の交代などを的確に行っていく。
「皆、耐えろ、持ちこたえてくれ!」
 ふと、重圧が軽くなった気がした。敵兵の側方に乱れが生じている。上空から見ると、ターナトスの軍に横から楔のように攻め込む一軍が見えた。その先頭には聖剣月光を目にも止まらぬ速さで振るうテムジンの姿があった。そう、兵を伏せていたテムジン率いる2千が頃合を見てターナトス軍の横腹を抉ったのである。
「さっすが、テムジン。絶妙の頃合ね」
 テムジンの横にいつの間にかアイラの姿があった。アイラの遊撃隊5百はテムジンの軍に紛れて、同時に攻撃していたのだ。
「それじゃ、ここからは別行動よ。お互い頑張りましょ」
「はい、アイラさんもご武運を」
 テムジンに別れを告げるとアイラはミスズ、イェスイ、レイリアと共に敵軍の中を一筋の槍が抉るように深く入り込んでいく。
 ミスズの玄武坤が舞うと、馬に乗った魔物将校が狙い打ちされて落ちていく。その間、アイラは朱雀扇と『鬼眼』を発動させて、前面の敵の攻撃をことごとく防ぎ、後方の味方達の支援攻撃を導いていく。
 ターナトスは、テムジンの穿孔によって崩れそうになった軍勢を崩さずに持ちこたえた。逆に兵を2つに分け、テムジンの軍勢を包むように受け始める。こうなると数の少ないテムジンの不利は否めない。だが、テムジンも直ぐに戦場の『気』を察し、水が引くように軍勢を後退させていく。
一方、フドウの陣は未だに強い圧力を受けていた。テムジンの突撃により数百は減ってしまったが、まだまだターナトス軍は意気盛ん、フドウは一旦緩んだ圧力が再度じわじわ強まっていくのを感じた。
「撃て!」
 フドウの後方から聞き覚えのある声が聞こえた。弓鳴りの音が一斉に響き、後方から数千の矢が飛来して敵軍に吸い込まれて行く。馬防柵に取り付いていた敵兵の前衛が、ハリネズミのように矢を喰らって崩れ落ちた。
 今度は右後方から馬蹄の音が響く。カエイの遊撃弓兵隊によって出来た空隙にランの騎馬隊が突っ込む。そして、一撃だけ振るうと反転し退却、すると別の騎馬が続けて突撃する。5百の騎馬の突撃が連続して4回、まるで一陣の風のように騎馬隊は突き抜け、敵歩兵はなす術もなく刈り取られていく。
ランの得意とする戦法が見事にはまり、テムジンの穿孔、カエイの一斉射撃と併せてターナトス軍は2千近くの兵を失っていた。北側戦線の序盤、フドウの堅守によって持ちこたえた連合軍、まずは堅実な滑り出しだった。

北側戦線が最初の干戈を終えた頃、南側でも戦局が動き始めた。ノースフロウの前王時代からの古参の将でその軍略には定評のあるクロッケン将軍率いる1万が、整然と統率の取れた動きでアルタイアの陣を圧していた。
アルタイアは5千の兵でこれを防ぐが、じわじわと圧してくる敵兵は用兵も巧みで味方が薄皮を剥ぐように削られていく。
インドラが2千の兵を伏せて横腹を突いたが、その戦術は予測されていたようでクロッケン側もしっかりと準備がされており、殆ど戦果を上げることができずに退却する憂き目を見ることになった。
だが、さしものクロッケンも予想していなかったのがジロー率いる遊撃隊の戦闘力だった。インドラの軍と同衾していたジロー達5百は、インドラが槍衾と大盾からなる分厚い壁で跳ね返される不利を悟って兵を引くタイミングで兵を東、即ち敵陣営の方向に動いた。もちろん、それを見たクロッケン側の武将は逃げ遅れて混乱した兵が方向を見誤ったと思い、小勢と侮って守備の壁を崩して殲滅しようと兵を出した。
「よし、崩れた!」
 ジローは守備の壁が綻ぶのを待っていた。そのためにわざと自らの部隊を囮に使ったのだ。そして、案の定敵は殲滅しようと部隊を繰り出すために、壁の守りを解いたのだ。
 ジローの合図に5百の軍勢は直角に曲がった。そして、前衛の最大戦力、ユキナの白虎鎗が巨大な風の塊を撃ち出して先鋒を挫き、エレノアの太陽魔法『太陽風』がその隙間を強引にこじ開けるよう兵士達を吹き飛ばした。
その隙間にジローとシュラの2人の達人が先頭に立って切り込んでいく。ジローの刀は戦いの前にルナを抱きながら施した『授与』により聖なる輝きを放ち、洗脳された兵士を叩き伏せ、魔物と化した将校を確実に倒す。そして、シュラの刀はライデンの『雷授与』により刀身に青白い電荷がパチパチと唸り、その刀に斬られた者は痺れて動けなくなり地面に崩れていく。
 わずか5百の軍勢だが、その破壊力は10倍の軍勢にも勝った。そして、クロッケンにとって不幸だったのは、彼の所在がアルタイアの陣を攻めている方ではなく、ジローが突っ込んだ後方部隊にあったことだった。
 ジローの部隊はクロッケン軍を横から深く破り、突き抜けるように進んでいた。最後方は既に敵兵に包まれつつあったが、エレノアが後方に回り込んで『陽壁』を張っているので追撃の手は届かない。そして、ジローはまっしぐらに軍の中央、クロッケンのいる場所に向かっていた。
 クロッケンはしかし、不敵に嗤っていた。そう、彼の精神には既に魔物が巣食っていたのである。優秀な指揮官としての仮の姿である人間から、魔物へと転じる時が来ただけのことなのだ。
 クロッケンはジロー達が肉薄してくるのを認めると、右手を馬の鞍に這わして自分の得物を掴んだ。2ヤルド程の柄に刃先の曲がった大鎌が黒く冷たく光っている。そして彼は軽々と片手で大鎌を操ると、自分の周囲に控えている直属の守備兵達の首を刎ねた。
 兵士達の首が跳び、黒い血飛沫が飛び散った。だが、不思議なことに兵士達は平然と立ち、誰一人として倒れなかった。それどころか、クロッケンの意思に従うかのように、突入してくるジロー達に対して武器を構えて立ちはだかった。
 首のない兵士達の姿を見たとき、さしものジロー軍に動揺が走った。だが、ジローとユキナが全く動ぜずに対峙する姿を見て、少しずつ落ち着きを取り戻していく。ジローは、そんな部下達に対して直接の戦いを避けて後方からの支援攻撃を命じ、ユキナとシュラのみを連れて首なし兵に立ち向かおうとした。
「ジロー。ボクも行く」
 後ろから聞こえたエレノアの声に、ジローは振り向かずに頷いた。動きを止めた今なら後方は、ライデンの雷魔法に任せられる。
 首なし兵は、ゆっくりとしかし確実な意思をもって接近してきた。頭を失った彼らはクロッケンと繋がり、クロッケンの思い通りに動かすことができるのだ。
 対するは前衛にジローとシュラ、中衛にユキナ、後衛にエレノアの4人。その後方には味方の兵が弓を構えているが、余り期待はできないだろう。ジローはノームを呼び出して味方の守護と敵の素質を調べさせ、相手が土性とわかるとドリアードを呼び出し、自らの刀に再生の力を印加した。
 木の精霊ドリアードの力『再生』。通常は命を育み、繁栄を司る能力である。だが、この力を死人相手に使用した場合、本人が元々持っていた魂の穢れを浄化することができる。そう、当に今この場で使うのに一番適した力だった。
 首なし兵が襲い掛かる。ジローは刀を袈裟斬りに振るうと、首なし兵の血飛沫が黒から赤に変化し、崩れ落ちて動かなくなった。そこには無くなった筈の首が出現していた。兵士は最後に人間として生を終えることが出来たのであった。
 ジロー達は4人だったが、その連携による応戦は10倍の首なし兵を圧倒した。あるものはユキナの白虎鎗で吹き飛ばされ、あるものはシュラの雷鳴剣で切り伏せられ、あるものはエレノアの『邪滅光』によって消滅した。そして、ジローに対峙したものは、ことごとく昇天していく。
 首なし兵が次々と倒されていくのを見て、クロッケンは自ら動いた。騎馬を駆り、大鎌を振り上げて打ちかかる。ジローは『鬼眼』で鎌の先端を感じて迎え撃つ。刀に弾かれた大鎌は、横から縦へと軌道を変えて襲来する。縦、横、縦、横、縦、斜め、横、斜め、縦・・・。
続けざまの攻撃を刀1本で受けきるジロー。ジローがクロッケンに専念できるように、他の3人は残りの首なし兵からジローを守りつつ戦う。
 ジローは、馬上からの攻撃を受けながら、心の中でノームを呼ぶ。既に召喚されていたノームはジローの呼びかけに反応し、何をして欲しいか瞬時に理解した。
「ノームちゃんに任せちゃって、くださぁい」
 ノームが念じると、クロッケンの騎馬の足元に地割れが生じた。ほんの僅かな地割れだが、そこに馬の足が挟まるには十分な幅だった。
 騎馬が崩れ、そこから降りざるを得なくなったクロッケン。もはや上方からの有利なポジションでの攻撃を封じられた不利は否めなかった。
 振り下ろされた大鎌の隙を『時流』を発動したジローは逃さない。クロッケンの目にはジローの姿が瞬間的に消えたように見えた。気がつくと大鎌を握っていたはずの腕が肩からなくなっていた。しかし、魔物と化したクロッケンは無くなった腕ならまた生やせばよかろうと余裕の表情を見せ、次の瞬間には驚愕の表情となった。
「な、なぜだ、なぜ、再生しないのだぁ!」
 ピクリとも再生しない切り口を見つめながら、その首は真後ろを向き、そこにいたジローに恨みを込めた目で睨む。
「その、刀、だな・・・」
 クロッケンは再生の力を印加したジローの刀が原因だと悟り、ならばと、残った片腕の爪を剣のように伸ばした。そして、自らの身体を地面から浮かせ、飛び掛っていく。
 ジローが剣を払い、クロッケンの爪を弾く。クロッケンは浮かせた身体をそのまま方向転換して再度襲い掛かる。その口元からは2本の牙が生えていた。
「今度は吸血鬼かよ!」
 ジローも動く。『時流』によってクロッケンが襲い掛かるタイミングに合わせ、僅かに身体を沈ませると下から斜め上に、丁度心臓を両断するような角度で刀を振り込んだ。
「ぐはぁ!」
 どさっという音と共に、クロッケンの断末魔の声が聞こえた。心臓を抉られた彼の身体が細かく震え、やがてその動きを止める。そして、次の瞬間には空間に溶け込むように体が塵となり、消滅していった。

 初日の戦いは、王国軍が兵を引いたことで終わった。連合軍の兵士達も、引いてゆく王国軍を見て、これを追撃する余力は残っていなかったのである。
その日の夕刻、王国軍の一番巨大な天幕の中では、主だった者達が集まっていた。今回の総大将を任された王国総司令官ツパイ、右の翼軍を率いるターナトス、淫気を身に纏った騎馬隊の総領ジャムカ、魔物兵だけの部隊を率いるメギドア。彼女の毒々しい瘴気で周囲の空気が爛れているが、他の誰もそんなことを気にも留めていない。そう、この場所にいる者達は既に人間ではないのだから。
本来ならばここにはもう1人、クロッケンの姿があった筈だが、彼はいなかった。南側戦線は北側よりも有利に展開していた。敵軍をじわじわと締め上げていく戦法が効き、死傷者は5百にも満たない。連合軍がそれ以上の損害を受けていることから考えても、十分勝利と言っても憚られない。だが、その死傷者の中にはクロッケンの名があった。まるで指揮官だけが、狙い済まされたように討たれていたのである。
「クロッケンの穴は私が埋めよう」
 ツパイがぼそりと言った。
「では、明日は騎馬隊の力をお見せしよう」
 ジャムカがにやりと嗤う。今日のところはツパイの混成部隊だけで、敵の出方を見るのが目的だったのだ。クロッケンが討たれたのは誤算だったが。
「あたしは、まだ動かないことにしようかねぇ」
 氷のように冷たい声でメギドアが告げた。それに対して全員が同意する。
「お前の部隊がでれば、生き物が全て殺しつくされるまで終わるまい」
「そうそう、俺の愛しい女達まで殺されるのはごめんだぜ」
 メギドアは微かに微笑みながら頷く。そして、更に冷たい声を発した。
「ふん、好きにして良いって時には、好きにさせてもらうさ。あたしの処は夜でもでれるからねぇ」
 混成部隊の弱点は、魔物になった者達が夜になって魔の力が強まると人間を襲いたくなる欲求に堪えられなくなることだった。味方でも見境なしに襲ってしまうため、戦う前から自壊してしまうのだ。
「まあ、第2世代の我々ならば問題ないのだがな・・・」
「仕方ないぜ、第3世代は魔と人の天秤が直ぐに傾いちまうんだから」
 メギドアが薄く嗤った。彼女の部隊は魔物だけで構成されている。故に夜の方がかえって攻撃力が上がるくらいなのだ。ただ、その分魔性も上がるため、生きているものを喰らい尽くさない限り終わらない殺戮を始めてしまう。
「よし、では休むとしようか。明日のために」
 ツパイの一言に同意するように、一同は解散した。

 東の戦線、北の戦線、南の戦線、連合軍はその全てで体制を維持していた。南の戦線はシデン侯爵の巧みな用兵にも支えられ、2万の帝国軍は完全に攻め倦んでいた。東の戦線は、それぞれの将軍達が連携して大軍を受け止め、守備に徹することにより互角の戦いを演じている。そして北の戦線、こちらは緒戦のあとは全く鳴りを潜めたバスク公軍に対して、細心の注意を払って動向を探っているところだった。
 朝日が地平線に姿を現し、眠れない夜が明ける。
 混成部隊が夜に行動できないことを知らない連合軍は、敵の夜襲に対しても怠り無く準備していた。各陣営共見張りを厳重に行い、交代で眠りについていたため体力の回復は完全ではなかったが、意気だけはまだまだ盛んだった。
 朝日が昇って暫くのことだった。
 見張りの兵は敵に気付くのが遅れたと悟った。それでも、声を張り上げて知らせる。
「敵襲ぅぅぅぅぅぅ!!!!」
 その時には高速で移動する軍団は、味方の陣に肉薄する距離まで近寄ってきていた。太陽を背に疾走してきた騎馬隊、眩しい光に紛れ発見が遅れたのである。
 全軍が、一斉に防御体制を取ろうと騒然とする。そんな彼らをあざ笑うかのように、4千程の騎馬隊が、馬防柵を越え、味方の陣地を暴れまわりながら駆け抜ける。
 南北両方の陣に飛び込んだの2つの騎馬隊に対し、カエイとケイの遊撃弓兵隊が邀撃したものの一斉掃射一回しか撃つことが出来なかった。混乱の中、フドウとアルタイアの陣は、昨日の戦闘以上の死傷者で溢れかえってしまっていた。
 そして、敵歩兵隊が、この隙を突くように繰り出してきた。シャオンから状況を聞いたシメイは、ノブシゲの本軍を前に動かす。これにより両翼のフドウとアルタイアへの圧力が減り、その分をノブシゲ軍が受け持つ。混乱した両翼軍に、体制を立て直すための貴重な時間が与えられた。
 ノブシゲ本軍の動きは、新たな敵騎馬隊の突撃を誘発した。騎馬隊の将の名は、チャガスハル。青龍地方時代からジャムカの片腕と言っても差し支えない剛将である。だが、最近はジャムカの美女好きに拍車がかかったのか、ネルガルチェとディルフィアという女武将に側近の地位を奪われていた。そのことに対して不平不満を漏らすようなことはしなかったものの、内心忸怩たるものがあった彼は、この戦いで功を立てようと奮い立っていた。
 8千の騎馬が整然と、一つの武器のように突撃する。スピードに乗った騎馬は、槍を平行に構えた騎兵を乗せたまま疾走する。馬防柵の存在など紙のように食い破るに違いないと思わせる、津波のような軍団が一目散に向かってくる様は、味方の兵士達に恐怖を覚えさせるほどだった。
 8千の騎馬の地響きが、身体の傍で太鼓を叩かれているように、ずしずしと兵士達を震わす。守備の兵士達は、それでも何とか勇気を振り絞って、震える手で槍を構えていた。
「イフリータ!!」
 兵士の背中越しに、誰かの声が響いた。
 次の瞬間、炎の竜が騎馬隊と味方の間を舞い、その背後には炎の壁が出現した。
 突然出現した炎に驚いた馬達が一斉に棹立ちになり、騎兵を振り落とした。相手の鋭鋒を挫かれ、その光景を呆然として見ていた兵士達の背後から弓の鳴る音が一斉に響いた。
亜麻色の髪の弓兵隊長が号令一下、遊撃弓兵隊が放つ矢は炎の壁を越えて騎馬隊に降り注ぎ、敵騎兵は次々と討たれていった。
ジローは、召喚したイフリータを元に戻すと、遊撃部隊を北に転じた。彼の考えた敵の鋭鋒を挫く騎馬対策は、見事に効果を発揮した。騎馬隊がどんなに優秀で破壊力があっても、それを乗せているのは生身の馬。馬ならば本能的に火を見れば怯む。ならば、炎の壁を作ればいい。それも、出来るだけ突然に。
こうして騎馬隊は、その戦闘力の大半を占める突撃力を削がれ、チャガスハルは自らの命は取り止めたものの、率いる騎馬隊の凡そ半数を失うに至った。一旦連合の負け側に傾きかけた勝負の行方は、再びイーブンまで戻ったのである。

 ジローが、優勢となった状態で騎馬隊を見逃した理由。それは、2つに分かれた遊撃隊が一つになって行動する時が訪れたのである。そう、それはノルバ城北側のカゲトラ公爵の陣に従軍しているルナからの緊急通信が合図だった。ジローは、心の回線でイェスイと連絡を取り合い、合流を即断した。
 北側の防衛戦にカゲトラ自らが出陣していると知ったバスク公ボルトン公爵が、その顔を拝むために最前線までお目見えしたのだ。
 ボルトン公爵。ノースフロウ王家の初代から忠誠を誓った名臣の子孫にて王家の支配を磐石に保ってきた3大公の1人。その由緒正しい公爵家を数十年前に継承し、王家の政治部門の鼎石として敏腕を振るった名臣として、後の世に名を残すには十分な技量の持主だった。
 しかし、彼に取って不幸だったのは、同じ時代に同じ3大公家であるノルバ公爵家にも英邁が生まれたことだった。その名はカゲトラ。他を寄せ付けない武の力、ストイックなまでの公明正大な精神、王家への忠誠、どれを取ってもボルトンの上を行く力を持っていた。時の王ジブナイルにも覚えめでたく、カゲトラは王の側近としてその力をいかんなく発揮したのであった。
 ボルトンは外面上、王やカゲトラと普通に接した。いや、普通に接するように最大限の努力をした。しかし、カゲトラは全てにおいてボルトンに勝り、唯一肩を並べられる政務に精進することが、彼のできる精一杯だった。それも3大公という看板によって、その地位にいれるのだという思いが、常に彼を蝕んでいた。『張子の虎』とボルトンは、息子のアイザックや側近によくそう漏らしていたと言う。
3大公家に生まれたことで、必然的に重臣としての地位が約束されたボルトン。彼は自分の能力を振り絞って王家に仕えたが、別の大公家から出たカゲトラという存在によって、後塵を拝することしか出来なかった。その悔しさが、いつしかカゲトラに対する嫉妬の炎となって、片時も消えずにいたのである。
「だが、いまのわしは違うぞ」
 ボルトンは、低い声で唸りながら、自分の両腕を愛おしげに見つめた。かつて柔弱な力しか発揮できなかった細い腕はそこにない。人間の太腿以上の太さで柔軟な筋肉に包まれた両腕、そして黄色と黒の混じった剛毛。指先は鋼鉄をも切り裂く猛獣の爪が鋭く光り、更に彼が望むだけで刃を生やすことも自在となった。
「ふはははははは・・・、もう『張子の虎』とは言わせんぞ、カゲトラ!」
 ボルトンは、本物の虎魔人となった身体を軽快に動かし、自陣から出撃した。部下からの報告で、彼が一番この手に掛けたい相手、カゲトラ公爵が敵軍を率いていると知ったのだ。
「今こそ、積年の恨み、晴らしてくれる」

「ジロー、派手にやったわね」
「ああ、俺達がこっちを離れる時間を稼がないとな。それに、アイラだって」
「ん。ま〜ね」
 アイラの遊撃隊と北部戦線で合流したジロー達は、ノルバの城壁を左手に見ながら北上していた。ジローが、中央戦線でチャガスハル騎馬突撃を挫いたのと同様に、アイラもまた王国軍騎馬隊新鋭のエレミィ率いる騎馬隊を、朱雀扇の炎で撃退していた。
 彼らは城の東側については少なくとも今日一日は勝負がつかない混戦となると判断し、ルナからの緊急通信によって城の北側へと全員で移動することにしたのである。
「まったく。人使いが荒い」
 そう呟いたのはエレノアだった。とはいえ、悪気があるわけではなく、一緒についてきている遊撃隊の気持ちを代弁しているのだ。愛嬢達も、彼女の毒舌も含めその辺は心得ている。
「でも、当初の目的通りですよ」
 イェスイが真面目に突っ込む。
「ふん。そんなことは判っている。それにボク達が決戦の鍵を握っているってこともね」
「だったら、頑張りましょう」
「ああ、・・・そうだな。イェスイ」
 いつもの毒舌が、イェスイ相手だとどうも空回りしてしまうエレノアだった。その様子を見て廻りの愛嬢達も和む。
「ジロー様、カゲトラ様の陣が見えます」
 ユキナの言葉に、和んだ空気は一瞬で張り詰めたものになった。いつの間にか遊撃隊は、城の角を廻り、北側戦線の端に到達していたのである。
 見ると、すでに両軍は戦端を接している。5千対5千だが、魔物化している分だけボルトン軍の方に歩がある。しかし、その差をカゲトラの武略が埋めているらしく、両者はがっぷりと四つに組み合っている様相。
 ジローは戦場を迂回し、ボルトン軍を斜め後ろから突くべく部隊を移動させた。幸い、潅木地帯の陰に紛れての行軍は、ぎりぎりまで発見されるのを防いでくれた。
 ジローの合図と共に部隊は2つに分れ、2本の鞭がうねるように襲い掛かる。ミスズの玄武坤が、ユキナの白虎鎗が、アイラの朱雀扇が、そしてウンディーネの激流を刀身に宿したジローの刀が、ドリルで穴を穿つようにボルトン軍の後方を突き崩していく。
 ミスズは、玄武坤を振るいながら、ひたすら前へと進んでいた。まるで、何かに取り付かれたように。そう、彼女は妙な胸騒ぎを感じていた。それは、ボルトン軍に近づくにつれて、どんどん大きくなっていった。
<早く、早く父上の許へたどりつかなければ・・・>
 だが、5千の魔虎将と魔虎兵の壁は、簡単には崩れてはくれない。最初はすんなりと分け入ったジロー達だったが、深く入り込むに従ってその速度が緩み、魔虎兵の反撃も強くなってきた。それもそのはずである。魔虎将も魔虎兵も、元はボルトン公爵の兵士。それが魔物の力を得て戦力アップしているのだ。加えて昼間であれば、魔性もある程度は抑えられるので、軍隊としての力も発揮できる。
 2つに分かれて敵軍に分け入ったジロー軍は、いつしか敵軍に包まれて、逆にピンチに陥っていたのである。
「前だ!前に進め!!」
 ジローの叱咤激励の声が飛ぶ。
「後ろは『陽壁』で押さえたぞ」
 エレノアが横に立っていた。左目の灼熱の瞳が輝きを増していた。
「エレノア、敵の大将の位置、わかるか?」
「あっちの方向に強い魔物の力を感じる。でも、魔虎兵達の数もはんぱじゃないくらいいる」
「わかった、ありがとう」
 エレノアに礼を言うと、ジローは心の回線でイェスイにその情報を伝えた。イェスイからボルトン公爵がどこにいるか聞かれていたのだ。
「よし、どちらにしろボルトンを倒さないと埒があかない。皆、行くぞ!」
 ジローの言葉を合図に、ジロー軍は一番分厚い壁へと突っ込んで行った。

「見つけた。見つけたぞ!」
 消耗戦はやはり、カゲトラ軍にとって不利だった。魔虎兵は味方の兵3人分の戦力を持ち、その上多少の傷はものともせずに戦いを挑んで来る。一方、味方は3人で1人の敵を受けつつ、負傷した者は交代しながら戦っていた。その結果、敵軍はじわじわと前進し、味方の死者は少なかったものの負傷者が多く、陣形がどんどん薄くなってしまっていた。
 そしてついに、大将であるカゲトラ自身が武器を持つ事態に及ぶ。ただ、カゲトラと警護隊を率いるラカンは強力で、逆に敵を押し込むくらいだったが。
 しかし、カゲトラが前線にその身をさらしているという状態が、良いはずはなかった。魔虎兵はカゲトラのいる場所に狙いを定めて迫り、それを撃退するカゲトラ達の体力は少しずつ消耗し続けたのである。
「どけい!」
 急に魔虎兵達が引いた。その背後に魔虎兵の2倍はあろうかという巨漢の姿があった。
「カゲトラよ。久しいなぁ」
「ボルトン。魔物に身をやつしたか」
「ふっふっふっ、この姿が羨ましいか。俺は、お前を超える力を得た。そして、今日、それを証明してやる。お前を倒してな!」
 ボルトンが、腕の太さくらいの棒を振り回した。カゲトラが、それを寸前でかわす。風圧だけでも飛ばされそうな勢いだったが、武人としての矜持か平然と睨みを効かせるカゲトラは、持っていた槍を手放し腰の刀を抜いた。刃身の厚い刀を正眼に構え、ボルトンに対峙する。
 唸り声を上げながら、ボルトンが棒を繰り出す。その打ち込みを刀の角度を変えただけでいなし、逆に踏み込んでボルトンの腕を斬る。
 しかし、ボルトンの腕から生えた刃がそれを弾いた。カゲトラは殺気を感じて身体を捻る。その僅かな隙間をもう一本の腕から生えた刃が通過した。
「くっ」
 カゲトラは引いて距離を取る。ボルトンは再び棒を構えて今度は突いてきた。魔物と化しても、元々の武芸の技術差までは埋まらないのか、これもカゲトラは難なくかわす。しかし、その棒を持つ両腕の刃は厄介だった。
 両者の打ち合いが続く。しかし、ボルトンと齢50を超えるカゲトラの差はもう一つあった。体力の消耗度は、明からにカゲトラに不利。そして、その差はじわじわと効いてきた。
 ボルトンの攻撃が、初めてカゲトラの刀をまともに捉えた。その衝撃は腕に響き、刀を手放さなかったのが辛うじて。そして、続けざまの攻撃がカゲトラの左肩を切り裂く。骨にまで届くかという斬撃により左半身が血に染まっていくカゲトラ。防戦一方となったカゲトラに、ボルトンは満悦の表情を浮かべた。
「ぐぁっはっはっ、これで最後よ!」
 ふらふらとなったカゲトラを、容赦ない突きの一撃が襲う。そして、その先端が身体に吸い込まれようとしたその時、巨大な斧が棒を弾き軌道を外れた棒が空をきった。
「閣下は俺が守る」
 カゲトラとボルトンの間に飛び込んだのは、ラカンだった。

 魔虎将・魔虎兵の分厚い壁にようやく綻びが見えた。
 ジロー隊とアイラ隊に分かれたジロー軍は、敵軍の腹中に深く潜り込んで包囲されながらも、何とか活路を見つけながら敵将ボルトンの許へ辿り着く道を着実に進み、ついにその背中を捉えたのだった。
 しかし。
「あっ、ああぁぁぁ・・・」
 ミスズが、叫びにならない叫びをあげた。
「に、兄さまぁぁぁっ」
 ほぼ同時に辿り着いたジロー隊からも、ユキナが悲痛な声を漏らす。
 ボルトンはジロー達に背中を向けて戦っていた。右腕には深々と刺さった斧が半ばくらいまで食い込み、だらんと垂れ下がっている。だが一方で左腕には、1人の戦士の腕を抱えるように貼りついているのが見えた。その表情には血の気がなかったが、見まごうことなくラカンだった。その背中からは何本もの刃が突き出しており、足元には大量の血が流れて溜まっていた。
 妹達の叫び声に反応するように、ラカンは焦点の合わない瞳でジロー達の姿を見つめた。そして、後は頼むといいたげな表情で笑みを作ると、そのまま大量の血を吐いて崩れていった。
 ラカンは、最後までカゲトラを守ったのである。そして、持てる力を振り絞ってボルトンの右腕を奪ったのだ。自分の命と引き換えに。



ドレアム戦記 黄龍戦乱編 4話へ

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