冥皇計画
第１話「春暁行路」
「あ〜〜今日も天気がいいなぁ。」
リシュアは１５歳の誕生日のその日、塔の物干場でつぶやいた。
春のやわらかな陽光のふりそそぐ中、てきぱきと大量の洗濯物を干す。
物干場は８階建ての塔のてっぺんに有り、１階の洗い場から大量のぬれた洗濯物を運ぶのはかなりの重労働だったが、これも修行と思い一生懸命にやっていた。
彼は「千里眼のリディア」という女魔導師の徒弟なのだ。
５歳の時に孤児の施設から引き取られて、もう丸１０年になる。
３００年近く生きている魔女の弟子になるのは最初は恐ろしかったが、リシュアに弟のように接してくれるリディアとは、いまでは本当の家族のようになっている。
リディアは１０年前と変わらぬ若々しい容姿と、変なこだわりがある以外は、普通の人と言ってよく、彼女によって衣食住の保証された生活に、リシュアはとても感謝していた。
洗濯担当は最初の頃は小柄なリシュアにはとてもきつい労働だったが、慣れてみれば雨の日には仕事がない、という特典はとても有り難いことがわかった。
洗濯という仕事自体も好きになったが、雨の日には書物を読んだり、魔法の練習に丸一日時間を使えるので、おいしい役目とも言えるのだ。
「リシュアああああああ〜師匠起こせ〜！！昼めしだぞおおおおおおお！！」
洗濯物を干し終わり、物干場の隅に座っていると、１階の窓から声をかけられた。
声の主は姉弟子のドロシーだ。窓から身を乗り出して調理用のお玉を振りかざしている。ドロシーはエルフの少女？で見た目は１６歳くらい。
エルフは普通、見た目では年齢はわからない。ドロシーの正確な年齢も知らない。
口より先に手がでる彼女には、聞くのも恐ろしいからだ、聞いた日が自分の命日になりかねない。黙っていれば愛くるしい少女？ではあるのだが、エルフはみんな、ああなのだろうか。
そんなことを考えながら、リシュアは１５歳の少年らしい快活さで、階段を飛ぶようにかけおりて、７階の師匠の部屋にむかった。
「失礼します！！」
ノックも早々に重い扉をあけると、寝室兼書斎のベットの上で、師匠のリディアがいつものようにほぼ全裸の、あられもない格好で寝ていた。
寝相がわるい彼女の毛布は床におちており、ベットのまわりには脱ぎ散らかした服も散乱している。彼女は紫色の極端に布地の少ないショーツ一枚で、なおかつこちらに向けて大股開きで寝ている。
リディアは見た目は２０代後半に見え、印象的な薄い灰色の長髪にエメラルドグリーンの瞳、リシュアの手には絶対おさまりきらないような大きな胸、女神の裸像のような美しいラインを描くウエスト、肉付きはよくないものの張りのある美しい曲線のヒップの持ち主だ。
「師匠！食事の用意ができてますっ！」
普段の男っぽい仕草や言葉使いと正反対の師匠の艶姿に、目のやり場に困ったリシュアはそっぽを向いて言った。
するとリディアはムクリとベットから起きあがり。
「うむ・・・」
とだけ返事をすると、リディアは寝惚け眼のまま手探りで鼻眼鏡を探しだして、鼻の上にちょこんとのせ、枕元から煙管を取り出し、指を一振りして魔法で煙草に火をつけると、ベットの上で、長く美しい脚で胡座をかきながら、うまそうに吸い始めた。
毎日のことだが、リシュアは一連の仕草とリディアの美しい肢体に見とれてしまっていた。
煙管に火をつける一連の仕草も、リシュアにはかなり刺激的だ。
「わたしの裸体が魅力的なのは十分承知しているが、いつまで鑑賞してるつもりかね？」
ニタニタと意地悪な笑みをうかべながら、上目遣いでリディアが訊いた。
すると耳まで真っ赤になったリシュアは、一礼すると部屋からあわてて退散していった。
気の毒なほど慌てている弟子の後ろ姿を見送りながら
「実はちょっと見られるのがうれしかったりして・・・ね♪」
リディアは少し頬を赤らめながら独り言をいうと、くわえ煙草で鼻歌交じりに服を身につけだした、煙管をくわえたまま着替えるのは、実は結構キケンなのだが。
１階の食堂にリシュアが降りていくと、もう一人の先輩弟子のジュウイチロウがすでに席についていた。
ジュウイチロウは７王国のひとつのフソウ王国の出身で１９歳、閉じてるのかあけているのか解らない細い目と、ここいらでは珍しい浅黒い黄色い肌に、短く刈り込んだ黒髪の青年だ。
リディアの２番弟子で、なにくれとなく面倒を見てくれて、天涯孤独の孤児のリシュアには兄のような存在だ。
席に着いたリシュアの方にイスをひくとジュウイチロウが
「師匠、きょうは何色だった？」
いつものニヤケ顔で小声で聞いてきた。
「紫かな・・こんなやつ。」
リシュアは指でＶ字型を示した。すると
「むっはー！さすが大人の女だなっ！」
いささかオーバーアクション気味に自分の額を叩いて感動する。
「うらやましいぜ！ソウルブラザー！」
彼は心底うらやましいといった風でリシュアと肩を組むと、背中をバンバン叩いてきた。
背中を叩かれながら、ソウルブラザーってなんだろうとリシュアが考えていると、ジュウイチロウが耳打ちしてきた。彼は食事を盛りつけているドロシーの後ろ姿を指さし、
「あいつは今日は水色だ。」
と真顔で言い放った。
すると突如、頬をピンクに染めたドロシーが振り向き、スープの入った木皿を投げつけてきた。木皿はジュウイチロウの側頭部を直撃して、あたりにスープをまき散らし、リシュアもスープを頭からかぶったが、木皿の直撃をうけた当のジュウイチロウは当然ひっくり返ったが、数秒後何事もなかったように、むくりとおきあがるとテーブルやイスを無言できれいに拭き、
「フィールドワークには危険は付き物だっ！」
右手の親指を立てて、真顔で意味不明なことを言った。
するとドロシーが半ばあきれ顔で笑いだし、ぼくらも大笑いした。
リシュアはそんな二人を見ているとなんとなく、二人は恋仲なんだろうなと思った。
ドロシーが手早く食事をテーブルに並べ終わる頃、丁度リディアがおりてきた。
彼女はだらしない着こなしで、髪は寝癖でボサボサだ。寝惚け眼で椅子に座ると
「いたらきます〜」
と言い、彼女にとっては朝食の麦粥をずるずると啜りだした。弟子達も食事に感謝を捧げ、それから黙々と食べはじめた。
しばらくするとリディアは不意に食事の手を休め、
「あ、そうそう」
と言った。
３人の弟子は何事かと思い、リディアを注視すると。
「あたしゃ〜旅にでるわ、うん」
そう言い放つとリディアは朝食の粥の最期の一口を木製の皿からすすりこんだ。
その言葉に三人の弟子は唖然となり、みんな一斉に質問の言葉を浴びせかけた。
するとリディアはあっけらかんと
「この塔はドロシーにあげるよ、ジュウイチロウは一人前以上だし、もしどこかに仕官したいなら、紹介状もかいたげるよ。あたしはリシュアつれて旅にでっからさ。それに・・・・・にしししし」
妙な笑い声をあげると、リディアは左手の人差し指と親指で輪をつくり、右手の人差し指を輪の中にいれて出し入れする卑猥なジェスチャーをしだした。
リシュアがさらに唖然としていると。
「あたしが君らの仲を知らないとでも思ってた？ああいうことするときは窓と扉をちゃんと閉めてしましょうね〜♪」
いつもの意地の悪い笑みを浮かべると、ドロシーとジュウイチロウの顔を交互に見た。
二人は真っ赤になって下を向いてる。
「ジュウイチロウがドロシーにプロポーズしてるのみちゃったしねぇ、まぁ仲良くおやんなさいよ、この塔はわたしからのプレゼントだからさ。」
弟子達を慈しむような笑顔で師匠は言った。
するとジュウイチロウは席を立つと深々を頭を下げて礼をして
「木幡十一郎季長、ご恩は一生忘れません！ありがとうございました！！」
と普段のジュウイチロウから想像できないような凛々しい口調で挨拶した。ドロシーもいつのまに
か立っていて、未来の夫と同じように深々と頭をさげた。
「でさ、今日出発するからさ、ドロシーには悪いんだけど、３人分弁当つくってくれる？ジュウイチロウは村のシェレイド神殿にいって、馬を４頭受け取ってきて欲しいんだけど。」
弟子達は師匠の急な出発に驚いたが、二人は心得たとばかり作業を始めた。
リシュアはなんだか事情が飲み込めなくて、あたふたしていたが、リディアに荷物をまとめるように言いつけられたので、まず自分の荷物をまとめ、それから師匠の手伝いをした。
リディアは身支度があるとかで、自室に上っていったので、リシュアとジュウイチロウの二人で馬に荷物を積んだ。作業をしながらジュウイチロウが
「絶対、もどってこいよ！ここはお前の家なんだし、俺達は兄弟だからな！」
ジュウイチロウの真心の言葉にリシュアは目頭が熱くなったが、我慢して作業を続けた。
作業が終わると、二人で少し話をした、彼はドロシーとの仲を言わなかったことを何度も謝ったが、なんとなく解っていたと話をすると、照れくさそうに笑って礼を言った。
話の最後に、彼は普段から身につけていた守り刀を、懐から取り出してもっていけと、握らせてくれた。
「妹の形見で済まないが、兄の俺がしてやれるのは、このくらいだ。」
ジュウイチロウは本当に済まなさそう言ったが、天涯孤独のリシュアには本当にうれしくて、とうとう涙が溢れてきた。
「大事なものをありがとう・・。」
守り刀は木鞘に漆を塗った拵えで、鞘に金泥で何か書いてあったが、フソウ王国の公用文字でかいてあるようで、リシュアにはさっぱり読めなかった。
辞退しなかったのは、返そうとするのはかえって失礼だと思ったからだ。
守り刀を落とさないように、ローブの左胸のところの内ポケットに納める、それをジュウイチロウは頷きながら満足そうな笑顔でみていた。
ドロシーが自分たちを呼ぶ声がしたので、二人は食堂にもどった。
「師匠ももうすぐ降りてくるわよ。」
ドロシーはそう言うと来客用のワイングラスをテーブルに並べはじめた。ドロシーは正装しており、鮮やかなプルシアンブルーの布地に、金糸でリディアの一門の紋章の入ったローブを身に纏っている。
「なにしてんのよ、あんた達も正装して。」
ドロシーが催促した。
一度食堂の椅子に座ったが、二人は部屋にもどり、慌ただしく正装に着替えて戻った。
「師匠は？」
「まだよ。」
そう答えたドロシーはすでに着席していた。テーブルの上をよく見るとグラスが５個ある。
４個は師弟のものだとしても、あと１個はだれのだろう？
「だれか来るの？」
「エメリア様よ。しらないの？」
ドロシーが怪訝な顔で聞くが、リシュアはコクリと頷いた。本当に全然しらなかった。
「師匠がエメリア様とリシュアと三人で旅にいくって言ってたよ？よかったねぇ」
ドロシーは笑顔でテーブルに頬杖をつきながら言った。
彼女はエメリアがリシュアにとって憧れの女性だと知っているので、そういう言い方をしたのだろう。
エメリアは豊饒神シェレイドの高神官で、この塔のあるシェレイド教団領ロートリア郡の管区長でもあり、教団最高位の最高神官に次ぐ地位の、８人の枢機神官のひとりだ。
容姿は２０代半ば位の慈愛に満ちた眼差しと美しい黒髪の女性で、清楚可憐という言葉がぴったりくる美貌と慈愛深い心、さらに最高神官に匹敵する法力で聖女と呼ばれていた。
またリディアと親友で、週に二回位はこの塔にやって来ては、師匠と話し込んだり、リシュアの面倒をみてくれ、泊まっていくのも珍しくはない、来訪者の少ないこの塔の唯一の常連客でもある。
教団の孤児院で育ったリシュアを、リヴィアに紹介してくれたのも彼女で、恩人でもあるが、その前にリシュアにとって、理想の女性像そのままと言っていいような人で、彼は淡い恋心を抱いていた。
あれこれ旅について考えていると、リディアが身支度を終えて、食堂にやってきた。
見違えるような姿に三人の弟子達は驚嘆の声をあげた。
いつもボサボサの寝癖だらけの髪は梳られ艶やかな光沢を放っていて、額には銀の額冠をつけている。貌もいつも薄化粧すらしていなかったのに、一分の隙もない化粧をし、いつもの寝惚け眼はきりりとした目元に変わっていて、紫色の口紅すら引いているのだ。
衣装も薬品でしみだらけのいつもの灰色のローブではなく、胸が半ば露出し、腰までスリットのはいった鮮烈なプルシアンブルーのローブにマント、それに太股の半場までくるような白い皮ブーツを履いていて、お揃いの白の手袋までつけていた。
「師匠・・・綺麗・・・・。」
ドロシーがおもわず羨望のため息を漏らす。
リシュアもジュウイチロウも普段が普段なだけに、自分達の師匠がここまで美しい女性だったとは、正直おもっていなかったので、呆然として見惚れていた。
「どう？見直したかしら？」
艶っぽく微笑み、しなをつくってみせる。口調までいつもと違っていて、それを聞いた３人はおもわず吹き出し、リディアも大声で笑った。
「こんばんわ。たのしそうね。」
食堂の外の入り口の方から優しげな女性の声がした。
皆が振り向くと、そこにはエメリアが立っていた。
彼女はいつもの見慣れた純白の神官衣ではなく、白銀色の胸甲に、女性の神官戦士がよく身につけている、くるぶしまで覆う質素な長い厚手のスカートを身につけており、あきらかに旅装とわかった。
彼女は皆に軽く会釈をすると、リシュアの前にやってきて、切れ長の黒目がちな目を細め、女神のような微笑をうかべながら、リシュアの右手を両手でやさしく握り。
「リシュアちゃん。１５歳の誕生日おめでとう。」
と言ってくれた。
エメリアはわざわざ椅子をリシュアの横に引いてくると、そこに座った、リディアが横でエメリアに悪態をついていたが、完全無視の風で、また手を握って優しく微笑みかけてくれた。
それを見ていたリディアは、ひとくさりエメリアに悪態をつきおわると、急に真顔になって訊いた。
「エメリア、教団は旅に出るのを許してくれたの？」
エメリアから穏やかな微笑は消え、柳眉を寄せ沈痛な面もちで
「許して頂けなかったので、管区長の職を辞し、教団も脱退してきました・・でも後悔はしないわ。」
その言葉を聞いて、冗談を言い合っていた弟子達も沈黙し、重苦しい空気がながれたが、おもむろにリディアが立ち上がって。
「二人の門出と私たちの旅路とリシュアの誕生日に乾杯しましょ！」
笑顔でそういうと、重苦しかった空気がやわらぎ、皆立ち上がって笑顔で乾杯した。
皆が一杯のワインを飲み終える頃、リディアがドロシーとジュウイチロウに
「そろそろ、私たち行くね。」
と言い、懐から短い杖を二本出すと、それぞれに手渡した。
「なにか困ったことがあったら、その杖を魔導師ギルドの人に見せてね。」
リディアはそれだけ言うと、エメリアとリシュアに旅立ちを目配せで催促し、無言で食堂を後にした。
「じゃ行こうか。」
リディアはあっさりとした口調で言い、一番に馬に乗ると、荷物をのせた二頭の馬を引いた。すぐにエメリアも馬上の人となって、優しい女神官は馬に不慣れなリシュアの馬の手綱をひいてくれた。
月光に照らされた夜の街道を、３人は進んだ。リディアはかなり先を進んでおり、エメリアはリシュアを気遣ってか、並んで進んでくれた。
リシュアはいつも多弁なリディアが、一言も発しないのが気になって、彼女の後ろ姿をみつめていた。婦人用の鞍をつけた馬に乗ったリディアは鞍の構造上、やや右前方を向いているので、真後ろを離れて進んでいるリシュアからその横顔が見えるのだが、彼女はうつむき加減で、声を殺して泣いているように見えた。
「さっきお別れを言わなかったのは、二人の前で泣きたくなかったのね、彼女らしいわ。」
エメリアは愛しむような声色で呟いた。古い友人の心の言葉を、代弁したらしかった。
（弟２話へ）