まだ日も高いうちに、割とよく来る珠里が入ってきた。聞いたこともない会社のこれまた聞いたこともない肩書きを持つ。得意万面で初恋の話をしだした。
| 家出娘 珠里
「こんにちは。また訳をお願いしたいと思い参りました。堤中納言物語です。 長月の有明の月に誘はれて、蔵人少将、指貫つきづきしく引きあげて、ただ一人、小舎人童ばかり具して、やがて、朝霧もよく立ち隠しつべくひまなげなるに、「をかしからむところの、開きたらむもがな」と言ひて歩み行くに、木立をかしき家に、琴の声ほのかに聞こゆるに、いみじううれしくなりて、めぐる。 門のわきなど、崩れやあると見けれど、いみじく、築地など全きに、なかなかわびしく、「いかなる人の、かく引き居たるらむ」と、わりなくゆかしけれど、すべきかたもおぼえで、例の、声出ださせて随身にうたはせ給ふ。 ゆくかたも忘るるばかり朝ぼらけひきとどむめる琴の声かな とうたはせて、まことに、しばし「内より人や」と心ときめきし給へど、さもあらぬはくちをしくて歩み過ぎたれば、いと好ましげなる童べ、四五人ばかり走りちがひ、小舎人童、男など、をかしげなる小破子やうものを捧げ、をかしき文、袖の上にうち置きて、出で入る家あり。 「何わざするならむ」と、ゆかしくて、人目見はかりて、やをらはひ入りて、いみじく繁き薄の中に立てるに、八九ばかりなる女子の、いとをかしげなる、薄色のあこめ、紅梅などみだれ着たる、小さき貝を瑠璃の壺に入れて、あなたより走るさまの、あわただしげなるを、をかしと見給ふに、直衣の袖を見て、「ここに、人こそあれ」と、何心もなく言ふに、わびしくなりて、「あなかまよ。聞こゆべきことありて、いと忍びて参り来たる人ぞ。と寄り給へ」と言へば、「明日のこと思ひ侍るに、今より暇なくて、そそきはんべるぞ」と、さへづりかけて、往ぬべく見ゆめり。 です。今回も長くなってしまいましたが、よろしくお願いします。」
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どう聞いても自慢話だった。
これ以上騒ぎ立てられたら大事だ。
| マスター おじさん
2006年09月18日月曜日 17時27分
「今夜をお待ち下さい。」
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とにかくここは一旦相手を落ち着かせなければならない。
| マスター おじさん
2006年09月18日月曜日 20時51分
「おじさん、昨日今日と引っ越しの手伝いをして参りまして、疲労困憊ざんす。 今日はもう三途の川が見えそうな具合なので、明朝早くに訳しておきます。お役に立てず恐縮ですが、ご了承下さい。」
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珠里は思い出したかのようにこう呟いた。
| 家出娘 珠里 2006年09月18日月曜日 22時20分
「大丈夫でしょうか??気にせずゆっくりとお休みください!明日の朝でも間に合いますので。お休みなさいませ。」
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私は内心うんざりしていたが、にこやかな顔でこう答えた。
| マスター おじさん
2006年09月19日火曜日 05時50分
「九月の有明の月に誘われて、蔵人少将は、指貫を(外出に)ふさわしく引き上げて(履いて)、ただ一人、小舎人童だけを連れて、そのまま、朝霧もよく(少将の姿を)隠してくれそうに一面に立ちこめているときに、「風情のあるところで、開いているところでもあればよいのだが」と言いながら歩いてゆくと、木立が趣のある(ように植えられている)家に、琴の音がかすかに聞こえるので、たいそううれしくなって、(その家の辺りを)歩き回る。 門の脇などに崩れているところでもあるだろうかと探してみたのだが、まったくもって築地などは万全で、かえって面白くなく(=興趣がそがれたように感じられて)「どのような人が、このように(琴を)弾いているのであろう」と、ひどく知りたい気持ちになるのだけれど、どうしてよいかもわからないものだから、いつものように、声を上げて随身に歌わせなさった。 行き先も忘れてしまうぐらい、夜が白む頃に私を引きとどめるかのような(心ひかれる)琴の音色が聞こえてきたことですよ と歌わせて、本当に、しばらくの間「もしや(この家の)中から人が(私を迎えに出てきてくれるだろうか)」とわくわくし(ながら待っ)ておられるが、そんなことも起こらないのは残念に思われて(その場所は)通り過ぎていったところ、とても好ましげな童が、四五人ほど走り交っていて、小舎人童や男などが、趣味のよい小さな破子のようなものを捧げ持って、気の利いた(包み紙の)手紙を袖の上に置いて。出入りしている家がある。 「何をしているのだろう」と知りたくなって、人目を見計らって、そっと(その家に)入り込んで、よく茂っている薄の中に立っていると、八、九歳ぐらいの女の子で、とても可愛らしく、衵や紅梅などを無造作に来ている子が、小さな貝を瑠璃の壺に入れて向こうから走ってくる様子がせわしなさげであるのを、(少将は)可愛らしいとご覧になっているところに、(女の童は少将の)直衣の袖を見て「ここに人がいるわ」と何気なく言うので、(少将は他の人に自分の存在が気づかれてしまうのではないかと)困ってしまって「ああ、声が高いですよ。申し上げなければならないことがあって、よくよく人目をはばかって伺いに参った者です。ちょっとこちらへいらっしゃい」と言うと、(女の童は)「明日のことを考えておりますので、今から暇がなくって、あたふたしているのですのよ」と早口で言葉をかけて、(その場を)立ち去ってしまいそうに見えるようだ。
細かい点はまた後にして、とりあえず四点だけ先に述べておきます。 「まことに、しばし『内より人や』と心ときめきし給へど」の箇所は、心中語の内容を「『まことに、しばし、内より人や』と心ときめきし給へど」とする説もあるようで、その場合「『本当に、しばらく待っていれば、家の中から人が出てくるだろうか』とわくわくなさるけれど」となります。 「をかしき文、袖の上にうち置きて」は、どのような状況を表しているのか、私の理解を超えた表現でしたので、三角洋一氏の注(講談社学術文庫「堤中納言物語」)を引用しておきますと「袖の中に入れた手で袖の上の手紙をおさえ、袖でかばうようにたいせつそうに持っているのであろう」とのことです。 「八九ばかりなる女子の、いとをかしげなる、薄色のあこめ、紅梅などみだれ着たる」の箇所は、「八九ばかりなる女子の」が、それ以下の部分と同格になっているのは間違いないのですが、「をかしげなる」が「あこめ」を修飾しているか、していないかで、二通りの解釈ができます。修飾していれば「いとをかしげなる薄色のあこめ、紅梅などみだれ着たる」全体をひとまとまりとして同格、修飾していなければ、「いとをかしげなる」と「薄色のあこめ、紅梅などみだれ着たる」の二箇所とそれぞれ同格、ということになります。句読点の打ち方からして、後者に解釈せよとのことと思われますので、ここでもそのように訳しておきました。 「と寄り給へ」は解釈の分かれる表現のようですが、「と寄る」で「ちょっと立ち寄る」の意味の一単語であるとの説が有力ですので、そのように訳しました。
残りの細かいことはまた後ほど。」
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あたり障りがないように私はこう答えた。
| マスター おじさん
2006年09月22日金曜日 21時38分
「おじさん、農繁期(稲刈り→脱穀等)とsweetheartの引っ越しが重なり、糊口をしのぐ仕事もせねばならりませんので、続きを書くだけのまとまった時間が来週の月曜まで全く時間が取れません。死にそうです。ということでその旨ご了承下さい。」
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珠里は周りを見渡してからこう続けた。
| 家出娘 珠里 2006年09月24日日曜日 15時48分
「月曜日になっても全然大丈夫です。わざわざありがとうございます。ところで、説明をお願いしている身でありながら、大変あつかましいのですが、もう一つ訳をお願いしたい文があるのです。時間がとれてからでよいので、お願いしてもよろしいでしょうか・・・?今鏡です。 宮内卿有賢と聞こえられし人のもとなりける女房に、忍びてよるよる様をやつして通ひ給ひけるを、さぶらひども、「いかなるもののふの、局へ入るにか」と思ひて、「うかがひて、あしたに出でむを打ち伏せむ」といひ、(中略)あしたには、このさぶらひども、「いづらいづら」とそそめきあひたるに、日さし出づるまで出で給はざりければ、さぶらひども、杖など持ちて、打ち伏せむずるまうけをして、目をつけあへりけるに、ことのほかに日高くなりて、まづ折烏帽子のさきをさし出だし給ひけり。次に柿の水干の袖のはしをさし出だされければ、「あは、すでに」とて、おのおのすみやきあへりけるほどに、その後、新しき沓をさし出だして、縁に置き給ひけり。「こはいかに」と見るほどに、いと清らなる直衣に、織物の指貫着て歩み出で給ひければ、このさぶらひども、逃げまどひ、土をほりてひざまづきけり。 宮内卿もたたずみ歩かれけるが、急ぎ入りて装束して、出であひ申されて、「こはいかなることにか」と騒ぎければ、「別のことには侍らず。日ごろ女房のもとへ、ときどき忍びて通ひ侍りつるを、さぶらひの『打ち伏せむ』と申す由うけたまはりて、『そのおこたり申さむ』とてなむ参りつる」と侍りければ、宮内卿おほきに騒ぎて、「この科はいかにあがひ侍るべき」と申されければ、「別のあがひ侍るまじ。かの女房を賜はりて、出で侍らむ」とありければ、左右なきことにて、御車、供の人などは徒歩にて、門の外にまうけたりければ、具して出で給ひけり。 です。忙しい中、本当に申し訳ありません。いつでもかまわないので、おねがいします。」
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仕方がないのでこう答えてやった。
| マスター おじさん
2006年09月26日火曜日 18時13分
「さてさて、昨日一日休んで、また今日からがんばります。 まずは前の分のけじめを。
「有明」は、夜明けになっても空に残っている月、またはその月の出ている時間帯のことを言います。一日のうちでももっとも風情のある時間帯とされていますが、秋(長月)は月が美しい季節ですから、おもむきの深い時間帯ということになります。 「指貫つきづきしく引きあげて」の「指貫」(さしぬき)は衣装の名前で、男女を問わず、スポーティな出で立ちです。「つきづきし」というのはある物事がそれを取り囲む状況にぴったりと合っていることをいう形容詞ですから、主人公の男が、裾をたくしあげて外出して歩くのにふさわしいようにした、ということなのでしょう。
用事ができましたので、続きは今夜。」
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こういう客はどう返事していいものか悩む。
| マスター おじさん
2006年09月26日火曜日 23時38分
「さて続き。
「小舎人童(こどねりわらわ)」は、貴族に使えた、身の回りの雑用をこなす少年のことです。 「をかしからむところの、開きたらむもがな」という台詞は、わかりやすく言い換えると、「この風情のある時間帯に、なかなか趣のあるようにしつらえてある家で、開いているところがあればなあ」ということです。王朝の恋愛のあり方として、月を眺めたり、笛や琴を奏でたりしている女性をのぞき見て(「かいまみ」という)男がそれ以後通うようになる、というのが、歌物語等に見られる、情をわきまえた男女の間のパターンの一つであったので、そういったまるで物語のような出会いを求めているわけです。 「築地など全きに、なかなかわびしく」という箇所は訳したとおりですが、なぜ「なかなかわびしく(=かえって面白くなく)」なのかといえば、上にも書いたように、築地の崩れでもあれば、物語によくある通りに男が中をのぞき見ることができるであろうのに、それがないのはまるで男を拒絶しているようで、男女の仲というものをよくわかっとらんのではないかと思われる、ということですね。 「例の」は、「の」を含んでいますので名詞を修飾するように見えますが、実は副詞で用言(「声出ださせて随身にうたはせ」)にかかります。 「ゆくかたも」の歌には「ひき」が「(琴を)弾き」と「ひきとどむ」の掛詞になっています。 「内より人や」というのも、上に書いたのと同様で、こちらが歌を詠んで聞こえるようにうたわせたのだから、風流な女が中にいるのならこちらを呼び入れに誰かやってくるはずだが、という意図です。実際はことごとくうまくいかないわけですが。 「走りちがひ」は、走りながらすれちがうことです。案外ぴったりとした訳語がありません。 「小破子(こわりご)」は「破子(わりご)」の小さなもので、「破子」は弁当箱だと思えばよろしい。 「やをらはひ入りて」の「はひ入りて」ですが、古語には「はいる」という動詞がなく、現代語の「はいる」に相当するのが「入る(いる)」ですから、この「はひ入る」は「はいる」に完全に一致するのではなく、「這うようにして入る」とか「そっと忍び込む」と訳さなくてはなりませんが、前に「やをら」があるために全部ひっくるめて「そっと入った」としても十分ニュアンスが出るのでそのままにしてあります。 「あこめ」は「衵」と書き、男女で指しているものが少し違うのですが、女性の場合は、肌近くに着た下着のことです。 「小さき貝を瑠璃の壺に入れて」は、この箇所ではたいした意味がなさそうな描写ですが、実はこの短編物語の題名「貝合」の由来ともなっている、結構重要な複線なのです。 「あなかまよ」は「あなかま」が感動詞、「よ」が終助詞と考えるのが穏当でしょう。ただし、「あなかま」は「あな」「かま」の二語に分けることもできますし、「よ」は間投助詞とも考えられます。 「そそきはんべるぞ」の「はんべる」は「はべる」の強調形もしくは口頭語形です。
あとは口語訳でおわかりになるのではないでしょうか。 ほかにご質問がおありでしたらどうぞ。」
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とにかくここは一旦相手を落ち着かせなければならない。
| マスター おじさん
2006年09月27日水曜日 07時36分
「寝てました。 さて今鏡。
これは藤原成通(なりみち)という人の逸話です。 成通は芸事全般に秀でた文化人で、とくに蹴鞠は神業を伝えられるほどの達人でした。 あまりの神業に、蹴鞠の神が降臨してさらなる加護を与えることを告げたというぐらいで、この神がその後京都の白峯神社という祀られ、成通もそこに一緒に祀られることになりました。 今年のサッカーのワールドカップで、日本唯一の蹴鞠の神ということで白峯神社にお参りする人が多くいましたが、成通の名を覚えている人はどれぐらいいたことやら。 今鏡は平安時代末期の戦乱の時代をあつかった歴史物語であるにもかかわらず、歴史の動乱はまったく無視して文雅方面にばかり注目した記事を載せている(それゆえ史書としての評価がきわめて低い)作品ですが、まさに成通は今鏡にはうってつけの人物であったといえるでしょう。
途中に文章が省略されている箇所が、「中略」以外にももう一箇所あります。話の脈絡がわかりやすくなるように、省略箇所は括弧にいれて、冒頭部分も含めて全部補って訳します。
【だいたいにおいて、成通は蹴鞠の早業までも比類するもののないほど見事におできになったので、蹴鞠に用いる反り返った靴をはいて、欄干の手すりの上をお歩きになり、車の前後や築地の裏側・上側など、歩きにくいということがおありになりませんでした。あまりにも欠点というものがおありでなかったので】宮内卿有賢と呼ばれになさった方ところにいた女房に、人目をはばかって毎晩みなりを(目立たないように)変えて通われたのを、従者たちが「どのような武士が局に入っていくのだろうか」と思って「様子をみて、朝に出て行くところを取り押さえよう」と言って【たがいに心を合わせていたところ、女房はこれを聞いてたいそう思い悩んで、いつものように日が暮れて成通がいらっしゃったときに泣く泣くこの次第を語って聞かせると、成通は「まったくもってこまったことではない。必ずもどってきましょう」と言って出て行かれた。女房が言ったように、従者たちは門をどこも閉ざしていて、先ほどとは違って厳重な様子であったので、成通は人のいない方にある築地を、軽々と乗り越えて行かれた。女房は「こんな様子だと聞いていらっしゃるのだから、もう一度はまさか戻っておいでにならないでしょうね」と思っているうちに、しばらくして、袋をみずからもって、また築地を乗り越えて、また中にもどっていらっしゃった。】 翌朝、この従者たちが「どこだどこだ」とざわめきあっていたが、(成通は)日が昇るまで出て行かれなかったので、従者たちは杖などを持って、取り押さえる準備をして注意していたところ、たいそう日が高くなって、(成通は)まず折り烏帽子の先端を(従者たちに見えるように)差し出された。次に柿色の水干の袖の端を差し出されたので(従者たちは)「ああ、いまにも(出て行こうとしているぞ)」と言って、みないらいらしあっているときに、その次に(成通は)新しい靴を出して縁に置かれた。(従者たちは)「これはどうしたことか」と見ていると、(成通が)たいそう美しい直衣に織物の指貫を着て歩いて出なさったので、この従者たちが(高貴な人なのであったのかと)逃げまどい土を掘ってひざまずいた。 【成通は靴をはいて庭に下りて、北の対の後ろを歩いて行かれると、女房のいる局はどこもあわてて戸をとざしてしまった。成通が中門の廊に上られたところ、】宮内卿も(そのあたりを)うろうろしておられたのだが、急いで(邸の中に)入ってきちんとした身なりをして出てきて(成通に)お目にかかられて「これはどうしたことですか」とあわて(て成通にたずね)ると、「ほかでもありません。ここしばらく(あなたのところの)女房のところへときどき人目を避けて通っておりましたが、従者が『取り押さえよう』と言っているということをうかがって、『そのおわびを申し上げよう』と思って参上しました」と(成通のお言葉が)ございましたので、宮内卿は大いにあわてて「この失礼はどのように償えばよろしいでしょうか」と申し上げなさったところ、(成通は)「ほかの御つぐないはございませんでしょう。あの女房をいただいて、出て行きましょう」と言ったので、(女房を差し上げるのは)問題のないことで、お車や供の人などは徒歩で、門の外に(成通を迎える)準備をしていたので、(成通はその女房を)つれて出て行かれた。
細かい点はまた後ほど。」
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なんとかこの客に諦めさせなければならない。
| マスター おじさん
2006年10月02日月曜日 16時44分
「さて、延び延びになっておりましたつづきです。
「聞こえられし」というのは、直訳すれば「申し上げられた」という意味です。「聞こゆ」は、人物の紹介をするときによく用いられる動詞で、筆者が呼ばれる対象に敬意を払って「〜と申し上げる」という言い方をするわけです。ここでは受身の助動詞「らる」がついていますから、「(当時世間の人から)申し上げられた」の意味でしょう。過去の話ですから、申し上げる動作の主体は筆者とは考えられません。 「やつして」は「姿を変えて」の意。 「さぶらひども」は、高貴な人の従者をいい、いわゆる「さむらい」(武士)のことではありません。武士のことは、後に出てくる「もののふ」と呼びます。 「いかなるもののふの、局へ入るにか」には後ろに「あらん」などが省略されています。「もののふ」は、字面通りに解釈すれば上述のように「武士」となり、そのように訳しておきましたが、ここではおそらく「むちゃくちゃなことをする者」などといった意味なのでしょう。平安時代ごろの武士は、現在の我々が想像するようなものとは異なった、いかにして人をよく殺すかという理念に基づく武士道の下で活動していましたから、やくざ顔負けの恐ろしい武闘集団ととらえられていたのです。「局」は、女性の私室を指します。 「打ち伏せむ」の「打ち伏す」は「殴り倒す、取り押さえる」の意味で、「打ち」は接頭辞「うち(=ちょっと)」ではないと考えるべきでしょう。 「そそめく」は「ささやく」、「まうけ」は「準備」の意。 「折烏帽子」は、官位のある貴族が平服としてかぶった「烏帽子」のなかでも、先端を風流の目的で折ったもので(もっとも、この時代以降は、武士が折烏帽子をかぶるようになり、侍烏帽子とよばれるようになっていく)、これが見えるだけである程度の位のある人がいる、ということがわかるのです。後に出てくる「直衣」を着用するときは、セットで着用されました。 「柿の水干」の「水干」は当時の下級貴族が着用した略装で、「鷹狩(たかがり)や蹴鞠(けまり)の折に用いられた」(「角川古語大辞典」)ということですから、いかにも成通がお忍びでやってくるのにふさわしい服装だったわけです。「柿」は「柿色」で、くすんだ赤茶色のことをいい、きわめて地味な色とされていましたから、これも人目につかないお忍びのしるしみたいなものですね。 「あは、すでに」の「すでに」は、現在のような「もう」の意味とはちがって、「いまにも」の意です。「すみやき」は「気がせく、いらだつ」の意。 「直衣(のうし)」は貴族の常用の服で、立烏帽子・沓・指貫とともに着用するものでした。すべてセットで身につけた成通のすがたが徐々にあらわになってくると、従者たちは、ろくでなしが女房に通っているのではなく、きちんとした身分のある方が通ってこられていたのだったのか、と仰天するわけです。 「土をほりてひざまづきけり」はどういうことかわかりにくい表現ですが、「逃げそこねたので、土を掘って隠れようとしているかのごとく、地面にはいつくばっているさまをいったもの」(講談社学術文庫「今鏡・中」竹鼻績氏による注)ということだそうです。 「おこたり」は、過失の意味と、過失から生じたことに対する謝罪の意味がありますが、ここでは後者でしょう。 「この科はいかにあがひ侍るべき」の「あがふ」は「あがなう」。 「左右なきことにて」の「左右なし」は「簡単である、おおごとではない」という意味の重要語。
あとは訳をお読みいただけばだいたいわかると思います。」
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珠里はお喋りがお好きのようだ。
| スリ 珠里 2006年10月02日月曜日 19時46分
「ありがとうございます!毎回助かっております!本当にありがとうございます!」
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