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Cafe日誌No.40
2006年10月29日日曜日 13時50分
遅い昼飯でも食べに来たのか、この店の常連の珠里がいつものように入ってきた。こう見えても金には汚い。私のむなぐらをつかむと今にもあばれそうな勢いでこう言った。
スリ 珠里
「またまた返事が遅くなってしまい、すみません。とても分かりやすいご説明、ありがとうございます!学校の先生の説明はとても少ないので、おじさん様のご説明で、とても助かっております!
ところで、また訳していただきたい文章があって参りました。少し長い文章です。本当に申し訳ございません。来週とかになっても、全然構いませんので、もしよければよろしくお願いします。
 発心集です。
 八幡別当頼清が遠類にて、永秀法師といふものありけり。家貧しくて、心好けりけるが、夜昼笛を吹くよりほかのことなし。かしがましさに耐へず、となり家、やうやう立ち去りて、後には人もなくなりにけれど、さらにいたまず。さこそ貧しけれど、落ちぶれたるふるまひなどはせざりければ、さすがに人いやしむべきことなし。頼清聞きあはれみて、使ひやりて、「などかは何ごとも宣はせぬ。かやうに侍れば、さらぬ人だに、ことにふれてさのみこみこそ申し承ることにて侍れ。疎くおぼすべからず。便りあらんことは、はばからず宣はせよ。」と言はせたりければ、「返す返すかしこまり侍り。年ごろも申さばやと思ひながら、身のあやしさに、かつは恐れ、かつははばかりて、まかり過ぎ侍るなり。深く望み申すべきこと侍り。すみやかに参りて申し侍るべし。」と言ふ。何事にか、よしなき情をかけて、うるさきことや言ひかけられんと思へど、かの身の程には、いかばかりのことかあらんと思ひあなづりて過ぐす程に、ある片夕暮に出で来たれり。すなはち出で合ひて、「何事に。」など言ふ。「浅からぬ所望侍るを、思ひ給へてまかり過ぎ侍りし程に、一日の仰せをよろこびて、左右なく参りて侍る。」と言ふ。疑ひなく所知など望むべきなめりと思ひて、これを尋ぬれば、「筑紫に御領多く侍れば、寒竹の笛の、ことよろしく侍らん、一つ召してたまはらん。これ身にとりてきはまれる望みにて侍れど、あやしの身には得がたきものにて、年ごろえまうけ侍らず。」と言ふ。思ひのほかに、いとあはれにて覚えて、「いといと安きことにこそ。すみやかに尋ねて奉るべし。そのほか御用ならんことは侍らずや。月日を送り給ふらんことにも心にくからずこそ侍るに、さやうの事もなどかは承らざらん。」と言へば、「御志はかしこまり侍り。されど、それはことかけ侍らず。二三月にかく帷一つまうけつれば、十月まではさらに望むところなし。また、朝夕のことは、おのづからあるに任せつつ、とてもかくても過ぎ侍る。」と言ふ。げに、数寄ものにこそと、あはれにありがたく覚えて、笛急ぎ尋ねつつ送りけり。
 です。今回の文章も長くなってしまい、申し訳ありません。どうかよろしくお願いします。」
要するに誰かの悪口が言いたいのだろう。

なんとかこの客に諦めさせなければならない。
マスター おじさん 5   2006年11月05日日曜日 19時06分
「いやー、殺人的な忙しさでした。
間に合うかどうかわかりませんが、夜に訳しておきます。」

こういう客はどう返事していいものか悩む。
マスター おじさん 3   2006年11月06日月曜日 09時12分
「八幡別当頼清の遠い親戚で、永秀法師というものがいた。家が貧しくて風流を好む心を持っていたが、夜も昼も笛を吹くより他のことはしなかった。やかましさに耐えられないで、隣の家が少しずつ立ち去って、後には(近隣に)人もいなくなってしまったが、全く気にしなかった。どれほど貧しくても、零落した振る舞いはしなかったので、やはり人が(永秀を)軽蔑しようとすることはなかった。(このような永秀の事情を)頼清が聞いて気の毒に思って、使いの者を(永秀のもとに)遣わして、「どうして何もおっしゃらないのですか(=どうして私に援助を頼んでこないのですか)。こんな風ですから、(私との間柄が)さほどでもない人でさえ、(私のところへ)何かにつけてただただそのように(=援助してくださいと)言ってきては(私は)それをお聞きするのです。(私のことを)よそよそしくお考えになってはいけません。(私があなたの)役に立つようなことがあれば、遠慮せずにおっしゃってください」と(使者に)言わせたところ、(永秀は)「まったくもって恐縮です。ここ何年も、申し上げたいと思っていながら、我が身のいやしさのせいで、一方では恐れ、一方では気兼ねして、(今まで)過ぎておりました。深く所望申し上げたいことがございます。すみやかに(あなたのところへ)参上して申し上げましょう」と言った。(所望とは)どんな事なのであろう、つまらない同情をして、面倒なことをふっかけられるのであろうか、と(頼清は)思ったが、あの境遇にとっては、(高望みをしたとしても)どれほどのことがあろうかとたかをくくって過ごしているうちに、ある夕暮になりたての頃に(永秀が)やってきた。(頼清は)すぐに面会して「(用件は)どんな事ですか」などと言った。(永秀は)「大変なお願いがございますのを、(これまでずっと)考えて過ごして参りましたところ、先日のお言葉をうれしく思って、一も二もなく参上いたしました。」と言った。(頼清は)間違いなく所領などを望むはずであるようだと思って、これを尋ねてみると、(永秀は)「筑紫(=九州)に(あなたの)御領地がたくさんございますので、寒竹の笛で、なかなか悪くないというようなやつを、一つお取り寄せになって、(私に)いただきたいのです。これ(=寒竹の笛)がわたしにとって最高の望みでございますが、いやしい身の上には得がたいもので、長年入手できないのです」と言った。(頼清は永秀の望みが)予想外で、とても殊勝に思われて「実に実にたやすいことです。すぐに探し求めて差し上げましょう。そのほかにご用事であるようなことはございませんか。月日を送りなさるようなこと(=日常の生活の費用)も心にかかっておりますので、そういうこともどうしてうかかわないことがありましょうか。(うかがいましょう)」と言うと、(永秀は)「お気持ちはありがたく存じます。ですが、それは不足がありません。二月か三月にこのようにかたびらを一つこしらえてしまいますと、十月までは全くほしいものがありません。また、朝夕のことは、たまたま(身近に)ありあわせているのにまかせて、どうにかこうにか過ごしております」といった。(頼清は永秀が)本当に風流人であることよと、しみじみと立派なことに思われて、笛を急いで探し求めて送った。

訳しかけて眠ってました。
解説はあとで。」

こう言えば分かってもらえるだろうか。
マスター おじさん 4   2006年11月06日月曜日 17時15分
「さて語釈。

「心好けりけるが」の「好く」は、風流心を持っている、の意。上には意訳しておきました。「り」は存続の助動詞「り」連用形。
「さこそ貧しけれど」の「さこそ」は、普通は「そのように、それほどまで」と訳しますが、逆接の表現とともに用いられると「いくら(〜でも)」の意味です。
「さすがに人いやしむべきことなし」の「さすがに」は、「(貧しいといっても)やはり」の意でしょう。「べき」の意味を意志ととるか可能ととるかは難しいところです。普通、意志の意味になるのは一人称の主語に対しての場合が多いのですが、ここでは文脈上意志にしておくほうが自然な訳になると判断しました。
「などかは何ごとも宣はせぬ」は疑問の表現。「宣はす」は一単語(「す」は助動詞ではない)で、いわゆる最高敬語に相当する表現ですが、会話・書簡などでは、天皇に限らず誰について用いてもかまいません。
「かやうに侍れば」というのは、頼清がそれなりの地位に就いていて経済的に余裕があることを指しているのでしょう。
「さのみこそ申し承る」の「さのみ」は、直訳すれば「そんなふうにばかり」となりますが、「ただひたすら」の意でよく用いられる表現です。この場合「さ」は具体的な指示内容を持ちません。「申し承る」は、謙譲語が二つ連続しているという点で珍しい表現ですが、「(相手が自分に)申し上げ、(自分がそれを)お聞きする」ということで、後には「話し合う」の意味に用いられるようになりました。
「疎くおぼすべからず」の「べし」は、命令・適当・当然のどの訳もできます。おそらく学校ではこういう場合、適当(「よそよそしくお考えになるのはよくありません」)で訳すものだと思いますが、ニュアンス重視であえて命令の訳にしておきました。
「便りあらんことは」はちょっと訳しにくい表現ですね。「便り」は、他人の助けとなることを意味しますので、やや意訳に近い訳をしておきました。「ん」は婉曲で解するよりも、仮定の意味に取っておくべきでしょう。
「言はせたりければ」の「せ」は使役。
「まかり過ぎ侍るなり」の「まかり」は他の動詞の前に用いられて謙譲語を作ります。ただ、用法を考えるとほとんど丁寧語に近いものが多く、ここでも後ろの「侍り」と一緒にして明確に訳出はしていません。
「かの身の程には」はどういうことを言っているのかちょっとわかりにくいですが、「身の程」が身分とか分際を意味するので、上記のように訳しておきました。おそらく「身」+「の」+「程」と三語に切るのではないと思います。
「片夕暮」は夕暮になりたての時間帯を指します。
「何事に」も具体的な内容がちょっとわかりにくく、「どういうご用か」という意味と、「望みは何ですか」という意味に解釈できますが、前者に解しておきました。これはちょっと自信がありません。
「思ひ給へてまかり過ぎ侍りし程に」の「給へて」は下二段活用なので謙譲の補助動詞。
「左右なく参りて侍る」の「左右なし」は、「簡単に、安直に」の意味。うれしさのあまり、何も考えずに飛んできた、ということです。
「寒竹の笛の、ことよろしく侍らん」の「(こと)よろし」は「よし」とは違って、「悪くない、まあまあだ、ましだ」の意味ですが、「なかなか良い」の意味にも使われました。ここでは文脈上後者の訳にしてあります。「の」は同格、「ん」は婉曲。
「心にくからずこそ侍るに」の「心にくからず」は学者たちを悩ませている表現のようで、「心にくし」は普通「奥ゆかしい、上品だ、気になる」といった意味ですから、「気になっておりませんのに」ではあきらかに筋が通りません。新潮日本古典集成所収「発心集」の三木紀人氏による注には「ここの『心にくからず』の『ず』は打消でなく、『心にくし』(不安・気がかりな気持を示す」を強めるはたらき」とあります。上記の訳でもそのように解しておきました。
「帷(かたびら)」は夏用の衣類で、裏地のついていない単衣(ひとえ)ものを総称して呼びます。要は、夏服が一枚あれば、夏の間はそれで十分ということです。
「朝夕のことは、おのづからあるに任せつつ」の「朝夕のこと」というのは、おそらく毎日の食事のことを指すのだと思いますが、これもちょっと自信がありません。「おのづから」は「たまたま」の意でしょう。

恣意的な解説で恐縮です。
ちょっと特殊な表現が散見されて、訳しにくい箇所がある文章でしたね。「あはれに」という語の訳についてもちょっと悩みましたが、あとは訳を御覧下さい。」

Cafe日誌No.39
2006年10月22日日曜日 18時21分
店も賑わいを見せる頃、前に見たことがある小娘が入ってきた。長生きするとこういう客も珍しくない。額、首筋、わきの下を一通りハンカチで拭くと、唾を飛ばしながらこう言った。
無職 モモ
「お久しぶりです。前に今昔物語と平家物語を訳して頂いてとても助かりました。テストも問題なく終わりました。
実はまたもうすぐテストが始まってしまうのですが、また訳がないので勉強がはかどりません・・・。今回の範囲は枕草子と沙石集で、枕草子の訳はあったのですが、沙石集の訳がありませんでした・・・。

天徳天皇の御歌合の時の、兼盛・忠見、ともに御随身にて、左右についてけり。「初恋」といふ題を給はりて、忠見、各歌詠み出したりと思ひて、兼盛もいかでこれほどの歌詠むべきとぞ思いける。
 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
さて、すでに御前にて講じて、判ぜられけるに、兼盛が歌に、
 つつめども色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで
判者ども、名歌なりければ判じわづらひて、天気を伺ひけるに、帝、忠見が歌えオば、両三度御詠ありけり。兼盛が歌をば、多反御詠ありける時、天気左にありとて、兼盛勝ちにけり。忠見心うく覚えて、心ふさがりて、不食の病つきてけり。頼みなきよし聞きて、兼盛訪ひければ、「別の病にあらず。御歌合の時、名歌詠み出だして覚え侍りしに、殿の『物や思ふと人の問ふまで』に、あはと思ひて、あさましく覚えしより、胸ふさがりて、かく思ひ侍りぬ。」と、つひに身まかりにけり。執心こそよしなけれども、道を執する習ひあはれにこそ。

これなのですが、お願いできますか?」
この時のこのモモの台詞が果たしてどんな意味を持っていたのか・・・。そのときの私には予想すらできなかった。

セクハラしているのはこの客か。
マスター おじさん 3   2006年10月23日月曜日 22時03分
「「沙石集」は、小学館の新編日本古典文学全集という全集に現代語訳付きで収録されています。安直に頼るべきではありませんが、他のところをナナメ読みするのも何もしないよりは勉強になるでしょうから、あえて書いておきます。図書館で探してみるといいでしょう。

「各歌」というのはなんじゃいなと思ったら、「名歌」でしたね。

天徳天皇の御歌合のときの、兼盛・忠見は、ともに御随身であって、(それぞれ帝の)左右にかしこまっていた。「初恋」という(和歌の)題を(帝が二人に)お与えになって、忠見は(歌を考え出してその歌について)「すばらしい歌を詠んだ」と思って、兼盛も歌を考え出して)「どうしてこれほどの(すばらしい)歌を(ほかの者が)読むことができようか(いやこれを上回る歌を相手が詠んでいるはずはない)」と思ったのであった。(忠見の歌は次のようなものであった。)
 恋をしているというわたしの噂は早くも立ってしまったことよ。人に知られないように思いはじめたのに…。
そうして、すでに(帝の)御前で披講して(=朗読役が和歌を朗読して)、(和歌が)判断を下されることとなったときに、兼盛の歌に、
 かくしても顔色にでてしまったことだ、わたしの恋は。物思いをしているのか、と人が問いかけるぐらいにまでも。
判者たちは、(どちらも)名歌であったので判定を下すのに困って、帝のご意向をうかがったところ、帝は、忠見の歌を二、三度お読み上げになった。(その一方で)兼盛の歌を何度もお読み上げになったとき、帝のご意向は左(方の歌)にある、というので、兼盛が勝ってしまった。忠見はがっかりして、気がふさいで、ものを食べない病気がとりついてしまった。(病状が)予断を許さないということを聞いて、兼盛が見舞ったところ、(忠見がいうには)「他の病気ではない。御歌合のとき、名歌を読み出したと思っておりましたのに、あなたの『ものや思ふと人の問ふまで』(という歌)に、「あれれ」と思って、愕然として以来、胸がふさがって、このように思った(=こんな気分になった)のです」と(言って)、とうとう死んでしまった。執心は無意味なものであるが、(一つの)道に執着する(人の)習性というのは、胸を打つものである。

注は一休みしてから。」

これ以上騒ぎ立てられたら大事だ。
マスター おじさん 2   2006年10月24日火曜日 15時16分
「まず訂正を。
「左右についてけり」を「左右につい『ゐ』てけり」と見間違えましたので、訳は「(それぞれ帝の)左右にかしこまっていた」ではなく、「(それぞれ)左方と右方についていた」としなくてはなりませんでした。すいません。(後で語注あり)

「天徳天皇の御歌合」の「天徳」は、第52代・村上天皇治世下の元号(957-961)ですから、「天徳天皇」は村上天皇のことを指します。このように、天皇を元号で呼ぶことはよくありました。「歌合」は「物合(ものあはせ)」と呼ばれるものの一種で、他に「絵合わせ」「根合わせ」「物語合わせ」などがありました。これらは、参加者(「方人(かたうど)」という)を左方と右方の二組に分け、絵や草の根などを準備し(絵合わせや物語合わせは題が設定されることも多かった)、日時を決めて(歌合は事前に準備することも、その場で読まれることもあった)、その立派さを判者(「はんじゃ」。審判のこと)が判定して左方・右方のどちらが勝ちかを決める遊びです(歌合は、個人単位で勝ちが決められるだけで、組全体の勝ち負けは決めないこともあった)。中でも一番格式が高いのが歌合で、種々の方式が決められていたり、判者の判詞(「はんじ」もしくは「はんのことば」。判定を下した理由をのべたもののこと)を説得力あるものとするために歌学が発達したりしました。これらはきわめて政治的な遊びで、皇族や関白といった高貴な人が関係している場合には、何かと理屈をつけてそちらを勝たせるのが常でした。宮中にいる人は、そんなことは織り込み済みで遊んでいたのです。ここで行われた歌合は、文学研究者からは「天徳歌合」とか「天徳四年内裏歌合」とか呼ばれるもので、形式が完成された最初の歌合であるために、後の時代から模範視されてさまざまの逸話や名歌を流布させました。村上天皇は、その二代前の醍醐天皇と並んで「延喜・天暦の治」(「延喜」は醍醐天皇の、「天暦」は村上天皇の元号)といって、貴族からは公家政治の理想的時代とされたのですが、実はこれは醍醐天皇時代に「古今集」が、村上天皇時代に「後撰集」がそれぞれ編纂されて、和歌文化が一つの頂点に達した時代だからなのであって、政治面から見れば、醍醐天皇の時代には菅原道真が讒言をうけて流罪になった報復とされる天変地異と疫病の流行があり、村上天皇の時代には藤原純友の乱が起こって貴族たちが京都を征服される恐怖でパニックにおちいっていましたから、実際には、文学的な理想時代であるというのに過ぎません。この「天徳歌合」も、村上天皇を「理想時代」の帝と見なす有力な根拠となっているほどの存在でした。
「兼盛」は平兼盛(たいらのかねもり)。「忠見」は「壬生忠見」(みぶのただみ)。ともに有名な歌人で、ここで読んだ歌は両方とも百人一首にも収録されています。
「左右についてけり」は、前述の歌合において、左方と右方にそれぞれつくことです。つまり、兼盛は左方、忠見は右方に入っていた、ということ。あとで、左が勝ちと決まったときに、兼盛が勝った、とされているのは、ここでそれぞれが左右のいずれであったかが書いてあるからわかるのです。「ついてけり」は、カ行四段活用動詞「付く」連用形イ音便+完了の助動詞「つ」連用形+過去の助動詞「けり」終止形。(後の「不食の病つきてけり」の「つきてけり」も全く同じ)なお、この箇所を「左右に番(つが)ひてけり」としてある写本があり、それだと「左方・右方でペアとなっていた(=対戦相手であった)」という意味になります。
「御随身(みずいじん)」の「随身」は、貴人の身辺警護の役目をする役職の名前です。
「いかでこれほどの歌詠むべき」の箇所は反語。「べき」は可能で訳しておきましたが、推量や当然(「どうしてこれほどの歌をよんでいるはずがあろうか、いや、ないはずだ」)でも訳せますね。「べし」の意味については、学校の先生は一通りしか認めず、他の意味で解釈すると間違いにする、というのが普通だと思いますが、実際には二通りか三通りに解釈できて決定的な根拠はない、という方が多いのです。
「恋すてふ」の歌の「まだき」は「早くも」の意の副詞。「思ひそめしか」は係り結びの結びにあたりますが、内容的に「人知れずこそ思ひそめしか、恋すてふわが名はまだき立ちにけり。」の意味でしょうから逆接的に訳す方がよいでしょう。(係り結びは、結びの後で文が切れるのが普通ですが、「こそ」+已然形だけは後に文が続くことがあり、その場合は逆接の用法)
「御前にて講じて」の「講じて」は、「披講(ひこう)して」と訳しましたが、これは耳慣れない言葉だと思います。(「講ず」はいつもこのように訳すわけではありませんので念のため)歌合においては、それぞれの方人が歌を詠んだら、その歌を「講師」と呼ばれる人がみんなに聞かせるために声を出して読み上げますが、そのことを「披講す」もしくは「講ず」というのです。「披講」はそのまま現代語の語彙にもなっていますので、あえて簡単な訳語には変えませんでした。
「つつめども」の歌は、わかりやすく区切ると「つつめども色に出でにけり、わが恋は。『物や思ふ』と人の問ふまで。」となります。どちらの和歌も技巧らしい技巧はまったく使っていませんので、訳に関してあえて追加説明すべき事柄はありません。ちなみ、に、百人一首では「忍ぶれど色に出でにけり」となっていますね。
「判じわづらひて」の「わづらふ」は、補助動詞として他の動詞の下につくと、「〜するのに困る、〜しかねる」といった意味になります。
「天気」は現代語とは違って、「天」皇の「気」ということです。具体的には、「どちらの歌を勝ちにすればよいかということについての帝のご意向」です。
「両三度」の「両」は、「二」を表します。「一両日中に(=一、二日のあいだに)」などの言い方は今も残っていますね。
「心うく覚えて」の「心うし」は、悲しみや絶望にうちひしがれたときに用いる形容詞で、普通「つらい、情けない」と訳しますが、ニュアンスがよく出るように意訳しておきました。試験では「情けなく思って」としたほうがいいでしょうな。
「頼みなきよし」の「頼みなし」は、「あてにならない」ということですが、病状の進行がおぼつかない、ということなので、これも意訳しておきました。試験では「病状が頼りないという趣旨のことを」としておくべきかと思います。
「あはと思ひて」の「あは」は驚いたときに発する感動詞。
「あさましく覚えしより」の「あさまし」は、事態の意外さに驚きあきれる、という意味の形容詞で、普通は「あきれたことだ」という風に訳しますが、これもニュアンスが出るように意訳しました。試験では「あきれたことだと思われてからというもの」と訳した方が点をもらいやすいと思います。
「執心こそよしなけれども、道を執する習ひあはれにこそ」というのは、「沙石集」が仏教説話集であるための表現です。仏教的な考え方では「執着(しゅうじゃく)」を忌むので、和歌の道に執着するのは無意味だ(=よしなし)、というわけです。ところが、僧侶でありながら、和歌に熱心な人にはわりあいに寛容だという人は多く、有名な「方丈記」の作者・鴨長明や、この「沙石集」の作者・無住もそうでした。そのため、和歌に執着した忠見の心根を「あはれに(=胸が打たれる)」思っているのです。なお、「こそ」の後ろに「あれ」とか「はべらめ」といったような言葉が省略されています。」

私はこの客にこれ以上酒を飲ますのは危険と判断した。
マスター おじさん 2   2006年10月24日火曜日 16時30分
「なんか変だなと思ってよく読んだら心中語の切り方を間違えてましたね。
訂正します。

「忠見、名歌詠み出したりと思ひて、兼盛もいかでこれほどの歌詠むべきとぞ思いける。」の箇所は、以下のとおり。

忠見は(歌を考え出してその歌について)「すばらしい歌を詠んだ」と思って、(また忠見は)「兼盛もどうしてこれほどの(すばらしい)歌を読むことができようか(いやこれを上回る歌を兼盛が詠んでいるはずはない)」と思ったのであった。」

モモは時間も気にせず話を続ける。
無職 モモ 2006年10月25日水曜日 12時37分
「こんなに詳しくおしえていただいてありがとうございます!
図書館に行けばあるんですか!?今度探してみます。
本当に助かりました!」

Cafe日誌No.38
2006年10月17日火曜日 20時10分
店も賑わいを見せる頃、この店の常連の珠里がいつものように入ってきた。ハーレムから引っ越してきてまだ日が浅いらしい。何を思ったのか彼女の話しをはじめた。
スリ 珠里
「お久しぶりです。遅くなっても全然構わないので、また訳をお願いしてもよろしいでしょうか。忙しい時期に、本当に申し訳ありません!!しかも、今回は二つもあるのです・・・。本当にすみません!
 一つ目は、奥の細道です。
 酒田の余波日を重ねて、北陸道の雲に望み、遥々のおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば、越後の地に歩行を改めて、越中の国市振の関に到る。この間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。
 文月や六日も常の夜には似ず
 荒海や佐渡によこたふ天の河
今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云ふ北国一の難所を越えてつかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔てて面の方に、若き女の声二人ばかりときこゆ。年老いたるのをのこの声も交りて物語するをきけば、越後の国新潟と云ふ所の遊女なりし。伊勢参宮するとて、この関までをのこ送りて、あすは故郷にかへす文したためて、はかなき言伝などしやるなり。「白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契り、日々の業因いかにつたなし」と、物云ふをきくきく寝入りて、あした旅立つに、我々にむかひて、「ゆくへ知らぬ旅路のうさ、あまりおぼつかなく悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍らん。衣の上の御情けに、大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」と泪を落とす。不便のことには侍れども、「我々は所々にてとどまる方おほし。ただの人の行くにまかせて行くべし。神明の加護かならずつつがなるべし」と云ひ捨てて出でつつ、あはれさしばらくやまざりけらし。
 一家に遊女もねたり萩と月

二つ目は、今昔物語です。
 今は昔、丹波の国に住む者あり。田舎人なれども、心に情ある者なりけり。それが妻を二人持ちて、家を並べてなむ住ませける。本の妻はその国の人にてなむありける。それをばあぢきなげに思ひ、今の妻は京より迎へたる者にてなむありける。それをば思ひ増さりたる様なりければ、本の妻心うしと思ひてぞ過ぐしける。
 しかる間、秋、北の方に、山里にてありければ、後の山の方に、いとあはれげなる音にて、鹿の鳴きければ、男、今の妻の家に居たりける時にて、妻に「こはいかが聞きたまふか。」といひければ、今の妻「煎物にても甘し、焼物にてもうまき奴ぞかし。」と言ひければ、男、心に違ひて、「『京の者なれば、かやうのことをば興ずらむ』とこそ思ひけるに、少し心づきなし。」と思ひて、ただ本の妻の家に行きて、男、「この鳴きつる鹿の音は聞きたまひつるか。」といひければ、本の妻かくなむいひける、
 われもしかなきてぞ君に恋ひられし今こそえをよそにのみきけ
と。男これを聞きていみじくあはれと思ひて、今の妻のいひつること、思ひ合はせられて、今の妻の志失せにければ京に送りてけり。さて本の妻となむ棲みける。
です。とても多くなってしまってすみません。来週とかになっても全然構いません。よろしくおねがいします。」
殆ど逆ギレだ・・・・・。

なんとかこの客に諦めさせなければならない。
マスター おじさん 2   2006年10月18日水曜日 21時48分
「発句をどうするか、訳すべきか評釈(解説)すべきか、ちょっと問題ですので、先に今昔物語集の方からいきます。といっても、今晩中に、ということで。あしからず。」

逃げ出したい気持ちを押さえ、私はこう返事した。
マスター おじさん   2006年10月20日金曜日 09時18分
「二晩経ってしまいました。申し訳ないっす。
二つともいきます。

まず奥の細道から。

酒田でのなごり(が尽きず)に(滞在の)日を重ねて、(ようやく)北陸道の雲に向かい(旅立つこととなり)、遙々とした(前途への)思いが胸を痛ませて、加賀までは百三十里あるということを耳にする。鼠の関を越えると、越後の地へと旅路を変え、越中の国市振の関へとたどり着いた。この間は九日かかったのだが、蒸し暑く体が疲れて精神をすりへらし、病気を発して何事も書き留めなかった。
 文月や六日も常の夜には似ず(翌日の七夕だけでなく、その前日の七月六日も、七夕同様、いつもとは違った趣きが感じられる)
 荒海や佐渡によこたふ天の川(目の前に見える荒れた日本海を隔ててはるかに見える佐渡島の上に、横たわるようにかかっている天の川よ)
今日は親知らず・子知らず・犬戻り・駒返しなどという北陸一の難所を越えて疲ましたので、枕を引き寄せて寝たところ、一間を隔てて表の方(にある部屋)で、若い女の声が(して)二人ぐらいいるものと聞こえる。年老いた男の声もそこに混ざって四方山話をしているのを聞いてみると、越後の国の新潟と言うところの遊女なのであった。(その遊女たちが)伊勢参宮をするというので、この関まで男が送ってきて、明日には(その男に持たせて)故郷に返す手紙をしたためて、ちょっとした伝言などをしているのであった。(遊女が)「白波の打ち寄せる波打ち際にこの身を打ち捨て、漁師の子のような境遇になるまでにこの世の中をおちぶれて、不特定の(人との)契りを結んで、毎日の罪を犯すこととなった前世の因縁はどれほど深いことでしょう」と語っているのを聞きながら寝入って、朝になって旅立つときに、(遊女たちが)我々にむかって「前途もわからない旅路のつらさがあまりにも心もとなくて悲しく思われますので、(一団となってご一緒させていただくのではなくあなたのお姿が)見え隠れするぐらい(の離れた距離)にでもお跡に付き従って行きとうございます。(僧侶の)衣をお召しになっている身の上の方のお情けよって、(仏様のお与えになるという)大いなる慈悲の心の恵みをお与え下さって(仏道への)縁を結ばせてくださいませ」と言って涙を落とす。かわいそうなことではございますが、「我々はあちこちで宿泊するところがたくさんある。一般人が(旅路を)ゆくのにまかせて(お前たちもそれについて)ゆくのが良かろう。神の加護によってかならず無事であるはずだ」と言い捨てて出てきながらも、哀れさがしばらくやまなかったことである。
 一つ家に遊女も寝たり萩と月(一つの旅宿に、遊女も泊まり合わせたことだ。折しも萩が咲き、月がさし込む趣き深い頃合いであった)

細かい点はのちほど。」

あたり障りがないように私はこう答えた。
マスター おじさん 6   2006年10月21日土曜日 03時17分
「先に今昔物語集の訳を。

今となっては昔のこと、丹波の国に住む者がいた。田舎者ではあったが、風流を解する心を持った者であった。その者が妻を二人持って、(それぞれの妻には)家を並べて(=隣同士に)住まわせていた。もともとの妻はその国(=丹波)の人であった。その者(=もとからの妻)は(自分と同じく田舎者であるので男は)物足りなく思い、新しい妻は京都から迎えた者であった。その者をより大切に思っているようであったので、もとの妻はつらいと思って過ごしていた。
そうしている間に、秋、北の方に、山里であったから、裏山の方で、たいそうしみじみとした声で鹿が鳴いたので、男は新しい妻の家に滞在していたときで、(その新しい)妻に「これ(=鹿の鳴き声)はどのようにお聞きになりましたか」と言ったところ、新しい妻は「煎りもので(食べて)もおいしいし、焼き物で(食べて)もおいしいものですねえ」と言ったので、男は期待に相違して「京都の者だからこういったことを興味深く思うだろうと思ったのに、ちょっと気にくわないな」と思って、すぐにもとの妻のところに行って、男は「この鳴いた鹿の声はお聞きになりましたか」と言ったところ、もとの妻はこんな風に言った。
 鹿が鳴きましたが、わたしもそんなふうにあなたから泣いて恋い慕われたものでしたね。今となってはあなたのその声を、よそに聞いてばかりいるのですけれど。
と。男はこれを聞いてとても胸を打つことだと思って、新しい妻の言ったことが思い合わされて、新しい妻への気持ちが消えてしまったので、(新しい妻を)京都へ送り返してしまった。そうして、もとの妻と(一緒に)住んだのであった。

これも細かい点はまたのちほど。あしからず。」

珠里は自分の発言に満足していないらしい。
スリ 珠里 2006年10月23日月曜日 19時15分
「ありがとうございます!!いつもいつも本当に助かっております。時間が開いてからでも全然構いませんので、どうかゆっくりなさってください!毎回本当に申し訳ありません。本当にありがとうございます!」

こういう場合は適当に相槌をうっとく。
マスター おじさん 5   2006年10月23日月曜日 21時27分
「まず奥の細道。
発句については、句全体を解説すると底なし沼にはまるので、上記の訳で了解してください。語句には解説をつけたものもあります。

「酒田の余波(なごり)日を重ねて」の「酒田」は現在の山形県酒田市一帯を指す地名。芭蕉は酒田で伊東不玉という門人である医師のところに泊まり、そこを拠点に、松島と並んで「奥の細道」の目的地の一つである象潟(きさかた:現在の秋田県)を訪問して、また酒田に戻ってきていました。つまり、この時点では象潟という奥の細道最大のクライマックスを迎えた直後なので、芭蕉はその地の余韻を楽しんでいたのです。
「北陸道(ほくろくだう)の雲に望み」の「北陸道」は、「東海道」とか「中山道」とかと同じく、日本全国を分類した地方名の一つで、「日本海沿岸の若狭・越前・越中・越後・加賀・能登・佐渡」(角川古語大辞典)を指すのだそうです。「望み」は「臨む」、つまり目の前に向かい合う、という意味でしょう。
「加賀の府」は金沢(石川県)のこと。
「百三十里」は現在の距離に換算すると510キロメートルにあたります。(1里=約3.9キロ)
「鼠(ねず)の関」は、現在は「鼠ケ関(ねずがせき)」(山形県温海町)と呼ばれているところにあった関所の名前。
「越後の地に歩行(あゆみ)を改めて」の「越後」は現在の新潟県にあたる国名。「歩行を改めて」は意訳しました。要はこれまでとは別方面の道に入った、とかそういうことなのだと思います。
「越中の国市振の関に到る」は芭蕉の勘違いだそうで、「市振の関」は、越中の国(現在の富山県)との境ではありますが、まだ越後の国です。
「神をなやまし」の「神(しん)」は、神様のことではなく、「精神」のこと。
「荒海や佐渡によこたふ天の河」の句の「よこたふ」は、普通他動詞「横たえる」の意味で用いられる下二段活用の動詞ですが、ここでは明らかに自動詞「横たわる」の意味で用いられています。自動詞であれば、「よこたはる」となっているのが普通なので、先生はもしかすると「これは語法的誤りである」とか「破格の語法である」とか解説するかも知れませんが、別に芭蕉に限った言葉遣いではなく、古くは狂言(室町時代)に用いられていました。
「親しらず・子しらず・犬もどり・駒返し」は、越後の国から越中の国へ至る山中の地名で、現在、このあたりは「親不知子不知県立自然公園」という公園に指定されているそうです。
「伊勢参宮するとて」とある「伊勢参宮」は、伊勢神宮に参詣することを指します。江戸時代を通じて、伊勢参りはブームで、イスラム教徒のメッカ巡礼と同じく、生涯に一度は伊勢参りをすべきであると考える風習があり、生涯最大の娯楽でもあったのです。それこそ遊女も伊勢参宮するぐらいに。
「白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて」はわたくしの理解を超えた表現でしたので、古注釈の力を借りますと、「白波の寄するなぎさに世をすぐす海人の子なれば宿も定めず」(和漢朗詠集)という和歌をふまえた表現なのだそうです。「はふらかす」は「打ち捨てる」、「あまのこの世」は先の歌の「海人の子」と「この世」が掛詞になっています。つまり「『白波の寄せるなぎさに』と古歌にも歌っているなぎさにある新潟という港町で身を遊女にまで落ちぶれさせ、その歌の『海人の子』という言葉同様、漁師の子のような身分の低いものになるまでこの世の中で零落して」ということのようですね。
「定めなき契り」は、遊女が不特定の男に身を任せること。
「日々の業因いかにつたなし」の「業因」は仏教語です。仏教では現世において我々を取り巻く境遇を、前世に起因するものと考えますが、前世での悪行が原因となって現世で悪い報い起こる場合、前世での原因となった行いを「業因」、現世での報いを「業」と呼びます。遊女のような悲しい身の上の女性は、前世での行いがとても悪かったと考えられていました。
「衣の上の御情けに」は、芭蕉が僧衣を着て旅をしていたので、出で立ちから僧侶と勘違いしての発言です。「上」がどういう意味かつかみにくいですが、「身の上」の意味と解しておきました。
後の「大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」という部分も、「結縁」、つまり、後日の仏道修行のために僧侶と関係を作っておこうとしているのですが、これも同様の勘違いからの発言です。

ちょっとはしょりましたが、これをみっちりやろうと思ったら大変なもんで、勘弁してくださいね。」

私は「あちらのお客様からです」と嘘を付いてカクテルを出した。
マスター おじさん 1   2006年10月24日火曜日 17時09分
「さて今昔物語集。こちらは訳でほとんどおわかりいただけると思うのですが。

「それが妻を二人持ちて」の「が」について。中古の古文において、主語を格助詞で表すのは連体修飾節に限られ、普通の文では主語を格助詞なしで表すのが原則ですが、この「が」は明らかに主語を表す格助詞です。今昔物語集は平安時代末期の、言語的には中世にあたる時期に書かれましたから、このような事態が起こっているのです。
「思ひ増さりたる」の「思ひ増さる」は、二つあるうちの一方を大切に思うということ。
「しかる間、秋、北の方に、山里にてありければ、後の山の方に」の箇所はちょっと錯綜してますね。「山里にてありければ」は挿入句、「北の方に」と「後の山の方に」は同意です。「後の山」というのは、山里では大きな山や小さな山がいろいろ連なって見えますが、それらのうちの手前ではなく、後ろにある遠くの山、ということ。
「煎物にても甘し」の「甘し」は「うまし」と読んで、「美味である」の意。昔は人工的に甘味料を作ることが難しかったので、甘みはもっとも贅沢な味だったことから、「あまし」が転じた「うまし」は単に甘いという意味を越えて美味であるという一般的な意味になったのです。
「われもしか」の歌は、「しか」が「然(しか)」と「鹿」の、「なきて」が「鳴き」と「泣き」の掛詞になっています。昔夫は泣いて私に求婚したのに、今となってはその夫の声が外から聞こえてばかりで私のところは少しもたずねてくれなくなってしまった、ということです。
「思ひ合はせられて」の「られ」は自発。」

Cafe日誌No.34
2006年09月30日土曜日 19時07分
店も賑わいを見せる頃、割とよく来る珠里が入ってきた。不幸を絵に描いたようなタイプだ。珠里は独り言をブツブツ言いながらテーブルについた。
家出娘 珠里
「返事が遅くなってしまい、すみません。訳して下さってありがとうございます!毎回本当に助かっております!
あの、もしよろしければまた一つ訳していただきたい文章があります。先日からずっと連続で訳していただいているのに本当にすみません!宇治拾遺物語です。
昔、備中国に郡司ありけり。それが子にひきのまき人といふありけり。若き男にてありける時、夢を見たりければ、合はせさせむとて、夢解きの女のもとに行きて、夢合はせ後、物語していたるほどに、人々あまた声して来なり。国守の御子の太郎君のおはするなりけり。「これや夢解きの女のもと」と問へば、御供の侍、「これにて候ふ」と言ひて来れば、まき人は上の方の内に入りて、部屋のあるに入りて、穴よりのぞきて見れば、この君入り給ひて、「夢をしかじか見つるなり。いかなるぞ」とて語り聞かす。女聞きて、「世にいみじき夢なり。必ず大臣までなり上がり給ふべきなり。返す返すめでたく御覧じて候ふ。あなかしこあなかしこ、人に語り給ふな」と申しければ、この君うれしげにて、衣を脱ぎて、女に取らせて帰りぬ。
 そのをり、まき人部屋より出でて、女に言ふやう、「夢は取るといふことのあるなり。この君の御夢、われらに取らせ給へ。国守は四年過ぎぬれば、帰り上りぬ。われは国人なれば、いつも長らへてあらむずる上に、郡司の子にてあれば、われをこそ大事に思はめ」と言へば、女、「のたまはむままに侍るべし。さらば、おはしつる君のごとくにして、入り給ひて、その語られつる夢を、つゆもたがはず語り給へ」と言へば、まき人喜びて、かの君のありつるやうに入り来て、夢語りをしたれば、女同じやうに言ふ。まき人いとうれしく思ひて、衣を脱ぎて取らせて去りぬ。
です。よろしくお願いします。」
世も末だ・・・。

珠里の言葉は滝のように続く。
スリ 珠里 2006年10月02日月曜日 19時48分
「 すみません。かなり下のほうに行ってしまいましたので、見つけられないと思い、上げさせていただきました。
 本当にすみません!!」

仕方がないのでこう答えてやった。
マスター おじさん 5   2006年10月05日木曜日 07時35分
「遅くなってごめんなさい。おじさん、婚約したもので、結納やらなんやかやと忙しかったのです。しばらく遠距離です。しくしく。週一で会いにいくので、スケジュールにしわ寄せがきてすんごく時間がなくなってしまいました。しくしく。

途中に脱文がありますね。例によって補って訳します。

昔、備中国に郡司がいた。その者の子にひきのまき人という者がいた。(そのひきのまき人が)若い男であったころ、夢を見たので夢合わせをさせようと思って、夢解きの女のもとに行って、夢合わせをさせてそのあとで話をしているときに、声がして人がたくさんやってくるのが聞こえる。国司のご子息である長男の方がいらっしゃったのであった。【年は十七八ぐらいの男でいらっしゃった。性質はどうかわからないが、容貌は美しかった。お供を四、五人ほど連れていらっしゃった。】(太郎君が)「ここが夢解きの女のところか」と尋ねると、お供の侍は「ここでございます」と言ってやってくるので、まき人は(夢解きの女の家の)奥の方に中に入って、部屋があった(のでその)中に入って穴からのぞいて見てみると、この君がお入りになって、「夢をこのように見たのだ。どういうことなのか」と言って語り聞かせる。女は聞いて「実にすばらしい夢です。必ず大臣まで昇進なさるはずです。ほんとうにすばらしく(夢を)ご覧になったのでございます。決して決して人にお話しになりなさるな」と申し上げたので、この君はうれしそうで、衣を脱いで、女に与えて帰った。
そのときにまき人が部屋から出て女に言うことには「夢は取るということがあるそうだ。この君の御夢を、わたしに取らせてください。国守は四年過ぎてしまうと、帰京してしまいます。わたしはこの国に住む人間ですから、いつまでも長く(この国に)いるであろう上に、郡司の子であるから、私の方をこそ大切に考えるのがよかろう」と言うので、女は「おっしゃる通りにいたしましょう。では、さきほどいらっしゃった君と同じようにして、(外からここへ)お入りになって、語られた夢を、まったく変わらないようにお話し下さい。」と言うので、まき人は喜んで、その君がしたように入ってきて、夢語りをしたので、女は同じように答えた。まき人はたいそううれしく思って、衣を脱いで与えて帰った。

まず大略だけ説明しておきます。
「備中国」は今の岡山県の西部にあたります。
「郡司」は国司の部下ですが、代々受け継いで一生つとめるものでした。だからあとで「京都にもどっていく国司なんかより、ずっとこの国にいておまえの近くに暮らしているこちらの方が関係が深いし、大事だろ?」と半ば脅迫めいたことを言えるのです。
「ひきのまき人」はおそらく吉備真備(きびのまきび)でしょう。備中出身というのも低い身分から大臣になるのも一致します。
「人々あまた声して来なり」の「なり」は推定の助動詞。
「衣を脱ぎて、女に取らせて帰りぬ」は、当時の一番の財産は金銀と衣裳だったので、着衣を褒美に与えて強い感謝の気持ちを表しているのです。
「夢は取るといふことのあるなり」の「なり」は伝聞の助動詞。
「われをこそ大事に思はめ」の「め」は助動詞「む」の已然形で、勧誘の意味です。(教科書によっては「適当」となっているものもある)訳は「〜するのがよい」とします。

細かい点はまた後ほど。といいながら、あとはほとんど訳を読んでいただけばわかると思うのですが。」

そして珠里の言葉は次のように続く。
スリ 珠里 2006年10月15日日曜日 18時03分
「返事がとても遅くなり、本当にすみません。訳して下さって、ありがとうございました!これだけで十分わかりやすいです!ありがとうございます!!またお願いすると思いますが、そのときはまたよろしくお願いします。
 最後になりましたが、ご婚約、おめでとうございます!!心よりお祝い申し上げます!!」

Cafe日誌No.36
2006年10月10日火曜日 18時34分
店も賑わいを見せる頃、この店の常連の苺がいつものように入ってきた。店に入る前から苺は酔っ払っていたらしく、来てそうそう床に吐いた。このマダムが話すことといえばいつも野郎の事だ。
ティッシュ配り 苺
「こんばんは♪また訳をお願します♪
宇治拾遺物語「猟師、仏を射ること」の続き?です。
今や今やと待つに、夜半過ぎぬらむと思ふほどに、
東の山の嶺より、月の出づるやうに見えて、嶺の嵐も
すさまじきに、この坊のうち、光さし入りたるやうにて
明るくなりぬ。見れば、普賢菩薩象に乗りて、やうやうおはして、
坊の前に立ちたまへり。 
            です。お願しますッ


★”婚約おめでとうございます!:*:・(*´ー`喜)。・:*:・
  遠距離は考えただけでもつらぃです・・・(*;∩;)
  頑張って下さいねッ!!!
  これからもお幸せに…+.(ο´∪`ο).+  苺」
「誰も自分を分かってくれない・・」最後にそうつぶやいた。

こういう客はどう返事していいものか悩む。
マスター おじさん 1   2006年10月12日木曜日 12時25分
「やあ、ありがとうございます。
遠距離になる原因の一端はおじさんが担っているのでそうそう文句を言うわけにも行かないのがつらいところです。

さて、訳。

(仏の示現を)今か今かと待っていると、今頃は夜中もきっと過ぎているだろうと思われる頃に、東の山の嶺から月が出てくるように見えて、嶺(から)の嵐も激しいのに、この坊のなかは(まるで)光が射し込んだような状態で明るくなった。見てみると普賢菩薩が象に乗って、ゆっくりと(こちらに)いらっしゃって、坊の前にお立ちになった。

「今や今や」の「や」は係助詞(の終助詞的用法)とも、終助詞とも言われていますが、ともかく疑問の意味です。
「夜半過ぎぬらむ」の「ぬ」は助動詞「ぬ」の終止形で、下に推量の助動詞がついているので強意の用法。「らむ」は現在推量の助動詞なので上のように訳しました。
「嶺の嵐もすさまじきに」の「すさまじ」は、普通「興ざめである」とか「殺風景である」とか意味を覚えさせられるでしょうが、ここでは現代と同じ意味で、程度がはなはだしいことを表します。ただ、古文において「すさまじ」がこのような「ものすごい、激しい」の意味で用いられるときは、異物・異世界のニュアンスを持っているのが常で、読み手は「どうも化け物でも出てくるかのような嵐の吹き荒れ方だな」と感じたはずなのです。嶺は嵐が吹き荒れているのに、こちらは月の光が射したかのように明るくなる、というのは対照的な情景ですから、「に」は逆接で訳すべきでしょう。
「光さし入りたるやうにて」の「やうにて」は、比況の助動詞「やうなり」の連用形+接続助詞「て」ですが、この「て」は「〜の様子で、〜の状態で」の意味です。(学校の先生は「光が射し込んだように」と訳す可能性大です。それでも外れているわけではありませんが、厳密に訳せば上のようにすべきである、ということです)
「普賢菩薩」は、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇に控えていて(脇侍という)、文殊菩薩とともにほかのすべての菩薩の頂点に位置する格の菩薩です。この菩薩は、六本の牙のある象に乗り、持経者の傍らに姿を現してその身を守護する、とされているので、この聖のところに現れるのにはもっともふさわしい存在なのです。ちなみに、細かいことを言えば、菩薩はいずれ如来(=仏)になる存在として如来の次に位置してはいますが、仏そのものではありません。菩薩は如来になるための最後の修行として、多くの人を済度するという誓願を立てるので、それにすがって救済を求める人々の信仰をあつめ、そのことから仏と同一視されているに過ぎません。
「やうやうおはして」は、直訳すると「だんだんといらっしゃって」となります。普賢菩薩が、しずしずと近寄ってくるさまを表現しています。

今日はひさしぶりに時間に余裕があったので、解説をクドくしてみました。」

苺は少し考えてから話を続けた。
ティッシュ配り 苺 2006年10月14日土曜日 22時44分
「詳しい説明ありがとうございます♪
とても分かりやすかったですw

結婚したら毎日一緒に居られるから
すこしの間我慢ですね…((汗
私も早く結婚したいです… (え 笑
あと10年くらい待たないと…((笑
うらやましいですww

また、時間があったらよろしくお願いします!!
なるべく自分で訳せるようにしますのでw
ではA失礼しますw」

Cafe日誌No.37
2006年10月12日木曜日 12時40分
読者諸君、いつもHardboiled Cafeをご利用いただいているお礼をここで述べさせていただきたいと思う。
マスター おじさん 1 
「フォントが小さくて字がつぶれてしまうことがあったので、微妙に大きくし、それにあわせてテーブルの幅も広げました。」

Cafe日誌No.32
2006年09月17日日曜日 12時24分
まだ日も高いうちに、割とよく来る珠里が入ってきた。聞いたこともない会社のこれまた聞いたこともない肩書きを持つ。得意万面で初恋の話をしだした。
家出娘 珠里
「こんにちは。また訳をお願いしたいと思い参りました。堤中納言物語です。
 長月の有明の月に誘はれて、蔵人少将、指貫つきづきしく引きあげて、ただ一人、小舎人童ばかり具して、やがて、朝霧もよく立ち隠しつべくひまなげなるに、「をかしからむところの、開きたらむもがな」と言ひて歩み行くに、木立をかしき家に、琴の声ほのかに聞こゆるに、いみじううれしくなりて、めぐる。
門のわきなど、崩れやあると見けれど、いみじく、築地など全きに、なかなかわびしく、「いかなる人の、かく引き居たるらむ」と、わりなくゆかしけれど、すべきかたもおぼえで、例の、声出ださせて随身にうたはせ給ふ。
 ゆくかたも忘るるばかり朝ぼらけひきとどむめる琴の声かな
とうたはせて、まことに、しばし「内より人や」と心ときめきし給へど、さもあらぬはくちをしくて歩み過ぎたれば、いと好ましげなる童べ、四五人ばかり走りちがひ、小舎人童、男など、をかしげなる小破子やうものを捧げ、をかしき文、袖の上にうち置きて、出で入る家あり。
 「何わざするならむ」と、ゆかしくて、人目見はかりて、やをらはひ入りて、いみじく繁き薄の中に立てるに、八九ばかりなる女子の、いとをかしげなる、薄色のあこめ、紅梅などみだれ着たる、小さき貝を瑠璃の壺に入れて、あなたより走るさまの、あわただしげなるを、をかしと見給ふに、直衣の袖を見て、「ここに、人こそあれ」と、何心もなく言ふに、わびしくなりて、「あなかまよ。聞こゆべきことありて、いと忍びて参り来たる人ぞ。と寄り給へ」と言へば、「明日のこと思ひ侍るに、今より暇なくて、そそきはんべるぞ」と、さへづりかけて、往ぬべく見ゆめり。
 です。今回も長くなってしまいましたが、よろしくお願いします。」
どう聞いても自慢話だった。

これ以上騒ぎ立てられたら大事だ。
マスター おじさん 4   2006年09月18日月曜日 17時27分
「今夜をお待ち下さい。」

とにかくここは一旦相手を落ち着かせなければならない。
マスター おじさん 2   2006年09月18日月曜日 20時51分
「おじさん、昨日今日と引っ越しの手伝いをして参りまして、疲労困憊ざんす。
今日はもう三途の川が見えそうな具合なので、明朝早くに訳しておきます。お役に立てず恐縮ですが、ご了承下さい。」

珠里は思い出したかのようにこう呟いた。
家出娘 珠里 2006年09月18日月曜日 22時20分
「大丈夫でしょうか??気にせずゆっくりとお休みください!明日の朝でも間に合いますので。お休みなさいませ。」

私は内心うんざりしていたが、にこやかな顔でこう答えた。
マスター おじさん 5   2006年09月19日火曜日 05時50分
「九月の有明の月に誘われて、蔵人少将は、指貫を(外出に)ふさわしく引き上げて(履いて)、ただ一人、小舎人童だけを連れて、そのまま、朝霧もよく(少将の姿を)隠してくれそうに一面に立ちこめているときに、「風情のあるところで、開いているところでもあればよいのだが」と言いながら歩いてゆくと、木立が趣のある(ように植えられている)家に、琴の音がかすかに聞こえるので、たいそううれしくなって、(その家の辺りを)歩き回る。
門の脇などに崩れているところでもあるだろうかと探してみたのだが、まったくもって築地などは万全で、かえって面白くなく(=興趣がそがれたように感じられて)「どのような人が、このように(琴を)弾いているのであろう」と、ひどく知りたい気持ちになるのだけれど、どうしてよいかもわからないものだから、いつものように、声を上げて随身に歌わせなさった。
 行き先も忘れてしまうぐらい、夜が白む頃に私を引きとどめるかのような(心ひかれる)琴の音色が聞こえてきたことですよ
と歌わせて、本当に、しばらくの間「もしや(この家の)中から人が(私を迎えに出てきてくれるだろうか)」とわくわくし(ながら待っ)ておられるが、そんなことも起こらないのは残念に思われて(その場所は)通り過ぎていったところ、とても好ましげな童が、四五人ほど走り交っていて、小舎人童や男などが、趣味のよい小さな破子のようなものを捧げ持って、気の利いた(包み紙の)手紙を袖の上に置いて。出入りしている家がある。
「何をしているのだろう」と知りたくなって、人目を見計らって、そっと(その家に)入り込んで、よく茂っている薄の中に立っていると、八、九歳ぐらいの女の子で、とても可愛らしく、衵や紅梅などを無造作に来ている子が、小さな貝を瑠璃の壺に入れて向こうから走ってくる様子がせわしなさげであるのを、(少将は)可愛らしいとご覧になっているところに、(女の童は少将の)直衣の袖を見て「ここに人がいるわ」と何気なく言うので、(少将は他の人に自分の存在が気づかれてしまうのではないかと)困ってしまって「ああ、声が高いですよ。申し上げなければならないことがあって、よくよく人目をはばかって伺いに参った者です。ちょっとこちらへいらっしゃい」と言うと、(女の童は)「明日のことを考えておりますので、今から暇がなくって、あたふたしているのですのよ」と早口で言葉をかけて、(その場を)立ち去ってしまいそうに見えるようだ。

細かい点はまた後にして、とりあえず四点だけ先に述べておきます。
「まことに、しばし『内より人や』と心ときめきし給へど」の箇所は、心中語の内容を「『まことに、しばし、内より人や』と心ときめきし給へど」とする説もあるようで、その場合「『本当に、しばらく待っていれば、家の中から人が出てくるだろうか』とわくわくなさるけれど」となります。
「をかしき文、袖の上にうち置きて」は、どのような状況を表しているのか、私の理解を超えた表現でしたので、三角洋一氏の注(講談社学術文庫「堤中納言物語」)を引用しておきますと「袖の中に入れた手で袖の上の手紙をおさえ、袖でかばうようにたいせつそうに持っているのであろう」とのことです。
「八九ばかりなる女子の、いとをかしげなる、薄色のあこめ、紅梅などみだれ着たる」の箇所は、「八九ばかりなる女子の」が、それ以下の部分と同格になっているのは間違いないのですが、「をかしげなる」が「あこめ」を修飾しているか、していないかで、二通りの解釈ができます。修飾していれば「いとをかしげなる薄色のあこめ、紅梅などみだれ着たる」全体をひとまとまりとして同格、修飾していなければ、「いとをかしげなる」と「薄色のあこめ、紅梅などみだれ着たる」の二箇所とそれぞれ同格、ということになります。句読点の打ち方からして、後者に解釈せよとのことと思われますので、ここでもそのように訳しておきました。
「と寄り給へ」は解釈の分かれる表現のようですが、「と寄る」で「ちょっと立ち寄る」の意味の一単語であるとの説が有力ですので、そのように訳しました。

残りの細かいことはまた後ほど。」

あたり障りがないように私はこう答えた。
マスター おじさん 5   2006年09月22日金曜日 21時38分
「おじさん、農繁期(稲刈り→脱穀等)とsweetheartの引っ越しが重なり、糊口をしのぐ仕事もせねばならりませんので、続きを書くだけのまとまった時間が来週の月曜まで全く時間が取れません。死にそうです。ということでその旨ご了承下さい。」

珠里は周りを見渡してからこう続けた。
家出娘 珠里 2006年09月24日日曜日 15時48分
「月曜日になっても全然大丈夫です。わざわざありがとうございます。ところで、説明をお願いしている身でありながら、大変あつかましいのですが、もう一つ訳をお願いしたい文があるのです。時間がとれてからでよいので、お願いしてもよろしいでしょうか・・・?今鏡です。
宮内卿有賢と聞こえられし人のもとなりける女房に、忍びてよるよる様をやつして通ひ給ひけるを、さぶらひども、「いかなるもののふの、局へ入るにか」と思ひて、「うかがひて、あしたに出でむを打ち伏せむ」といひ、(中略)あしたには、このさぶらひども、「いづらいづら」とそそめきあひたるに、日さし出づるまで出で給はざりければ、さぶらひども、杖など持ちて、打ち伏せむずるまうけをして、目をつけあへりけるに、ことのほかに日高くなりて、まづ折烏帽子のさきをさし出だし給ひけり。次に柿の水干の袖のはしをさし出だされければ、「あは、すでに」とて、おのおのすみやきあへりけるほどに、その後、新しき沓をさし出だして、縁に置き給ひけり。「こはいかに」と見るほどに、いと清らなる直衣に、織物の指貫着て歩み出で給ひければ、このさぶらひども、逃げまどひ、土をほりてひざまづきけり。
 宮内卿もたたずみ歩かれけるが、急ぎ入りて装束して、出であひ申されて、「こはいかなることにか」と騒ぎければ、「別のことには侍らず。日ごろ女房のもとへ、ときどき忍びて通ひ侍りつるを、さぶらひの『打ち伏せむ』と申す由うけたまはりて、『そのおこたり申さむ』とてなむ参りつる」と侍りければ、宮内卿おほきに騒ぎて、「この科はいかにあがひ侍るべき」と申されければ、「別のあがひ侍るまじ。かの女房を賜はりて、出で侍らむ」とありければ、左右なきことにて、御車、供の人などは徒歩にて、門の外にまうけたりければ、具して出で給ひけり。
 です。忙しい中、本当に申し訳ありません。いつでもかまわないので、おねがいします。」

仕方がないのでこう答えてやった。
マスター おじさん 4   2006年09月26日火曜日 18時13分
「さてさて、昨日一日休んで、また今日からがんばります。
まずは前の分のけじめを。

「有明」は、夜明けになっても空に残っている月、またはその月の出ている時間帯のことを言います。一日のうちでももっとも風情のある時間帯とされていますが、秋(長月)は月が美しい季節ですから、おもむきの深い時間帯ということになります。
「指貫つきづきしく引きあげて」の「指貫」(さしぬき)は衣装の名前で、男女を問わず、スポーティな出で立ちです。「つきづきし」というのはある物事がそれを取り囲む状況にぴったりと合っていることをいう形容詞ですから、主人公の男が、裾をたくしあげて外出して歩くのにふさわしいようにした、ということなのでしょう。


用事ができましたので、続きは今夜。」

こういう客はどう返事していいものか悩む。
マスター おじさん 2   2006年09月26日火曜日 23時38分
「さて続き。

「小舎人童(こどねりわらわ)」は、貴族に使えた、身の回りの雑用をこなす少年のことです。
「をかしからむところの、開きたらむもがな」という台詞は、わかりやすく言い換えると、「この風情のある時間帯に、なかなか趣のあるようにしつらえてある家で、開いているところがあればなあ」ということです。王朝の恋愛のあり方として、月を眺めたり、笛や琴を奏でたりしている女性をのぞき見て(「かいまみ」という)男がそれ以後通うようになる、というのが、歌物語等に見られる、情をわきまえた男女の間のパターンの一つであったので、そういったまるで物語のような出会いを求めているわけです。
「築地など全きに、なかなかわびしく」という箇所は訳したとおりですが、なぜ「なかなかわびしく(=かえって面白くなく)」なのかといえば、上にも書いたように、築地の崩れでもあれば、物語によくある通りに男が中をのぞき見ることができるであろうのに、それがないのはまるで男を拒絶しているようで、男女の仲というものをよくわかっとらんのではないかと思われる、ということですね。
「例の」は、「の」を含んでいますので名詞を修飾するように見えますが、実は副詞で用言(「声出ださせて随身にうたはせ」)にかかります。
「ゆくかたも」の歌には「ひき」が「(琴を)弾き」と「ひきとどむ」の掛詞になっています。
「内より人や」というのも、上に書いたのと同様で、こちらが歌を詠んで聞こえるようにうたわせたのだから、風流な女が中にいるのならこちらを呼び入れに誰かやってくるはずだが、という意図です。実際はことごとくうまくいかないわけですが。
「走りちがひ」は、走りながらすれちがうことです。案外ぴったりとした訳語がありません。
「小破子(こわりご)」は「破子(わりご)」の小さなもので、「破子」は弁当箱だと思えばよろしい。
「やをらはひ入りて」の「はひ入りて」ですが、古語には「はいる」という動詞がなく、現代語の「はいる」に相当するのが「入る(いる)」ですから、この「はひ入る」は「はいる」に完全に一致するのではなく、「這うようにして入る」とか「そっと忍び込む」と訳さなくてはなりませんが、前に「やをら」があるために全部ひっくるめて「そっと入った」としても十分ニュアンスが出るのでそのままにしてあります。
「あこめ」は「衵」と書き、男女で指しているものが少し違うのですが、女性の場合は、肌近くに着た下着のことです。
「小さき貝を瑠璃の壺に入れて」は、この箇所ではたいした意味がなさそうな描写ですが、実はこの短編物語の題名「貝合」の由来ともなっている、結構重要な複線なのです。
「あなかまよ」は「あなかま」が感動詞、「よ」が終助詞と考えるのが穏当でしょう。ただし、「あなかま」は「あな」「かま」の二語に分けることもできますし、「よ」は間投助詞とも考えられます。
「そそきはんべるぞ」の「はんべる」は「はべる」の強調形もしくは口頭語形です。

あとは口語訳でおわかりになるのではないでしょうか。
ほかにご質問がおありでしたらどうぞ。」

とにかくここは一旦相手を落ち着かせなければならない。
マスター おじさん 5   2006年09月27日水曜日 07時36分
「寝てました。
さて今鏡。

これは藤原成通(なりみち)という人の逸話です。
成通は芸事全般に秀でた文化人で、とくに蹴鞠は神業を伝えられるほどの達人でした。
あまりの神業に、蹴鞠の神が降臨してさらなる加護を与えることを告げたというぐらいで、この神がその後京都の白峯神社という祀られ、成通もそこに一緒に祀られることになりました。
今年のサッカーのワールドカップで、日本唯一の蹴鞠の神ということで白峯神社にお参りする人が多くいましたが、成通の名を覚えている人はどれぐらいいたことやら。
今鏡は平安時代末期の戦乱の時代をあつかった歴史物語であるにもかかわらず、歴史の動乱はまったく無視して文雅方面にばかり注目した記事を載せている(それゆえ史書としての評価がきわめて低い)作品ですが、まさに成通は今鏡にはうってつけの人物であったといえるでしょう。

途中に文章が省略されている箇所が、「中略」以外にももう一箇所あります。話の脈絡がわかりやすくなるように、省略箇所は括弧にいれて、冒頭部分も含めて全部補って訳します。

【だいたいにおいて、成通は蹴鞠の早業までも比類するもののないほど見事におできになったので、蹴鞠に用いる反り返った靴をはいて、欄干の手すりの上をお歩きになり、車の前後や築地の裏側・上側など、歩きにくいということがおありになりませんでした。あまりにも欠点というものがおありでなかったので】宮内卿有賢と呼ばれになさった方ところにいた女房に、人目をはばかって毎晩みなりを(目立たないように)変えて通われたのを、従者たちが「どのような武士が局に入っていくのだろうか」と思って「様子をみて、朝に出て行くところを取り押さえよう」と言って【たがいに心を合わせていたところ、女房はこれを聞いてたいそう思い悩んで、いつものように日が暮れて成通がいらっしゃったときに泣く泣くこの次第を語って聞かせると、成通は「まったくもってこまったことではない。必ずもどってきましょう」と言って出て行かれた。女房が言ったように、従者たちは門をどこも閉ざしていて、先ほどとは違って厳重な様子であったので、成通は人のいない方にある築地を、軽々と乗り越えて行かれた。女房は「こんな様子だと聞いていらっしゃるのだから、もう一度はまさか戻っておいでにならないでしょうね」と思っているうちに、しばらくして、袋をみずからもって、また築地を乗り越えて、また中にもどっていらっしゃった。】
翌朝、この従者たちが「どこだどこだ」とざわめきあっていたが、(成通は)日が昇るまで出て行かれなかったので、従者たちは杖などを持って、取り押さえる準備をして注意していたところ、たいそう日が高くなって、(成通は)まず折り烏帽子の先端を(従者たちに見えるように)差し出された。次に柿色の水干の袖の端を差し出されたので(従者たちは)「ああ、いまにも(出て行こうとしているぞ)」と言って、みないらいらしあっているときに、その次に(成通は)新しい靴を出して縁に置かれた。(従者たちは)「これはどうしたことか」と見ていると、(成通が)たいそう美しい直衣に織物の指貫を着て歩いて出なさったので、この従者たちが(高貴な人なのであったのかと)逃げまどい土を掘ってひざまずいた。
【成通は靴をはいて庭に下りて、北の対の後ろを歩いて行かれると、女房のいる局はどこもあわてて戸をとざしてしまった。成通が中門の廊に上られたところ、】宮内卿も(そのあたりを)うろうろしておられたのだが、急いで(邸の中に)入ってきちんとした身なりをして出てきて(成通に)お目にかかられて「これはどうしたことですか」とあわて(て成通にたずね)ると、「ほかでもありません。ここしばらく(あなたのところの)女房のところへときどき人目を避けて通っておりましたが、従者が『取り押さえよう』と言っているということをうかがって、『そのおわびを申し上げよう』と思って参上しました」と(成通のお言葉が)ございましたので、宮内卿は大いにあわてて「この失礼はどのように償えばよろしいでしょうか」と申し上げなさったところ、(成通は)「ほかの御つぐないはございませんでしょう。あの女房をいただいて、出て行きましょう」と言ったので、(女房を差し上げるのは)問題のないことで、お車や供の人などは徒歩で、門の外に(成通を迎える)準備をしていたので、(成通はその女房を)つれて出て行かれた。

細かい点はまた後ほど。」

なんとかこの客に諦めさせなければならない。
マスター おじさん 6   2006年10月02日月曜日 16時44分
「さて、延び延びになっておりましたつづきです。

「聞こえられし」というのは、直訳すれば「申し上げられた」という意味です。「聞こゆ」は、人物の紹介をするときによく用いられる動詞で、筆者が呼ばれる対象に敬意を払って「〜と申し上げる」という言い方をするわけです。ここでは受身の助動詞「らる」がついていますから、「(当時世間の人から)申し上げられた」の意味でしょう。過去の話ですから、申し上げる動作の主体は筆者とは考えられません。
「やつして」は「姿を変えて」の意。
「さぶらひども」は、高貴な人の従者をいい、いわゆる「さむらい」(武士)のことではありません。武士のことは、後に出てくる「もののふ」と呼びます。
「いかなるもののふの、局へ入るにか」には後ろに「あらん」などが省略されています。「もののふ」は、字面通りに解釈すれば上述のように「武士」となり、そのように訳しておきましたが、ここではおそらく「むちゃくちゃなことをする者」などといった意味なのでしょう。平安時代ごろの武士は、現在の我々が想像するようなものとは異なった、いかにして人をよく殺すかという理念に基づく武士道の下で活動していましたから、やくざ顔負けの恐ろしい武闘集団ととらえられていたのです。「局」は、女性の私室を指します。
「打ち伏せむ」の「打ち伏す」は「殴り倒す、取り押さえる」の意味で、「打ち」は接頭辞「うち(=ちょっと)」ではないと考えるべきでしょう。
「そそめく」は「ささやく」、「まうけ」は「準備」の意。
「折烏帽子」は、官位のある貴族が平服としてかぶった「烏帽子」のなかでも、先端を風流の目的で折ったもので(もっとも、この時代以降は、武士が折烏帽子をかぶるようになり、侍烏帽子とよばれるようになっていく)、これが見えるだけである程度の位のある人がいる、ということがわかるのです。後に出てくる「直衣」を着用するときは、セットで着用されました。
「柿の水干」の「水干」は当時の下級貴族が着用した略装で、「鷹狩(たかがり)や蹴鞠(けまり)の折に用いられた」(「角川古語大辞典」)ということですから、いかにも成通がお忍びでやってくるのにふさわしい服装だったわけです。「柿」は「柿色」で、くすんだ赤茶色のことをいい、きわめて地味な色とされていましたから、これも人目につかないお忍びのしるしみたいなものですね。
「あは、すでに」の「すでに」は、現在のような「もう」の意味とはちがって、「いまにも」の意です。「すみやき」は「気がせく、いらだつ」の意。
「直衣(のうし)」は貴族の常用の服で、立烏帽子・沓・指貫とともに着用するものでした。すべてセットで身につけた成通のすがたが徐々にあらわになってくると、従者たちは、ろくでなしが女房に通っているのではなく、きちんとした身分のある方が通ってこられていたのだったのか、と仰天するわけです。
「土をほりてひざまづきけり」はどういうことかわかりにくい表現ですが、「逃げそこねたので、土を掘って隠れようとしているかのごとく、地面にはいつくばっているさまをいったもの」(講談社学術文庫「今鏡・中」竹鼻績氏による注)ということだそうです。
「おこたり」は、過失の意味と、過失から生じたことに対する謝罪の意味がありますが、ここでは後者でしょう。
「この科はいかにあがひ侍るべき」の「あがふ」は「あがなう」。
「左右なきことにて」の「左右なし」は「簡単である、おおごとではない」という意味の重要語。

あとは訳をお読みいただけばだいたいわかると思います。」

珠里はお喋りがお好きのようだ。
スリ 珠里 2006年10月02日月曜日 19時46分
「ありがとうございます!毎回助かっております!本当にありがとうございます!」

Cafe日誌No.33
2006年09月27日水曜日 19時14分
店も賑わいを見せる頃、この店の常連の苺がいつものように入ってきた。美女の体から漂う高級な香水の香りが店内に異臭を放つ。差し出した一杯の水を飲み干すとくたびれた声で一つの話をした。
ティッシュ配り 苺
「こんばんは。今日も訳をお願いします!!
一応自分で訳してみたのですが、まだまだダメでして…
ちゃんと意味がとれているかなど、いろいろご指摘お願いします。
敬語?のところの意味があまり分かりませんでした((汗

今回は宇治拾遺物語の「猟師、仏を射ること」です。

昔、愛宕の山に、久しく行ふ聖あり。年ごろ行ひて、
坊を出づることなし。西の方に猟師あり。この聖を尊みて
つねにはもうでて、物奉りなどしけり。久しく参らざりければ、
餌袋に干し飯など入れて、まうでたり。

苺の訳((汗))
昔、愛宕の山に、長い間仏道修行している僧がいた。
長年仏道修行して、家(住まい)を出ることはなかった。
西の方(方角)に猟師がいた。この僧を大切にして、
ふだんは参上して、物を差し上げた。長い間参上しなかったら
餌袋に干し飯などを入れて、参上した。

…なんですが。 「もうで」とか、「参らざりければ」とかは
参上と訳すのではなく、普通に「お参り」や「参拝」のほうが
いいのでしょうか??

あと、敬語の種類:尊敬・謙譲・丁寧 の区別がいまだについて
いないので、アドバイスや見分けるポイントなどありましたら
お願いしますッッ!!!この訳はおかしいとか絶対あるんで、
どんどん指摘?お願いします。」
まるで小学生の会話だった。

セクハラしているのはこの客か。
マスター おじさん 1   2006年09月28日木曜日 13時01分
「ほとんど問題ありませんが、「久しく参らざりければ」は「ければ」が「けり」已然形+「ば」なので「長い間参上しなかったので」と訳しましょう。
「まうづ」の訳については、「お参り」「参拝」という訳語だと神社仏閣のような場所に行くことを意味してしまいますので、「参上する」の方がむしろ適切だと思います。


敬語の区別は、大多数の単語が、一つの用法にしか用いられないので、どの表現がどの種類の敬語に属するのかを覚えてしまうのが手っ取り早いですね。
また、以下の点をよくおさえておく必要があります。

・尊敬語=「為手尊敬(してそんけい)」ともいい、動作主に対する話し手の敬意を表す。
・謙譲語=「受手尊敬」ともいい、動作の受け手に対する話し手の敬意を表す。
・丁寧語=「聞手尊敬」ともいい、聞き手に対する話し手の敬意や、話し手の品位を保持して上品さなどを表す。

※学校では「尊敬語は相手を持ち上げる、謙譲語はこちらを下げる」と説明されますが、この説明は現代語ならそれなりに当てはまるものの(うまく説明できないことも多い)、古語では相当問題のある理解のしかただと言わざるを得ません。
たとえば、中納言が天皇に対して何かを言っているのを書き手が「申したまふ」と表現したとすると、「申し」は謙譲語だから中納言を下げ、「たまふ」は尊敬語だから中納言を持ち上げている、と説明されたのでは、「あげたいのかさげたいのかどっちやねん!」と混乱してしまうでしょう。
このような表現は、「申し」は謙譲語だから動作の受け手である天皇に対する話し手の敬意を表し(つまり中納言の立場は関係ない)、「たまふ」は尊敬語だから動作主である中納言に対する話し手の敬意を表す、と説明すれば、話し手が中納言を下げている、などという失礼な事態を想定しなくともすんなり理解できると思います。

尊敬語を表すには、以下の手段があります。
・接頭辞「御」を名詞にの上につける
・助動詞「る」「らる」を活用語につける
・補助動詞「給ふ(四段活用)」「おはす」「おはします」などを活用語につける。「す」「さす」「しむ」をこれらの尊敬の補助動詞の前に置くと、二重尊敬(最高敬語)をあらわす。(これらの助動詞が尊敬の意味に用いられるのは二重尊敬の場合だけであって、単独では絶対に尊敬の意味に用いられない)
・単独で尊敬語を表すことのできる動詞を用いる

謙譲語を表すには、以下の手段があります。
・接頭辞「御」を名詞の上につける
・補助動詞「奉る」「聞こゆ」「給ふ(下二段活用)」などを活用語につける
・単独で謙譲語を表すことのできる動詞を用いる

丁寧語を表すには、以下の手段があります。
・接頭辞「御」を名詞の上につける
・補助動詞「侍り」「さぶらふ」を活用語につける
・単独で丁寧語を表すことのできる動詞を用いる

どのような動詞がどの敬語に属するか、注意すべき点は何か、については後ほど。最近この持ち越しパターンが増えてますが、ちょいと訳ありなもんで。」

苺は自分の発言に満足していないらしい。
ティッシュ配り 苺 2006年10月01日日曜日 07時21分
「ありがとうございます♪
尊敬語は相手を持ち上げる、謙譲語はこちらを下げる・・・・
たしかにそう習いました((汗
ちょっと難しいと思っているのですが
覚えれば簡単だと先生に言われたので、頑張ってみようと思います!
ありがとうございます♪♪
いろいろお忙しいようですね・・・・((汗;
頑張ってくださいねッ♪
それでは失礼します。」

Cafe日誌No.26
2006年09月03日日曜日 16時40分
遅い昼飯でも食べに来たのか、割とよく来る苺が入ってきた。この辺りでいい噂は聞かない・・・。苺はライムを織り交ぜてリズミカルにこう語った。
家出娘 苺
「遅くなってすいませんッッ
訳してくださってありがとうございました♪

えっと、授業が1日にあると思ったら、明日にのびてしまって。
それで、先生に訳す量を追加すると言われて・・・・((汗
またお時間がありましたら、お願いしますッ

たましきの都のうちに、棟を並べ、いからを争へる、高き、
いやしき人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

です。多いですが…願い致します。」
誰かこの美女を止めてくれ。

私は内心うんざりしていたが、にこやかな顔でこう答えた。
マスター おじさん 1   2006年09月03日日曜日 19時42分
「ちょっとこれからまた出かけなければなりませんので、遅くなって恐縮ですが、十一時過ぎに訳しておきます。
あしからずご了解を。」

苺は「ああ、そうそう」と言って話を続ける。
家出娘 苺 2006年09月03日日曜日 22時27分
「はい♪大丈夫ですw

ゆっくりでかまいませんのでw

よろしくお願いします。」

なんとかこの客に諦めさせなければならない。
マスター おじさん 5   2006年09月03日日曜日 23時27分
「戻って参りました。
1行目、「いから」じゃなくて「いらか」ですね。

宝石を敷き詰めたような(美しい)都の中に、棟をならべ、甍を争っている(かのように立ち並んでいる)、高貴な、(あるいは)粗末な、人の住居は、いつの世になっても無くならないものではあるけれど、これを真実の姿であるかと(思って)よく調べてみると、昔あった家はめったにない。


「棟」は、建物の頂上の、屋根と屋根が合わさっているところで、建物自体を指すこともあります。
「いらか」は「甍」と書き、「うろこ」と同語源の言葉で、屋根にある鱗状のもの、つまり瓦などを指します。
「これをまことかと尋ぬれば」というのは、前回書いた仏教的無常観にもとづく表現で、「繁栄を誇っているから永続するのかと思っても、実はほとんどの家が新しく、世の中はやはり移り変わっていくものなのだ」ということを指しています。」

苺は時間も気にせず話を続ける。
家出娘 苺 2006年09月06日水曜日 22時40分
「ありがとうございました♪

本当だ…すいませんッ打ち間違い…ではなくて
普通に間違えたようです((汗

また続きを訳していただけますか??

あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。
住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し
人は、二、三十人が中に、わづかに一人、二人なり。朝に死に、
夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。


多いですが、よろしくお願いします。」

苺はようやく本題に入った。
ティッシュ配り 苺 2006年09月06日水曜日 22時59分
「あのッ付けたしなのですが!!!

二、三十人とありますが、これの読み方は…?
やっぱり、古典的?な読み方があるのでしょうか?」

私は答えに窮したがとりあえずこう答えておいた。
マスター おじさん 1   2006年09月08日金曜日 02時43分
「あるものは去年焼けて今年作ったものである。あるものは大きな家が滅んで小さな家となっている。(それらの家に)住んでいる人もこれと同じようなものだ。場所も同じ(都)で、人も多いが、昔見た人は二、三十人の中に、わずかに一人か二人である。(人間が)朝に死に、夕方に生まれてくるという(移り変わりの激しい)ならわしは、ただ水の泡に似ているのであった。

「二、三十人」を無理矢理和語で読むと「はたたり(二十人)、みそたり(三十人)」となります。「ふた(二)、みそたり(三十人)」とは読まないのが普通です。
「二十」を「はた」と読むのは、「二十歳(はたち)」「十重二十重(とえはたえ)」に、「三十」の「みそ」も「三十路(みそじ)」に、それぞれ残っています。」

苺は自分にもっと話させろと苛立った。
ティッシュ配り 苺 2006年09月13日水曜日 20時28分
「遅くなりましたッッ

ありがとうございました!!!!
またよろしくお願いします♪♪」

Cafe日誌No.31
2006年09月04日月曜日 21時59分
他の客も酔いが回ってきた頃に、割とよく来る珠里が入ってきた。自分の人生でさえも脇役を演じている、そういうタイプだ。珠里は独り言をブツブツ言いながらテーブルについた。
家出娘 珠里
「こんばんは。きのう2つも訳して下さったのに、また来てしまい、すみません・・。また訳をお願いしたいのですが・・。今回は大和物語です。
 昔、大納言のむすめいとうつくしうてもちたまうたりけるを、帝に奉らむとてかしづき給ひけるを、殿に近う仕うまつりける内舎人にてありける人、いかでか見けむ、このむすめを見てけり。顔かたちのいとうつくしげなるを見て、よろづのことおぼえず、心にかかりて、夜昼いとわびしく、病になりておぼえければ、「せちに聞こえさすべき事なむある」と言ひわたりければ、「あやし。なにごとぞ」と言ひて出でたりけるを、さる心まうけして、ゆくりもなくかき抱きて馬に乗せて、陸奥国へ、夜ともいはず昼ともいはず逃げて往にけり。安積の郡安積山と言ふ所に庵をつくりてこの女を据えて、里に出でつつ物などは求めて来つつ食はせて、年月を経てありへけり。この男往ぬれば、ただ一人物も食はで山中にいたれば、かぎりなくわびしかりけり。かかるほどにはらみにけり。この男、物求めに出でにけるままに三四日来ざりければ、待ちわびて、立ち出でて山の井に行きて、影を見れば、わがありしかたちにもあらず、あやしきやうになりにけり。鏡もなければ、顔のなりたらむやうも知らでありけるに、にはかに見れば、いと恐ろしげなりけるを、いとはづかしと思ひけり。さてよみたりける、
 あさか山影さえ見ゆる山の井のあさくは人を思ふものかな
とよみて木に書きつけて、庵に来て死にけり。男、物など求めて持てきて、死にてふせりければ、いとあさましと思ひけり。山の井なりける歌を見て帰り来て、これを思ひ死にかたはらにふせりて死にけり。世のふるごとになむありける。
 です。長くなりすみません。おねがいします。」
何人もの人がこの言葉に騙されて来た。

セクハラしているのはこの客か。
マスター おじさん 4   2006年09月06日水曜日 03時02分
「すんません、見落としてました。
昨日のわたくしの書き込み中に書き込まれたのですね。

昔、大納言が娘をたいそうかわいがってお持ちであったが、(その娘を)帝に差し上げようと思って大切に養育しておられたのを、殿に近くお仕えしていた内舎人であった人が、どのようにして(姿を)見たのであろうか、この娘を見てしまった。容貌がとてもかわいげであるのを見て、何事もわからず(=正常な判断力を失ってしまい)、(娘のことが)気にかかって、夜も昼もたいそうつらく、病気になった気がしたので、「是非とも申し上げたいことがあるのです」と(娘に)言い寄ったところ、(娘は)「不審ですね。何事でしょうか」と言って出てきたのを、そうする心づもりをして(=以下に実行したような、女を連れて逃げる計画を考えて)、突然抱き上げて馬に乗せて、陸奥国へ、夜にも昼にも関係なく(=昼夜兼行で)逃げていった。安積郡安積山というところに庵を作ってこの女を住まわせて、里に出ながら(生活に必要な)物などを(里で)手に入れてきては(女に)食わせて、長い年月を(そのような生活をずっと続けながら)送った。この男が出て行くと、(女は)ただ一人で何も食わないで山中にいたので、この上もなく心細かった。このようなことをしているうちに、(女は)妊娠してしまった。この男は、物資を入手しに出て行ってしまったまま三、四日戻ってこなかったので、(女は)待ちかねて、(庵を)出て行って山の井戸に行って、(水に映る自分の)姿を見てみると、自分の以前の姿とは違って、みすぼらしい有様になってしまっていた。(女が住まわされていた庵には)鏡も無かったので、顔がなっていった様子(=どんな風に変わっていったか)も知らないでいたのだが、突然見てみると、(自分の顔が)とても恐ろしげであったのを、(女は自分で)たいそう恥ずかしいと思った。そこで(次のような和歌を)詠んだのであった。
 安積山という名前の通り、山の姿までが映って見える山の井戸が浅い、そのように、浅くも人を思ったことであるなあ
と詠んで木に書きつけて、庵に来て死んでしまった。男は物資などを手に入れて(庵に)持ってきて、(女が)死んで横たわっているので、とてもあきれたことだと思った。山の井のところにあった歌を見て(庵に)戻ってきて、これ(=この女)を思って(女の)傍らに横たわって焦がれ死にをした。昔の話なのであった。

「もちたまうたりける」の「たまう」は本来「たまひ」とあるべきところですが、ウ音便になっています。
「内舎人」は「うどねり」と読み、宮中の守衛のような役職です。平安時代の中期以降は源氏や平氏の侍が任じられるようになったので、結構荒々しい役職だったということになり、男の姿がなんとなくうかがわれる設定になっているのです。
「このむすめを見てけり」は、文字通り女の姿をみてしまった、ということです。「て」は完了の助動詞「つ」の連用形。「見る」には「結婚する」の意味もあるぐらいで、高貴な女性の姿を男が目の当たりにすることは、それはもう一大事だったのです。
「さる心まうけして」の「さる」は、訳にも示したとおり、以下に続く「ゆくりもなくかき抱きて馬に乗せて、陸奥国へ、夜ともいはず昼ともいはず逃げて往にけり」を指しています。
「ありへけり」は、長い間その状態を続ける、の意。
「あさか山影さえ見ゆる山の井のあさくは人を思ふものかな」の歌は、「あさか山影さえ見ゆる山の井の」が「あさく」を導く序詞。
「山の井なりける」の「なり」は断定ではなく存在の意でしょう。
「これを思ひ死にかたはらにふせりて死にけり」は、ちょっとわかりにくい表現ですが、「狂い死にに死ぬ」(=狂って死ぬ)などという言い方と同様の「これを思ひ死に死にけり」(これを思い焦がれて死んだ)という表現に、「かたはらにふせりて」が挿入されていると考えればわかりやすいでしょう。学校ではそう解説しないかも知れませんけど。
「世のふるごと」は「世の古事」のことで、世の中で実際に起こった、昔の話なのだよ、ということです。」

珠里が本当に話したかったのは次のような内容だ。
家出娘 珠里 2006年09月07日木曜日 00時19分
「ありがとうございます!!書き込み時間がかぶってしまっていましたか・・・。失礼しました・・。すみません。でも遅くなっても訳して下さって本当に助かりました!授業は明日なので(0時を過ぎたので今日になりますが)全然大丈夫です!本当にありがとうございます!」

珠里はお喋りがお好きのようだ。
家出娘 珠里 2006年09月07日木曜日 00時51分
「またまたすみません・・。もう一つ訳していただきたいのです。これは明々後日の授業の分なので、ゆっくりで全然かまいません。古今著聞集の物語です。
 中頃、なまめきたる女房ありけり。世の中絶え絶えしかりけるが、見めかたち愛敬づきたりけるむすめをなむ持たりける。十七八ばかりなりければ、これをいかにもしてめやすきさまにもならせむと思ひける。かなしさのあまりに、八幡へむすめともに泣く泣く参りて、夜もすがら御前にて、「我が身は今いかにても候ひなむ。このむすめを心やすきさまにて見せさせ給へ」と、数珠をすりてうち泣きうち泣き申しけるに、このむすめ、参りつくより、母の膝を枕にして起きもあがらず寝たりければ、暁がたになりて母申すやう、「いかばかり思ひたちて、かなはぬ心に徒歩より参りつるに、かやうに、夜もすがら神もあはれと思し召すばかり申し給ふべきに、思ふことなげに寝給へるうたてさよ」と口説きければ、むすめおどろきて、「かなはぬ心地に苦しくて」といひて、
 身のうさをなかなかなにと石清水おもふ心はくみてしるらむ
と詠みたりければ、母も恥づかしくなりて、ものもいはずして下向するほどに、七条朱雀の辺にて、世の中にときめき給ふ雲客、桂より遊びて帰り給ふが、このむすめをとりて車に乗せて、やがて北の方にして始終いみじかりけり。大菩薩この歌を納受ありけるにや。
 です。毎回長くてすみません。もしよければよろしくお願いします。」

あたり障りがないように私はこう答えた。
マスター おじさん 5   2006年09月08日金曜日 03時14分
「訳しかけたんですが、ちょっと疑義が生じましたので、本日中に確認してから書き込みます。あしからずご了承を。」

話が長くなりそうだったので、私はひとまずこう言った。
マスター おじさん 4   2006年09月08日金曜日 17時05分
「中昔、優美な女房がいた。夫婦仲は途絶えがちで(そのために貧乏で)あったが、容貌のかわいらしい娘を持っていた。(娘は)十七八歳ぐらいであったので、これ(=この娘)をなんとかして見苦しくない様子にならせようと思った。(娘に対する)かわいさのあまりに、八幡へ娘とともに泣きながら参詣して、一晩中(仏の)御前で(女房が)「私の身の上はどのようであってもよろしうございましょう。この娘を安心できるようにしてお見せください」と、数珠をすりあわせてたいそう涙を流しながら(仏に)申し上げたが、この娘は、参り着くとすぐに、母の膝を枕にして起き上がりもせず寝てしまったので、夜明け方になって母が(娘に)言うことには、「どれほどか決心して、どうしようもない気持ちで徒歩で参詣にきたのに、このように、一晩中、神様もかわいそうだとお思いになるぐいに(お祈りを)申し上げるべきところを、何も考えていないかのようにお眠りになる嘆かわしさよ」とくどくど言って聞かせたところ、娘も目を覚まして、「どうにもならない気持ちがするほど苦しくて(寝てしまったのです)」と言って、
 我々の身の上のつらさを、かえってどのように言えばよいのでしょうか。(=我々の身の上はつらすぎて、かえってどう言葉にしてよいのかわからないぐらいです)石清水の仏様は、私たちの思う心を、(清水を汲むように)汲んでくださって(=推察してくださって)ご存じでしょう。
と詠んだので、母も恥ずかしくなって何も言わないで下向したときに、七条朱雀のあたりで、時流に乗って羽振りのよい殿上人が、桂から遊んでお帰りであったが、この娘を拾い上げて(自分と同じ)車に乗せて、そのまま(この娘を)北の方(=正妻)にして、変わることなく仲むつまじかった。(石清水八幡の)大菩薩はこの歌をお聞き届けになっ(て感心なさったためにこのような幸運に恵まれ)たものであろうか。

「なまめきたる」は、優美で風流なふるまいの、という意味。以下の文章には、女房が「なまめきたる」者である必要が全くないように思われますが、おそらく「優美なので、それなりに立派な男を夫に持ってはいたのだが、その男との仲は冷え切ってしまって・・・」というつながりが含意されているのでしょう。
「世の中絶え絶えしかりけるが」という箇所は、手許の注釈書では「世に落ちぶれて貧しかったが」という意味である、とされています。たしかに「絶え絶えし」は「あるべき物事や関係がとぎれがちであるさま。また、そのために物が乏しく生活に困っているさま。」(角川古語大辞典)ですので、全体的な意味はそうなのでしょうが、「世の中」には「夫婦仲」の意味がありますから、高校生なら上記の訳のように訳せればいいと思います。夫との仲が途絶えがちであるからこそ窮迫するわけですし。(「疑義がある」と書いたのは、ここの解釈です)
「いかにもしてめやすきさまにもならせむ」は上に訳したとおりですが、要は「娘の生活が安定できるように、たよりになる男をなんとしてでも見つけたい」ということでしょう。後の「このむすめを心やすきさまにて見せさせ給へ」も同趣旨です。
「八幡」は、以下の内容から、現在の京都府八幡(やわた)市にある石清水八幡(いわしみずはちまん)のことをさしていることがわかります。「八幡」は「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」に同じで、本来「八幡神」は軍神ですが、神仏習合の考えによって、仏教においても重要な存在となりました。(「菩薩」は仏教の概念)中世から和歌の神様としても信仰をあつめたので、和歌に感応して幸運を与えた、ということになっているのです。
「いかばかり思ひたちて」は疑問語が含まれていますから、連体形による結びの部分があるべきですが、流れてしまっています。
「徒歩より」の「より」は手段を表す格助詞。この用法は、主として「徒歩より」の形で用いられます。
「身のうさを」の和歌は、「石清水」が「言は(む)」と掛詞となっており、「くみて」が「清水」の縁語です。
「雲客」は、殿上人(てんじょうびと)と同じで、厳密には四位以下・五位以上の貴族を指すようですが、まあばくぜんと一流貴族、という意味合いで使われているのでしょう。
「桂」は京都の地名で(おじさんは京都在住)、平安時代から、貴族の別荘が多くあるところです。つまり、桂からの帰り、というだけで、別荘を持てるほどの経済力を持った有力貴族、ということがわかるのです。

ちょっと急いではしょったところがありますが、わからないところがあればまたどうぞ。」

珠里は自分に言い聞かすように言葉を重ねる。
家出娘 珠里 2006年09月09日土曜日 13時39分
「とても分かりやすいので大丈夫です!助かりました!毎回毎回とても丁寧に説明を付け加えて下さって、先生の訳だけでは理解出来ないところなど、おじさん様の説明を読めば一発で分かります!本当にありがとうございます!」

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