大分夜も遅くなった頃、何回かこの店を利用しているコギャルが入ってきた。コギャルはチャック全開に気づいている様子もない。額、首筋、わきの下を一通りハンカチで拭くと、唾を飛ばしながらこう言った。
| 無職 珠里
「夜分遅くにお訪ねしてしまい、すみません。前にお世話になったのですが、また訳をお願いしたいのですが。更科日記です。 世の中に、長恨歌といふ文を物語に書きてあるところあんなりと聞くに、いみじくゆかしけれど、〔 〕(この中には、「いかで、な、よも、え」のどれかが入りますが、どれだかわからなくて・・・。)言ひよらぬに、さるべきたよりを尋ねて、七月七日言ひやる。 契りけむ昔の今日のゆかしさに天の川浪うち出でつるかな 返し、 たち出づる天の川辺のゆかしさにつねはゆゆしきことも忘れぬ その十三の夜、月いみじくくまなく明かきに、みな人も寝たる夜中ばかりに、縁に出でいて、姉なる人、空をつくづくとながめて、「ただ今、ゆくへなく飛び失せなば、いかが思ふべき」と問ふに、なまおそろしと思へる気色を見て、ことごとに言ひなして笑ひなどして聞けば、かたはらなる所に、さきおふ車とまりて、「荻の葉、荻の葉」と呼ばすれど、答へざなり。呼びわづらひて、笛をいとをかしく吹きすまして、過ぎぬなり。 笛の音のただ秋風と聞こゆるになど荻の葉のそよとこたへぬ と言ひたれば、げにとて、 荻の葉のこたふるまでも吹き寄らでただに過ぎぬる笛の音ぞ憂き かやうに明くるまでながめ明かいて、夜明けてぞみな人ねぬる。 です。歌がいっぱいあって、分かりにくいのです・・。もしよろしければ、よろしくお願いします。」
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いけない。一瞬寝てしまった。
明らかに他の客の迷惑になりそうだったので、私はこう言った。
| マスター おじさん
2006年09月03日日曜日 09時00分
「やあ、さすがに2時は寝てました。 午前中にでかけなくてはなりませんので、とりあえず「たち出る」の和歌まで訳しておきます。後半(その十三の夜〜)と解説はまた午後に。
先に穴埋め問題を済ませておきましょう。 候補としてあげられている語には、すべて「陳述の副詞」(「呼応の副詞」「叙述の副詞」ともいう)であるという共通点があります。 陳述の副詞とは、後ろに一定の種類の表現をともなって呼応関係を形成するものを言います。現代語で例を挙げると、「〜だろう」「〜に違いない」「〜だと思う」のような話し手の判断をあらわす表現をともなう「きっと」や、「〜ない」「〜まい」のような打消の表現をともなう「決して」などです。 さて、選択肢のそれぞれがどのような呼応関係を要求するかを見てみましょう。
・いかで → 希望・願望・意志(「まほし」「まし」「がな」「む」「なむ」ほか) ・な → 禁止(「そ」) ・よも → 打消推量(「まじ」「じ」) ・え → 打消・不可能(「ず」「じ」「まじ」「で」)
ここで、空欄の後続の部分は「言ひよらぬに」とありますが、これを文法的に解説すると以下の通りになります。
・言ひよら= ハ行四段活用動詞「言ひよる」連用形 ・ぬ = 打消の助動詞「ず」連体形 ・に = 単純接続の接続助詞「に」
打消の助動詞が用いられているわけですから、「え」が正解、ということになりますね。
次に口語訳。
世の中に長恨歌という漢詩を物語として作ってあるところ(=物語として翻案して所持している人)があるそうだと聞くと、とても見たいと思うものの、(見せてほしいと)言い出すこともできないでいたところ、しかるべきつてをさがして、七月七日に、このように言い送った。
(玄宗と楊貴妃が夫婦の)契りを交わしたという昔のこの日(=七月七日)のことが知りたいと思う気持ち(のあまり)に、(七夕の今日、織女が牽牛に会いに出かける)天の川に川波が(自然と)出てくるように、(あなたがお持ちの物語を見せてほしいという気持ちが自然と)出てきてしまったことです
返歌は、
(牽牛と織女が)出てきて逢うという天の川の川辺については(私も)知りたい(というあなたの気持ちがわかります)ので、いつもなら(悲しい結末に終わる長恨歌が)不吉だ(からお見せするのははばかられる)ということも忘れてしまいました(=お目にかけましょう)」
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本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
| マスター おじさん
2006年09月03日日曜日 19時41分
「さて、続き。
その月(=同じ七月)の夜、月がたいそう、暗いところもなく明るいかったが、みんなも寝てしまった夜中ごろに縁に出て座っていると、姉であった人が空をしみじみとながめて、「今すぐに行方もわからないように(どこかへ)飛び去ってしまったら、(みんな)いったいどう思うことだろうか」と尋ねるので、(私がその言葉を)なんとなくおそろしいと思っている様子を見て、(姉は)ほかのことに言いまぎらわせて、笑ったりなどして聞いていると、隣であったところに、先払いする車が止まって、(車の男が側仕えの者に)「荻の葉よ、荻の葉よ」と呼ばせるものの、(隣家からは)答えないようだ。(車の男は)呼びあぐねて、笛をたいそう風情があるように美しく吹いて、(隣家の前を)通り過ぎたようである。
笛の音が、ただ秋風のようにと聞こえるのに、どうして荻の葉は「そよそよ」と音を立てるように答えてあげないのでしょうか。(=笛の音は「もう飽きてしまった」と聞こえるのに、どうして荻の葉からは「それと気づきましたよ」と答えてあげないのでしょうか)
と(私が)言ったところ、(姉は)本当に(あなたの言うとおりだわ)、と言って、
(でも)荻の葉が答えるまで吹きよせることもしないで、そのまま通り過ぎてしまった笛の音はひどいと思いますよ。
このように、夜が明けるまで物思いにふけりながら夜を明かして、夜が明けてからみんな寝た。
「長恨歌」は、中国・唐の時代の玄宗皇帝と、その愛妃である楊貴妃との愛情を悲劇的に詠んだ白居易の漢詩です。その内容を、日本の物語として作ってある作品があると聞き、物語が何より好きだという筆者が是非とも読んでみたいと思ったのです。なお、「たち出づる」の和歌に「ゆゆしき」とあるのは、玄宗皇帝と楊貴妃の愛が悲しい結末を迎えることによる表現です。長恨歌には、末尾のところに「七月七日長生殿」とあるので、その日に合わせて七月七日に拝借を願い出たわけです。 「あんなり」はラ変動詞「なり」連体形撥音便+伝聞の助動詞「なり」終止形。 「さるべきたより」というのは、わかりやすくいうと、拝借をお願いできそうなコネを使ったということです。 「契りけむ」の和歌の「うち出でつるかな」は「川波が出てきたことだ」と「物語を借りたいという気持ちがついつい口をついて出てきたことだ」という内容が掛けられていると思います(たぶん)。 「月いみじくくまなく明かきに」は、訳すと変になってしまいましたが、「くまなし」というのは「暗いところがない」という意味だというので理解しておいてください。「に」は時間を表す格助詞とも、単純接続の接続助詞とも取れますが、ここでは接続助詞に訳しておきました。 「縁に出でゐて」の「ゐて」は「座って」の意。 「姉なる人」は「姉であった人」と訳しますが、これは筆者があとあと回想して書いていることによる表現で、別段あとで縁を切ったとかそういうことを示すものではありません。 「さきおふ」というのは、高貴な人の行列の前の人を追い払うことを言い、この先払いの声が聞こえるということは、それなりの身分の人がやってきたことを意味します。 「荻の葉」というのは隣家に住んでいるらしい女の名。 「答へざなり」は「答えざんなり」の「ん」を書かない形(平仮名の「ん」は平安時代後期に発明されたので、「ん」に当たる音は書かなかったわけではなく書けなかった)で、打消の助動詞「ず」連体形「ざる」の撥音便無表記+推定の助動詞「なり」終止形。あとの「過ぎぬなり」も、完了の助動詞「ぬ」終止形+推定の助動詞「なり」終止形です。 「吹きすまして」は澄んだ音色で音楽を奏でること。 「笛の音の」の和歌は「秋風」が「飽き」と、「そよ」が擬音の「そよそよ」と応答詞「そよ」(「そうよ」の意。男に対する返答「はい」に当たると思われる) が掛けられています。ちょっと訳しにくかったので、裏の意を括弧に入れてしまいました。すいません。 「明くるまでながめ明かいて、夜明けて」というのは言葉がちょっと重複しすぎていますが、あえてそのまま訳しておきました。」
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本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
| マスター おじさん
2006年09月03日日曜日 23時30分
「上記の
>「あんなり」はラ変動詞「なり」連体形撥音便+伝聞の助動詞「なり」終止形。
は
>「あんなり」はラ変動詞「あり」連体形撥音便+伝聞の助動詞「なり」終止形。
の誤りです。」
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