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Cafe日誌No.29
2006年09月03日日曜日 22時35分
他の客も酔いが回ってきた頃に、何回かこの店を利用している生娘が入ってきた。神経に血が通っていないそういう部類の人間だ。男の子から教わったというナツメロを歌い出した。歌詞の内容はこうだ。
無職 詩音
「こんばんは!以前お世話になった詩音です!!
長くて申し訳ないのですがまた和訳をお願いします。
「さはありとも、音聞きあやしや。人は、みめをかしきことをこそ
 好むなれ。むくつけげなるかは虫を興ずなると、世の人の聞かむも
 いとあやし。」
と聞こえたまへば、
「くるしからず。よろづのことどもをたづねて、末を見ればこそ、
 ことはゆゑ あれ。いと幼きことなり。かは虫の蝶とはなるり。」
そのさまのなり出づるを、取り出でて見せたまへり。
「絹とて人々の着るも、蚕のまだ羽根つかぬにし出だし、
 蝶になりぬれば、いともそでにて、あだになりぬるをや。」
とのたまふに、言ひ返すべうもあらず、あさまし。さすがに、親たち にもさしむかひたまはず、「鬼と女とは人に見えぬぞよき。」と案じ たまへり。母屋の簾をすこし巻き上げて、几帳いでたてて、かくさかしく言ひ出だしたまふなりけり。
 この虫どもとらふる童には、をかしきもの、かれが欲しがるものを賜へば、さまざまに恐ろしげなる虫どもを取り集めて奉る。「かは虫は、毛などは をかしげなれど、おぼえねばさうざうし。」とて、いぼじり、かたつぶりなどを 取り集めて、歌ひののしらせて聞かせ給ひて、われも声をうちあげて、
「かたつぶりのお、つのの、争そふや、何ぞ。」
といふことをうち誦したまふ。童べの名は、例のやうなるはわびしとて、虫の名をなむつけたまひたりける。 けらを、ひきまろ、いなかたち、いなごまろ、あまひこなどなむつけて、召し使ひたまひける。
 かかること世に聞こえて、いとうたてあることを言ふ中に、ある上達部の御子、うちはやりてものおぢせず、愛敬づきたるあり。この姫君 のことを聞きて、
「さりとも、これにはおぢなむ。」とて、帯のはしのいとをかしげなるに、蛇のかたをいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて、いろこだちたる懸袋に入れて、結びつけたる文を見れば、
 はふはふも君があたりにしたがはむ長き心のかぎりなき身は
とあるを、何心なく御前に持て参りて、
「袋など、あくるだにあやしくおもたきかな。」とてひきあけたれば、蛇、首を もたげたり。人々、心をまどはしてののしるに、君はいと のどかにて、
「なもあみだ仏、なもあみだ仏。」とて、
「生前の親ならむ、な騒ぎそ。」
と、うちわななかし、顔外様に、
「なまめかしきうちしも、血縁に思はむぞ、あやしき心なるや。」
とうちつぶやきて、近く引き寄せたまふも、さすがに恐ろしくおぼえたまひければ、立ちどころ居どころ蝶のごとく、こゑせみ声にのたまふ声の、いみじうをかしければ、人々逃げ去りて笑ひ入れば、しかしかと 聞こゆ。
「いとあさましく、むくつけきことをも聞くわざかな。さるもののあるを見る見る、みな立ちぬらむことこそ、あやしきや。」
とて、大殿、太刀 をひきさげて、もて走りたり。よく見たまへば、 いみじう よく似せて作りたまへりければ、手に取り持ちて、
「いみじう、ものよくしける人かな。」とて、
「かしこがり、ほめたまふと聞きて、したるなめり。返事をして、
 はやくやりたまひてよ。」
とて、渡りたまひぬ。
 人々、作りたると聞きて、
「けしからぬわざしける人かな。」
と言ひにくみ、
「返り事せずは、おぼつかなかりなむ。」
とて、いとこはく、すくよかなる紙に書きたまふ。仮名はまだ書かざりければ、片仮名に、
契りあらばよき極楽にゆきあはむまつはれにくし虫の姿は」
この生娘の親の顔が見てみたい・・・・・・。

私は満面の営業スマイルを浮かべてこう答えた。
マスター おじさん 3   2006年09月04日月曜日 01時44分
「うーむ、すごい分量ですな。
「この虫どもとらふる童には」の直前には、本文が省略されていますね。女房たちが陰口をきく場面なのですが、わりと分量があって、そこまで訳すのはちょっと大変なので、わたくしも省略して訳します。(ただし、空行を入れておきます)

「そうは言っても、人聞きがよくないでしょう。人というものは、見た目が美しい物事を好むものです。『(あの家の姫君は)気味の悪い毛虫をもてはやしておられるそうですよ』などと世間の人が耳にするのも都合がよくありません」
と申上げなさると(姫君は)
「どうということはありません。いろいろなことをよく探究して、その行く末を目にするからこそ、物事は趣きがあるのです。(あなたのおっしゃるのは)とても幼稚なことです。毛虫が蝶になるのですよ」
(と言って)その状態の、なりはじめたばかりのもの(=蝶に変態しかけて間もない毛虫)を取り出してお見せになる。
(姫君は)「絹といって人々が身につけているものも、蚕がまだ羽根のつかないうちにし始めて(=まだ羽根のつくほど変態の進んでいない蚕が作り始めて)、(その蚕が)蝶になってしまうとまったくだめになって役立たずになってしまうのにねえ」
とおっしゃったので(親たちは)言い返すこともできず、あきれている。そうはいっても、(姫君は)やはり親たちには面と向かっ(てこういった理屈をおっしゃっ)たりはせず、「鬼と女とは人から見られないのがいいのよ」などと思っていらっしゃる。母屋の簾を少し巻き上げて、几帳を外に立てて、こんな風に利口ぶって外に向かっておっしゃるのであった。

(省略)

この虫どもを捕まえてくる童には、すばらしいものや童のほしがっているものをくださるので、いろいろと恐ろしげな虫どもを取り集めてきては(姫君に)差し上げる。(姫君は)「毛虫は、毛なんかは風情があるけれど、(毛虫をあつかった詩歌などが)思い浮かばないのが物足りないわ」といって、かまきりやかたつむりなんかを取り集めて(童たちに)歌い騒がせて(その歌を)お聞きになり、自分も声を出して「かたつぶりのお、つのの、争そふや、何ぞ」という文句を朗詠なさる。童の名前は、ありきたりのはつまらないと思って、虫の名をおつけになった。「けらを」「ひきまろ」「いなかたち」「いなごまろ」「あまひこ」などとつけてお使いになった。
こういったことが世間に知れ渡って、たいそうひどいことを言っている中に、ある上達部のご子息に、快活でものをおそれず、魅力的な方がいた。この姫君のことを聞いて「そうはいっても、これは怖がるだろう」といって、帯の端のたいそうすばらしいものに、蛇の形をとても上手に似せて、動くことのできる様子などもしつらえて(=動かせるような仕組みにして)鱗のような模様の懸袋に入れて(姫君に贈った。姫君の女房は)、結びつけてある手紙を見てみると
 (この蛇がはいずり回るのと同じく)はいずり回りながらも、あなたの周りに付き従っていたいものです。(蛇のように気の)長い心が、この上もなく備わっているこの私としては。
と書いてあるのを、何気なく(姫君の)御前に持っていって、「(この)袋などは、開け(ようとす)るだけでも変に重たいことですわ」と言って(贈られた袋を)引き開けたところ、蛇が首を持ち上げている。人々は驚愕して大騒ぎをするが、姫君はとても落ち着いていて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言って「(この蛇は)前世の親(の生まれ変わり)でしょう。騒がないで」と(言って)、わなわなと震えて、顔をそむけて「(この蛇は)優美ななかにも(私のことを)縁者と思っているようなのは、不思議な心ですこと」とつぶやいて、(その蛇を)近くに引き寄せなさるが、やはりついつい恐ろしくお思いになるので、立ったり座ったりすることは蝶のようで、声が蝉の声のようにお話になるその声がとても面白いものだから、人々は(姫の御前から)逃げ去って笑い転げていると、(ある女房が姫君の親に)こうこうのことがありましたと申し上げた。
「とてもあきれて、気味の悪いことを聞いたことだ。そんなものがあるのを(女房どもがみんな)見ながら、みんな(姫君のところから)出て行ってしまったのはけしからんことだ」といって、大殿は太刀を引っさげて、走っていった。(その蛇を)よくごらんになると、たいそう上手に似せて作っておられたので、手にとって「とても上手に作った人ですなあ」と言って「(姫君が)利口ぶって、(虫などを)おほめになる、と聞いて作ったようだな。返事をして、さっさと送ってしまいなさい。」と言って、行ってしまわれた。
人々は、(蛇が)作ったものだと聞いて「とんでもないことをした人ですこと」とののしって、(姫君は)「返事をしないと、きっと不審でしょう」といって、とても堅くてごわごわした紙に(返歌を)お書きになる。仮名はまだ書けなかったので、片仮名で、
 縁があれば、すばらしい極楽でお会いいたしましょう。いっしょに居づらいことです。あなたが虫(=蛇)の姿のままでは。
(と書いて送った)


いろいろ問題点は多いのですが、注は明日ということでご了承を。」

私は相手に誤解を与えないように噛み砕いて説明してやった。
マスター おじさん 3   2006年09月04日月曜日 17時13分
「訳でおわかりいただけそうな箇所はそちらをみていただくとして、それでもまだコメントすべき箇所が多すぎてちょっと時間がかかります。夜までお待ちを。」

詩音は急に声のトーンを変えた。
無職 詩音 2006年09月04日月曜日 19時50分
「長くてすみません(><)
それにも関わらず丁寧に訳して下さってありがとうございます!!
はい!!いくらでも待ちます!!
申し訳ありませんがよろしくお願いします。」

私は「あちらのお客様からです」と嘘を付いてカクテルを出した。
マスター おじさん 4   2006年09月04日月曜日 23時00分
「さて遅くなりました。

「世の人の聞かむも」の「む」は仮定でしょう。上の訳ではあえて婉曲に訳しました(仮定はすべて婉曲にも訳せる)が、「世間の人が聞いたら」と訳すのが本当は適当だと思います。
「むくつけげなるかは虫を興ずなる」は、世間の人々の噂の内容で、当然「なる」は伝聞の助動詞です。
「よろづのことどもをたづねて、末を見ればこそ、ことはゆゑ あれ」は、実は解釈が定まらない箇所のようです。物事を究明して、なりゆき・結末だけを見る、というのが筋が通らないというか、不審なわけですね。「末」という語が使われるのは普通「もと(本)」と一緒なので、「よろづのこと『もと』をたづねて」の書写の誤りではないかという説もあります。とりあえずは書いてあるままに訳しておきました。
「そのさまのなり出づるを、取り出でて見せたまへり」の「そのさま」は直前の「かは虫の蝶とはなるなり」を指しており、毛虫→さなぎ→蝶、と変態してゆくのを、自分の飼っている実物で示して見せた、ということです。
「蚕のまだ羽根つかぬにし出だし」の「の」は同格とも受け取れますが、後ろの「に」が、意味の上から時を表す格助詞と思われますので、主格に解しておきました。したがって「つかぬに」は「つかいない頃に」と解釈します。
「いともそでにて」は全く意味不明の箇所のようで諸説さまざまあるようです。なんとなく意味はわかりますが、「いと/も/そで」と切るのか「いと/もそで」と切るのかが不明ですし、そう切ったからといってどう訳していいのかわかりません。(堤中納言物語には、このような書写上の問題点と考えられる意味不明箇所が非常に多いので、高校生に読ませるのは正直なところ良識を疑います)ここは文脈上推定される意味を書いておきました。
「言ひ返すべうもあらず」の「べう」は可能の助動詞「べく」の連用形ウ音便。
「かは虫は、毛などはをかしげなれど、おぼえねばさうざうし」はわかりにくい表現ですが、「おぼゆ」というのは自然と何事かが頭に浮かんでくる、ということですから、毛虫といって何事かが自然に頭に浮かんでくるほどおなじみのことがないのは残念ね、という意味なのでしょう。その「おなじみのこと」というのはおそらく和歌や漢籍の故事といったことだと思われます。
「かたつぶりのお、つのの、争そふや、何ぞ」とは、注釈書によると「和漢朗詠集」に載っている「蝸牛の角の上に何事をか争ふ 石火の光の中に此の身を寄せたり」という詩句の前半部分を歌っているのであろう、ということです。「お」は伸ばしている音ですね。
「かたつぶりのー」ということ。
童につけた名前は、それぞれ「けらを」は「けら」がオケラ(「を」は「男)、「ひきまろ」は「ひき」がガマガエルもしくはヒキガエル(「まろ」は「麻呂」)、「いなかたち」はトンボ(かと思われる)、「いなごまろ」は「いなご」がイナゴ、「あまひこ」はヤスデ(ムカデよりは小さい多足動物)のことらしいです。
「いとうたてあることを言ふ中に」の主語は「世」。世間でひどい噂をしている中に、ということです。
「上達部」は「かんだちめ」と読み、「公卿(くぎやう)」と同じ意味です。官職だと参議以上、位だと三位以上の、超一流貴族のこと。「上達部」は和風の、「公卿」は唐風の呼び方です。
「帯のはしのいとをかしげなるに」の後の方の「の」は同格。
「いろこだちたる懸袋に入れて」の「いろこ」はうろこ。「懸袋」は首にかけられるようにしてある袋のことで、その模様が鱗みたいになっていて、蛇の模様みたいに見えるわけですね。「入れて」の主語は「ある上達部の御子」ですが、直後の「結びつけたる文を見れば」はどう考えても主語が変わっていますので、途中に、御子がその袋を贈って、それを女房が受け取る、(それからその女房が袋につけてある和歌を見てみる)という内容が省略されてあると考えざるを得ません。
「はふはふも君があたりにしたがはむ長き心のかぎりなき身は」の和歌ですが、「はふはふ」というのはもともと「(這うように)やっとのことで進む」という意味ですが、もちろん裏には「蛇が這う」という意味が掛けられていますし、「長き」も「心(気)が長い」の裏に「にょろにょろと蛇が長い」の意味が掛けられています。
「生前の親ならむ」は、仏教に基づく台詞です。仏教では、生きとし生けるものは、六道と呼ばれる、天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界を、死んでは生まれ変わりつづけ(これを輪廻という)、ここから逃れるには悟りをひらいて仏となって解脱(抜け出すという意味)するしかない、と考えます。つまり、今の人生の前には別の世界で生きており、その結果、親は蛇(畜生)に、姫君は人間に生まれ変わったのが、何かの縁でまた巡り会ったらしい、ということなのでしょう。
「うちわななかし」は体や声を震わせることをいい、姫君は平静を装っていても、さすがに蛇は恐ろしい、ということのようです。ただし、ここはちょっと違った本文が伝わっていて、「血縁に思はむぞ、あやしき心なるや」まで、解釈には異説もあるようです。
「なまめかしきうちしも」は難解な表現で、私も正直なところどう訳していいのかよくわからなかったので、ある程度推測で訳しました。
「立ちどころ居どころ蝶のごとく、こゑせみ声にのたまふ声の」は、「虫めづる姫君」だからこそ、振る舞いも声も虫みたいになってしまわれた、というちょっとした滑稽表現です。
「しかしかと聞こゆ」は唐突なのでわかりづらいですが、後ろの文脈から考えて、姫君の御前から逃げ出してきた女房が、姫君の父上に「かくかくしかじかのことがありましたの」と申し上げた、ということのようです。
「さるもののあるを見る見る、みな立ちぬらむことこそ、あやしきや」とは、蛇のように人に害をなす恐ろしい生き物がいるのを見ながら、お守りする役目も果たさずに姫君だけを放っておいて逃げ出すのはけしからん、ということ。
「いみじう、ものよくしける人かな」は、蛇の仕掛けが精巧にできているので父君が感心しているわけですが、「かしこがり、ほめたまふと聞きて、したるなめり」、つまり、姫君が虫を得意顔にもてはやしているらしい、という噂を聞いていたずらしてやろうとこんなことをしでかしたらしい、だから言わないことじゃない、とあきれ、「返事をして、はやくやりたまひてよ」、つまり、さっさと男の和歌に返歌をして、一件落着にしてしまえ、と捨て台詞を吐いてさっさと行ってしまったのです。
「返り事せずは、おぼつかなかりなむ」は、向こうも和歌を贈ってきたぐらいだから、何らかの返事は待っていることでしょう、たとえこちらが大騒ぎしていても、返事をしないままでは向こうも拍子抜けしたままでしょう、ということでしょうね。
「いとこはく、すくよかなる紙に書きたまふ」は、普通男女間の和歌の贈答は、薄様(うすよう)のやわらかい優美な紙に書くのですが、姫君は気が回らなかったのか、それとも虫と同様、世間の人と好みが違ったのか、ごわごわの紙に書いた、というのです。
「仮名はまだ書かざりければ、片仮名に」は、当時、片仮名がまず最初に学ばれ、そこから段階的に平仮名へと移行していったことを示しています。鎌倉時代初期の「愚管抄」という歴史哲学書は、「一般人にも読めるように片仮名で書く」と宣言しているぐらいで、当時は片仮名の方が広く読み書きできる文字でした。
「契りあらばよき極楽にゆきあはむまつはれにくし虫の姿は」の和歌の「契り」は仏教的な縁のこと。「よき極楽」とは、極楽は生前の所業によって九品に分かれているのですが、そのうちの上級の極楽のことを指します。「まつはれにくし」の「まつはる」は、「寄り添っていく」という意味と「(蛇が)からみつく」の意が掛けられていると見るべきでしょう。

長くなったので文法的な解説がほとんどできませんでしたが、疑念の点がおありの節はまたご質問をどうぞ。」

詩音は思い出したかのようにこう呟いた。
無職 詩音 2006年09月05日火曜日 21時15分
「細かく丁寧な解説をありがとうございます!!
まだ目を通した程度なので、じっくり読みこんでいく過程で
疑問がでたらまた質問させて頂きたいと思います!!
本当にありがとうございました!!^^」

Cafe日誌No.27
2006年09月03日日曜日 21時25分
他の客も酔いが回ってきた頃に、割とよく来る珠里が入ってきた。バクチで散々負けたらしくかなり荒れているご様子だ。何を思ったか自分は戦前の生まれなんだと激しく主張しはじめた。
家出娘 珠里
「ありがとうございます!とても助かりました!本当に申し訳ないのですが、もう一つ訳して下さいませんか?宇治拾遺物語です。訳は明日になってもかまいません。ゆっくりしてもらって大丈夫です。
 この晴明、ある時、広沢の僧正の御房に参りて、物申し承りける間、若き僧どもの晴明にいふやう、「式神を使ひ給ふなるは、たちまちに人をば殺し給ふや」と言ひければ、「やすくはえ殺さじ。力を入れて殺してむ」といふ。「さて虫なんどをば、少しの事せむに、必ず殺しつべし。さて生くるやうを知らねば、罪を得つべければ、さやうの事、よしなし」といふほどに、庭に蛙の出で来て、五つ六つばかり躍りて、池の方ざまへ行きけるを、「あれ一つ、さらば殺し給へ試みむ」と僧のいひければ、「罪を作り給ふ御坊かな。されども試み給へば、殺して見せ奉らむ」とて、草の葉を摘み切りて、物をよむやうにして、蛙の方へ投げやりければ、その草の葉の、蛙の上にかかりければ、蛙真平にひしげて死にたりけり。これを見て、僧どもの色変はりて、恐ろしと思ひけり。
 家の中に人なき折は、この式神を使ひけるにや、人もなきに、蔀を上げ下ろし、門をさしなどしけり。
 です。長いですが、よろしくお願いします。」
聞いてはいけない話だったような気がする。

私はこの客にこれ以上酒を飲ますのは危険と判断した。
マスター おじさん 6   2006年09月04日月曜日 00時15分
「この晴明が、ある時、広沢の僧正の御房にうかがって、何かと申し上げたりお聞きしたりしている間に、若い僧侶たちが晴明に言うことには「式神をお使いになるということですが、即座に人をお殺しになれるのですか」と言ったので(晴明は)「簡単には殺せないだろう。きっと力を入れて殺すことになるだろう」と言った。(また晴明は)「そうはいっても、虫などを(殺すのなら)、少しのことをすれば、必ず殺せるだろう。しかしながら生き返らせる手段を知らないので、きっと罪を得るはずだから、そのようなことは無意味なことだ(=やらない方がよい)」と言っているときに、庭に蛙が出てきて、五、六回飛び跳ねて池の方へ言ったのを、「あれを一つ、そういうことでしたら(=殺すのが簡単だというのでしたら)殺してください。試してみましょう」と僧が言ったので、「罪になるようなことをなさるお坊さんですなあ。そうはいってもお試しになるのですから、殺してお目にかけましょう」といって、草の葉を摘み取って、何事かを読み上げるようにして(唱えて)、蛙の方へ(その草の葉を)投げ送ったところ、その草の葉が、蛙の上にかかると、蛙はぺしゃんこにつぶれて死んでしまった。これを見て、僧侶たちの顔色はすっかり変わってしまい、恐ろしいと思った。
(晴明は)家の中に人が誰もいないときには、この式神を使っていたのであろうか、人もいないのに蔀をあげたりおろしたり、門を閉めたりした。

「御房」は僧侶が住んだり生活したりする場所(=房もしくは坊)を尊敬語で言ったもの。ちなみに「広沢の僧正」は寛朝という坊さんで、宇治拾遺物語のほかの話では、襲いかかってきた強盗を蹴飛ばすと強盗が飛んでいって姿が見えなくなるほどの力持ちだった、という話の伝えられる、結構な有名人です。法力もあり寺院の経営手腕にも長けた、超一流の名僧でした。
「式神を使ひ給ふなるは」の「なる」は伝聞の助動詞。
「力を入れて殺してむ」の「て」は強意。直訳は「きっと力を入れて殺すでしょう」となります。まだ人を式神に殺させたことはないわけです。
「さて虫なんどをば」の「さて」には普通は「そうして」と訳しますが、逆接の用法もあります。ここでは人と虫の殺しやすさを対比的に述べているので、逆接に訳しておきました。後ろの「さて生くるやうを知らねば」の「さて」も同様。
「少しの事せむに、必ず殺しつべし」はちょっと訳しにくいですが、前述のように、人の殺しやすさとの対比から、上記のように訳しておきました。「む」は仮定ととらえておくべきでしょう。
「罪を得つべければ」というのは、刑罰を与えられるということではなく、仏教で言うところの殺生(せっしょう)の罪を犯す、つまり宗教的な「罪」(罪業)を背負うことになる、という意味です。
「蔀」は「しとみ」と読む建具の一種です。格子の裏に板が張ってあり、窓に相当するところにつけて、上げ下ろしによって開閉する、遮光具です。」

珠里は自分の発言に満足していないらしい。
家出娘 珠里 2006年09月04日月曜日 21時25分
「ありがとうございます!毎回とても分かりやすい説明までして下さって、とても助かります!!一日に2つも頼んでしまって申し訳ありませんでした・・。またお世話になると思いますが、その時はまたよろしくお願いします。」

Cafe日誌No.30
2006年09月04日月曜日 09時33分
まだ日も高いうちに、見馴れない一人のレディが店に入ってきた。近所のガキどもを集めては金を巻き上げている。そういう話だ。歩は誰から聞いたかわからない噂話をはじめた。
無職 歩
「更級日記の門出を習いました。

東路の道のはてよりも、なほ奧つかたに生ひいでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつゝ、徒然なるひるま、よひゐなどに、姉、繼母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとゞゆかしさまされど、我が思ふまゝに、そらに、いかでか覺え語らむ。いみじく心もとなきまゝに、等身に藥師佛を作りて、手あらひなどしてひとまにみそかに入りつゝ、「京(みやこ)にとくのぼせ給ひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せ給へ」と身を捨てて額(ぬか)をつき、祈り申すほどに、十三になる年、のぼらむとて、九月(ながづき)三日門出して、いまたちといふ所にうつる。
 年ごろ遊びなれつる所を、あらはに毀ちちらして立ちさわぎて、日の入際のいとすごく霧わたりたるに、車に乘るとてうち見やりたれば、ひとまには參りつゝ額をつきし、藥師佛の立ち給へるを、見捨て奉るかなしくて、人知れずうち泣かれぬ。

の部分なんですが、実力テストの範囲になってます。
訳は授業でやったので分かるのですが、
テストだと文法の所も聞いてきたりすると思うので、
この辺は○○が使ってあるから注意したほうがいいとか教えてくださると嬉しいです!
係り結びとかいまいち意味が分からないです;;」
そう言った途端、大粒の涙が歩の目から溢れた。

私は相手を怒らせないように冷静に対処した。
マスター おじさん 5   2006年09月04日月曜日 17時11分
「学年がわからないと、どこまで指摘していいのかはっきりしませんので、正直お教えしにくいなあ。
高一だと、単純に「のぼせ」の活用形をいえ、とかそういった問題がでるのでしょうが、高三なら「あんなる」を文法的に説明せよ、とかそんな問題になるでしょうからねえ。
係り結びとかがいまいち意味がわからない、とのことですが、ほかはどうなんでしょうか。たとえば助動詞の接続なんてのは覚えておられるのかな。副詞の呼応についてはどうかな。
また、係り結び自体どういうことなのかわからないのでしょうか、それとも現象は指摘できるけれど、強意もしくは疑問・反語、といった意味がわからない、ということなのでしょうか。
ちょっと情報が少ないっすね。
係り結びがいまいちというレベルの人なら、いずれにしてもきちんと古文単語も覚える努力をした方がいいと思いますが、「心もとなし」やら「すごし」「年ごろ」なんかの意味はきちんと言えるんでしょうか。心配になってきます。

どのような形式で出題されるかは当然わかりませんので、問題になりそうな箇所について、文法的に解説いたします。なお、高二〜三レベルを想定しています。歩さんが高一なら、あらためておっしゃってください。

・「いかばかりかはあやしかりけむを」
「いかばかり」は副詞。「か」は疑問をあらわす係助詞。「は」は、取り立ての係助詞。(「は」が試験で問われることはない)ただし、「かは」で一語の係助詞と見なす人もいる。
「か」に対する結びは、本来文末にある連体形の語である(つまり係り結びが起こるとその後ろで文が終わるのが普通であるということ)ので、「いかばかりかはあやしかりけむ。」となっていなくてはならないが、ここではその後も文が続くことによって、結びに相当する活用形の変化がなくなってしまっている。この現象のことを「結びの消滅(消去)」または「結びが流れる」という。
「けむ」は過去推量を表す助動詞。後ろに接続助詞「を」があるので連体形。

・「思ひ始めけることにか」
「に」は「〜である」と訳すことができるので、断定の助動詞「なり」の連用形。
「か」は疑問の係助詞。先生によっては、後ろに「あらむ」などが省略されている、ということを指摘させるかも知れない。(おじさんは何も省略されていない、終助詞用法と見る)この場合は、上述の結びの消滅とは違って、結びとなるべき語がそもそも書いてないので「結びの省略」という。

・「物語といふもののあんなるを」
「あんなる」は、ラ行変格活用動詞「あり」連体形撥音便(活用する行の音のかわりにあらわれる「ん」のことを撥音便と呼ぶ)+伝聞の助動詞「なり」連体形。撥音便の後の「なり」は必ず伝聞・推定の助動詞である。

・「いかで見ばや」
「いかで」は希望をあらわす表現(ここでは「ばや」)と結びついて用いられる呼応の副詞。

・「いかでか覚え語らむ」
「いかで」の後の「か」は反語の係助詞。結びは「語らむ」であるから、「む」は推量の助動詞「む」の連体形ということになる。

・「京にとくのぼせ給ひて」
「のぼせ給ひて」は、サ行下二段活用の動詞「のぼす」連用形+尊敬の補助動詞「給ふ」(ハ行四段活用)連用形+接続助詞「て」(単純接続だが、意味を問われることはない)。
「せ給ふ」という形で二重尊敬をあらわすことがあり、その場合「せ」だけが一単語で尊敬の助動詞であるが、ここではそれとは違って動詞の活用語尾に過ぎない。

・「物語の多くさぶらふなる」
「なる」は、直前の「さぶらふ」が四段活用であるため、終止形か連体形か区別できないので、伝聞の助動詞(終止形接続)か断定の助動詞(連体形接続)か形からは判断できないが、意味上、伝聞の助動詞「なり」の連体形と考えるべき。

・「日の入際のいとすごく霧わたりたるに」
「たる」は存続の助動詞「たり」の連体形。完了ではない。

・「車に乗るとてうち見やりたれば」
「たれ」は完了の助動詞「たり」の已然形。存続ではない。

・「ひとまには参りつゝ額をつきし」
「し」は過去(もしくは回想)の助動詞「き」の連体形。

・「薬師仏の立ち給へるを」
「る」は存続の助動詞「り」の連体形。前の「給へ」の活用形は何か、という問題には、「已然形」「命令形」のいずれでも本当は正解なのだが、学校で習った方を答えておけばよろしい。普通は「已然形」と習っていることであろう。(この種の問題を出す先生は実は文法に詳しくないのに威張っている先生である。受験では「り」の接続はきちんとした大学で出題されることは絶対にない)

・「人知れずうち泣かれぬ」
「れ」は自発の助動詞「る」の連用形。「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形。


今思いついたのはこんなところです。
ほかにも思いついたことがあれば適宜追加いたします。」

Cafe日誌No.25
2006年09月03日日曜日 02時16分
大分夜も遅くなった頃、何回かこの店を利用しているコギャルが入ってきた。コギャルはチャック全開に気づいている様子もない。額、首筋、わきの下を一通りハンカチで拭くと、唾を飛ばしながらこう言った。
無職 珠里
「夜分遅くにお訪ねしてしまい、すみません。前にお世話になったのですが、また訳をお願いしたいのですが。更科日記です。
 世の中に、長恨歌といふ文を物語に書きてあるところあんなりと聞くに、いみじくゆかしけれど、〔 〕(この中には、「いかで、な、よも、え」のどれかが入りますが、どれだかわからなくて・・・。)言ひよらぬに、さるべきたよりを尋ねて、七月七日言ひやる。
 契りけむ昔の今日のゆかしさに天の川浪うち出でつるかな
返し、
 たち出づる天の川辺のゆかしさにつねはゆゆしきことも忘れぬ
その十三の夜、月いみじくくまなく明かきに、みな人も寝たる夜中ばかりに、縁に出でいて、姉なる人、空をつくづくとながめて、「ただ今、ゆくへなく飛び失せなば、いかが思ふべき」と問ふに、なまおそろしと思へる気色を見て、ことごとに言ひなして笑ひなどして聞けば、かたはらなる所に、さきおふ車とまりて、「荻の葉、荻の葉」と呼ばすれど、答へざなり。呼びわづらひて、笛をいとをかしく吹きすまして、過ぎぬなり。
 笛の音のただ秋風と聞こゆるになど荻の葉のそよとこたへぬ
と言ひたれば、げにとて、
 荻の葉のこたふるまでも吹き寄らでただに過ぎぬる笛の音ぞ憂き
かやうに明くるまでながめ明かいて、夜明けてぞみな人ねぬる。
です。歌がいっぱいあって、分かりにくいのです・・。もしよろしければ、よろしくお願いします。」
いけない。一瞬寝てしまった。

明らかに他の客の迷惑になりそうだったので、私はこう言った。
マスター おじさん 3   2006年09月03日日曜日 09時00分
「やあ、さすがに2時は寝てました。
午前中にでかけなくてはなりませんので、とりあえず「たち出る」の和歌まで訳しておきます。後半(その十三の夜〜)と解説はまた午後に。

先に穴埋め問題を済ませておきましょう。
候補としてあげられている語には、すべて「陳述の副詞」(「呼応の副詞」「叙述の副詞」ともいう)であるという共通点があります。
陳述の副詞とは、後ろに一定の種類の表現をともなって呼応関係を形成するものを言います。現代語で例を挙げると、「〜だろう」「〜に違いない」「〜だと思う」のような話し手の判断をあらわす表現をともなう「きっと」や、「〜ない」「〜まい」のような打消の表現をともなう「決して」などです。
さて、選択肢のそれぞれがどのような呼応関係を要求するかを見てみましょう。

・いかで → 希望・願望・意志(「まほし」「まし」「がな」「む」「なむ」ほか)
・な   → 禁止(「そ」)
・よも  → 打消推量(「まじ」「じ」)
・え   → 打消・不可能(「ず」「じ」「まじ」「で」)

ここで、空欄の後続の部分は「言ひよらぬに」とありますが、これを文法的に解説すると以下の通りになります。

・言ひよら= ハ行四段活用動詞「言ひよる」連用形
・ぬ   = 打消の助動詞「ず」連体形
・に   = 単純接続の接続助詞「に」

打消の助動詞が用いられているわけですから、「え」が正解、ということになりますね。

次に口語訳。


世の中に長恨歌という漢詩を物語として作ってあるところ(=物語として翻案して所持している人)があるそうだと聞くと、とても見たいと思うものの、(見せてほしいと)言い出すこともできないでいたところ、しかるべきつてをさがして、七月七日に、このように言い送った。

 (玄宗と楊貴妃が夫婦の)契りを交わしたという昔のこの日(=七月七日)のことが知りたいと思う気持ち(のあまり)に、(七夕の今日、織女が牽牛に会いに出かける)天の川に川波が(自然と)出てくるように、(あなたがお持ちの物語を見せてほしいという気持ちが自然と)出てきてしまったことです

返歌は、

 (牽牛と織女が)出てきて逢うという天の川の川辺については(私も)知りたい(というあなたの気持ちがわかります)ので、いつもなら(悲しい結末に終わる長恨歌が)不吉だ(からお見せするのははばかられる)ということも忘れてしまいました(=お目にかけましょう)」

本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
マスター おじさん 1   2006年09月03日日曜日 19時41分
「さて、続き。

その月(=同じ七月)の夜、月がたいそう、暗いところもなく明るいかったが、みんなも寝てしまった夜中ごろに縁に出て座っていると、姉であった人が空をしみじみとながめて、「今すぐに行方もわからないように(どこかへ)飛び去ってしまったら、(みんな)いったいどう思うことだろうか」と尋ねるので、(私がその言葉を)なんとなくおそろしいと思っている様子を見て、(姉は)ほかのことに言いまぎらわせて、笑ったりなどして聞いていると、隣であったところに、先払いする車が止まって、(車の男が側仕えの者に)「荻の葉よ、荻の葉よ」と呼ばせるものの、(隣家からは)答えないようだ。(車の男は)呼びあぐねて、笛をたいそう風情があるように美しく吹いて、(隣家の前を)通り過ぎたようである。

笛の音が、ただ秋風のようにと聞こえるのに、どうして荻の葉は「そよそよ」と音を立てるように答えてあげないのでしょうか。(=笛の音は「もう飽きてしまった」と聞こえるのに、どうして荻の葉からは「それと気づきましたよ」と答えてあげないのでしょうか)

と(私が)言ったところ、(姉は)本当に(あなたの言うとおりだわ)、と言って、

(でも)荻の葉が答えるまで吹きよせることもしないで、そのまま通り過ぎてしまった笛の音はひどいと思いますよ。

このように、夜が明けるまで物思いにふけりながら夜を明かして、夜が明けてからみんな寝た。


「長恨歌」は、中国・唐の時代の玄宗皇帝と、その愛妃である楊貴妃との愛情を悲劇的に詠んだ白居易の漢詩です。その内容を、日本の物語として作ってある作品があると聞き、物語が何より好きだという筆者が是非とも読んでみたいと思ったのです。なお、「たち出づる」の和歌に「ゆゆしき」とあるのは、玄宗皇帝と楊貴妃の愛が悲しい結末を迎えることによる表現です。長恨歌には、末尾のところに「七月七日長生殿」とあるので、その日に合わせて七月七日に拝借を願い出たわけです。
「あんなり」はラ変動詞「なり」連体形撥音便+伝聞の助動詞「なり」終止形。
「さるべきたより」というのは、わかりやすくいうと、拝借をお願いできそうなコネを使ったということです。
「契りけむ」の和歌の「うち出でつるかな」は「川波が出てきたことだ」と「物語を借りたいという気持ちがついつい口をついて出てきたことだ」という内容が掛けられていると思います(たぶん)。
「月いみじくくまなく明かきに」は、訳すと変になってしまいましたが、「くまなし」というのは「暗いところがない」という意味だというので理解しておいてください。「に」は時間を表す格助詞とも、単純接続の接続助詞とも取れますが、ここでは接続助詞に訳しておきました。
「縁に出でゐて」の「ゐて」は「座って」の意。
「姉なる人」は「姉であった人」と訳しますが、これは筆者があとあと回想して書いていることによる表現で、別段あとで縁を切ったとかそういうことを示すものではありません。
「さきおふ」というのは、高貴な人の行列の前の人を追い払うことを言い、この先払いの声が聞こえるということは、それなりの身分の人がやってきたことを意味します。
「荻の葉」というのは隣家に住んでいるらしい女の名。
「答へざなり」は「答えざんなり」の「ん」を書かない形(平仮名の「ん」は平安時代後期に発明されたので、「ん」に当たる音は書かなかったわけではなく書けなかった)で、打消の助動詞「ず」連体形「ざる」の撥音便無表記+推定の助動詞「なり」終止形。あとの「過ぎぬなり」も、完了の助動詞「ぬ」終止形+推定の助動詞「なり」終止形です。
「吹きすまして」は澄んだ音色で音楽を奏でること。
「笛の音の」の和歌は「秋風」が「飽き」と、「そよ」が擬音の「そよそよ」と応答詞「そよ」(「そうよ」の意。男に対する返答「はい」に当たると思われる)
が掛けられています。ちょっと訳しにくかったので、裏の意を括弧に入れてしまいました。すいません。
「明くるまでながめ明かいて、夜明けて」というのは言葉がちょっと重複しすぎていますが、あえてそのまま訳しておきました。」

本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
マスター おじさん 5   2006年09月03日日曜日 23時30分
「上記の

>「あんなり」はラ変動詞「なり」連体形撥音便+伝聞の助動詞「なり」終止形。



>「あんなり」はラ変動詞「あり」連体形撥音便+伝聞の助動詞「なり」終止形。

の誤りです。」

Cafe日誌No.24
2006年08月31日木曜日 08時34分
朝方、割とよく来る苺が入ってきた。この前新聞に載っていた女性だ。私しか話し相手がいないのか真っ先にこちらへやって来た。
家出娘 苺
「すいませんッまたお願いしますッ
授業の内容で「方丈記」のゆく河の流れ の予習をしなくてはならないのですが、訳した文がうまくつながらなくて((汗
お時間がありましたら、訳のほうよろしくお願いします。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく
とどまりたるためしなし。世の中にある人とすみしかと、
またかくのごとし。   です。

よろしくお願いしますッ」
事実だとしたらかなりやばい話だ。

あたり障りがないように私はこう答えた。
マスター おじさん 4   2006年08月31日木曜日 09時09分
「(流れて)ゆく河の流れは絶えることがなくて、しかも、(河の同じ地点であってもそこにある水は)もとの水ではない。(また、河の)よどみ(=水の流れがゆっくりしているところ)に浮かぶ水の泡は、一方で消え、一方ではまた出来上がって、(一つの泡が)長く残っていたためしがない。世の中に存在する人と(人の住む)すみかも、これと同じような(=つねに入れ替わる無常な)ものだ。

最初の「ゆく河の流れ」は、意味がわかるように言葉を補うと同語反復のようになってしまって変ですが、どういうことなのかわかれば「ゆく河の流れ」のままで十分わかると思います。
方丈記は、「無常観」といわれる仏教的な考え方が全編を支配しています。「無常観」とは、ごく大雑把に言えば「この世の中で永遠に存続するものは仏の教え以外になく、人間もその例に漏れない、はかない存在に過ぎない」という考え方で、「したがって仏道修行に励むべきである」となるのですが、これを理解しておけば方丈記だけでなく、仏教的な考えに基づく古典が格段に理解しやすくなるでしょう。
方丈記は実に短い随筆で、若い人の目には悲観的で暗いばかりに映るかもしれませんが、レベルから言っても、古文の力をつけるために何か一つ作品を通読したい、という方におすすめの作品でもあります。しっかり勉強しておかれるとよろしいでしょう。」

Cafe日誌No.23
2006年08月23日水曜日 23時07分
他の客も酔いが回ってきた頃に、割とよく来る苺が入ってきた。自分の事を素晴らしくモテるタイプだと勘違いしている。苺はつっけんどんな態度でこう言った
家出娘 苺
「遅くにすいませんッ!!!また1文を分解して品詞などを
教えていただきたいのですが…

記すことをえせず→→ 記す こと を え せ ず

です!!!これも「浅芽が宿」の中の最後の部分の1文です。

よろしくお願いします!!!」
これ以上は暴力的発言が多かったので省かせてもらった。

私は相手に誤解を与えないように噛み砕いて説明してやった。
マスター おじさん   2006年08月23日水曜日 23時37分
「実家で百姓してきました。遅くなってごめんなされ。

記す=サ行四段活用動詞「記す」連体形
こと=形式名詞
を=格助詞
え=(呼応の)副詞
せ=サ行変格活用動詞「す」未然形
ず=打消の助動詞「ず」終止形

「記す」は平安時代ならサ行変格活用ですが、サ変なら連体形は「記する」となっていなくてはなりませんから、ここは四段活用と見ておくべきでしょう。
「を」は目的・動作の対象を表す格助詞。
「え」は「呼応の副詞」もしくは「陳述の副詞」もしくは「叙述の副詞」と呼ばれるもので、この種の副詞は、文末の一定の表現とともに特定の意味を表します。「え」も、文末の打消の表現とともに不可能もしくは強い打消を表します。」

そして苺の言葉は次のように続く。
家出娘 苺 2006年08月24日木曜日 23時37分
「本当にありがとうございました♪♪
すごく助かりましたww

あの、今日で最後なので、またお願いできますか!?

かくばかり恋ひてしあらん →かく ばかり 恋ひ て し あら ん

★”「恋ひ」はなんとなく分かるんですが、相変わらず助詞や
   助動詞などが…汗” よろしくお願いしますッ」

本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
マスター おじさん 6   2006年08月24日木曜日 23時54分
「かく=副詞
ばかり=副助詞(限定)
恋ひ=ハ行上二段活用動詞「恋ふ」連用形
て=接続助詞(単純接続)
し=副助詞(強意)
あら=ラ行変格活用動詞「あり」未然形
ん=意志の助動詞「む」終止形

最後の「ん」の意味は、主語が一人称なら意志、二人称なら適当または勧誘、三人称なら推量です。
該当箇所を見てないので文脈がわかりませんから、意志にしておきましたが、そこらへんはチョイチョイとご自分で判断して推量やなんやらに適宜変更してください。」

私は前にもした話をもう一度繰り返した。
マスター おじさん   2006年08月24日木曜日 23時57分
「今確認してみると、「む」は意志でなくて推量のようですな。
それから、「ばかり」は限定(〜だけ)でも解釈できそうですが、程度(〜ほど、〜くらい)の副助詞と考えた方がよさそうです。」

苺は自分にもっと話させろと苛立った。
家出娘 苺 2006年08月27日日曜日 20時02分
「本当にありがとうございました♪♪
無事、浅芽が宿も終了しました★”

かなりお世話になりました。

またよろしくお願いいたします。」

Cafe日誌No.22
2006年08月20日日曜日 14時43分
遅い昼飯でも食べに来たのか、割とよく来る苺が入ってきた。苺という名前は覚えるのに一苦労だ。苺はスラム街のど真ん中で聞いたという儲け話を始めた。
家出娘 苺
「こんにちは♪ 今日は、1文を分解してそれぞれの品詞を教えていただきたくて参りました! よろしくお願いします。

浅芽が宿のけっこう終わりのあたりの文なのですが…

あはれにも聞え給ふものかな。 分解すると

あはれに/も/聞え/給ふ/もの/かな

となるんですが、助詞の意味とかよく分かりません・・汗”

お時間があったらよろしくお願いします!!!」
私はひたすら我慢して聞いてあげた。

なんとかこの客に諦めさせなければならない。
マスター おじさん 2   2006年08月20日日曜日 20時16分
「あはれに=形容動詞(ナリ活用)「あはれなり」連用形
も=係助詞「も」
聞こえ=ヤ行下二段活用動詞「聞こゆ」連用形
給ふ=ハ行四段活用補助動詞「給ふ」連体形
もの=名詞(形式名詞)
かな=詠嘆の終助詞

「聞こゆ」は普通は謙譲の敬語動詞ですが、この場合はおそらく敬語動詞ではなく、単に「言う」の意でしょう。
また、係助詞の「は」と「も」に関しては意味を指摘しなくてもよいのが普通ですが、ここでの意味をあえて尋ねられたら強意と答えておけばよろしい。」

苺はさらにこう言った。
家出娘 苺 2006年08月20日日曜日 20時59分
「すごく分かりやすかったです!!!
どうもありがとうございました♪
またお願いします。」

Cafe日誌No.21
2006年07月18日火曜日 00時21分
大分夜も遅くなった頃、何回かこの店を利用している美人が入ってきた。愛玩のバービー人形を片時も離さない。苺は誰から聞いたかわからない噂話をはじめた。
無職 苺
「遅くにすいません!!!!こんな時間ですが訳お願いします。
「浅芽が宿」です((途中からではありますが))

生業をうたてき物に厭ひけるままに、はた家貧しくなりにけり。
さるほどに親族おほくにも疎んじられけるを、口惜しきことに思ひ
しみて、いかにもして家を興しなんものをと右左(とかく)に
はかりける。其の頃雀部の曾次とひふ人足利染の絹を交易するために、
年々京よりくだりけるが、此の郷に氏族のありけるをしばしば
訪らひしかば、((一行あきます))

雀部いとやすく肯がひて、「いつの頃はまかるべし」と聞こえける。
彼がたのもしきをよろこびて、残る田をも売りつくして金に代へ、
絹あまた買ひ積みて、京にゆく日をもよほしける。

かなり長いですが、お願いします!!!すいません・・・」
昔はもっと素直ないい子だったのに・・・。

本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
マスター おじさん 1   2006年07月18日火曜日 01時58分
「空行には「かねてより親しかりけるままに、商人となりて京にまうのぼらんことを頼みしに」という文が入るんですが、ハテ、なんで欠けてるんでしょう。
空行の箇所は『』に補って訳しますね。
ちなみに、冒頭の「生業」も、もともとの本文では「農作」となっていました。(実は「生業」を「なりはひ」と読むと、「農業」の意味も表すことがあるのですが、あえて表記を「農作」から「生業」に変えてあることからして、おそらく引用者はそのことは知らないものと思われます)
主人公は勝四郎という男です。

(勝四郎は)生業(=農業)を情けないものと思っていやがっているあいだに、当然のことながら家が貧しくなってしまった。そうしているうちに親族の多くにも嫌われたのを、心からいまいましく思って、「なんとしてでも家を盛んにしてやりたいものだが」とあれこれ画策した。そのころ、雀部の曽次という人が足利染の絹を交易するために、毎年京都から(その土地へ)下っていたが、この郷に一族がいたのをたびたび訪問していたところ、『(勝四郎は)以前から(雀部の曽次と)親しかったので、商人となって京都へ上りたいということを願い出たが』雀部はたいそう簡単に承諾して「いついつの頃にはこの地へ来ましょう」と申しました。(勝四郎は)あの者(=雀部の曽次)の当てになりそうであることをうれしく思って、残っている田をもすべて売って金に換え、絹をたくさん買いためて、京都に行く日の準備をした。

※学校で習う古典語は平安時代(中古)を念頭に置かれていますが、雨月物語は江戸時代(近世)の作品で、言葉の使い方が古典文法の標準からは外れているところがあります。
「聞こえける」は、中古語では謙譲語(受手尊敬)で「申し上げた」と訳しますが、近世では丁寧語に近く、単に「いいました」程度の意味です。全く同じ使い方をするものに、「申す」があります。筆者は別に勝四郎に対して敬語を使う必要もありませんので、ここでは謙譲語であるとは考えられません。


「うたてき」は心に不満を持っている状態で、「情けない」という訳語をあてることが多いので、そのように訳しておきましたが、要は、家業の農業をやるのは不満だった、ということです。
「はた」は訳しにくい語ですが、ここでは上記のように訳しておいて問題はないと思います。
「思ひしみて」は深く心に思う、の意。
「興しなんものを」の「なん」は、強意の助動詞「ぬ」未然形+意志の助動詞「む」の連体形。「きっと〜してやろう」の意。
「足利染」は下野国(今の栃木県)の足利という土地の辺りの産物である染め物です。本文の理解には関係ありませんね。
「いつの頃はまかるべし」の「まかる」は、貴所から卑所へ移動することで、雀部の曽次が勝四郎に「来年は京都からこちらへ、いついつの頃にやってきましょう。帰りにあなたを京都へ連れて行きますから、その時までに商人として出立できるよう準備をしておいて下さい」という旨のことを言ったのです。本来なら「まかる」は近世独特の丁寧語的用法として「(当地へ)参りましょう」ぐらいに訳すべきでしょうが、京都から下野へ下向するのを「まかる」と言っているのだと考えて問題はありませんので、あえて上記のように訳しておきました。

ちなみにこの話のこのあとは、京へ上った勝四郎が、長らく経ってから故郷に戻ると、落ちぶれた妻が出迎えるのですが、一夜明けるとただの廃屋で、とうの昔に死んでいた妻の魂魄が勝四郎を迎えていたとわかる、という怪奇譚です。」

苺は「ああ、そうそう」と言って話を続ける。
家出娘 苺 2006年07月18日火曜日 06時23分
「お返事ありがとうございます!!すごく丁寧な説明…!!!本当に分かりやすくて、理解しやすいです♪♪
1文抜けていたのは…なぜでしょうか((汗
でも、その1文も訳してくださってありがとうございます!!!
あんな遅い時間だったのに・・すいませんでした(>∩<*)
またよろしくお願いします!!!」

Cafe日誌No.20
2006年07月08日土曜日 18時27分
店も賑わいを見せる頃、見馴れない一人の美女が店に入ってきた。多分以前に別の客の連れで来た事があったはずだ。モモはライムを織り交ぜてリズミカルにこう語った。
無職 モモ
「[今昔物語集]
見れば、薄色の衣のなよよかなるに濃き単、紅の袴、長やかにて、口覆ひしてわりなく心苦しげなる目見にて、女ゐたり。うち眺めたる気色もあはれげなり。我にもあらず、人の落とし置きたる気色にて、橋の高欄におしかかりてゐたるが、人を見て、はづかしげなるものから、うれしと思へる様なり。男これを見るに、さらに来し方行く末も覚えず、「かき載せて行きなばや」と、落ちかかりぬべくあはれに思へども、「ここにかかる者のあるべきやうなければ、これは鬼なんめり」とて、「過ぎなむ」とひとへに思ひなして、目を塞ぎて走り打ちて通るを、この女、「や、あの主。などかいと情けなくては過ぎ給ふ。あさましく思ひがけぬ所に人の捨て行きたるなり。人里までゐておはせ」と言ふをも聞き果てず、頭身の毛太るやうに覚えければ、馬かき早めて飛ぶがごとくに行くを、この女、「あな情けな」と言ふ声、地を響かすばかりなり。立ち走りて来たりければ、「さればよ」と思ふに「観音、助け給へ」と念じて、あさましくとき馬を、鞭を打ちて馳すれば、鬼走りかかりて、馬の尻に手をうち掛け引かふるに、油を塗りたれば、引き外して、え捕らえず。

[平家物語]
新中納言、大臣殿の御前に参つて申されけるは、「武蔵守におくれ候ひね。監物太郎討たせ候ひぬ。今は心細うこそまかりなつて候へ。いかなれば、子はあつて、親を助けむと敵に組むを見ながら、いかなる親なれば、この討たるるを助けずして、かやうに逃れ参つて候ふたむと、人の上で候はば、いかばかりもどかしう存じ候ふべきに、わが身の上になりぬれば、やう命は惜しいもので候ひけりと、今こそ思ひ知られて候へ。人々の思はれむ心の内どもこそ、恥づかしう候へ」とて、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣き給へば、大臣殿これを聞き給ひて、「武蔵守るの父の命に代はられけるこそありがたけれ。手もきき心も剛に、とき大将軍にておはしつる人を。清宗と同年にて、今年は十六な」とて、御子衛門督のおはしけるかたを御覧じて、涙ぐみ給へば、いくらも並みゐたりける平家の侍ども、心あるも心なきも、みな鎧の袖をぞ濡らしける。

多いのですが、今昔物語集と平家物語の現代語訳をお願いしたいんです。土日あけたらテストなんですが、現代語訳がわからなくて困ってます。お願いできますか?」
その時私はモモを抱きしめたい衝動に駆られた。

どうもこの客は一度注意した方が良さそうだ。
マスター おじさん 5   2006年07月08日土曜日 20時00分
「ようけありますな。がんばります。
まず今昔物語集から。
仲間うちで、とある橋を人が通らなくなったという話をしていると、聞いていた男が「速い馬さえ手に入れば、たとえ鬼が出ようとも俺が通ってみせる」と言ったので、主人が馬を与え、男がその橋を通りかかった、という場面です。

見てみると、薄い色の衣のしなやかなのに、濃い(色の)単衣や紅の袴が長々としていて、口を覆ってたいそう切なげな目つきで、女がすわっていた。少し物思いにふけっている様子も風情がある。気もそぞろで、誰かが置き去りにした様子で、橋の高欄によりかかっていたが、人(=主人公の男)を見て、きまりが悪そうではあるが、うれしいと思っている様子である。男はこれを見ると、全く過去も未来もわからなくなり(=正常な判断力を失って)「(この女を自分と一緒に)ぜひとも載せていきたいものだ」と、(馬から)落ちてしまいそうなぐらいに心をひかれたけれど、「ここにこんな者がいるはずがないのだから、これはどうも鬼であるようだ」と思って、「通り過ぎよう」とひたすら思い定めて、目をふさいで(馬を)勢いよく打って通ったが、この女が「もし、そこのお方。どうして、とても薄情なことに(私を無視して)通り過ぎなさるのですか。あきれたことに思いもよらないところに人が(私を)捨てていったのです。人里までお連れ下さい」と言うのを最後まで聞かず、頭や体の毛も太くなるように(恐ろしく)思われたので、馬(の足取り)を早めて飛ぶように進んでいくのだが、この女が「ああ薄情ですこと」という声が地面を響かせるぐらい(力強く恐ろしいもの)であった。(女は男の方へ)立ち上がって走ってきたので「やっぱりだ(=鬼だったのだ)」と思ったが「観音様、お助け下さい」と心に念じて、たいそう足の速い馬を、鞭を打って走らせると、鬼が走ってきて、馬の尻に手を少しひっかけて止めようとしたが、(馬の体には)油を塗ってあったので、つかみそこねて、(男を)捕らえることはできなかった。

「薄色の衣の」は、単に淡色のことも指しますし、薄紫に相当する、薄色という名の色も指しますが、後に「濃き単」とありますから淡い色の、という意味に解しておきました。後の「の」は同格。
「なよよかなる」は、衣服を評するときには優美であることを示すニュアンスがあるようです。
「紅の袴」は、女性用の袴で、遠くから見てもすぐに女性とわかる姿であったことを表しています。
「口覆ひ」は、女性が恥じらいや慎みの感情を持っているときの身だしなみとしての動作で、口を覆っていると優美な女性であることを示しています。
「我にもあらず」は、呆然としている様子と、思いがけない様子のいずれをも表します。ここでは前者の訳にしておきましたが、「思いがけず」と後者の訳もでき、どちらか確定するのは難しいところです。
「はづかしげなるものから」の「ものから」は一語で、逆接の接続助詞です。
「行きなばや」は、文法的に解説すると、カ行四段活用の動詞「行く」連用形+完了・強意の助動詞「ぬ」未然形+願望の終助詞「ばや」、となります。「ぬ」は、強意と考えておくべきでしょう。訳にも「ぜひとも」という強意の訳語を入れておきました。試験に出そうなところです。他にも「鬼なんめり」(断定「なり」連体形撥音便+推定「めり」終止)「過ぎなむ」(「過ぐ」連用+完了「ぬ」未然+意志「む」終止)なんかも文法の問題にはしやすいですな。
「走り打ちて通る」は、よくわかりません。「走り打つ」という動詞があるのかもしれませんが、「走る」には勢いよく動作をするというニュアンスがあるので、上記のように訳しておきました。間違っているかもしれません。」

私は答えに窮したがとりあえずこう答えておいた。
マスター おじさん 5   2006年07月08日土曜日 20時33分
「さて、平家物語。
これは以前某所で訳したことがありますな。
ちょっと入力ミスが散見されますが、正しい本文にしたがって訳しますね。

新中納言・平知盛は、一ノ谷で平家が合戦に敗れたとき、息子の知章(ともあきら。武蔵守)と家来の監物太郎(武藤頼方という武士)の三人で落ち延びていましたが、知章・監物太郎は二人とも知盛を守って討死してしまいます。
ここはその直後、生還した知盛が、平家の総大将である平宗盛(大臣殿)に復命している場面です。
知盛は息子と腹心を討たれて取り乱しているので、言葉が錯乱しています。ちょっとわかりにくいですね。

新中納言が大臣殿の御前に参上して申し上げられたことには、「武蔵守に先立たれました。監物太郎も討たれました。今となっては(二人の頼りになる者が死んでしまったので)心細くなりました。いったいどういうわけで、子供がいて、親(である私)を助けようと敵に組みかかるのをみながら、(私はいったい)なんたる親であるから、子が討たれるのを助けないで、このように逃げて参ったのでございましょう、と(思うのですが)、(もしこのことが)他人の身の上のことでございましたら、どれほど嘆かわしいと思うはずですのに、自分の身の上のこととなりますと、よくよく命は惜しいものでしたと、今こそつくづく思い知りました。人々が(わたしに)関してお思いになるであろう心中が(察せられて)恥ずかしいことです。」と言って、袖を顔に押し当てて、さめざめとお泣きになるので大臣殿がこれをお聞きになって「武蔵守が、父の命の身代わりになられたのは世にも希有な(すぐれた)ことです。(武芸の)腕もすぐれ、心も勇敢で立派な大将軍でいらっしゃった人ですのに。清宗と同い年で、今年は十六歳でしたね」と言って、ご子息の衛門督(=清宗)のいらっしゃる方を御覧になって、涙ぐまれたので、たくさん並んでいた平家の侍どもは、人情を解する者も解しない者も、みな鎧の袖を(涙で)濡らした。

これは訳文を読めばほとんどおわかりになるんじゃないかと思います。
「心あるも心なきも」とある箇所は、意味はわかりやすいのですが、適切に訳すのが難しく、なんとか苦心して上のようにしておきました。
何かご質問がまたどうぞ。」

モモはさらにこう言った。
無職 モモ 2006年07月08日土曜日 20時51分
「長い文章をこんなにもわかりやすく詳しく丁寧に教えていただいてありがとうございます。テスト頑張れそうです。助かりました。またお願いするときがあったらよろしくお願いします。本当にありがとうございました。」

どうもこの客は一度注意した方が良さそうだ。
マスター おじさん 6   2006年07月09日日曜日 12時16分
「あー、平家物語のほうで一つ忘れていましたが、「監物太郎討たせ候ひぬ」とある「討たせ」は、平家物語をはじめとする軍記物語に特有の表現で、使役の助動詞を使って受身を表現するものです。したがって「討たせました」ではなく、「討たれました」と訳さなくてはなりません。
ここも試験に出そうなポイントですな。」

モモはお喋りがお好きのようだ。
無職 モモ 2006年07月09日日曜日 14時41分
「わかりました。よく覚えておきます。
助動詞はややこしく感じてしまうので少し苦手です・・・。
でもテスト頑張ります!ありがとうございます。」

Cafe日誌No.19
2006年07月04日火曜日 19時26分
店も賑わいを見せる頃、見馴れない一人の妖婦が店に入ってきた。最近、肉体に衰えを感じると嘆いているらしい。みんと☆はスラム街のど真ん中で聞いたという儲け話を始めた。
無職 みんと☆
「こんばんは!!はじめまして★訳お願いしますっm(_ _)m

隗曰く「古の君に千金を以って涓人をして千里の馬を求め使むる者有。死馬の骨を五百金に買ひて(而)返る。君怒る。涓人曰く、『死馬すらある且つこれを買ふ。況んや生ける者を乎。馬今に至らんと(矣)。』期年ならずして、千里の馬至る者三あり。今、王必ず士を致さんと欲せば、先づ隗より始めよ。況んや(於)隗より賢なる者、豈に千里を遠しとせん哉と。」是に於いて昭王隗の為に改めて宮を築き、これに師事す。是に於いて士争ひて燕に趣く趨く。

漢文も受け付けていますか?? どうか宜しくお願いします!!(>_<)」
笑って許してやるだけの寛容性も必要だ。

本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
マスター おじさん 6   2006年07月04日火曜日 22時59分
「はじめまして。
たとえ漢文でも、おじさんはなんとかがんばります。

隗(=人名)が言うことには「昔の君主に、千金で宦官に千里を走ることのできる名馬を求めさせる者がおりました。(宦官は)死んだ馬の骨を五百金で買って戻ってきました。君主は怒りました。宦官が言うことには『(名馬なら)死んだ馬でさえ買い求めたのです。生きているもの(=生きている名馬)ならなおさら(買い求めるであろうと世間の人々が思うはず)です。馬はすぐに(求めないでも自然と)やって参りましょう。』と。一年も経たないうちに、千里を走ることのできる名馬で君主のもとにやってきたものが三匹あったということです。今、王様がどうしても(有能な)士を招こうとお思いならまずわたくし隗めからお始め下さい。(=まず私を優遇することから始めて下さい)(わたくし程度の者でさえ重く用いられる、となれば)隗めより賢明な者がどうして(登用されるために)千里を遠いと思ったりいたしましょうか。(いや、千里も遠いと思わずに王のもとに仕えに参るはずでございます)」と。そこで、昭王が隗のためにあらたに宮殿を造りなおし、隗に師事した。そこで(有能な)士は争って燕におもむいた。

「涓人」は宦官(かんがん。王の周辺に仕える、男根を切除した男性)のこと。だと思う。違うかな。
「況んや〜豈に…や」というのは「まして〜は、どうして…だろうか」という意味です。
「まず隗より始めよ」というのは、わりと使われる故事成語です。覚えておくと年配の方に一目置いてもらえるかも知れませんよ。」

みんと☆はようやく本題に入った。
無職 みんと☆ 2006年07月06日木曜日 15時15分
「ご親切にあっありがとうございますっっ!!(*゚∀゚*)
補足の部分までとても分かりやすいです!!
年配の方に一目置いてもらえるかもしれないのですか??
覚えておきます!!★」

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