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Cafe日誌No.8
2006年06月07日水曜日 17時20分
店も賑わいを見せる頃、見馴れない一人の女の子が店に入ってきた。メープルはいかにも追われている、そういう感じだった・・・。この女の子が話すことといえばいつも男性の事だ。
無職 メープル
「古今著聞集
中納言顕基卿は、後一条院ときめかし給ひて、若くより官位につけて恨みなかりけり。帝おろして奉りにければ、「忠臣は二君の仕へず」とて、天台楞厳院ののぼりて、頭おろしてけり。帝かくれ給へりける夜、火を灯さざりければ、「いかに」と尋ぬるに、主殿司、新主の御事えお務むとて、参らぬよし申しけるに、出家の心強くなりにけるとかや。
 あなたこなたにて行はれけるが、大原に住みける頃、宇治殿、かの庵室のむかひ給ひて、夜もすがら御物語あるけり。宇治殿、「後世は必ず導かせ給へ」など示し給ひて暁帰りなむとし給ひける時、「俊実は、不覚と者にてふ」と申されけり。その時は、何とも思い分かせ給はで、帰りて後、静かに案じ給ふに、させるついでもなきに、子息の事、よもあしきさまには言はれじ。見放つまじきよしなりけり。思ひ取りて世を遁といへども、恩愛はなほすてがたき事なれば、思ひあまりて言ひ出でられけりと、あはれに思して、事にふれて芳志を致されければ、大納言までなられにけり。
訳して下さい。よろしくお願いします」
女の子のこの言葉がのちのち何人もの人々を苦しめることになろうとは、本人でさえも気づいていなかったのだろう。

私は「あちらのお客様からです」と嘘を付いてカクテルを出した。
マスター おじさん   2006年06月07日水曜日 18時25分
「ようこそのお越しを。

訳すにあたって、以下の箇所について写し間違いがないか確認させてください。

・帝おろして奉りにければ
・忠臣は二君の仕へず(「に」ですね?)
・天台楞厳院ののぼりて(「に」ですね?)
・新主の御事えお務むとて
・かの庵室のむかひ給ひて(「に」ですね?)
・俊実は、不覚と者にてふ

このままだとちょっと意味がとれない箇所が多いので、首尾一貫した訳になる自信がありません。
是非ともご確認ください。」

私は相手を怒らせないように冷静に対処した。
マスター おじさん   2006年06月07日水曜日 20時53分
「本日はこれから出かけます。(実家で明日農業をしなければならんのです)
現時点までにお返事がなかった以上、訳せません。
帰りは明晩遅くになります。
それでもよいとおっしゃるのならその時に訳しますので、本文を確認して(間違ってるはずです)訂正しておいてください。
できるだけ何らかの反応をしていただくことを希望します。
丸投げ・無反応はマナー違反ですよ。」

メープルはここで話題を変えた。
無職 メープル 2006年06月08日木曜日 21時51分
「本当にごめんなさい。パソコンの調子が悪くて返信できませんでした。すみません。
本文についてですがワークをそのまま写したのであっています。確認しました。全部じゃなくていいので訳して下さい。お願いします。」

とにかくここは一旦相手を落ち着かせなければならない。
マスター おじさん   2006年06月09日金曜日 00時26分
「戻って参りました。
本文につきましては了解しました。
そんなこともあろうかと、実家で古今著聞集調べてきました。
すると、本文は以下の通りあるべきであることが判明しました。

中納言顕基卿は、後一條院ときめかし給て、わかくよりつかさくらゐにつけて恨みなかりけり。御門にをくれたてまつりにければ、忠臣は二君につかへずとて、天台楞嚴院にのぼりて、かしらおろしてけり。御門かくれ給へりける夜、火をともさざりければ、「いかに」とたづぬるに、主殿司、新主の御事をつとむとて、まいらぬよし申しけるに、出家の心つよく成にけるとかや。あなたこなたにておこなはれけるが、大原に住けるころ、宇治殿、かの庵室にむかひ給て、終夜御物語ありけり。宇治殿、「後世はかならずみちびかせ給へ」など示給て、暁帰りなんとし給ひけるとき、「俊実は不覚のものにて候ふ」と申されけり。そのときは何とも思ひわかせ給はで、帰りて後しづかに案じ給ふに、させるつゐでもなきに、子息の事よもあしきさまにはいはれじ、見はなつまじきよしなりけり、おもひとりて世をのがるといへども、恩愛は猶すてがたき事なれば、思あまりていひ出られけりと、あはれにおぼして、事にふれて芳志を至されければ、大納言までなられにけり。

どうやらワーク自体が相当間違っておるようですね。
正しい本文に基づいて訳すことに致しますので、その旨ご了承下さい。

中納言顕基卿は、後一条院がかわいがられて、若いときから(相応の)官位につけて(顕基には境遇に)不満がなかった。(顕基は)帝に死に後れてしまったので、「忠臣は二人の主君に仕えたりしないものだ」と言って天台楞厳院にのぼって、剃髪して出家してしまった。(その前の)帝が亡くなられた夜、(宮中で)火を灯していなかったので(顕基が)「これはどうしたことですか」と尋ねると、主殿司が新しい帝のお役目をするというので参内していないということを(その場の者が返答として顕基に)言ったので、(顕基は人の世のはかなさを感じて)出家しようという気持ちが強くなったのだということだ。
(顕基は)あちらこちらで仏道修行をなさったが、大原に住んでいた頃、宇治殿(=藤原頼通)がその(=顕基の)庵室に出向かれて、一晩中よもやま話をなさった。宇治殿(がおっしゃるには)、「(あなたが導師となってわたしの)来世(での極楽浄土への往生)をかならずお導き下さい」などとおっしゃって、夜明け方にお帰りになろうとなさったとき、(顕基が)「(息子の)俊実は分別をわきまえない者でございます」と(宇治殿に対して)申し上げなさった。(宇治殿は)その時はどういうことであるのかおわかりにならず、帰った後にゆっくりとお考えになると、「これといったきっかけもないのに、自分の息子のことをまさか悪いようには言われないだろう。(私に俊実を)見放さないでください、ということだったのだな。かたく決心して遁世しているといっても、親子の情愛はやはりあきらめきれないものであるので思い余って口に出されたのだなあ」と気の毒に思われて、何かのことにつけて行為を示されたので、(俊実は)大納言にまでなられた。

「帝おろして奉りにければ」なら、「帝を退位させ申し上げたので」という、まったくわからん訳にしかなりませんし、「俊実は、不覚と者にてふ」はそもそも仮に訳すこともできません。
主殿司は宮中の灯りなどをつかさどる女官のこと。
俊実はほんとは顕基の息子ではないようです。」

Cafe日誌No.7
2006年06月05日月曜日 20時31分
店も賑わいを見せる頃、見馴れない一人の老婆が店に入ってきた。ハーレムから引っ越してきてまだ日が浅いらしい。えまはライムを織り交ぜてリズミカルにこう語った。
無職 えま
「明日古典のテストなんです。教えていただけますか?

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

の文章のものぐるほしけれ、という部分の言い切りの形と活用の種類、文中の中での活用形を答える問題なのですが・・・。

どうも私は形容詞の部分が苦手なようなので・・・。

教えていただけますか?」
殆ど逆ギレだ・・・・・。

私は内心うんざりしていたが、にこやかな顔でこう答えた。
マスター おじさん   2006年06月05日月曜日 21時06分
「ようこそのお越しを。

ご質問の箇所につき、全部品詞分解してみましょう。

心・・・名詞
に・・・格助詞(場所をあらわす)
うつりゆく・・・カ行四段活用動詞「うつりゆく」連体形
よしなしごと・・・名詞
を・・・格助詞(対象をあらわす)
そこはかとなく・・・ク活用の形容詞「そこはかとなし」連用形
書きつくれ・・・カ行下二段活用動詞「書きつく」已然形
ば・・・接続助詞(順接確定条件)
あやしう・・・シク活用の形容詞「あやし」連用形ウ音便
こそ・・・係助詞
ものぐるほしけれ・・・シク活用の形容詞「ものぐるほし」已然形

ということで、「ものぐるほしけれ」は已然形です。
上に係助詞「こそ」があるので、係り結びの結びとなっているわけですね。
形容詞の活用表は丸暗記なさるのがよろしいです。
シク活用はク活用の上に「し」をつけるだけなので、ク活用だけ覚えればよろしい。
その際、已然形の「けれ」を助動詞と間違わないように注意することが大切です。(この場合だと「ものぐるほし・けれ」と分解してしまわないように、ということです)」

Cafe日誌No.6
2006年05月31日水曜日 00時10分
大分夜も遅くなった頃、見馴れない一人の女子高生が店に入ってきた。無職仲間の間じゃそうとうの実力者だそうだ。何を思ったのかオヤジの話しをはじめた。
無職 詩音
「こんばんは!ふみこみゅからきました。
レスありがとうございます!

橘の花を取り出でたれば、「昔の人の」と言はれて、「さらば参りなむ。いかが聞こえさすべき。」と言へば、ことばにて聞こえさせむもかたはらいたくて、「なにかは、あだあだしくもまだ聞こえ給はぬを、はかなきことをも。」と思ひて、
 薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると
と聞こえさせたり。
 まだ端におはしましけるに、この童隠れの方に気色ばみたるけはひを、御覧じつけて、「いかに。」と問はせ給ふに、御文をさし出でたれば、御覧じて、
 同じ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変はらぬものと知らずや
と書かせ給ひて、賜ふとて、「かかること、ゆめ人に言ふな。好きがましきやうなり。」とて、入らせ給ひぬ。もて来たれば、をかしと見れど、常はとて御返り聞こえさせず。

これくらいでいかがでしょうか?
あともう少し聞きたいことがあるのですが答えていただけますか?」
何を語っても冴えない女子高生だ。

私は「あちらのお客様からです」と嘘を付いてカクテルを出した。
マスター おじさん   2006年05月31日水曜日 00時41分
「さっそくのお越しを。
これはたしか「和泉式部日記」のほとんど冒頭部分のところですね。
童が手紙を持ってくるところだったはず。

(童が)橘の花を取り出したので、「昔の人の」と(いう歌が)ついつい口をついて出てきて、(童が)「そういうことであればきっとうかがいましょう。(宮様には)何と(お返事を)申し上げるのがよろしいでしょうね」と言うと、言葉(=口頭)でお返事申し上げるのも気が引けるので、「なあに、色好みだというふうにもまだ噂されていらっしゃらないのだから、とりとめもないこと(=和歌)なんかでも(お送りすればよいだろう)」と思って、
 (昔の人を思い出すという橘の)薫る匂いにこと寄せて亡くなった宮のことを思い出すよりは、(声は昔のまま変わらないという)ほととぎすにこと寄せて、その声を聞きながら宮のことを思い出したい。(故宮の弟であるあなたが兄の宮と)同じ声をしているのだろうか、と。
と申し上げた。
 (宮はまだ)縁の端に座っておいでであったが、この童がひっこんだ方で子細ありげな様子をしているのをお見つけになって「どうであったか」とお尋ねになったので、(童が私からの)手紙を差し出したところ、(宮が)ご覧になって、
 (私と兄の故宮とは)同じ枝で鳴いていた兄弟のほととぎすです。我々の声は互いに変わらないものだということはご存じないのですか
とお書きになって、(それを童に)くださるということで「こんなことは決して他人にしゃべってはならないぞ。浮気者めいているからな」といって中に入ってしまわれた。(童がその手紙を)持ってきたところ、(わたしは)興趣があるものだと思うけれど、いつもいつも(お返事するのもいかがなものか)と考えて、(その手紙に対する更なる)お返事は差し上げなかった。

「昔の人の」というのは、古今集の「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」、「同じ声やしたる」というのも古今集の「いそのかみ古き都のほととぎす声ばかりこそ昔なりけれ」というそれぞれ有名な和歌をふまえた表現です。
別の和歌がふまえられているので、とっても訳しにくいですね。

他のご質問も、どうぞ。」

詩音は思い出したかのようにこう呟いた。
無職 詩音 2006年05月31日水曜日 00時55分
「わかりやすい説明つきの訳をありがとうございます!!^^
おじさんのおっしゃる通り、和泉式部日記の冒頭部文です!
和泉式部は何回も結婚してるんですよね…
授業で聞いてびっくりしました…
もう一つ聞きたいのは蜻蛉日記の「町の小路の女」です。

本文が↓で
さて九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるのを手まさぐりに開けて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに、見てけりとだに知られむと思ひて書きつく。
 疑はしほかに渡せる文見ればここや途絶えにならむとすらむ
など思ふほどに、むべなう十月つごもり方に三夜しきりて見えぬときあり。つれなうて、「しばし試みるほどに。」など、気色あり。
 これより、夕さりつ方、「内裏の方ふたがりけり。」とて出づるに、心得で人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむ、とまり給ひぬる。」とて、来たり。さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二、三日ばかりありて、暁方に門をたたくときあり。さなめりと思ふに、憂くて開けさせねば、例の家とおぼしき所にものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、
 嘆きつつ一人寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る
と、例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。返り言、「あくるまでも試みむとしつれど、とみなる召使の来合ひたりつればなむ。いと理なりつるは。
 げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸も遅くあくるはわびしかりけり」
さてもいとあやしかりつるほどにことなしびたり。しばしは忍びたるさまに、「内裏に。」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ限りなきや。 

私なりの訳が↓
さて、9月ごろになって、夫が外出して留守のときに、
文箱があったのでなんとなく開けて見たら、
人のもとにやろうとしている手紙があった。
驚きあきれて「せめて見たのだなぁということだけでも知らせよう。」と
思って手紙に書き添えた。
 信じられないほかの人に渡す手紙を見たので
ここに来るのが途絶えがちになったのですね
などと思うほどに案の定、十月下旬に三夜続けて来なかった時があった。
夫は平然としていて、「お前の心を試したんだよ。」など様がある。 
 道綱母家から夕方、
「宮中に抜けられない用事があるのだった。」
と夫が外出するのに、道綱母は納得できずに、人に尾行させてみれば、
「町の小路にあるどこそこにお泊まりになられた。」
と言って来た。「思ったとおりね。」と「はなはだしく悲しい。」と
思ったが、言うようも知らないであるほどに、
2,3日ばかりあって夜明け方に門を叩いているときがあった。
「兼家だわ。」と思うが切なくて開けさせなかったら、
町の小路の女の家と思われるところにいってしまった。
つとめて、「それはないだろう。」と思って
 嘆きつつひとり寝る夜の明けるまでの間は
どんなに辛いかわかりますか?いや、わからないでしょうね
といつもより改まった書き方をして書いて、
色変わりした菊にさして送った。
返歌は戸が開くまで待とうと試みようとしたが、
急用を伝える使者が来合せたのだ。
当然のことでしょう?
 なるほどなるほど冬の夜ではないにしても
真木の戸が遅く開くのはさみしいものだなぁ
 さて、とても不思議であったところ、
何事もなかったかのようにふるまいしばしば感情を表に
出さないようにじっとこらえていたが、
「宮中に。」などと言いつつあるので、
さらに気にくわなく思うことはかぎりないのだなぁ。

なのですがどうでしょうか?
合ってるか確認をお願いします。
面倒なことをお願いして申し訳ありませんが、
よろしくお願いします。(><)」

仕方がないのでこう答えてやった。
マスター おじさん   2006年05月31日水曜日 01時37分
「和泉式部は奔放な恋愛で知られる人で、「和泉式部日記」の最後は、弟宮(敦道親王)の邸宅に迎えられ、それまでの正妻が心労のあまり邸宅を出て行くという、現代のドラマのようなドロドロ決着です。
三十六歌仙に数えられる和歌の名人で、おじさん個人としては一番好きな歌人です。

さて「蜻蛉日記」。
「蜻蛉日記」は和文が完成期に達する前の作品なので、全体的に言葉足らずで、難解な文が多いことでは「源氏物語」を上回るという定評を得ている作品です。こりゃ難しい。
添削版を以下に示しました。
どこを直したかはご自分で比較してください。

そうして、9月ごろになって、夫が外出して留守のときに、
文箱があったのでなんとなく手さぐりで開けて見たら、
人(=愛人)のもとにやろうとしている手紙があった。
驚きあきれて「せめて『見たのだなぁ』ということだけでも知らせよう。」と
思って手紙に書き添えた。
 疑わしいことです。ほかの女に渡す手紙を見ると、ここに来るのが途絶えがちになろうとしているのではないでしょうか
などと思うほどに案の定、十月末ごろに三夜続けて来なかった時があった。
夫は平然としていて、「お前の心を試したんだよ。」などあやしげな様子である。 
 これより(以後の)夕方に、
「(この家からだと)宮中の方角が方塞がりになっているのだった。」
と夫が外出するのに、私(道綱母)は納得できずに、人に尾行して観察させると、
「町の小路にあるどこそこにお泊まりになられた。」
と言って来た。「思ったとおりね。」とはなはだしく悲しく
思ったが、(夫に対して)なんと言ってよいかもわからないでいるうちに、
2,3日ほどして夜明け方に(誰かが)門を叩いている時間帯があった。
「兼家だわ。」と思うがいやな気がするので開けさせなかったら、
いつもの(町の小路の女の)家と思われるところにいってしまった。
翌朝、「何もしないではおくまい。」と思って
 嘆きつつひとり寝る夜の明けるまでの間は
どんなに辛いかわかりますか?いや、わからないでしょうね
といつもより改まった書き方をして書いて、
色変わりした菊にさして送った。
返事は「戸が開くまでやってみよう(=戸をたたいてみよう)としたが、
急用を伝える使者が来合せたのだ。
(あなたが腹を立てるのも)当然のことでしたよ。
 本当に、冬の夜ではないにしても
真木の戸が遅く開くのは(独り寝に劣らず)つらいものだなぁ
 ほんとにまあ、とても不審に思っているうちに、
(兼家は)何事もなかったかのようにふるまうようになった。しばらくはじっと我慢した様子で
「宮中に。」などと言っているべきところなのに、
さらに気にくわなく思うことはかぎりないことであったよ。

「なほもあらじ」の「なほ」は「あり」とともによく使う名詞で、「そのままの状態、何もしない状態」のことを指します。「こんなひどい仕打ちをされて、何もしないでおくもんですか」ってことですね。
「けしきあり」という表現は、普通「いつもとは違う何事かがおこった」ということなので、上のように訳しておきました。」

私は前にもした話をもう一度繰り返した。
マスター おじさん   2006年05月31日水曜日 01時43分
「補足。

「方ふたがりたり」というのは、陰陽道の習慣である「方違(かたたがへ)」に基づく表現です。
陰陽道によって、ある日のある方角が悪い方角にあたるとされると、その方角を「方塞がり(かたふたがり)」と呼びます。そして、その日にそちらの方角に向かうのを避けるため、前日に別の方角に移動しておいて、目的地を方塞がりにならないような別の方角にしておいてから移動するのです。
兼家は、愛人の家に出かけるのに、「明日、お前の家から宮中が方塞がりに当たって出仕できないから、今夜はよそに泊まらないといけないんだよ」という口実を使ったわけ。」

詩音はさらにこう言った。
無職 詩音 2006年05月31日水曜日 01時54分
「本当にありがとうございました!!
これで明日(もう日付変わってるから今日ですね↓)の
テストを自信をもって受けることができます!!
遅くにお時間をとってしまいすみませんでした(><)
またおじゃまさせていただくと思いますが、
そのときは時間帯等もちゃんと考えたいと思います。
本当にありがとうございました!」

本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
マスター おじさん   2006年05月31日水曜日 01時56分
「いえいえ、わたしも夜型で、これから明け方まで起きてますしね。
お気になさるには及びません。
試験がんばってください。早めにお休みあれ。」

Cafe日誌No.5
2006年05月29日月曜日 06時50分
本筋から少しばかり脱線するが、どうしても私から一言言っておきたい事がある。
マスター おじさん 
「某所、苺さんへのおこたえ。

『人間関係において、なんといってもとてもつらいものといえば、人から憎まれることが一番(つらいもの)であるにちがいない。一体どんな頭のおかしい者が「私は他人からそんな風に思われよう(=憎まれよう)」と思ったりするものか。(いやそんな風に思う者はいないはずだ)なのに、自然と奉公先でも親兄弟の(ような肉親の)間柄であっても、(相手から大事に)思われる・思われない、といったことがあるのは、とてもやりきれない。』

「世の中」は、「世の中」と訳してもこの場合はかまわない(学校ではそう教えるかもしれない)が、やはり「人間関係」としておいた方が、以下の内容にも合致する。
「てふ」は「といふ」の縮まった形。
「心憂し」と「わびし」は、両方とも「つらい」と訳しておいてよいが、前者は強い悲しみの感情にとらわれている様子をあらわし、後者は思い通りにならないもどかしさをあらわす。」

もっともらしい顔をして苺がしゃしゃり出てきた。
無職 苺 2006年05月30日火曜日 19時00分
「訳してくださってありがとうございます。
学校では「世の中」と訳しましたが、人間関係と訳したほうが
分かりやすかったです♪本当にありがとうございました。」

こう言えば分かってもらえるだろうか。
マスター おじさん 4   2006年05月31日水曜日 00時03分
「やあ、やっぱりそうでしたか。
注釈書にも「世の中」のままにしてあるものがほとんどですな。
わたくしは自分の訳の方が筋が通ると思ってるんですけど。
ともあれ、ご報告ありがとうございやんした。」

Cafe日誌No.4
2006年05月28日日曜日 15時52分
遅い昼飯でも食べに来たのか、見馴れない一人の年増が店に入ってきた。インテリを装ってはいるがかなりワルそうだ・・・。私しか話し相手がいないのか真っ先にこちらへやって来た。
無職 美紀
「おじさんさん初めまして。古典の授業で、今浦島太郎をやっているのですが、最後の↓↓

君にあふ夜は、浦島が玉手箱あけて悔しきわが涙かな

と、歌にも読まれてこそ候へ。
そののち、浦島太郎は、丹後国に浦島の明神とあらはれ、衆生済度し給へり。
亀も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。
めでたかりけるためしなり。

の現代語訳が分からなくて困っています;;
教えて頂けないでしょうか??よろしくお願いします!!」
そう言った美紀の表情は酷く疲れていた。

私は答えに窮したがとりあえずこう答えておいた。
マスター おじさん 5   2006年05月29日月曜日 06時19分
「はじめまして。
お返事遅れてすいません。

『あなたにあう夜は、浦島が玉手箱を開けて残念な思いをしたように、夜が明けて残念に思って流すわたしの涙であることよ(「あけて」は「箱を開けて」と「夜が明けて」をかける)

と歌にも詠まれております。
そののち、浦島太郎は丹後国で浦島の明神となってあらわれ、民衆をお救いになった。
亀も同じ所で神となってあらわれ、夫婦の明神となられた。
(浦島太郎の話は)すばらしい(ものの)例(としてあげられる話)である。』

「あらはれ」というのは、神となって霊験を示すことで、「示現する」という訳語が一番ぴったりなのですが、高校生にはちょっと難しい訳語かもしれませんので、そのままにしておきました。
「衆生」は仏教用語で、もともと世の中のあらゆる生き物を指しましたが、古文では一般大衆を指すのが普通です。
「済度」も同じく仏教用語で、迷える人に悟りを与えて悟りの世界へ導くことがもともとの意味ですが、ここでは単に「人々を救った」の意味だと解しておくのが適当でしょう。
「ためし」は、学校だと「例、前例」と習うはずですが、「うわさ話、話の種」という意味があるので、本当は「すばらしいお話である」と訳すべきです。意訳に近く、おそらく学校では受け入れられないと思われるので、上のように訳しておきました。」

美紀はこうも言った。
無職 美紀 2006年05月29日月曜日 19時36分
「お返事ありがとうございます。
これで明日の古典のテストはばっちりだと思います♪
本当にありがとうございました。」

Cafe日誌No.1
2006年05月26日金曜日 12時55分
読者諸君、いつもHardboiled Cafeをご利用いただいているお礼をここで述べさせていただきたいと思う。
マスター おじさん 
「この掲示板はいろいろ遊べるのですが、最初の設定はデフォルトのままにしてあります。
自分用のアイコンが使いたい方は申し出てください。(他人も使えてしまいますが)」

本当はこの客と会話する事に辟易していたが仕方が無い。
マスター おじさん   2006年05月26日金曜日 13時30分
「なお、古文以外の質問は返答に責任が持てませんのであしからず。」

Cafe日誌No.3
2006年05月26日金曜日 13時25分
この店に集う全てのお客様に私からご挨拶しておきたい。
マスター おじさん 
「某所えりさんへのおこたえ。

この阿闍梨は、臨終にあたって極楽往生をとげたのであった。

「終はり」というのは、ここでは死ぬとき・最期という意味。
「往生」は、仏教用語で、死後に極楽浄土に生まれ変わって救われること。」

Cafe日誌No.2
2006年05月26日金曜日 13時21分
ここで私から読者諸氏に少しばかり面白い話をお聞かせしたいと思う。
マスター おじさん 
「さて、某所美希さんのご質問のお答え。

堀河院の御代に、勘解由次官顕宗といって、すぐれた笛吹きの者がいた。たいそう小心者であった。院は笛をお聞きになりたいというので、(顕宗を)お呼びになったところ、帝の前(のような恐れ多いところに自分がいるのだ)と思うと、気後れしてしまって、震えて(笛を)吹けなかった。(帝は)当てがはずれたと思って、(顕宗と)知り合いである女房にお言いつけになって「(おまえが顕宗を)個人的に局のそばに呼んで、吹かせなさい」とおっしゃったところ、月の出ている夜に、(女房は顕宗と)親しく約束を交わして、(笛を帝のおっしゃった場所で)吹かせた。(顕宗は)女房が聞いているのだと思うと遠慮することもなく、思う存分に(実力を発揮して)吹いたことは、世の中に並ぶものもないほどすばらしかった。帝は感動を押さえることがおできにならない。日頃も(顕宗が)上手であるとはお聞きになっていたけれど、これほどまで(の腕前である)とはお思いではなかった。(帝が)「実にすばらしい」とおっしゃったところ、(顕宗は)「では帝がお聞きになっていたのだな」と思って、急に縮み上がってうろたえだしたので、縁から落ちてしまった。そうして(世の人は顕宗に)「安楽塩」というあだ名を付けた。」

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Narration BBS Ver 3.11
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