「ちゃんと話を最後まで聞け!!」
「これ以上何を聞く必要があるのよ?」
「だだだだから、俺と名雪はプールに行くから今日の放課後、水着を買いに行くんだ」
「なんで相沢クンと名雪の水着選びに付き合わなくちゃいけないのよ。あたしはそんなに野暮じゃないわよ?」
「ほ、ほら。香里ってセンス良さそうだから付き合って貰えたら心強いかなぁ……なんて。あは、あははは……」
まだ朝も早く、自分の机の上で謎の物体と化している名雪を指差して引きつった笑顔を無理矢理作る。
俺のセンスが良いの一言に一瞬、ピククっと香里のウェーブが揺れた。
「嫌ねぇ、別にセンスがいいって訳じゃ」
「いや、香里のセンスは栞のストールで証明済みだ。なぁ、北川」
「そうそう、美坂のセンスは絶品だ。」
俺と北川は手揉みしながらここぞとばかりに一気に叩き込む。
北川は防災頭巾を被ったままなのでイマイチ説得力に欠けるが気にしない。
香里は照れ隠しなのか、目を瞑りぷいっと顔を背けながらも
「仕方ないわね。名雪の為だし……いいわ」
なんとか放課後の水着選びの約束を取り付けたのだった
少年よ 野望を抱け 2
(後編)
〜放課後〜
「相沢、俺の頬を抓ってくれ」
「な……なんだ、突然?」
言いながらすりすりと自分の顔を俺に寄せてくる。もしやソッチの世界に片足突っ込んだのではと心配になった。
「いいから早く抓ってくれ。さあっ! ギュウっと」
「じゃあ……」
「痛くしないでね」
次の瞬間、北川は水着売り場で宙を舞っていた
あ、しまった。思わずイノキ張りの闘魂注入をしちゃいました。
だってコイツ、上目遣いで頬を染めて言うもんだから体が反応してしまったんですよ。うん、不可抗力。法廷でも10:0で勝てる
自信ありますよ。俺。
「ナ……ナイスパンチだぜ」
くっきりと頬に俺の手形を残しながら無理矢理友情ドラマを展開する北川。どーでもいいがビンタなんだけど。
「でもどうしたんだ? いきなりMに目覚めたりして」
「いや、夢じゃないかと思って」
「……は?」
「俺は今、間違いなく水着売り場と言う名の聖地に立ってるんだよな!?」
強く叩きすぎたのか鼻血を垂らしながら感動に浸る北川。
まぁ、確かに一人身じゃ下着売り場の次に入りにくいとこだよな。てかこの場所で鼻血出しながら感動してると捕まるぞ。
「あの……お客様」
噂をすればなんとやら。北川の肩をぽんと叩くスーツ姿の店員。
その店員は「またコイツか」と溜息が聞こえてきそうな表情をしていた。 お前、放課後なにやってんだ?
「申し訳ありませんが男性のみのお客様は……」
マニュアル口調で北川を追い返そうとする店員。しかし北川は勝ち誇った表情で
「おいおい、相沢ぁ。何か言ってるぜ。このイモ店員」
おそらくは毎回、この店員によって辛酸を舐めてきたのか、俺の肩に手を廻し鼻で笑う北川。
「祐一、どうしたの?」
「何やってるのよ、入り口で」
名雪と香里が何時まで経ってもこない俺たちを見にきたようだ。
「……北川クン、また何かやったの?」
香里は呆れたように半眼で店員に捕まっている俺達(ていうか北川)を見る。
ウェーブが掛かった美女とブラックリスト上位の少年を見比べて固まる店員を北川は
「ま、以後気をつけたまえ。さ、行こうか。美坂」
その横を通行手形よろしく、わざと香里の名前を声に出し店員の肩をポンポンと叩いて通過した。
「……ところで相沢。抓ると張るじゃ意味合いが少し違くないか?」
「結果は同じだろ。ほら、大は小を兼ねるっていうし」
「それもそうか」
納得した北川。俺が言うのもなんだがお前、それで本当にいいのか?
「これなんかいいんじゃない?」
「わっ! そんなのわたしには似合わないよ〜」
名雪と香里は水着売り場で色々な水着を制服の上から重ねていた。
ちなみに香里が今、名雪の水着を選んでいる最中だ
それにしても香里さん結構きわどい水着をチョイスしてくれます。
はっ、いかんいかん。思わず本来の目的を忘れるところだった
俺は目の保養をしながら二人を眺めていたがようやく当初の予定を思い出す。
作戦その1
〜親友の水着を選び、ついでに自分も欲しくなっちゃった作戦〜
香里をプールに誘うにはまずきっかけが必要だ。
きっかけがないのなら作ってやるだけの事。水着があれば泳ぎたくなるのが人の性というものだ。
「名雪、これなんかどうかしら?」
「う〜ん それはわたしが着るより香里の方が似合うと思うよ?」
言って名雪は制服の上から重ねられた水着を取るとそのまま香里の制服の上に重ねた。
ナイスジョブです 名雪さん←親指を立てながら
あと一押しすれば香里も水着を買いたくなりまっせ
水着を重ねられた香里にすかさず俺は「おおっ、良く似合ってるぞ。香里」と、ワザと声を大きくして香里を褒め称える。
「そ、そうかしら?」
香里は赤くなりながらも満更でもないようだ
ちなみに香里が今持っている水着は黒より少し明るめのパレオ。お世辞抜きでこの水着、香里に似合ってるな……ふむ。
「よし、俺も香里の水着を選んでやろう」
「えっ……ええっ!? わ、私はいいわよ」
何故か香里は慌てて手にしていた水着を元の場所へと戻す。
「遠慮するなって」
言って俺は適当に香里に水着を見繕っていく。
改めて近くで見ると香里ってスタイルがいいのな。北川じゃないが思わずドキっとするのも分かる気が……
おっ、これなんかどーすか 紐っすよ紐。波のプールでのアクシデントはもう必須イベントって事で慌てふためく香里が楽し
「祐一♪」メキメキ
「……なんか決して聞いちゃいけない類の音が俺の頭からダイレクトに聞こえてくるんですが?」
「今、香里を変な目で見てなかった?」
「見てません見てません。これっぽっちも見てません」
友としてピュアな目で見てただけです。それより人が宙に浮くほどのアイアンクローはどうかと思うんですが。
「正直に言わないと痛い目見ちゃうよ?」
これは痛い目には入らないんですか。そうですか。
「お上にも情けはあるんだよ〜。正直に言えば罪は軽くなるんだおー」
うん。やばいね。だおー名雪は赤信号だね。
生命の危機に俺は言い訳を必死で考えるが頭が痛くて浮かばない。
背に腹は代えられないのでここは正直に言って回避しよう。
案外、正直に言えば名雪も頬を膨らませるだけで許してくれるかも。
「ゴメン、ちょっとムラムぎぃゃあァぁあァァああああアあアァぁああああああああアアアアアアアアアアアアア」
エジソン作戦は失敗に終わった。
「くっ! 相沢、今助けるぞ!」
薄れゆく意識の中、北川が果敢にもだおー名雪に向かってゆく。
片手が封じられている今の名雪ならもしかすると北川に勝ち目があるかも知れない。
頼んだぞ、マイブラザー。そして出来ることなら早くしてくれ!
俺は陸に打ち上げられた魚よろしく、全身をヤバい痙攣をさせながら北川を応援した。
「うおおおおおっ」
雄叫びを上げながら北川は飛んだ。
それはまるで空を飛ぶ鳥の如く。
それはまるで翼を羽ばたかすかのように。
そしてその勢いを利用した体当たりは―――
ずん!・・・ぷちゅ
だおー名雪の陸上部の部長さんキックによって撃ち落された
勢いが仇になったのかそれは完璧なカウンターだった。
陸上で鍛えられた名雪のしなやかな足によってこの日、北川の翼は折れた。ぽっきりと。
その結果
股間を押さえ白目を向いて泡を吹き、ヘタしたら俺よりヤバい痙攣をする北川がそこにいた。
「ねぇ、祐一。これ似合うかな」
「勿論でございます」
天国にあと一歩どころか限りなく近いリーチを身を持って体験した俺が
名雪様に絶対服従を誓ったのは無理からぬことと言えた……
「んん〜〜。やっぱりイチゴサンデーは最高だよ〜〜」
「名雪はいつもそればっかりね」
「だってイチゴサンデーなんだもん」
「理由になっていないわよ」
買い物を終えた俺たちは百花屋で一息入れていた。
「でもプールなんて久し振りで楽しみだよ〜」
「ハイハイ。楽しんでらっしゃい」
香里は目を瞑りながらコーヒーを飲むと、ご馳走様と言わんばかりに言った
「あれ……香里も一緒に行くんだよね?」
それを聞いた名雪は不思議そうな顔で香里の足元を見る。
名雪の視線の先には鞄と並んでさっきの店のロゴが入った紙袋が置かれていた。
結局、名雪に付き合って香里も水着を買ったのだった。
「あたしは可愛いのがあったからついでに買っただけよ。それに二人の邪魔をするほど野暮じゃないわよ」
「あれ? でも祐一は香里たちも一緒に行くって……」
名雪は首を傾げながら俺を見る。すぐさま俺の首は回れ右。
「……どういう事かしら? 相沢クン」
痛いです 香里さんの視線がとても痛いです
名雪には香里たちを誘ってプールにいくぞとしか伝えていなかった。
ヘタに名雪に事情を話してギクシャクされると勘がいい香里に気付かれる危険があったからだ。
何はともあれ作戦の第一段階は成功だ
少し早いがやむを得まい。このまま作戦2へ移行する
作戦その2
百花屋で談笑。いつの間にか4人でプールに行くことになっちゃった作戦
つーか、すでに香里も水着を買ったんだから誘えば断る理由はない。
遠慮して少しは渋るかも知れないがまぁそれは押しの一手だ。
百花屋では待ち合わせの時間を決める計画だ。
まさに非の打ちどころの無い作戦だった。
俺はコホンと咳払いを一つして。
「「せっかく水着も買ったんだし香里も今度の休みに一緒に行かないか?」」
「「言っておくけど相沢クン、あたしは行かないわよ」」
「……ちょっとタイムしてもいいですか?」
「どうぞ」
再びコーヒーを口元に運びながら落ち着いた返事をする香里を横目に俺はこめかみを人差し指で抑える
落ち着くんだ祐一。
本来の計画では自然に切り出した俺の誘いに香里は遠慮しながらも渋々頷く予定だったはず。
なのになんだ。
この見事なまでの相殺っぷりは??
俺はギリギリと爪を噛みながら恨めしそうに香里を見上げた
だが諦めるのはまだ早い。
こうなったら押して押して押しまくるのみ。奇跡の伝道者を甘く見るな!!
「なぁ、香……」
「いかない」
「今度の……」
「いかない」
「プー……」
「いかない」
目を瞑りながら淡々と答える香里。
俺に発言権は与えられてないようだった。
完全にKOされた俺はテーブルにひれ伏した。
も……もう駄目だ
俺は真っ白な灰になりかけた時、名雪の「ええ〜」と不満の声が聞こえた。
「香里〜、行こうよ〜。わたし香里と泳いだことないんだし」
名雪の言葉に俺は
「あれ? 二人って確か中学から一緒だったんじゃ?」
「うん。そうだよ」
「その間に一回もプールに行かなかったのか」
至極当然な疑問を投げかけると名雪はあっさりと「うん」と答えた。
「あの頃はそんな気分になれなかったのよ」
香里は俺たちから視線を外すと窓の外を見て呟いた。
香里が大人びてるのは辛い経験を乗り越えたからだ。
俺は尊敬に似た視線で香里を見ると横から
「よし! それじゃ美坂チームの記念すべき初プールだな」
「楽しみだね〜」
「だからっ! あたしは行かないって言ってるでしょ」
北川と名雪のポジティブタッグの前にはさすがの香里もたじたじだった。
休日の陽が真上に登る頃。
俺と名雪は駅前のベンチに座っていた。
もうそろそろかと腕時計に視線を移したちょうどその時。
「あっ、香里〜」
ぱたぱたと手を振る名雪の声に視線を戻すと
「『あっ、香里〜』じゃないわよ」
手で顔を押さえながらラフな姿の香里が俺たちの所に歩いてきた。
「二分の遅刻だぞ」
「強引に誘ったんだからそれくらいオマケしなさいよ」
俺の軽口にげんなりとした表情で答える香里。
香里には今日は楽しい一日にはならないらしい。よっぽどプールに嫌な想い出があるんだろうか?
プールに行くことを最後まで拒絶した香里曰く、泣く子と名雪には逆らえない、だそうだ。
「それはそうと北川クンは?」
香里は辺りを見渡すと真っ先に来ているだろう北川の姿を捜した。
うん。俺もてっきり一番最初に来てると思ってた。
なにより今日を一番楽しみにしてたのは北川だったし。
「北川クンが来ないんじゃ仕方ないわね。今日は解散ってことで」
「お前に待つという選択はないのか?」
到着30秒で解散宣言をする香里に思わずツッコミを入れる。
そんなにプールが嫌なのか?
「あ、北川君も来たみたいだよ」
「だそうだ。残念だったな香里」
ガックリという音が聞こえてきそうな風に肩を落とした香里に少し意地の悪い笑みをかけてやる。
そして名雪の視線を目で追うと
頭の中が真っ白になった
「悪い。寝過ごした」
俺たちの所に走ってくると北川は肩で息をしながら謝った。
「大丈夫だよ〜。わたしたちも今来たところだよ」
「いやぁ、今日が楽しみでなかなか寝付けなくてさー」
「あ、それわかるよ。遠足の前の日とかってそうだよね」
「そうそう。水瀬はバッチリと寝れたか?」
「バッチリ、だよ」
名雪 お前、北川を見てそれだけか?
「香里も北川君もラフな格好だね。わたしもサンダルでくれば良かったなぁ」
「プールにビーチサンダルはお約束だからな」
違う 違うんだ名雪。
ビーサンとか、そんなどーでもいいことじゃないんだ。
北川……なんで……
なんでお前、海パンなんだよおおおおおおおおおおおおおおおぉぉおぉおぉぉぉおお
ラフと言う言葉の存在意義に対して宣戦布告をしているとしか思えない北川の姿に
俺は声を出さずに絶叫したのだった。
プールや海なら別になら違和感がない姿でもお昼時の駅前ではそこだけが別の空間を作り出していた。
ここから電車で一つ行った所が目的地。
……ゴメン。俺も解散にちょっと賛成。
「あれ? 香里、泳がないのか?」
俺は水面から顔だけを出すと未だプールサイドにたたずむ香里に声を掛けた。
「え、ええ。準備体操は念入りにしとかないとね」
言って香里は俺たちに手足をブラブラとさせて見せる。
「おーい、美坂〜〜。いい加減そろそろ泳ごうぜ〜」
北川はお預けを喰らった犬のようにプールサイドにしがみつきながら早く早くと香里を急かす。
「まだよ。もうちょっと時間掛かるから相沢クンたちは先に泳いでてくれる?」
言いながら香里の準備体操は5周目に突入した。
……もしかして香里の奴……
水の中で準備体操に精を出す香里を見ながら、ふと俺の脳裏に一つの考えが過ぎった。
浮かんだ可能性に思わず顔がにやけ、俺はそのまま香里をジーっと見る。
刺さる視線に気付いたのか香里はくるりと背を向けた。あらかさまに俺と目を合わせまいとしている。
ふっ。愚かな……。
今の行動は俺の疑問に「YES」と答えたも同然だ。
「あれれ〜、香里、お前ひょっとして……」
からかい口調で香里に声を掛ける。
いつもは何を言っても簡単にかえされたり流されたりするが果たして今日は。
俺の言葉に香里はビクリと肩を震わしながら硬直した。
あの冷静な香里が面白いくらい動揺してる。
勝てる! 勝ち戦や!!
香里城の落城まであとわずか。
勝利を確信した俺は士気を高め一気に本丸まで攻め込もうとするが
「ひょっとして……なによ」
香里の低い声に遮られて喉まで出かかった言葉を思わず飲み込む。
さっきまでの余裕が瞬時に凍りつくのが分かった。
もしかして 踏んじゃったのかな 地雷原(泣)
妙な川柳が頭に浮かぶが口には出さない。こんなのが辞世の句だった日にゃ浮かぶに浮かれない。
香里はゆっくりと首だけを動かし、俺を見る。
…………訂正。
めっちゃメンチ切られてますわ 俺
その目は暗に
それ以上先を言ったら親でも判別できないほど殴り倒すわよ
と雄弁に語っていた。
頭脳明晰で有言実行が信条の美坂嬢はやると言ったらやる。いや、殺られる
「あ……あははは」
本能がそれ以上踏み込むなと大音量で警笛を鳴らしていた。
口封じが理由でたった17年の人生を終わらせる気はさらさらないので乾いた笑いでその場をスルー。
北川は俺たちのやりとりを首を傾げながら見ていたがやがて
「なぁ、相沢。ひょっとして美坂、泳げないのか?」
毎日が幸せ一杯の北川はあっさりとタブーを口にした。
あーあ、言っちゃった……。
無知とは時に罪だと思った。
巻き添えは遠慮したいので俺はさり気無く北川から離れる。
すぐさま香里の口封じが北川に飛んでくるかと思いきや
あれ……香里さん固まってらっしゃる。
まさか北川に見破られるとは思っていなかったのか、香里は愕然としていた。
ようやく我に返った香里は耳まで真っ赤にしながら北川の発言を否定する。
「ばっ……馬鹿ねー。そそそそんなわけないじゃない、泳げるわよ?」
ええ、確かに香里さんバッチリ泳いでますね。目が。
「そうだよなー。美坂はスポーツも万能って感じだもんな」
何故か男は片想いの相手に完璧な理想像を投影させる習慣がある。
確かに香里は運動もそこそこ出来るがそれが全ての競技に当てはまるとは限らない。
「美坂の泳ぎってきっと人魚みたいなんだろーな」
そう言う北川の目はいやらしいとかではなく純粋に期待にきらきらと満ち溢れていた。
「えと、あの……そう! あたし、足がつく浅いプールって苦手なのよ!!」
……苦しい……それは苦しいよ、香里……
北川の眼差しを咄嗟に思いついた言い訳で逃れようとする香里
「へーっ。泳ぎが上手いとそういうもんなのか?」
「そ……そうなのよー。本当は泳ぎたくて仕方ないけど無いんじゃしょうがないわねー」
「じゃあ、あっちに美坂が泳げるくらいの深さがあるからそっち行く?」
北川が指差すその先にはあら不思議。屋外だと言うのに飛び込み台が。
俺と香里は黙って飛び込み台を見上げると一番高いところで10Mはある。
あの高さからもし風で煽られて地面に落ちた日にゃ確実に中身ばら撒いちゃいますわな。
あ、香里さん呆然としてらっしゃる
しばらくして香里はギギィと俺を見ると北川に気付かれないようにアイコンタクトを交わす。
『なんであんなのがここにあるのよ』
いや、俺に言われても。
『何とかしなさい! 死ぬわ! このままじゃあたし、間違いなく死ぬわ!!』
し……死ぬって……なにもそこまで。下は水だし。
『飛び降り自殺か入水自殺の違いでしょ!!』
俺と香里のアイコンタクトに気が付いた北川はジト目で俺たちを見ると
「相沢、誰に断って美坂と見つめ合ってるんだ」
思ったことは考えるより先に口に出す北川は素直に嫉妬を口にする。
「あ、わかった。お前、美坂と一緒に飛び込もうなんて考えてるな」
「いや、全然違うし」
大体、飛び込みは二人でするもんじゃないだろが。ウォータースライダーじゃあるまいし、どっから出るんだその発想。
「させんぞ! 断じてそんなことはさせんぞ!! お前がするくらいなら俺がやる」
「えっ?」
何を勘違いしたのか北川はもの凄い勢いで水面から上がると香里を担ぎ走り出した。
虚をつかれた香里は抵抗すら忘れているのか目を点にしながら北川にさらわれて行く。
人一人担いでいると言うのに北川は難なく階段を登っていく。これもひとえに愛の力と言うのだろうか?
「嘘。もしかして二人で飛び込む気? 勇気あるなー」
飛び込み台の頂上は滅多に挑戦者がいないのか、辺りがざわざわと騒ぎ出した。
「おい! 北川、止めろ」
騒ぎになるのは面倒なので俺は咄嗟に北川に呼びかけた。
「おい、あれ、北川って奴らしいぞ」
ざわざわは次第に広がっていき、そして……
「いいぞー頑張れ北川ー」
何処にでも無責任に扇動する輩は現れる。
一人が煽るとその隣が続き、あれよあれよと言う間に連鎖する。
やがて
『きったがわ! きったがわ!』
沸き起こる北川コールの喝采
いや、最初に北川の名前呼んだの俺だけど。
北川は頂上でギャラリーに向かって親切に手を振っている。
うーん。困った。
ここまで騒ぎが大きくなったらもう俺には止められないな
仕方がない。
こうなったら俺に出来る事を精一杯するだけだ。
俺は気持ちを切り替えてすうっと息を吸い込むと
『きったがわ! きったがわ! きったがわ!』←1人追加
「香里〜。ふぁいと、だよ〜〜」
隣では名雪ものほほんとした声援を送っている。
ここからではイマイチ香里の表情が見えないがようやく我に返ったようだ。うわー。暴れてる暴れてる。
「ーーーーーーーーーっ!!」
香里は何かを泣き叫んでいたが北川コールにかき消される。
ふと、北川が手を挙げると、ピタっと止む北川コール。
「栞! 助けて しいぃおおぉりぃぃぃぃぃっっ!!」
奇妙な静寂が辺りを包む中、香里のヒステリックな悲鳴だけが聞こえた。
パニクった時、人間は無意識に最愛の人の名を叫ぶらしい。
前々からもしかしてそーじゃないかなーと思っていたが、やはり香里は重度のシスコンだったようだ。
納得しているその間にも暴れる香里。
逆光で見えにくいが空に近い場所で惜しげもなく北川に拳を振舞う香里はさながら天が仕わせた鬼神だった。
全国的に晴れ空が広がる中、所により赤い雨が降ってくるが北川は今日も元気だった。
「北川潤、いっきまーす」
顔面をジャガイモの妖精のように腫らした北川は大勢のギャラリーが見守る中、トンっと先端の足場を蹴った。
「いいぃぃゃゃあああああああぁぁぁぁぁぁ」
香里の悲鳴は盛大に上がった水飛沫にかき消されたのだった。
「いやー、楽しかったな美坂」
10Mの高さから垂直に落下したと言うのにケロっとしている北川。
その横で当然といえば当然なんだが香里はぐったりとしている。
あの後、湧き上がるギャラリーの中、一人事情を知っていた俺はすぐに飛び込んでワカメのようにぷかぷか浮かぶ香里を救出。
香里は長い髪から雫を垂らし、ケホケホと咽ながら俺をゆっくりと見上げ、まるで呪詛を吐き出すかのようにボソっと呟いた。
「……覚えてなさいよ」
それが命の恩人に向けられた香里さんのお礼の言葉でした。
翌日の放課後
俺は北川から報酬を受け取った後、全力疾走で水瀬家までの道のりを走った。これでもかと言うくらいに。
鞄は教室に置きっぱなしだ。んなもん走る邪魔にしかならない。
学生らしくない?
失礼な! 俺は今から学校じゃ教えてくれないことを自習するんだ。
90分バージョンのスキルを身に付けた暁には名雪と明るい未来に向かって第一歩を踏み出すのだ。
不詳、相沢祐一17歳
例えこのSSが18禁になろうとも世界の壁を越えさせていただきます。
えっ? これは寄贈SSなんですか?
ご愁傷さまです。
俺は水瀬家のドアを静かに開けると気配を消しながら廊下をほふく前進。
リビングに敵がいないことを確認するとすぐさまデッキへ例のブツを投下。
では、さっそく拝ませて貰います。
当然、画面に向かって一礼も忘れない。
再生ボタンを押そうとしたとき、ふと気がついた。
ティッシュ……足りないかな?
危ない危ない。
俺としたことが弾装のリロードを忘れるとは。
戦闘が始まればリロードする間も惜しいというのに。
一旦、リモコンを置いて俺は買い置きしてある筈のティッシュを捜す。
「あれ、おかしいな」
日用品の買い置きが置いてある場所をくまなく捜すがお目当ての物が見つからなかった。
「秋子さんが買い置きを切らすなんてする訳ないしなぁ」
「何を捜してるんですか?」
「いえ、ティッシュの買い置きはどこかなーって思いまして」
「それでしたら二階の方の空き部屋にまとめて置いてありますよ」
「あ、そっちでしたか」
「はい」
俺の悲鳴が水瀬家に響いた
「祐一さん、ご近所に迷惑ですよ?」
「あああ秋子しゃん?」
一体いつの間に帰って来たんですか?
ガタガタと震えながら俺は気配を微塵にも感じさせない家主さまを見上げた。
「今日は随分と早いんですね」
俺の怯えに気付いていないのか秋子さんはいつもと変わらない笑顔で俺を見る。
「い……いやぁ……その、勉強しようかなーって思いまして」
嘘ではなかった。
「そうですか。頑張って下さいね」
「あはは……頑張ります……」
デッキに投入したままのビデオは隙を見て回収するしかなかった。
秋子さんに隙が出来るんだろうかという疑問を抱きながら俺は力なく呟くとフラフラとした足取りで二階へと向かった。
「なんだか元気がないみたいだけど祐一さん、どうしたのかしら?」
首を傾げていた秋子さんだったがやがて何かを思い出すと
「そういえば今日は……」
小さく呟いたのだった
「ごちそうさまー」
水瀬家の食卓に名雪の声が響く。
俺はもそもそと秋子さんの手料理を口に運んでいた。
あれから幾度と奪還を試みたのだが、まるでタイミングを見計らってるかのように秋子さんと鉢合わせし、
その都度、言い訳をしながら自軍の拠点へやむなく撤退。
結果、いまだ核クラスの爆弾はデッキの中にあった。
ご飯の味、しません。
「わたしTV見てるね」
名雪の声が聞こえた気がするがよくわからん。
俺は焦点の定まっていない目で細々と箸を口に動かしていた。
「……祐一さん」
どこか遠くで秋子さんが誰かの名前を呼んでいた。 ん? ユウイチサン?
「ひゃい!!」
黄色い声で俺はすぐさま起立。
見ると困った顔でこっちを見る秋子さんが目に写った。
ななななんですかー。
その暗い顔はもしかしてバレテマスカー。
何故か片言だった。
「お口に合いませんでしたか?」
「へっ?」
「あまり食が進んでいないようなので……」
申し訳なさそうに言う秋子さん。
な……なんだ。そっちか。
「い、いえ。秋子さんの料理は何時でも美味しいですよ」
俺は慌ててフォーロする。
いや、別にフォローを入れないでも秋子さんの料理はお世辞抜きで美味い。
「そうですか? それじゃどこか具合でも悪いんですか?」
「いえ、健康そのものですよ」
むしろ、違うところが健康すぎて困るくらいですとは言えない。
俺は椅子に座り直すと、再び箸を動かす。
「うん。美味い」
「そうですか」
ホッとしたのか秋子さんにいつもの表情が戻った。
「面白いTVやってないなぁ」
リビングからはTVから流れる笑い声とともに名雪の声が聞こえた。
よっし!
俺は秋子さんには見えないようにテーブルの下でガッツポーズ。
ようやくチャンスが到来した。
今日は特に面白い番組もないし名雪もすぐに飽きて風呂に入るはずだ。
あとは秋子さんが後片付けをしている間に回収だ。
「お風呂はいってこよ寝ようかな?」
おう。とっとと入って来い。
「あれ……このテープなんだろ?」
その瞬間 俺、カタパルト・ダッシュ。
「駄目ええぇぇぇぇッ!!」
泣きながら名雪の前に立ち塞がろうとするが、ほんの僅かに名雪の指の方が早かった。
終わった……。
あはは、終わっちゃった。
人が全てを失うときってこーゆー気分だったんだぁ。
俺はケタケタ笑いながら泣いていた。
しかし名雪は画面を食入るように見ながら
「あああっ!! 猫さんだよ。猫さんがいっぱいだおーー」
ナンデスト?
俺も慌てて画面を見る。
そこには忘れもしないあの畜生ども再び襲来。
どうして外国産のねーちゃんが外国産のニャンコに変身してますか?
思考が完全に停止しているその横で
「可愛いよー。抱きしめたいよー」
「夕方に再放送するって新聞に載ってたから録画しておいたのよ」
片づけを終えたのか手を拭きながらリビングに来る秋子さん。
「あっ! 祐一なにするんだおー」
俺は名雪を押しのけ、フラフラしながら早送りボタンを押す。
まだだ。まだ終わったわけでは……
早送りで画面を見るとビデオは猫から始まり猫で終わった。そして砂嵐。
この世に神はいなかった。
……北川、マスターテープって言ってた気が……
俺はさらさらと灰になり、すきま風に流された。
この日、俺の文字通り血と汗と涙の結晶は再びAVに生まれ変わったのだった。
END
あとがき
まず始めに。
想良さん遅れて申し訳ないです。(土下座)
8月にSS送りますよ〜と言ってから今12月。
だ……駄目だろ。それ。
『少年よ野望を抱け』はここに投稿させて貰い初めて書いた作品です。
約1年でどれだけ文章が変わったのか。敢えて同じテーマで書きました。
内容は前作をトレース出来れば続編としては成功のつもりでした。
これ、もはや続編じゃないデスネ……
この作品を書いて改めて自分の未熟さを痛感できました。
読者の方々にはお目汚しですが楽しんで貰えれば幸いです。
2003/12/08 月海涼秋