ドレアム戦記

ドレアム戦記 黄龍戦乱編

第2話

 リガネス城の北西、小高い丘の上に軍勢が集結していた。その数は1万数千。その軍勢を見渡しながら、指揮官と思われる若い男は、横にいた風体が似ている男に話しかけた。
「ふう、なんとか虎口を脱出しましたね、兄上」
「ああ。だが何と言っても、お前の采配のおかげだ、ノブシゲ」
 モトナリは、そう言って弟を労った。
 ノブシゲは謙遜したが、演習を兼ねた陽動作戦のつもりが本格的な戦闘に巻き込まれ、そこまでは想定の範疇だったものの、更に月の神殿とリガネスが同時に攻撃されるという事態に追い込まれて、急遽撤退作戦を立案して実行した能力は誰からも認められるものである。加えて言うならば、兵の犠牲も数百人で済んでいる。
 ノブシゲはリガネス城の方向を見渡した。城の南側には帝国の軍営が見える。3万の軍勢による陣立ては強大な勢いを奮っているかのようにも思えた。
「兄上、我々の利は速戦にあります。そのうち帝国軍にも我々の存在がしれましょう。そうなる前に西門を塞いでいる軍勢を蹴散らしましょう」
「うん。私もそう思っていたところだ。兵達の疲労は多少あるだろうが、よろしく頼む」
「はい!」
 ノブシゲは、爽やかな表情で返事をすると、モトナリの陣幕を後にした。

 3万の大軍でリガネス城を包囲し、有利に戦局を進めていた帝国軍だったが、手痛い反撃を受けた。
 その日の朝方、朝靄に紛れて急に現れた軍勢が、リガネス城の北西から西門を攻めていた5千の軍に襲い掛かった。朝で兵の準備が遅れたことと、城の方角を重点的に哨戒していた帝国軍は虚を突かれた格好となり、初動が間に合わずに包囲していた陣中にまで攻め込まれる形となった。
 結果、帝国軍は西側の陣を放棄して南の本営に落ちのびていく。攻め込んだドレアム連合軍は、フドウが敵の副将を討ち取る功名を立てたほか、他の武将や将校までもがそれぞれ帝国軍の名のある将校などを討ち取る大成果をあげた。
 そして、もう一つ。
 東門を攻めていた軍勢もまた、東から来た騎馬隊の猛襲を受けて撤退した。こちらは、西側での戦闘の情報が予め入っていたのか、大した戦闘にもならずに陣を棄てて逃げている。
 ここで不思議なのは、騎馬隊は再び踵を返して城から離れてしまったことであろう。しかし、それが何故かと考える余裕はなかった。というのも、東西の門攻めに失敗した帝国軍が、間髪入れずに大挙して押し寄せたからである。連合軍の増援を見て、合流されて態勢が整うのを嫌ったということのようだ。相手の将軍も機を見る目を持っているということのようだ。
<まずいことになった>
 マクウェルは、騒然となった城内をアルタイアの元に向かって移動していた。彼の予測が当たっていれば、リガネスは落ちる。それを防ぐためには、アルタイアに会って、彼の口から命令を発してもらわなければならない。
<頼むぞ。間に合ってくれ>
 マクウェルがアルタイアの元に辿り着き、彼の考えを伝えて至急命令を発してもらおうとしたときに、伝令が真っ青な顔をして広間に入り、最悪の事態を告げた。
「も、申し上げます。東門から入ったノースフロウの騎馬隊が攻撃を仕掛けてきました」
「くっ、間に合わなかったか」
 マクウェルが思わず言葉を漏らした。彼の予想通り、騎馬隊は東側の帝国軍を形だけ追い払い撤収。ここまでは前回とほぼ同じで、あの時は帝国軍も撤収し事なきを得ていた。だが今回は帝国軍が間髪入れずに南から攻め寄せた。すると騎馬隊は再び東門に戻ってきて、南側に援護に行くための城内通過を要求する。東門の兵は、先ほど目前で帝国軍を蹴散らした騎馬隊が味方だと信じたこと、そして周囲には帝国軍の姿がなかったことも相まって、騎馬隊の要求を聞き入れて東門を開ける。こうして騎馬隊は悠然と城内に入り、その後で態度を豹変させて一気に攻めかかったという。
「公爵、このままではリガネスは守れないでしょう。残念ですが、撤退しましょう」
 マクウェルは頭をフル回転させて、アルタイアにそう勧めた。幸い、西門を味方が押さえてくれたので、そちらからならば逃れることは可能だ。
「待て、城内の民や兵士はどうするのだ」
「閣下、既に一部の民達は西門から脱出を始めています」
 インドラが広間に入ってくるなりそう告げた。
「伝令、東から侵入した騎馬隊の数は」
「およそ5千」
 その数を聞いたとき、マクウェルの導き出したもう一つの予想が忽然と脳裏に浮かび上がった。
「まずい、城外の援軍に知らせなければ」
「なにをだ、マクウェル」
「城内に入った騎馬隊は多分半分。残りは援軍に襲いかかり、我々の退路を絶つつもりです」
 アルタイアの顔色が変わる。
「ぐぬぬ、そんなことはさせん。インドラ!!」
「はっ」
「南門のライセツに西門への撤退を伝えろ。それから、城外の味方へ伝令をしろ。騎馬隊が迫っていると!」
「はっ」
 インドラが一礼して走り出た。その姿を見ながらアルタイアは近衛兵達を呼び集める。
「マクウェル。お前は俺の傍を離れるな」
「わかりました」
 こうしてリガネス公爵アルタイアは、近衛兵達と共に白陽宮の広間を後にした。

 リガネス城を巡る戦いは、混戦の一途を辿っていた。
 西門で破れ、東門から撤収した帝国軍は南門に集中攻撃をかけた。これに対してライセツ将軍の下、2千の兵士達が必死の防備を行った。士気は非常に高く、城壁と城門の堅い守りにも助けられて戦いは拮抗していたが、その時点ではもう、東門から堂々と入り込んだジャムカの騎馬隊が隠していた牙を剥き、城郭内で大暴れをしながら白陽宮に迫りつつあった。
 ライセツは息子インドラからの伝令を受け、瞬時にその意味を悟ってその命に従うため、南門の守備兵達を集めた。非番の兵も合わせて4千の兵が集まるのに然程時間が掛からなかったのは日頃の訓練の賜物と言えよう。
 こうしてライセツ率いる一団は南門を離れ、西門に向かう。その後南門が破れ、帝国軍が侵入してきた時には既に一兵の姿もなかったのだから、それは鮮やかな撤退だった。
 一方、城外では・・・。
 リガネス城から逃れて来る兵士や民達を収容していた連合軍だったが、突如東から疾風のように現れた騎馬隊による攻撃を受けていた。丁度東側に陣立てをしていたザトー子爵の軍勢は、気がついた時には陣中深く入り込まれていて、陣容を立て直すのにいっぱいいっぱいとなっていた。
「5人一組で槍衾を形成しろ、その背後に弓兵を付けて騎馬兵を個別に撃破するんだ」
 そんな状況ではあったが、若いながらも勇胆併せ持つザトー子爵は、周囲の兵士達に命じて対騎馬用の戦闘隊形を整えつつ、陣容の立て直しを図る。最初の一撃でどのくらいの兵達が命を落としたのかは判らなかったが、彼の周囲にはまだまだ兵達が残っている。
<まだ、何とかやれる。それに、ここで防がないと本陣が危ない>
 ここでもし、ザトー子爵が鳥の眼を持っていたならば、別の戦術を立てたであろう。しかし、この時の彼は知らなかったのだ。彼の本陣が薄皮一枚の状態で敵本隊に肉薄されていたことを。
「ほうっ、虚を突かれて敢え無く崩れるかと思ったが、なかなかやる。持ち堪えているとは有能な将に率いられているようだな。・・・面白い、俺がこの眼で見てやろう」
 連合軍を襲ったのは、マクウェルの予想通り、ノースフロウ王国軍の庇護を受け、今や王国軍の機動部隊として玄武地方を縦横に駆けるジャムカの騎馬隊だった。そして今回は、ジャムカ自らが指揮を執って連合軍の横腹に楔を打ち込むように攻め込んでいる。
 そのジャムカは、自分の馬廻りを囲む薄絹を身に纏った美女を伴い、悠然と戦地へ入り込んでいく。そこでは、騎馬隊の攻撃に槍兵が小集団を形成して対抗するといった形で戦闘が行われていた。騎兵1騎に対して槍兵が4、5名で槍衾を作り、背後の弓兵の援護射撃も効を奏して、一進一退の攻防が繰り広げられている。
「ほうっ、なかなか・・・」
 ジャムカは感心したように感想を漏らしながら全体を見渡し、お目当てのものを探し出した。
「あれか、・・・いくぞ!」
「「「はっ」」」
 ジャムカが馬を駆る。馬廻りの美女達も遜色ない速度で走った。と、そのジャムカに気付いたのか、連合軍兵士が放った矢が飛んできた。
 矢は別方向から2本、明らかにジャムカを狙ったものだった。そのうちの1本は矢の速度も速く、明らかに達人が射たもので避けることは難しかった。
と。
ザシュ!
 矢がジャムカに届く直前、一番近くの美女が地を蹴って跳ぶ。そして、1本の矢を剣で叩き落したが、別方向から飛来した矢は防げないことを悟ったのか、自らの身体で受けるように動く。矢はその勢いのまま、美女の二の腕に深々と刺さった。
 美女はそのまま、矢が空中で刺さった衝撃を受けて飛ばされ、地面に叩きつけられた。しかし、ジャムカ以下周囲を取り巻く他の美女の誰もそれを気に止めずに、何事もなかったかのように通過していく。
 そして、暫くすると地面に転がった美女がゆっくりと起き上がり、二の腕に刺さった矢をおもむろに掴むと無造作に抜く。その表情は全く変わらない。美女は矢を投げ捨てると、ジャムカを追って走り出した。矢を受けて抉られていた筈の傷口からは、走っているうちに段々と出血が少なくなっていき、止まる頃には傷口自体もほぼ再生して塞がっていた。
 ジャムカは馬を止めた。
 彼の視界には、正面で指揮を揮う男の姿が映っていた。年の頃は30前後といったところに見えた。そして、その男もまた、ジャムカを捉えていた。
「ふふっ、お前、なかなかやるな。俺はジャムカだ。さあ、お前も名乗るがいい」
「俺はザトー。ジャムカ、その首貰い受ける」
「威勢がいいな。まあ、相手をしてやろう。お前達、あいつに天国と地獄を見せてやれ」
「「「はっ!」」」
 馬廻りの美女達が一斉に動いた。これには一瞬躊躇ったザトーだったが、廻りの兵士にも合図して対抗させる。
 ザトー子爵腹心の剣士や騎士達が一斉に襲い掛かる。対するは薄絹だけを身に纏った美女。服の下には下着もつけておらず、美しい双乳や乳首の頂、下腹部の陰りまではっきりと見えていた。しかし、その動きは常人の追える速度ではなく、踊り子のように優雅に舞ったかと思うと血飛沫を上げて転がるのは部下達のみ。そして、返り血で染められた衣を身に纏った美女がザトー子爵を囲むまで然程の時間はかからなかった。
「ふふふ、将には将に相応しい死に方を用意しないとな」
 ジャムカが合図すると、剣を突きつけられて身動きできないザトーの身体を前後から美女が挟み込んだ。
「なっ、なにを・・・、んあっ!」
 ザトーのズボンと下着が切り落とされ、露出した陰茎を2人の美女がしゃがみこみながら舐め始めていた。そのテクニックに、陰茎が屹立した肉棒と化すまで僅かだった。同時に、前後の美女がザトーの顔を両手で挟むように掴み、唇を奪い、こじ開け、唾液を送り込む。口の中に溢れる唾液を吐き出すこともできないザトーが仕方なく呑み込むと、彼の全身が痺れるようになって下半身から来る快楽の熱が染み渡るように駆け巡る。
「んむぅ、んぬぅ!」
 ザトーは思わず射精していた。しかし、快楽は治まるどころかますます高まり、美女に咥えられた肉棒も硬さを失わずに次の射精へと高まっていく。
「んくぅ、ふぅぅぅ!」
 ザトーは下半身が溶けるような感覚に何もかも判らなくなっていた。今ここがどこで、今まで何をしていたかも吹っ飛んでしまうような快感が次から次へと襲い、彼を高みへ高みへと昇り詰めていく。
 ザトーの肉棒を咥えた美女は、射精された精液をおいしそうに喉を鳴らしながら呑み込んでいた。2人が何回も交替しているので、射精回数は優に10回は超えている。しかし、肉棒は全く萎えることなく次から次へと精子を放出し続けていた。
 ザトーの思考はもう、快楽に溺れそれを感じることのみを受け入れていた。視覚、聴覚嗅覚、味覚、触覚の5感全てが快楽以外の何も感じることができなくなっていた。他の感覚がブラックアウトしている。そして、ついに快楽が彼の生存本能をも侵し始めるときが来た。彼の心臓は暴走し、最後の大きな鼓動を打った後は震えるように細動するだけで二度と動かなかった。最後の射精と共に。

 白陽宮を脱出したアルタイアとマクウェルだったが、思いのほか騎馬隊の動きが早く迅速な退避をし損ねていた。白陽宮から西門に続く大通りにはもう騎馬隊が押し寄せていたため、追っ手をなんとか振り払うために、市街地の複雑な路地を進まざるを得ない。付き従うのはアルタイアがその素質を認めて普段から鍛えている手技者が10数名。残りの白陽宮の守備隊の兵士達は、敵兵の眼を別に向けるため、インドラが率いて大通りを東に移動している。
 しかし、少人数の彼らにも追っ手は掛かっていた。狭い路地なので騎馬では沢山入り込めないものの、馬に乗った敵兵と何度か遭遇していた。
「くっ、またかっ」
 向かってくる騎馬兵の姿を捉えて、アルタイアは大剣を構え、その場で振り下ろした。その剣圧によって真空波が生まれ、一陣の刃となって敵兵を打つ。
 敵兵は腕を肩から切り取られて馬から落ち、アルタイアの守護兵達の手にかかって絶命した。
「公爵、このまま進めば西門まであと少しです。行きましょう」
 マクウェルの言葉に頷くと、アルタイア達は再び走り出した。
 一方、大通りを進むインドラの部隊は、騎馬隊に侵食され、後方に犠牲を出し始めていた。既に白陽宮は占領され、中がもぬけの殻だということを知った敵兵が差し向けた追っ手に、西門まで後100ヤルドという所で追いつかれたのだ。
 それでもインドラは、犠牲を最小限にしながら門を守る必要があった。というのも、まだアルタイア公爵が西門に到達していないのである。更に、南門を守っていたライセツ配下の部隊も多分、城内にいて唯一の脱出口である西門に向かっている筈。
「槍を持つものは固まって槍衾を作るんだ。その間に残った者は近くから柵の代わりになるものを持ってきて据え付けろ」
 インドラの指示が飛ぶ。白陽宮を占領した騎馬兵からどのくらい割かれたかはわからないが、少なくとも彼が率いる2千弱の兵士達よりは数が多いようだ。加えて、敵は騎馬、こちらは歩兵、一部重装のものが居るのが幸いして多大な犠牲こそ出していないが、このまま長く持ちこたえるのは厳しい。
<閣下、父上、早く来てください>
 インドラは祈るように思いながら、劣勢の守備を指揮していた。

「敵騎馬隊が東側の陣に襲いかかりました!」
「何だと!」
 伝令に思わず反応したノブシゲ。咄嗟に横を見たが、席は空だった。そう、本陣に残っているのはもう彼だけになっていたのだ。敵騎馬隊が東側から喰らい付いて来たのを危険だと察知したノブシゲが、兄モトナリをノルバへと逃がしたのである。護衛としてランに500名の兵士を付けて随行させていた。
<これは、援軍どころの話ではない。我が方の軍勢が潰える前に、リガネス軍を伴ってこここから抜けなければ>
 現時点で、リガネス城の西門はフドウががっちりと押さえていた。そこからリガネス市民や兵士達がばらばらと逃れ出てくる。その市民達をノブシゲの本陣の横を抜けて西へと誘導しているのはシデン侯爵の部隊であった。
<脱出している人達に奴らが雪崩れ込まないように、この陣を支えなくては>
 ノブシゲは、誰も居ない本陣を見渡した。本陣の東、北、南東にはそれぞれ地方領主軍の陣が立てられていたが、その要となる東側のザトー子爵の陣が敵騎馬隊の襲撃を受けている。本陣からはカエイとケイの夫婦が率いる弓兵隊を遊撃軍として応援に向かわせているので多分大丈夫だろうと思ってはいるものの、嫌な予感がしないでもない。
「伝令!東の戦況はどうなっている」
「はい。敵は東陣を集中して攻めかかっているようです。南東の陣からオーガ様が応援に駆けつけるそうです」
「おお、テルパの傭兵隊の連中だな」
「はい、カエイ隊長の部隊も先ほど到着されたとのことです」
「よし、ザトー子爵に耐えてくれと伝えてくれ」
「はっ!」
 しかし、ノブシゲはこの時、既にこの一言を伝える相手がいなくなっていたことを知らなかったのである。

 西門を外と中から支えているフドウとインドラ。両方の部隊はそれぞれ敵と対峙していた。フドウは再び攻め寄せてきた帝国軍、インドラは城内で豹変した悪鬼、ジャムカ騎馬隊。このうち、城外のフドウにはまだまだ余裕があった。何と言っても、一度は蹴散らした相手である。いくら優位になって戻ってきたとは言っても、フドウ率いる3千の兵に5千の兵が完膚なきほどに叩かれて敗走したことを兵達は知っているのだ。それ故に敵は最初から腰が引け、味方は一兵卒から勇戦している。
 一方、城内はというと。
 ジャムカ騎馬隊の第2軍団長エゴタイ率いる3千の騎馬の猛圧にさらされた兵士達。彼らが白陽宮守備を任されていた屈強の兵士達ということを割り増ししても、2千を切る人数で騎馬攻撃を支える不利は否めない。
 しかも、守備している場所も悪かった。王宮と西門を繋ぐ大通り、即ち騎馬に有利な場所で相対せざるを得ないということ。とはいえ、インドラ達の目的が西門から逃げる人々をなるべく無事に行かせること(その中にはアルタイア公爵ももちろん入っている)なので、いたし方が無いことでもあった。
 それでもインドラは、巧みな采配と兵士達の高い士気のお陰で、何とか猛攻を防いでいた。近くの家屋から材料を集めて即席の馬防柵まで作っている。しかしながら、既に死傷した兵士達の数は半数にのぼっていた。
 対する攻め方はというと、エゴタイが敵兵の思わぬ奮戦振りにイライラを募らせていた。3度、4度と突撃命令を下すが、思ったような戦果が上がっていない。よって副官に当り散らす。
「副官!何をやっているのだ!!さっさとあの目障りな連中を蹴散らせい!!!」
 副官はエゴタイのかんしゃくに耐えながら、それでも冷静な口調で、味方の犠牲は少なく、少しずつは戦果が出ており、敵兵の死傷が増えていることを説明する。ネルガルチェという名の副官は、エゴタイから見れば身体の厚みが半分くらいしかなく、見るからにひ弱そうな体型である。一応ジャムカから差し向けられたこともあって側には置いているが、内心とても気に入らなかった。
「なまぬるいぞ!!」
 エゴタイは左手に持っていた杯を投げつけた。杯は副官の横を抜けて行ったが、それを副官は微動もせずにやり過ごす。少しくらいは驚けば可愛げもあるというものだが、その態度がますます気に入らない。
「ええい、行け!・・・行ってわしの命を兵に伝えい!!」
結局、エゴタイの怒りに火を注いだ結果に終わった副官ネルガルチェは、一礼して出て行った。
 エゴタイの感情の燻りはどうあれ、副官ネルガルチェの報告したとおり、戦況は確実に騎馬隊に有利な展開となりつつあった。やはり、数の差がじわじわと効いている。防御側の将インドラは死傷した兵を後方に廻し、まだ戦える兵達で防戦していたが、半減した兵数では何とか凌いでいるというのがぴったり当てはまる状況で変わりがなかった。そうしている間にも、じわじわと兵の数が削られている。
<くそっ、父上達はまだか>
 インドラは右手の市街地を眺めた。既に伝令によってアルタイア侯爵が無事に城外に出たことは伝え聞いた。と同時に、南門を守っていたライセツを将とする守備隊がこちらに逃れてきていることも。
<アルタイア閣下が脱出されたので、ここを支える役割はほぼ終わった。だが、父上と配下の兵達も出来る限り逃したい・・・、みんな、あと少しだ。頼む・・・>
 精一杯の防戦に努め、死傷していく兵士達に向かって、インドラは心の中で謝っていた。
「インドラ将軍、柵が突破されました!!」
 感傷に浸っている暇はなかった。インドラは矢継ぎ早に指示を出して突破された側へ残り少なくなった兵を廻す。同時にまだ辛うじて保っている柵を守っている兵士達にも、交替の兵を差し向けた。
「もう少し、もう少しだ・・・」
 うわごとのように言葉が口から零れた。だが、3千の騎馬に徐々に蝕まれていく兵士達は、その力を失いつつあった。
ヒュン、ヒュヒュン、ヒュン、ヒュヒュヒユン、ヒュン!
 耳を小気味よい音が通り過ぎた。その正体が、インドラの視界に飛び込む。通り雨のように大量の矢が降り注いでいた。同時に攻めかかる騎馬隊がそれを浴びてばらばらと落馬していく。
 矢の方角は南。そして、そこには味方の兵士達の姿があった。
「父上!」
 兵士達の最前線に、父ライセツ将軍の姿を見つけたインドラは、思わず安堵と歓喜の両方の感情を味わっていた。
 ライセツはインドラを見つけて頷くと、再度矢を一斉掃射し騎馬隊が怯んだ隙に兵を動かし、インドラの元へ。
「インドラ、よく耐えたな」
「父上、ご無事でなによりです」
「うむ、お前もお前の兵達もよくやった。後はわしが殿を受け持とう。他の兵達を引き連れて門を抜けよ」
「父上・・・」
「わしも後から行く。先に行っていろ。それから、くだらない流れ矢などで命を落とすなよ」
「はっ、はい。では、父上も。ご無事で戻ってきてください」
「うむ」
 インドラは踵を返し、奮戦した兵士達を連れて西門へ向かって行った。その姿を見ながらライセツは、脱出するための殿の役割を果たすために再度矢を番えさせて放つ。
 しかし、彼のこの行為が、返って敵将の気概に火をつけたことをライセツは知らなかった。そう、横合いからの矢の雨とその後の反撃を見た敵将エゴタイが、これは好敵手とばかりに自ら突撃を敢行したのである。
 エゴタイの突撃に馬柵は一撃で粉砕され、殿を守っていた兵士達が鉞によって吹っ飛ぶ。そして、それらの兵士は捨て置いて一直線にライセツの元へ向かってきた。
「ぬおっ!」
 ライセツも槍を掴み、エゴタイの鉞と真っ向から打ち合った。エゴタイの肩には2、3本の矢が刺さっていたが、蚊に刺されたくらいに感じていないのか打ち振るう鉞の勢いは全く衰えない。一方でライセツもまた、50を過ぎているとは見えない豪胆さで槍を突き廻す。
 両者の打ち合う音が周囲に鳴り響く。ライセツは脱出を念頭に置いていたのだがその余裕がなくなるほどの名勝負。
 馬上から振り下ろす鉞を地上からの槍が斜めにいなし、同時に石突で馬を狙う。馬は驚いて立ち上がろうと嘶くが、エゴタイは両脚でバランスをとって態勢を戻しつつ、馬を落ち着かせる。そんな戦いがもう10合以上続いていた。
 実力伯仲の闘いを制するのは、偶然という運。その運命の天秤を傾かせたのは、エゴタイの打撃をいなし損ねた槍の石突が、石畳を打ったことだった。そこにたまたまあった小石が石突に跳ね上げられ、馬の眼を直撃した。
 馬は狂ったように前脚を跳ね上げて暴れた。これにはさすがのエゴタイも態勢を保つことが出来ずに身体が上空を向く。そこに出来た隙を見逃さずに、ライセツの槍が深々と横腹を抉った。
「ぐふぉっ!!」
 身体を槍に貫かれたまま、エゴタイは背中から石畳に落ちた。ライセツはそれを見て軽く一礼すると、残った兵士達を纏めて脱出を再開した。
 兵士達は次々と離れていく。と、その時、背筋にぞくぞくっとした感じを覚えて、ライセツは振り返った。
 そこには、既に絶命しているエゴタイ、そしてその横に細身の兵士が1人。見るものが見れば、それはエゴタイの副官ネルガルチェの姿だとわかったであろう。
「・・・・・・」
 無言でエゴタイの遺体に近寄ったネルガルチェは、エゴタイに刺さったままの槍の柄に手を掛けた。そして、信じられないことに、軽々と槍を抜き振り向きざまに投擲した。
 それこそ矢のような速さで槍は、ライセツに向けて一直線に走った。避けることは出来なかった。
「ぐはっ!なん、だ、とぅ・・・」
 ライセツは、自分の腹に突き刺さった槍と、それを常人ならざる技で投擲したネルガルチェを、驚愕の表情で見つめながら意識を霞ませていった。そこには投擲の際に脱げた被り物からあふれ出た褐色の髪、そして見目麗しい女性の姿があった。

 ノースフロウ王国の商都リガネスは陥落した。
 帝国軍に敗れたリガネス公アルタイアは、引き連れるだけの兵士と彼に従う市民達を伴い、救援に来たドレアム連合軍の力も借りて何とか西へと脱出していた。尾羽打ち枯らすとまではいわないが、犠牲も少なくはなかった。帝国軍に加え、彼らが敗れるきっかけとなったジャムカ騎馬隊との攻防は激しく、リガネスを支えていた1万の軍の中で、将兵3千が返らぬ人となっていた。そして更に、アルタイアを武で支えていたライセツ将軍の最後が伝えられたとき、アルタイアは思わず絶句したほどだった。
 また、連合軍も同様に、ザトー子爵が討死、テルパの傭兵隊を率いて応援に駆けつけたオーガもジャムカ親衛隊の女兵に粉砕され、瀕死の重傷を負った。兵の損害も4千を超えている。それでもリガネスから逃れた市民をリガネス兵士達と護衛しつつ、脱出行を続けた。幸い、帝国軍はリガネス占領を優先したため、追撃はジャムカ騎馬隊からの2千騎だけだった。ジャムカ自身も気まぐれなのか追軍には加わらず、配下に任せて東の草原に戻って行ったのだった。
 しかし、その2千騎だけでも、追撃は執拗だった。コスティガンという名のノースフロウ王国軍からジャムカに預けられた騎馬隊の将が指揮していたが、決して無理をせずに少しずつ殿を削る戦法は理に適ったものであり、侮れない相手であった。
 結局、さらに4、5百の損害を出したところで、モトナリを護衛して戻っていたランが率いるノルバからの援軍が間に合って、一行は何とか救出されたのであった。

 そして、もう一つの戦場。
 玄武地方の北部にある月の神殿が脅威にさらされていた。襲ったのは、紛れもなく魔物の一軍。但し、魔物とは言っても整然と統制が取れた動きを行っており、それは元々軍隊だった人員が丸ごと魔物に変貌したかのようだった。
 月の神殿を囲む町が最初に襲われ、住民たちは神殿に助けを請う者、慌てて逃げ出して行く者、近所の安全な場所を探して隠れる者などいろいろだったが、中には町を守るため戦うという選択を行った人々もあった。彼らは、義勇兵として神官長ノルマンドの元に集い、神殿の警備隊長の指揮下に入ることを望んだ。
 新しい警備隊長が就任してから1年、月の神殿とその町の治安は非常に良くなっていた。王国から赴任してくる筈のベザテードの後任の代官はついに着任しなかったが、代官がいた頃以上に犯罪が減り、人々は平穏な暮らしを謳歌することができていたのである。
 それもこれも、警備隊長テムジンの手腕によるものだった。神殿の神官兵達を的確に鍛え上げ、更には神殿の外に対しても町民から志願者を募って警備隊を編成し、代官の役割だった治安管理を一手に引き受けた。そして、神官兵、警備隊を分け隔てなく訓練し、両者の交流を図ると共に、戦力の底上げを行う。こうして1年の間に神官兵500人、警備隊500人という戦力が備わったのだった。
 だが、押し寄せた魔物達の力は強大だった。兵士の身体は人間よりもはるかに強靭で力も強く、警備隊が3人でようやく敵1人を相手できるくらいのレベル差があった。それでも、テムジンに鍛えられた彼らは心を折らずに戦い、最初の一撃を防ぐことに成功したのだが、100人近い死傷者も出ていた。
 この状況を見たノルマンドは、テムジンと話し合ってノルバへ急を告げると共に、町の人々を出来るだけ神殿に収容することを決めた。本来なら王家の承諾を得たものしか入れない慣わしだったが、そのことについては全く蚊帳の外というか、話にものぼらなかった。これは即ち、既にノルマンド自身が王家に従うつもりが無いということを宣言したようなものであった。
神殿には、以前ルナがジロー達と一緒に現れた地下室が存在している。それまでは神殿のどこかに抜け道があり、町外れの古井戸に繋がっているという噂話程度しか知られていなかったのだが、実際に存在がわかって以来神官達に命じて探索をしており、地下5層に亘り、かなりの広さがあることがわかった。ノルマンドはこれらの地下室を有効に活用することとし、神官達は温湿度が一定であることを利用して燻製や酒の製造、食料庫代わりに使ったりしていた。この地下室ならば、町の人々を収容するには充分足りるだろう。
テムジンの命は直ちに行き渡り、町の人々に退避命令が密かに下された。既に町の外に逃れた者は別として、残された人々は神殿と聖女イリスに感謝の祈りを捧げながら指示に従って移動を始めた。その間、魔物がまた襲撃してくるのに備え、警備隊と神官兵、義勇兵が協力して警備にあたった。その先頭には腰と背中に2振りの聖剣を身につけたテムジンの姿があった。
「隊長、この地区の人達は皆神殿に向かいました」
「よし。あと2地区だな。いつ襲撃がくるかわららない、気を抜くなよ」
「はい!」
 兵士達はそれぞれ返事をすると、残った地区へ移動し始めた。警備の人数が限られているため、人々には移動の準備だけして待機してもらい、ひと地区ずつ堅実な方法で神殿への移動を行っているのである。
 テムジンは数人の警備兵達と最後方を進んでいた。と、生暖かい空気が彼の首筋を撫でたような『気』を感じた。
「ぬ、来るぞ!!」
 振り向きざまに腰の剣を抜き横ざまに払う。刃が何かを裂く手応えを感じると、そこにはいつの間に現れたのか敵の姿があった。胴をざっくりと斬られて崩れるように倒れたその顔からは、両側に張り出した牙が覗き瞳は猫のように縦型の瞳孔が収縮していた。
「ほう、魔虎兵を一撃で葬るとは、なかなかやるな」
 声の方向には、背の高い男が立っていた。背後には10名程度を引き連れているようだ。
 テムジンは無言で構える。付き従う警備兵達も『聖印』を印加された武器をそれぞれ構えた。テムジンが鍛えた中でも手技者の部類に入る者達だが、背の高い男の力はそれを凌駕しており、配下の兵達では敵わないことを瞬時に悟っていた。
「あいつは俺がやる。お前たちは残りを頼む。だが無理せず、生き残れ」
 言い残してテムジンは男に一歩近づく。背の高い男は余裕の表情で嗤うと、同じく剣を抜いた。
「魔虎将ギュスターだ。お前の名は?」
「テムジン」
 ギュスターが動いた。長い腕が伸び、剣が鞭のようにしなりながら打ちかかってくる。だが、刃が貫いた場所にはテムジンの姿はなく、左側で魔虎兵を倒しその反動で高速の突きを放ってきた。
「なっ」
 ギュスターは身体を捻ってかわそうとしたが、テムジンの刃が一瞬早く届きわき腹が裂かれた。
「ふん。こんな傷・・・、・・・何だと」
 ギュスターは魔力を使って傷を修復しようとした。しかし、いくら魔力を込めても傷の直りが異様に遅い。
「聖剣月光、魔を断つ!」
 テムジンが短く言い放ち、再度構えて必殺の突きを放つ。ギュスターは咄嗟に間に合わないと踏むと、隣にいた魔虎兵を掴み間に入れて盾とした。
 聖剣月光はテムジンの剣技に呼応するように魔虎兵を貫く。そのままテムジンが上に剣を引くと、魔虎兵を押さえていたギュスターの手首まで切断した。
「ぐぅわぁっ」
 手首を切断されたギュスターが腕を押さえながら後退する。そして、怒りの相貌をテムジンに向けて気勢を上げ始める。みるみる間にギュスターの体格が縦横に広がり、切断された手首が新たに生え、凶悪な爪牙を持った魔物そのものに変貌していく。
「奴は危険だ、下がれ」
 テムジンは魔虎兵と戦っていた警備兵達に命じた。幸い、軽傷者はいるものの全員無事のようだった。
 完全な魔物と化した魔虎将ギュスターが近くの邪魔な魔虎兵を打ち払う。魔虎兵は壁に激突して潰れたが、そんなことには構わず紅蓮の瞳はテムジンへの怒りを込めて見つめている。
 テムジンは、静かに月光を構えた。刃こぼれ一つしていない銀色の刀身が凛とした『気』を放っている。
ギュスターは武器を持たなかったが、身体全体が武器のようなものであった。その体躯に似合わない速度でテムジンに迫り、両腕、両爪、牙、体躯と続けざまに攻撃を繰り出す。テムジンは月光で上手く受け流しながら隙を見つけては斬りつけるが、いまいち浅く、殆どダメージらしいダメージが与えられていない。
 ギュスターは完全魔物化しても対等に渡り合うテムジンに感心しながらも、まだ隠している奥の手をいつ出そうかと狙っていた。それは、彼の臀部から生えている尻尾。尻尾には岩をも軽々と砕くほどの力があったが、彼は敢えてまだ尻尾を一度も動かしていないのだ。そう、テムジンの僅かな隙を狙っていたのである。
 テムジンはギュスターの動きが見え始めていた。聖剣月光も彼の剣技に呼応して腕の延長のように軽快に動き、ギュスターの腕や胴、足の傷が徐々に増えている。しかし、一方でテムジンの心の中に何かに対する警鐘のようなものが鳴り響いていた。それが何かはわからないが、用心にこしたことはない。
 そのまま30合以上の打ち合いが繰り返され、ついに隙が出来た。テムジンがギュスターの打ちかかる爪を月光で弾いた時、反対側の腕の攻撃が若干遅れたのだ。その瞬間を待っていたかのように、テムジンの身体が自動的に動いた。身体に染み付いた鍛錬が為せる身体の切れが一陣の風のように煌き、ギュスターの懐に潜り込んだ月光が左腕を斬りつける。しかし、実はその時を待っていたのはもう1人いた。そう、ギュスターが。
 今まで力なく地面に這っていた尻尾が急激に持ち上がり、ギュスターの頭上を越えて真上からテムジンに襲い掛かる。ぞくっとした彼の視界の後方に尻尾の影を感じたテムジンだったが、丁度左腕に月光が食い込んだ時で、刀身を返す間はない。と、テムジンは右手を月光の柄から放し、背中のもう一本の剣の柄を掴むと身体を反転させながら聖剣月影を鞘走らせる。テムジンの身体が地面に平行な軸で一回転する。伸びた左手が再び聖剣月光の柄を掴み、回転軸を保ったまま両腕を払う。次の瞬間には、回転の勢いとテムジンの膂力が相まって、両手の聖剣はそれぞれ目標物を両断していた。ギュスターの左腕と尻尾が千切れて飛ぶのを視界に感じながら、テムジンは体制を立て直して着地、2本の聖剣を構えて静かに立つ。左手に白銀に輝く聖剣月光、右手には黒銀の刃が魅了する聖剣月影、全く隙の無いテムジンの構えは剣舞のように華麗だった。
「ギュアァァァァァァ!!」
 断末魔の叫びと共にギュスターは斃れ、付き従っていた魔虎兵達も一掃したテムジン達は、再び人々を避難させるため移動して行く。
 しかし、魔虎将はギュスターだけではなく、同時に数箇所で魔虎兵による襲撃が行われていた。勝利したのはテムジンだけであり、更に町の数箇所で火の手が上がった。逃げ惑う人々を逃がそうと奮戦する警備兵や義勇兵達の努力も虚しく、残った2地区では魔物達が暴れ廻り多数の犠牲者が続出してしまったのである。
 そして、火の手は折からの強風に煽られてますます強く町を舐め尽した。テムジンは1地区に救援に入って魔虎将をもう1体倒したものの、味方の犠牲も甚大となったために残った人々を纏めて神殿への退却を余儀なくされたのだった。

 月の神殿を囲む町が燃えている。
 ジローは神殿の南西で軍勢を止め、周囲の警戒レベルを最も高い状態に保っていた。そこでシャオンの斥候部隊に神殿の様子と敵軍の位置、状況を探るよう指示を出していた。
「人っ子ひとり見当たらないよぅ!」
 戻ってきたシャオンの第一声がそれだった。そして次に、敵の軍営らしきものも見当たらないこと、しかし相当数の魔物が入り込んでいるようだということを報告した。
「ジロー様、皆様はご無事でしょうか」
 ルナが心配そうな表情で尋ねた。
「姫様、あのテムジン殿が簡単に捻られるとは思いません。以前ノルマンド様とお話したとおり、神殿の中に避難していると思います」
「うん、俺もミスズの意見に賛成だ。テムジンなら、何とかしてくれている」
「えっ、で、でも、町は凄い勢いで燃えてるよ!あの状態じゃ、いくら神殿だって焼けちゃうんじゃ」
「それは、大丈夫だと思います」
 シャオンの質問に答えたのはイェスイだった。彼女はイェスゲンの知識の一部も自分の知識として取り込んでいるので、神殿や歴史に関する知識は一番なのだ。
「神殿は、古から守護の魔法によって守られていて、過去の大戦では拠点となった場所でもあります。ですから、内部に入り込んで占領することは出来ても、外から破壊することは不可能です」
「ふう〜ん、そうなんだぁ〜」
 シャオンは感心したようにイェスイを見た。
「でも、イェスイの言ったとおり内部には侵入できるのよね」
 アイラが明確に突っ込みを入れる。
「そうだな。だが、神殿は地上より地下の方が広い。ノルマンド殿なら多分皆を地下に非難させているだろう。地下への扉は簡単には開けられないしな」
 そう言ってジローはルナを見て微笑む。かつて彼女が神殿に滞在した時にどうしても開けることの出来なかった扉がそれなのだ。
「ジロー様、もう。意地悪です」
 ルナがちょっと拗ねた。その頭をアイラが撫で撫ですることで直ぐに戻ったが。
「ジロー様、でもテムジン様なら神殿の中で防衛線を張って扉を守っているのではないでしょうか」
 ユキナが真剣そうに尋ねた。それには、皆が同意。テムジンならばきっと最後まで守ろうとするであろうと。
「でも、テムジン殿なら、そう簡単には負けません」
 ミスズの言葉にまたも同意。テムジンの強さは仕合った彼女達が一番よくわかっている。
「でも、テムジンだって生身の人間なんだし、いつまでも戦ってられないわよ。ジロー、敵の陣営は判らないみたいだし、神殿を襲撃している魔物を一掃するということでいい?」
「それしかなさそうだな。アイラ、ミスズ、2人の分隊はここで待機、万が一敵陣営が出現したらアイラの部隊で神殿への増援を防いでくれ」
「んっ、これの出番ね」
 アイラは朱雀扇をぱんっと手で打った。
「ミスズは、周囲、特に南方に気を配ってくれ。それから、多分、皆をノルバに脱出させる必要が出てくるだろうから、ノルバに迎えを出してくれるように依頼してくれ」
「わかりました。シャオンの斥候隊をお借りします」
「りょ〜かい。任しといて」
「頼んだぞ、俺とユキナは神殿で掃討戦だ」
「はい」
 ユキナは白虎鎗を握ったまま静かな闘志を滾らせていた。

 凶悪な炎に舐め尽された月の神殿の町の上空に青白い輝きが出現した。水の精霊ウンディーネ。その姿は神々しい人の姿を纏いながら町を両腕で包み込むようにゆっくりと動き、一瞬で崩壊するように消える。次の瞬間、大量の水が町中に降り注ぎ、町中を覆っていた炎が呑み込まれていった。
 大火は嘘のように鎮火した。その奇跡を為したジローに対し、付き従う兵士達は改めて尊敬の念を厚くしていた。
「よし、上手くいったな。まだ蒸気で多少視界が悪いが、行こう」
「はい」
 ユキナの声と共に、あちこちから同意の言葉が聞こえた。ジロー、ユキナと共にあるのは、金龍将配下の250とノルバ兵50の300人、全員が対魔物用の装備を備えている。
 神殿の救出部隊には最初、対魔物戦の経験がある金龍将部隊だけが当たる予定だった。だが、志願兵という形でノルバ兵からも加わっていたのである。その原動力となったのは2人の少年だった。1人は剣士、1人は魔術士のなりをしていたが、共にジローのことを『師匠』と呼び、今もジローとユキナの傍にひかえている。
 2人の名は、シュラとライデン。ノルバ公カゲトラの庶子でそれぞれの母は双子の姉妹である。故に幼い頃から兄弟の様に育てられ、どこか容貌も似ているところがあった。そんな2人は、リガネスと月の神殿の危機を知らせるために派遣されて、戻った筈だったのだが、密かに少年兵としてジローの軍に潜り込んでいたのだ。最初見つかったときには、2人の姉、ミスズとユキナにこっぴどく怒られたのだが、今後自分達が魔物からノルバを守るために、師匠であるジローが魔物と戦うところを見たいという2人の弟達の真摯な態度に、それ以上怒れなくなり、ジローやルナのとりなしもあって渋々同行を認めたのであった。
「ユキ姉・・・」
 末弟のライデンの声が若干気になって、ユキナは傍に寄って行った。
「どうしたの?ライデン。ちょっと緊張している?」
「う、うん・・・」
 兄弟の中では一番穏やかな性格にもかかわらず、攻撃に特化した雷の魔法を天性で与えられた弟をユキナは気遣った。彼はまだまだ若い。ましてや初めての魔物との戦いの場に臨むのだから震えがあっても無理は無いと、ユキナは笑顔を作って語りかける。
「大丈夫。私が傍にいるから、ね。だけど、ジロー様と私から離れないでね」
「うん」
 ライデンの顔に笑顔が戻った。と、その横からシュラが云い放つ。こちらは自信を内に秘めた感じだった。
「ライデン、俺も守ってやるから心配するな。それよりも、師匠の技を見るチャンスだぞ。両目をしっかりあけておけ」
「シュラ、あなたも魔物相手は初めてなんだから、1人で突っ込まないでね。ちゃんとライデンと一緒にいてね」
「わかったよ、ユキ姉」
 そんな会話をしているうちに、ジロー達300人は神殿の町に踏み込んだ。周囲を囲っていた塀も焼け落ち、どこからでも入れる状態である。そして、周囲の建物もまた、殆どが焼け落ちて廃墟の様相、ただ死体が殆ど転がっていないところを見ると、テムジン達が人々を神殿に避難させているだろうという良い方向の考えが多少なりとも気持ちを軽くしてくれていた。
 ジローは軍勢を分散させず、一団となって神殿へと向かう。その動きには無駄がなく、一つの塊となって進んでゆく。どうやらドリアード攻防戦の経験が役に立っているようだった。
 神殿に近づく過程で、魔物の分隊に2度ほど遭遇した。共に魔虎将が20名程の魔虎兵を引き連れていたが、それぞれジローとユキナに魔虎将を討ち取られ、魔虎兵達も四散した。その戦いの中で、ユキナが若干苦戦した。白虎鎗の攻撃が、思ったよりも効きが悪いというか、ダメージを与えきれない様子だった。技量の差で事なきを得たが、その原因として考えられるのは、相手の素質が火性だということ。白虎鎗は金性の武具であり、火性とは相克関係にあるのだ。
 このことから、ユキナには魔虎将レベルまでを担当、それ以上のレベルの敵にはジローが当たることとなった。

「よし、神殿に入るぞ」
 ジローはそれだけ言うと、神殿の大扉を開けた。その中は、人間の死体と魔物の死体が入り混じって散乱していた。だが良く見ると人の死体は数えるほど、明らかに魔物の方が多い。そして、大広間に通じる廊下から先には明らかに魔物と思われる気配があった。
「グガァ!!」
 廊下の後方にいた魔虎将とその配下がジロー達に気付いて向かってきた。神殿の大扉を確保するために部下達を置いてきたこともあり、先行して進んでいたジロー達の周りには10名程しかいなかった。だが、その中にはユキナ、シュラ、ライデンといった面々が揃っているので生半可な相手では敵うはずもない。
 先頭を切って刀を振るうのはジローとシュラの師弟、共に達人を凌駕する剣技で次々と魔虎兵たちを屠っている。その後方ではライデンが雷の魔法をピンポイントで魔物に命中させて着実に戦力を削いでいく。武器の相克の関係で実力が十分に出せないユキナは、後方支援としてジローや弟達に身の危険が迫らないよう気を配っていた。
 廊下の魔物を一掃し、大広間に入る。そこにはまだ50体近い魔物が跋扈していた。そして、広間の奥に通じる通路の入口には、懐かしい顔があった。
「テムジン、無事だったか・・・」
 思わず安堵の言葉を漏らしたジロー。その脇ではシュラが刀を左右に流水のような動きで動かし、魔虎兵を次々と倒していた。
 そして、テムジンもまた、大広間に駆けつけてきた援軍が誰かを悟り、気持ちを奮わせていた。
「えっ、あ、あれは・・・」
 ジローの後ろでユキナが声を上げた。
「どうした」
 刀を構えながら、背中越しに声を掛ける。
「は、はい。あの、その・・・、魔物の真ん中にいるのが誰か、知っています」
「誰だ」
「アイザック・ボルトン・バスク、バスク公爵の子息です」
 ユキナは信じられないといった表情で、かのアイザックを見つめた。父親ボルトン公爵と同じく文治派で、争い事は好まない紳士だと噂されていた御曹司だったはず。実は、一時ユキナの婚約者だったのだが、カゲトラとボルトンが互いに大喧嘩して破談になったことがあった。その時にアイザックとは面識があったのだ。しかし、顔を知らなかったら、筋肉隆々で両手に槍を軽々と掴んで神官兵を打ち倒している姿を見て、これがあのアイザック子爵とは思えなかっただろう。
「だがどうやら、そのアイザックとやらが敵の大将のようだぞ」
 ジローは念のためウンディーネを召喚して、刀に『授与』を行っていた。相手が火性ならば水性が相克するのだ。
「ユキナ、アイザックは俺が倒すから、残りを頼む。シュラ、ライデン、ユキナを援護してくれ」
「はい、師匠」
 シュラの言葉を聞きながら、ジローは魔物の中心に突っ込んだ。『時流』、『鬼眼』を発動し、激流を纏った刀を左右に振るうと、魔物達の壁に簡単に穴が開いて、敵将アイザックまで一直線に進める。
 アイザックは大広間に外から入ってきたジロー達に気付き、魔虎将に命じて迎撃させるとともに、テムジンへの攻勢を強めるべく自ら動こうとした。だが、一足早く、ジローが魔虎兵の壁をくり貫いて到達すると、まずはこちらとばかりにジローに向けて両手の槍を突き放った。
 渾身の力で繰り出された槍がジローを貫く。だが、それは残像で、本物はアイザックの懐まで潜り込んで胴を払うように刀を一閃。岩よりも硬いはずのアイザックの皮膚が、鋭利な刃物で裂かれたように両断された。
「ぐぶぁっ、な、何故・・・」
 アイザックは傷口を塞ぐこともできず、そのまま大広間の床に崩れ落ちた。そして、その頃には、大広間にいた他の魔物達も殆どが倒されていた。
「ジロー殿、ありがとうございます」
 テムジンが傍に寄ってきた。
「遅くなってすまん。でも、無事で何よりだ」
 ジローとテムジンは固い握手を交わした。


ドレアム戦記 黄龍戦乱編 3話へ

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