黒い霧《前編》





 長大な刀がうなりをあげて振り下ろされた。

 相手は軽いステップを踏んで下がると段平を引いた。

 受けない。その刀が重厚な段平さえも叩き折る力を秘めていることを知っていて、自分の身を守りながら段平も守る冷静な動きであった。

 まだ二十歳に届かないだろうその若者は、豊かの体をしていた。ロマリアの重歩兵が使う段平を、軽快なスッテップを踏みながら片手で軽々と振り回した。色白の顔はどちらかと言えば童顔であったが品があり、澄んだ瞳にはおびえもあせりの色も見受けられない。多分ロマリアの貴族の家のものだろうとネイルは思った。

 周りには仲間の死体が転がり、周りはすべて敵兵に囲まれている。今まさに落城の時を迎えんとするこの城の中庭で、自分の確実な死を覚悟しながら、しかしその表情に悲壮なものはなかった。自分の最後の時に出会ったこの好敵手との勝負を心から楽しんでいる……そんな感じであった。

 …戦士だ…

 ネイルは思った。この男は自分と同じ戦う人間なのだと。

ああ…この男を抱きたい……。

 大刀を頭上で風車のように回して威圧しながら、ネイルは焼けるような思いに身をくねらせた。

生きたまま倒し、犯し、そして殺したい……。

大刀を振り下ろし、地面に撥ねる勢いでまた振り上げる。

ことごとくかわされた。

大刀……まさにその言葉がふさわしい刀だった。柄の部分だけで短い刀ぐらいの長さがある。刀身は、地面に刺せば長身のネイルの肩ぐらいまであるだろう。そして、それにふさわしい厚みと重さ。マルバ族である彼女だからこそ使える刀であった。

だからといってネイルが筋骨隆々とした大女というわけではない。その体は、むしろ細身とさえ言ってよかった。手も足も長いが細い。ただ、その細い筋肉に秘められた力が常人をはるかに超えていた。それがマルバ族が戦闘種族と言われるゆえんでもある。マルバ族は長身の者が多いが、ネイルも例外ではない。身長は周りを取り囲む自分の部下達より頭一つ分高かった。マルバ族特有の浅黒い肌と、短く刈り込んだ黒い髪。意思の強さを示す部厚い唇、そして目は黒々として、通った鼻筋はマルバ族にしては驚くほど美しかった。

 下士官である彼女は、しかし一般兵と同じ粗末な鎧をまとい、最後の敵ともうずいぶん長い戦いを繰り広げていた。

 部下たちには手を出すなと言ってあった。

 この男だけは自分の手で倒したかった。

自分の手で倒し、這いつくばらせ、そして犯す。

 その様を思い浮かべるだけネイルは陶然とし、振り下ろす刃も鈍くなった。まるでどちらが追い詰められているのかわからない有様であった。

 しかし……。

 そろそろ決めようか、とネイルは刀を大きく振り上げた。いつまでも相手をしているわけにはいかない。城内の喚声は収まりつつあり、戦闘の終了は近かった。普段は野蛮人と軽んじられ見下されることの多いマルバ族が唯一尊敬の目を向けられる戦場、この程度の相手に時間をかけていると見られる事は、戦士としての彼女の誇りが許さなかった。

 片腕ぐらいはしかたがないかねえ……。

 振り下ろそうとした刃の下を白い風が通り過ぎた。

反射的に振り下ろされた段平を、その風は高い金属音をたてて跳ね返した。

若者があわてて段平を手元に引き寄せるが、うなりを上げたレイピアが、その喉を存分に切り裂いた。

二度。

ぽんと熟れすぎた果実が木から落ちるように、若者の首が血飛沫をあげて胴体から離れた。ころころとネイルの足元まで転がる。

白い鎧をまとった小さな体がゆっくりとネイルを振り返った。目を細めると、若者の血のついた左右の手のレイピアの刀身を伸ばした舌でゆっくりと舐める。

「ちくしょうっ!何しやがるんだっ!」

 ネイルは、振り上げていた大刀を、最初からそのために振り上げたかのように、その小さな体目がけて振り下ろした。容赦のない一撃だった。

 ひらりと踊るような足取りでかわしたその少女は、トンボを切って大きく飛びのいた。

 金色の短く刈り上げた髪に、目は薄いブル−。ネイルとは対照的に真っ白い肌、身長はネイルの腰までもなかった。顔も、髪も返り血で真っ赤になっていた。純白の鎧にも乾いた血がこびりついていた。

 ニヤリと笑ってレイピアを鞘に収める。

「あんたがちんたらやってるからだよ」

「くそ、こいつは生け捕りにして、あとでいただくつもりだったんだっ。もったいねえ」

 ネイルも刀を引き、足元の首を髪の毛を掴んで拾い上げた。信じられないという風に大きく目を見開き、切り口からまだ血を滴らせている首をしばらく眺めた後、たいして惜しくもなさそうに地面に放り捨てた。

「勝ったな…」

 純白の少女、アイリ−ンはネイルに歩み寄りながら西の塔を見上げた。

 ネイルも彼女の視線を追った。

 西の塔には城兵が立てこもり最後の抵抗を試みているようだが、そこに通じる道は我軍に埋め尽くされ、陥落は時間の問題であった。

 もし、この様子を遠見に見ている者がいれば、その光景に違和感を覚え、目をこらしたことであろう。

そして、しばらく見つめた後、そこにひるがえっている旗がアマゾネア王国のものであることを見つけ、違和感の理由に気付いたに違いない。

寄せ手の軍は、すべて女性であった。

 白い、美しい肌を返り血に染めながら、激しく攻め立てる彼女たちに城兵たちは防戦一方となり、ついに塔の入り口の扉が打ち破られるのが見えた。

 アイリ−ンはその様子を見ながらネイルに話しかけた。ネイルも西の塔を睨みながら歯を食いしばった。

「とうとう始まったな…」

「ああ…しかし女王様ならきっとやる。シバの女王も成しえなかった中原制覇を、あの方ならきっとやってくれる」

 中原……。

この大陸の中央部に位置し、もっとも豊かな地域をさすこの言葉。大陸の国家はここに集まり、それ以外の地域は、蛮族か獣しか住まない荒野や深い山々であった。

 中原はこの二百年パックスロマリア−ナ(ロマリアの平和)と呼ばれる安定した時代が続いていた。中原には長い戦乱の末、唯一の超大国としてロマリア王国が君臨していた。正確にはロマリアを頂点として、北の大国アルバ−ナ、そして三十いくつの中小の国が乱立していたが、かつてはロマリアと並ぶ大国であったアルバ−ナも、北の蛮族にたびたび国境を脅かされ、国力は衰えていた。現国王オルベルトは正剛無比の名君と言われ、北の脅威を退け蛮族を滅ぼしたが、疲弊しきった国力を取り戻すには到っていない。他の国はといえば、形の上では対等の礼をもって迎えられているものの、その力は強大なロマリアの軍事力に及ぶべくもなかった。

中原でもロマリアの反対側、どちらかといえば辺境近くにあるアマゾネア王国もそんな小国の一つであった。

 アマゾネア王国は女だけの国であった。代々女王が君臨し、女だけが住む国。そこに住む女性たちは、妙齢になると諸国をまわって相手を見つけ、妊娠して戻るか、あるいはどこからどのようにしてさらってきたのかは知らぬ収容所の男性を相手として子供を生み、国を守ってきた。男が生まれれば容赦なく殺し、その代わりに人口を維持するために他国から子供を攫って来るとの噂もあり、その独自の文化のために、他国からは蛮族としてさげすまれ、嫌われてきた。

 だがそんなアマゾネア王国にも華やかな時代があった。六百年ほど前、シバの女王と呼ばれる、伝説の女王をいただき、ロマリアと北のアルバ−ナ、そして南のアマゾネア帝国と、中原が三国時代を迎えかけたこともあったのだ。しかし、シバの女王が築きかけたその夢の王国は、ある時期を境に何ゆえかまたたくまに勢力を失い、それ以降アマゾネアは南の小国として、ロマリアに臣下の礼をとることとなってしまった。帝国の衰退の理由については何も伝わってはいない。

 しかし昨年、アマゾネア王国は、女王イザベラのもと、その長い眠りから目覚めたように、突如他国への侵略を開始した。そして瞬く間に近隣の小国を打ち滅ぼし、急激に勢力を拡大していった。

 長かった平和の時代、ロマリアは何とか外交努力で平和的解決を図ろうとしたが、アマゾネアの軍は今回、ついにロマリアの友好国、農業大国アンデアルに攻め込んだのであった。アンデアル王家はロマリア王家と親戚であり、ロマリアの台所として食料を供給してる国でもあった。 

 これで、ロマリアとの軍事的な直接衝突は避けて通れないものとなるであろう。

 ネイルは、族長の娘アレクサの供をして、初めて女王イザベラに会った時のことを思い出した。供のネイルが十五、アレクサはまだやっと十一歳の少女であったが、どちらももう大人のような体格をしていた。

 謁見の間で、アレクサを迎えたイザベラはアマゾネア王国歴代の女王と同様、金髪碧眼の美しい女王であった。ただ美しいだけではない、白いその美貌の下に、火の出るような苛烈さを秘めた女王であった。

 イザベラは謁見の場でやさしい笑みをたたえてアレクサを迎えると、その場で貴族の待遇と城への出入り自由を与え周囲をどよめかせた。アマゾネア王国の中でも、蛮族と低く見られるマルバ族では族長以外にその名誉を与えられた者はいない。

アレクサに自ら剣を教えたネイルは、その時の晴れやかな気持ちを今も忘れてはいない。それも、いつかこの日を睨んで、戦闘種族と言われるマルバ族をとりこむためのものだったのかもしれないな、とふと思った。

「おれはこの時代に生まれたことを感謝している」

 ネイルは剣を地面に突き刺した。

「マルバ族に生まれ戦場を知らずに死ぬ。これ以上の苦しみはない」

 ネイルの言葉に表れる性状ゆえに、マルバ族は多くが若死にし、その人口が五百を上回ることはなかった。

「おまえらは単純でいい、戦っていればいいんだからな」

 そう言ったアイリ−ンとて、生粋の軍人貴族の家に生まれた根っからの戦う女であった。

アマゾニアで成功するために必要な、王家と同じ金髪碧眼であったにも関わらず、彼女はその体に重大な欠陥を抱えていた。

体が極端に小さかったのだ。二十歳になった今でも、その体は、やっと十二、三の子供とたいして変わらなかった。見栄えのしないその体では、宮廷の社交界で成功はおぼつかなかった。

貧乏貴族の三女として、幼いころから戦う力だけを身に着ける日々だった。しかし、小さなその体から繰り出される双剣は精妙を極め、今戦役では敵と同時に味方をも震え上がらせていた。

「ならば、お前は何のために戦っているんだ」 

 はるかな高みからアイリ−ンを見下ろし、ネイルが聞いた。

「わたしのこの身は、ただ一心に女王様に捧げるだけだ。それと……」

 アイリ−ンはネイルを見上げた。ほとんど垂直に見上げ、青い目が、ネイルの黒いそれを捉える。

「…それとお前と一緒だ。強い敵を倒す喜び」

 ふんっネイルは鼻をならした。わずかに口元に浮かんでいる微笑を見ると不快を感じた時のそれではないらしい。

蛮族と言われるマルバ族の最強の戦士と体にハンデを負った貴族の娘。見た目も境遇も全く違う二人であったが、幾たびも戦場を共にするうちに、互いの心の中に友情を感じずにはいられなかった。

「私とてこの身を女王様に捧げる心に偽りはない。だが、王女どもは認めん」

 謁見の時、女王の傍らからアレクサに声をかけてきた第一王女オクタヴィアを思い出し、ネイルは今度こそ不快気に鼻を鳴らした。

色の白い、少し垂れ目の王女。その声は涼やかで美しかったが、それは決して戦う女性のものではなかった。美しく、やさしく、才能豊かと国民すべてが褒める言葉に事欠かない王女であったが、ネイルは一目見た瞬間から気に入らなかった。

「我々がこうして国のために血を流しているのに、四人の王女のうち、シルヴィア様以外、戦場に顔を見せた者がいるか?そんな者たちが国に君臨するのか?私は認めん!自ら戦わずして、宮殿でのうのうと遊び暮すあの者たちが、われわれの血で切り開いたこの土地を治めるなどとっ!」

 自分の言葉に興奮するかのように、声が高くなった。 

「この戦が終わって、例え生き残ったとしても褒美などいらぬっ、その代わりあの王女どもに一人のこらずこのコブシをくれてやる。それが死んでいった部下たちの最大の供養だ!」

「おもしろい!」

 よく通る澄んだ声が、ネイルの背後から叫んだ。

「戦が終わるまで待つ事はない、今この場でやってもらおうっ!」

 声を聞いただけで、ネイルは大きく跳びすざり、振り返って土下座すると額を地面にこすりつけた。あわてて振り返ったアイリ−ンも片膝をつき頭を垂れた。周りの兵もそれに従う。

 戦地での礼はアイリ−ンの姿が正しい。しかしネイルはマルバ族で最高の敬意を表す姿勢をとっていた。意識をしない、声をかけた者への反射的な行動であった。

 純白にプラチナの飾りがついた鎧をまとった騎士がプラチナの兜をはずした。豊かな金髪がこぼれ落ち白貌にかかる。首を振ってそれを直したその騎士は、血に染まったマントを翻し二人を見下ろした。

 マントだけではない。鎧も、兜もべっとりと返り血に染まり、赤黒く乾いている。

 金髪碧眼、王家の特徴をその一身で現したようなその騎士こそ、先ほどネイルがその名を叫んだイザベラの第四王女シルヴィアであった。当年わずか18歳。しかし、今回の戦では総大将として軍を率いていた。四人の姉妹の中でもっともイザベラの風貌を濃く受け継いだ彼女には、既に匂い立つような色気があった。

すべてを見通すような、わずかに釣り上がった強い光を放つ青い瞳がネイルを捉えた。

「なるほど、国のために血を流す、お前たちの気持ちもわからぬでもない…」

 ゆっくりと、シルヴィアはネイルに歩み寄った。ネイルは自分の体が震えているのを感じた。

「…だが、敬愛する我が姉への暴言は許さぬ。ネイル、アイリ−ン。貴様たち両名は部隊長の任を解く」

 ネイルは土下座したままぎゅっと両手で土を掴んだ。涙がこぼれそうだった。もうだめだ…と泣きたくなった。私はただ、オクタヴィア様よりあなたに次期女王になって欲しかっただけなのだと叫びたかった。

 遠目に初めてシルヴィアを見た時震えを感じた。戦場に真っ先に駆け込み無造作に人を切った。血飛沫を浴びながら、鎧も白い乗馬も返り血に真っ赤に染めて戦場を駆ける彼女をみて、美しいと思った。当時彼女はまだ15歳だと聞いていた。

身分が違い、ただ遠見に見て敬愛するだけだった彼女から、初めてかけられた言葉がこれであった。軽率な言葉でアイリ−ンまで巻き込んでしまった。

「信用できるものに部隊を預けよ。ネイルには親衛隊長を命じる、アイリ−ン、補佐せよ」

 ネイルは目を見開いて思わず顔を上げた。アイリ−ンも言葉を失ったようにシルヴィアを見上げていた。

「何を驚く、出世ではないぞ。我が馬前にて手柄をたて、汚名をそそいで見せよ」

「し、しかし親衛隊長にはニルチェ…様とアマンダ様が…」

 先日新しく赴任した高級士官の名をあげアイリ−ンが聞き返す。

「あの二人は死んだ…私が切った」

 シルヴィアはニヤリと片ほほで笑った。

「無能な者達であったわ」

 顔を輝かせて目をかわした二人は、はっと深く頭を垂れた。ネイルはがばっと身を伏せると、その額を強く地面にこすりつけた。

「見よ、勝ったぞ…」

 西の塔での戦闘はいつの間にか終息していた。

城の内外で戦っていた者たちが城の中に集まってくる。その数約五千。中庭に収容しきれぬ兵士たちが、城壁の上から城門の外まであふれていた。

 勝ち戦に歓声を上げて集まってくる兵士たちは、しかし中庭に近づくにしたがって声を落とした。てんでに並んだ五千の兵が、声一つ立てずに立ちつくし、じっと一点を見つめた。

 視線の先の美将はしかし平然と五千の視線を受け止めた。無表情に彼らを見返す白貌を、兵士たちは息をつめて見つめた。彼らの頭の上を狂おしいほどの期待が渦を巻いて流れた。早く、早くしてくれっと叫びそうになるのを唇を震わせこらえる。

 シルヴィアはゆっくりと剣を抜いた。陽光をきらめかせて、頭上にかざす。次に叫んだ声はその体からは信じられぬほど大きく、澄んでよく響いた。

「勝ったぞーっ!!ものども、勝鬨をあげよっっっっ!!」

 後ろに控えた副官がコブシを振り上げオ−ファの叫び声をあげた。

 うわああああっとはじけるような歓声が上がり、オ−ファッ!オ−ファ!と勝鬨の声が巨大なうねりとなってはるかな山にこだました。兵士たちはコブシを突き上げ、あるいは隣の者と抱き合いながらオ−ファ!の叫びを繰り返した。

 シルヴィアが剣を振り下ろした。

 狂気のような歓声がピタリと止んだ。

「皆のものご苦労。乱暴(略奪)を許す。町に行き、奪い、壊し、犯し、殺せっ!」

 うわああああっと先ほど以上の歓声が中庭にこだまし、兵たちは口々にシルヴィアの名前を叫び、称え、忠誠の言葉を叫んだ。

 その様子を満足げに見やったシルヴィアは、副官に後はまかすと告げ、マントを翻した。

「ネイル、アイリ−ン、ついて参れ」

 はっと跳ねるように立ち上がった二人は、早くも扉を開け、建物の中へ消えようとするシルヴィアを追った。

「恐れながら…」

「何だ」

 アイリ−ンの声に、カツカツ石の廊下に硬い靴音を響かせながら、シルヴィアは振り返りもせずに返した。

「…略奪など許してよろしいのでしょうか。ここは我々の支配地域となるわけですが…」

「よい。略奪だけではない、皆殺しにせよと命じてある。幼い女の子供以外はな」

 女の子は本国へ連れ帰り、アマゾネアの民として育てる。

 しばらく歩いてから、シルヴィアは急に立ち止まった。しばらく考え込むようにうつむく。

「なるほど。私の傍に仕えるのなら、今回の戦の意味を、少し知っておく必要があるな…」

 振り返ってたシルヴィアは、二人にそこに座れと命じた。あわててひざまづこうとした二人に、あごで傍らの階段をさし、かまわぬ腰掛よと気さくな口調で言った。

 二人は当惑したように顔を見合わせる。シルヴィアは笑って、二人を階段の方に向かって軽く突き飛ばした。

「軍中じゃ、堅苦しいことは無用。これから常に顔を突き合せるのにこれでは私が疲れてしまうわ」

 二人が恐縮しながら座るのを見届けてからシルヴィアは腰の裏に手を回し、ゆっくりと歩きながら話し始めた。

ともに廊下に足をつきながら、アイリ−ンは階段の一番下、ネイルは三段目に腰を下ろしている。

「お前たちにとって、今回の戦は突発的なものに写ったやもしれん。しかし母上はもう二十年も…私の生まれる前よりこの日に備えて準備をしておられた。日時も、ほぼ決まっていたと言ってもよい」

 ネイルとアイリ−ンは上と下で顔を見合わせた。

二十年も前から…決まっていた?

考えていた、ならばわかる。だがどう政局が動いているかわからぬ二十年先の、その時期まで決まっていたとは……?

「ほぼ六十年に一度、中原には何故か旱魃の時期が訪れる。これは意外と知られている事実であるが、古代の文献を紐解いた母上は、さらに六百年に一度、大旱魃の時代が訪れることに気付いた。それがもう昨年より始まっている。」

 確かに、ロマリアでは昨年一部の地域で大規模な旱魃が見舞い、麦の収穫が大幅に減ったと聞いている。しかし、その旱魃は前回の旱魃から見て六十年後、暦の上でも予想されたもので、大事には至っていないと聞いていた。アイリ−ンは軽くうなずき、ネイルは何の関係があるんだといわんばかりに眉根を寄せた。

「旱魃は今年も続き、それに対してロマリアは十分な備えがしてあるとしている。だが、この旱魃、常のものではない。終息を迎えるどころかまだまだ続くはずだ…。

 ロマリアの言う備えとは、このアンデルアからの輸入を見込んでのことだ。戦争もなく人口が肥大化したロマリアは、常の時でも自国の収穫では民の口を賄えぬ。今年の麦の刈り入れが始まるまでには、早くとも二月はかかる。その間に、我々はアンデルアを出来る限り侵し、ロマリアへの食料の供給を止める。

 虐殺を繰り返せば、我が軍が近づくだけで、アンデアルの民は恐慌をきたし、村を捨て逃げ去るであろう。我々が進むに従い、国境を越えロマリアへ難民として流れ込む。食料の供給が止まり、なおかつ難民が流れ込めば…ロマリアはどうなると思う?」

 ネイルは呆けたように口をあけて、シルヴィアの言葉を聴いていた。

 彼女には理解できない世界であった。自分は敵と戦い、殺すことだけを考えていた。そして敵を次々に打ち破れば、その結果として勝利を得ると。

 しかし、この自分より歳若い王女は自分よりはるか高いところから世界を見ている。話を聞いているだけで、この広大な中原の地図が頭の中を駆け巡り、そこに暮す人々の一人一人まで見えるような気がしてきた。

「ロマリアでは、すでに今年の収穫を見込んで、兵倉を開き食料を民に分け与えていると聞く。我々はそこに付け込んでアンデルアに攻め込んだ。ロマリアではあわてて兵を招集しておろうが、兵量がなくては軍は動かせぬ。しかし、あの平和ボケした国では、我々の意図を察しても、民を餓死させてまで軍の兵糧を確保することなどできぬ。とりあえずは軍を派遣はしようが、大軍の動員は最初の刈り入れが行われるまで当分不可能だろう。それでも、もし我らに敵しえぬ大軍が来れば、我々は支配地域の穀草をすべて焼き払い撤退する。いずれにしろロマリアには食料は渡さぬ。

だが、わがアマゾネアはこの時に備えて準備をしてきた。これから三年の間、ほとんど収穫がなくとも、民を飢えさせずに軍を動かせる。

 もし、アンデアルの麦が一切ロマリアに入らねば、この秋からでもロマリアは飢える。国政は混乱しようし、ロマリアに従う国々の足並みも乱れよう。

 この混乱を、アルバ−ナのオルベルトが見逃すはずがない。ロマリアとアルバ−ナの国境地帯は、ロマリアの穀草地帯でもある。奴が動けばロマリアはさらに恐慌に陥るだろう。その間に我々は他の諸国を切り取る」

「し、しかし、オルベルトはしたたか者です。そう簡単に動くでしょうか?」

「既に密かに約は結んである。母上にぬかりはないわ。ただ実際に奴を動かすには、ロマリア本国の軍をニ、三度は破り、我軍の力を見せ付ける必要はあろうがな」

薄く笑ったシルヴィアは、立ち止まって二人を振り返った。

「どうだ、見えたか」

「はっ」

「し、しかし…」

 アイリ−ンがまだ疑問を消し切れないとでも言うようにシルヴィアを見上げた。

「まだ、合点がいきません。女王様はロマリアをオルベルトにくれてやるおつもりなのですか?それでは何もなりません。中原制覇は…」

「国土はアマゾネアの五十倍、兵は三十倍、二千年の歴史を持つロマリアは民の抵抗もきつかろう。中原制覇など今のアマゾネアには及びもつかぬ」

シルヴィアは唇をかみしめた。遠くに思いをはせるかのように、宙を見つめる。

「母上が目指すのは、あくまでシバの女王と同じ、中原の三国時代だ。小国を束ねアマゾネアの支配におき、ロマリア、アルバ−ナ、アマゾネアの三国が中原に並び立つ三国時代。そのためにはロマリアの力を殺ぐと同時に、アルバ−ナにもちとは力をつけてもらわねばならぬ」

 ネイルは全身の血がたぎるのを感じた。

自分が今置かれている戦いの果てにあるものが見えた。

今までは一兵卒として一つ一つの戦いの勝利のために必死で剣を振るった。そのことに異存はない。

 だが…と思う。さらにその先にあるものを知るだけで人はこんなにも熱くなれるものかと思う。

 ああ…殺したい…

 ネイルは剣の柄をぎゅっと握り締めた。

 早く戦場に出て…一人でも多くの敵を殺し…少しでも広い領土を…この美しい我が将に捧げたい…。 

「アイリ−ン」

「はっ」

 突如変わったシルヴィアの声に、アイリ−ンは思わず片ひざをついていた。

「話のとおり、麦の刈り入れの時期までに、より多くのアルデルアの領土を切り取る必要がある。ことは神速をもってせねばならぬ。

伝令を命ずる。この先、ナナセの砦にオリヴィアが二千の兵を率いて向かっておる。すでに砦を落としているやもしれぬがな。

このムハンドの落城を知らせよ。およそ三日の後に我が軍も合流する。それまでそこで待機せよとな。この先、小さな砦は捨て置き、軍をあわせて次の郡城を攻める」

「オリヴィア将軍が…」

 アイリ−ンは一瞬陶然となった。首狩将軍との呼び名を持つオリヴィアはアマゾネア全軍のカリスマであった。アイリ−ンは閲兵の際に遠目に一度その姿を拝んだに過ぎない。他の中原の国々と比べ、アマゾネアの民の寿命は何故か短い。その独自の文化によるものとの説もあるが、定かではない。従ってアマゾネアの軍は若かった。四十歳を過ぎると多くは退役し、第二の人生を歩む。オリヴィアももうこの戦役には参加しないのではないかとすらささやかれていた。

 その将軍に会える。それも、王女の使者として直接言葉を交わすのだ。

「我が軍と時をあわせて、既にピルナ−グの郡城へも五千の兵が向かっている。ネイル、副将は誰だと思う?」

 ネイルは応えず、じっとシルヴィアの青い瞳を見つめた。

「アレクサだ。美しく育った。副将には惜しい。兵略、人望、もう一軍の将の器だぞ。剣も、マルバ族最強の戦士の称号を近々明け渡さねばならなくなるやもしれぬな」

「姫様が、アマゾネア正規軍の副将に……」

 ネイルは呆然とつぶやいた。破格の待遇であった。アレクサは十二の時に修行として諸国放浪の旅に出た。総じて早熟のマルバ族でもかつてない若さでの旅立ち出会った。長く国境の紛争地帯へ、そして今回の戦役へと転戦に転戦を重ねたネイルは行き違い、もう五年以上もアレクサには会っていなかった。王女様に、シルヴィア様にそう言わせるほどに、よくぞそこまで育ってくれた、と涙が出そうになって、ネイルは両手で顔を覆った。

「マルバ族の者も多く付き従っている。いずれ戦場でも懐かしい顔に会えようぞ」

 目を細めて微笑みその様子を見つめたシルヴィアは、そこで急に口調を改めた。

「これからの戦はきつくなるぞ。ロマリア本国の軍が相手だ。今までの貴族の将に半農の雑兵ばらとは違う、職業軍人ばかりだからな。それに、カ−ス王国の魔道師団にロマリアと連動した妖しげな動きもあると聞く」

「実戦を知らぬ式典騎士団がなにほどのことがありましょう…カ−スの魔道師?」

目を覆った手を離し、目元をぬぐったネイルは赤いうるんだ目でふんっと笑った。

「…魔法で人を殺すなどと聞いたことがありません。できるものなら見たいものですな」

「三千年の歴史を誇る中原最古の国だ、甘くみるな。ロマリアがあの小国を併合せぬにはそれなりの理由もあろう」

 自分で言った言葉を信じていないかのように笑ってから、シルヴィアはアイリ−ンに向き直った。

「では行け。馬は、エルミナに準備させよ。我々も明朝出立する。」 

「はっ」

 きびきびした動作で立ち上がって身を翻したアイリ−ンは、名を告げられた副官をもとめて走り出した。





何処ともしれぬ薄暗い階段を、手燭をかざし、フ−ドにすっぽり顔を隠したものがゆっくりと降りていた。

歩くに従い、喧騒が遠ざかり、ぴちゃん、ぴちゃんという天井からしずくの垂れ下がる音のみが高く響くようになるところをみると、どうもその階段は地下に向かって続いているようである。

小男であった。そして痩せている。フ−ドの中の顔は見えないが手燭をかざすために服から突き出た腕は、色黒でやせこけ、無数の皺に覆われていた。

貧相な姿であった。老人のようである。毛の抜けた猿が人間の格好をして歩いていると言われればそう見えぬ事もない。なにしろその手以外はすべてゆったりとしたフ−ドに覆われているため、しかと違うとは言い切れぬのだ。

かなり長い間、それは螺旋になった階段を歩き続けた。代わり映えのしない、常人なら叫びだしそうな薄暗い階段を一歩ずつゆっくりと……それは降り切ったらしい。

ドアを開くと、数本の太いろうそくに照らされた小さな部屋であった。

部屋の中には一人の若者が椅子に腰掛け机に向かってた。痩せてはいるが、筋肉質の色の白い男であった。短く刈り上げた髪に、服はひどく古風な仕立てであった。筒のような大きな袖から指の先しか見えていない。彼は本から顔をあげて、不意の来訪者を迎えた。よく見ると、その部屋には、さらに奥に通じる扉があった。

「ご苦労。どうだね」

 火のついたままの手燭を脇の棚に置き、フ−ドのそれがねぎらいの言葉をかけた。人語を操るところをみるとやはり猿ではないらしい。その声は男のもので、老いて小さかったが、発音は明瞭ではっきりと聞こえた。

 若い実直そうな声が、敬意と戸惑いをこめて返した。

「まだ効いております。ずっと叫び放しで、私の方がおかしくなりそうです」

 フードの男はホッホッと肩を揺すって笑った。

「さすが我が君じゃ。だがお前でもこれでは若い者は連れてゆけぬなあ。やはりわし一人が行くしかないか」

「お供はかないませぬか?」

「その方がおぬしのためじゃ。またの機会もあろうて」

 ホッホッと笑ったその男は、もうしばらく見ていておくれと言い残すと、手燭手に取り、来た扉から階段へと戻って行った。

 それを見送ってから若者は奥の扉を見た。

 部厚い扉を通して、なにやら獣の叫び声のようなものが断続的に聞こえてくる。体を震わせて熱い息を吐いた若者は、無駄な努力と知りつつ、本に集中しようと手元に目を落とした。

 

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