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マクドの日

本当のマクド(関西地方ではマクドナルドのことをマクドと略する)の日は先週の日曜日(18日)のたった1日だけで終了したんだけど、そのときにもらったハンバーガー無料引き換え拳が2枚、俺の財布の中に現在あるんよね。

おととい、久しぶりに春君(29歳)と一緒にマクドに行った時にもらったんだけど、無料引き換え期限が切れる今月25日までになんとかマクドに行ってハンバーガーと交換しようと思い、昨日から会社帰りにマクドに寄ってハンバーガーと交換してもらおうと思ってるんだけど,、、。

最近リクルート社からフリーペーパーとして発行されている「ホットペッパー」についてるクーポン券を使うときも同じような気持ちになるんだけど、『無料引き換え券』とか『クーポン券』とか行った『使えば使うだけおトクになるチケット』って使うときにちょっとためらいを感じてしまうのは俺だけかな?

使えば必ず(買いたい商品が)安くなるか、もしくはタダ(0円)になるから使えば絶対おトクになるっていうのは当然理解しているんだけど、いざ使う機会になったとき(もしくは使おうと試みるとき)、何故かしらそんなクーポン券たちを店員さんに手渡すのが恥ずかしいって思ってしまいます。

「あら、この人ったらたったこれだけのお金をケチりたりからってクーポン使うのかしら?」とか、
「クーポンがないとどうせこない(買わない)客なんだろうな?」
とか思われたりするんじゃないかなっとかいう、1人余計な詮索をしてしまうから恥ずかしいって思ってしまうんだと自分で1人納得してます。

せっかく、この狂牛病で騒がれている最中にすこしでもアメリカ産牛肉の消費を促さそう(もちろん、安全性も訴えるのが目的のひとつでもある)という、日本マクドナルド社の思いも俺のためらいをそう簡単に払拭することはできないみたいで…。

今朝のNHKのニュースでは、とうとう「吉野家」とか「なか卯」とかいった大手牛丼チェーン店が来月から牛丼の取り扱いをやめて、順次別メニュー(カレー丼とか鶏丼)の販売開始すると放映していた。
しかしながら、牛丼が全国のチェーン店から消え去ろうというその中にあって、牛丼チェーン店最大手の「吉野家」は、銀座にある第一号店だけは国産牛肉を使用し意地でも牛丼の販売を継続していくことを決定したこともNHKニュースは報じてた。

(ん〜、一度は会社更生法を適用した(早い話、一度倒産したわけ)吉野家も、立派に沽券を守ろうとしてるんだなぁ。その姿は立派だ!)
と朝の早い時間のNHKニュースをみながら1人心のなかでつぶやいた俺。

ハンバーガー無料引き換え券はやっぱ使わないともったいないから、今度の週末にでも誰かと一緒にまたマクドに行ってみるかな。
日頃は「あんなジャンクフードなんて…」と言って自ら進んでは足を運ばない『牛丼店』も、牛丼の在庫がつきて販売中止になる前に寄ってみよっかな?

2004/01/20(Tue)

島国ニッポン

物理的に『日本』って周りを海に囲まれているから『島国』と表現されても、事実その通りだから納得するしかないんだろうけど、ここで俺が言いたいのはそういう意味じゃなく、「冷静に地図から日本という国をとらえて『島国』と判断するんじゃなく、日本国内にいてさえも『やっぱ島国なんだなぁ』と思う瞬間がある」ということ。

例えば、何気なくつかっている言葉がその最たる島国的一面を表していると思うわけっすよ。

こないだ会社で電話口に、「田中さんをお願いします」と俺が伝えた後、M上さん(29歳)&K山さん(27歳)の二人から揃って、「貴光さんの『田中さん』っていう発音ってどっか外国の人っぽい発音ですよね〜」ていわれてしまった。
「え?そうかな?俺、どんな風に発音してた?」
「たなかの『な』を強く発音してましたよ。」←K山さん発言
「いわれてみたらそうかも。あれ、広島弁ってそうじゃなかったっけ?」
「いいえ、広島弁はどこにも協調するところはなく、ただのっぺりとした発音ですよ。」
「もしかして、関西にいたから関西弁の発音が身に染みついたのかも?」
「それなら、U野さん(俺と同じく神戸市外国語大学卒業生)に関西弁で『田中さん』をどう発音するか聞いてみましょう!」←M上さん発言

(そこまでして確認せんでもいいんじゃない?)と思った俺。
で、結果から言うと、やはり俺の『田中さん』という発音はどうも関西弁式発音らしいことが判明。

他にも俺の発音で広島弁っぽくないのがあるっていうんで、結構これ以外の言葉でこの話題は長く尾をひいたんだけど、『あれ?俺、この瞬間だけ広島人じゃないわけ?」と思った瞬間だったわけっすよ。

まだ俺が神戸市外国語大学生だったころの時分、英語だけでなく多言語の勉強していたときに読んだ本の中にあった文章を思い出した。
昔、日本がまだ都道府県制になるまえの春か以前(例えば広島が安芸の国と名乗っていた時代)、自国意識を高めるためと諸国との違いをはっきりさせるために『自国の言葉:今でいう方言』が生まれたっていうことがその本の中にかいてあったんだけど、それが今の現代までも受け継がれているわけでしょ?

ただでさえ狭い日本。周りを海に囲まれた島国だというのに、さらにその中で国が分割されていた(いまでいう都道府県みたいなかんじ)わけでしょ?
他の地域の人と会話するだけで「あ、こいつ、よその国のヤツだ!」と思われていたわけでしょ?
たしかに、自国意識を高めるという意味ではこの『自国の言葉制定』はかなり貢献したと俺も思うけど、それが引いては、島国日本を象徴するようなことになってないかい?っていうのが俺の自説。

英語が話せない。
周りを海に囲まれているために、日本という国は諸外国との交流が少ない。
だから、日本は外交戦術が下手なんだ!
という公式を当たり前のようにいう政治家さんや評論家がいたけど、俺に言わせりゃそんなことを論ずる以前の問題として、日本人同士で交流を断ち切っていた昔からの習しが今の現代にまで尾をひっぱっているだけじゃないの?

↓方言についておもしろいサイト発見!
全国方言WEBほべりぐ
2004/01/25(Sun)

13年前の俺

13年前の俺が今頃何してかといえば、そりゃ大学受験真っ只中でしっかり勉強してたでしょう。
高校3年生の6月には、今では俺の母校となった『神戸市外国語大学』を第一志望に絞って受験勉強に励むことなったんだけど、そこまでに到達するまでには何回か寄り道がありました。

まず、俺が小学校からなりたかった職業が何かというと「小学校の先生」。
元来、子供が好きだったし、小学生の時にお世話になった先生(女性)がやさしくて憧れてたのがその第一の理由。
でも、中学・高校と進学するにつれてその志望もすこしづつ変化してきた。
というのも、中学から勉強を開始した「英語」にはまったらしく、将来は英語をつかった仕事をしたいなって思いはじめてきたのがその大きな原因。

(小学校の先生は無理だけど、中学&高校の英語の先生ならいいかな?)
と、その進路の変更を考え出したのが、確か俺が高校2年生くらいからだったような記憶がある。

でも、俺の希望(野望とも言う(笑)はそんな穏やかなものに収まることはなく、果てはケニアかどっかアフリカ大陸で動物のお医者さんをしてみたいなという域まで達したこともあった(当時、動物のお医者さんという漫画が流行ったということもあったが、そもそも貴光家は動物が好きな家系らしく、俺も多分にその血を引き継いでいるらしい)。
ただし、動物のお医者さんになるには、英語が話せるだけじゃ当然無理で、理系の知識が要求されることに気付いた瞬間「あ、こりゃ俺には無理だ」と悟り、とりあえず「学校の英語の先生」という教職になる夢を抱きつつ、それが一番実現しそうな大学を選定することで、高校2年生の1年間が過ぎ去って行った。

それで、最終的に第一志望に決めたのが「神戸市外国語大学外国語学部英米学科」。
先生になりたいだけなら広大の教育学部でも良かったんだけど、なんか『教育学部』って先生になるのが第一の目的で、俺が一番関心を抱いている『英語の勉強』についてそんな授業の時間を大きく割いてしそうなイメージがなかったんよね。
実際に全国にある様々な大学で開設されている「外国語学部英米学科」や「英文学科」を調べていくと、俺のイメージが間違いじゃないって確信をもつまでにいたった。

というわけで、どうせ「英語」という外国語をとことん勉強するのなら『やっぱ外国語学部かな?』という印象を今度は持ち出し、全国にある外国語学部についてリサーチ開始!
その結果、全国にある国公立で外国語学部を擁するのは、『東京外国語大学』『大阪外国語大学』『神戸市外国語大学』『愛知県立大学』『北九州市大学』の5大学しかないことが判明したのは高3生の春だった。

私立大学までその範囲を広げるとそりゃあもっといっぱいあったけど、「うちはそんなお金持ちじゃないんだから、県外の大学にいくなら国公立以外はだめだから!」と小さいころから親が呪縛のようにそんなことを言い続けてきたもんだから、俺の頭にはもう「県外は国公立しかだめなんだ!」というある種、不動の文言があったわけ。

さぁ、じゃあこの5大学からどこの大学を第一志望にするか?いう次に控えている問題があったんだけど、
1)都会での生活は、その生活費が親の負担になる
2)物価がそんな高くない(生活費が安くつく)場所
3)広島から比較的距離が遠くない場所(実家に戻ることが負担にならないという理由)
以上3点をクリアするということを条件で選んだ結果、
東京と大阪の2大国立大学は却下とあいなりました(;_;)
そりゃあ、外国語大学を目指す受験生にとってこの2大学は憧れの大学よ?
受験するだけでもしてみたかったけど、たとえ合格しても通えないし、その受験費用だけでもバカにならなかったんであえなく辞退となりました。

で、残った3つの大学の中で順番をつけることになったんだけど、高3のゴールデンウィークに親の運転で北九州市立大学と神戸市外国語大学を下見につれてってもらったことで、その順番が決定しました。
神戸が第一。北九州が2番目という順位になりました。
愛知県立は広島から場所が遠いのと、神戸と比較すると神戸の方が有名(というか外国語大学という地位の上下で比較すると、神戸のほうが愛知より歴史があるということでランクが上位になった)というので、愛知は却下となり。高3のゴールデンウィークを終了した時点で、俺の志望大学は決定していたのであった。

志望大学が決定したのはいいけど、合格するまでの道のりはそりゃあ穏やかなもんじゃなかったよ。
当初、神戸市は5教科5科目がセンター試験必須だったんだけど、高3の6月におもいっきり変更があり、3教科3科目で受験できることになっちゃっいました(!!)
しかも、英語と国語は必須だけど、残り1教科は受験生が任意に選択できるというこれまたえらい融通が利く受験体制になってしまったわけっすよ!

正直数学で頭を抱えていた俺には朗報だったんだけど、これって逆に言えば私立大学向けの勉強しかしてないやつも受験できるって意味でしょ?
受験倍率がめっちゃあがるんじゃないん??

その予感は的中。実際、神戸市外国語大学の英米学科ではアシキリ(いわゆる、ある一定の合格ラインに達していない受験生は二次試験さえも受ける前に不合格とされることを指す)が実施され、その倍率は最大の5倍に設定(合格者120名に対し600名まで自動的に搾られた)されました。

とりあえず、センター試験は今まで受けた模試のなかでも一番いい点数を取得!(本番に強い性格らしい^^ヾ)
というわけで、アシキリは余裕で突破!(この時点で、北九州の英米学科はほぼ9割方合格が決まったようなもんだった)
2次試験が開始される2月25日まで、センター試験を終えた後はずーとひたすら英語と小論文の勉強をしてたかなぁ。

途中、とりあえず滑り止めに受けた修道大学の人文学部英文学科は当然合格。
あと、記念受験にうけた創価大学の英文学科も合格(うちの家族はみんな創価学会。で、おかんの強いススメで仕方なく受験したわけ。たとえ合格しても東京だから通えないっていうのに一応受けさせられたんよねぇ)。
関西外国語大学も一応受けることは受けたんだけど、ここだけは唯一不合格の結果に終わってしまった…(高槻市に親戚がいるから、いざとなったらその親戚の家から通わせてもらうという背景があり、その結果関西外大は受験したという経緯があり)。

そして、神戸市外国語大学の2次試験の当日がやってきた。
この日、俺が緊張しないようにという理由で、なんと両親が会社を休んで会社の人から借りた大きなワゴンにのって前日から俺と一緒に神戸にインしてました。
前日に迷いながら大学の駐車場に到着したあの日の夜のことは、なぜかいまでも鮮明に覚えてるよ。

当日の朝、車の中で朝食をとって受験会場に向ってまずは英語を受けてきた。
さすが外大の2次試験の英語だけあって、めっちゃむずかしいかったという記憶は今でも覚えてるよ(!!)
とにかく、ヒアリングがめっちゃむずかしいかったねぇ〜。

「あーこりゃ俺だめかも…」といつになく弱きな俺の発言。車の中で家族3人で昼飯食べるときも元気のなかった俺だったはず。

「そうは言っても、ここまできたんだからやるだけやらなきゃ損だよね!」
と、自分に言い聞かせながら午後からの小論文を受けるため、車から降りて会場に向った俺。

この小論文っていうのがまたえっらいチンプンカンブンでさ(苦笑)
_
「貴方が思う自由な選挙とはなにか?」っていうテーマで論じなさいって言われてもねぇ…。
あれから13年も経ってるっていうのに、まだ試験内容を覚えている俺って…。

で、小論文を終えた俺は、おそらくめっちゃ暗い顔してたと思うよ(苦笑)。神戸から広島への帰り道も、多分ずっと暗かったと思うよ。
俺のなかでは「こりゃ落ちたな」と思ったもんね。

で、試験発表のあった当日。俺はわざわざそのために神戸までいくお金がもったいなかったので電報で合否結果を知らせてもらうサービスを申し込んでたんだけど、来た来た。合否結果を知らせる電報が!

仏壇の前に座り、呼吸を整えて、一気に電報を開いてみた。
「カザミドリ カゼヲ ハコバズ」なら不合格の意味。
果たしてその電報には何が書いてあったか!

「カザミドリ ハルヲ ヨブ」

やった!合格だ!
マジで? 本当に俺、神戸市外国語大学に合格したん?!

うれしかったよ。思わず俺、うれし泣きしたもんな。
すぐに両親が働いている会社に電話して合格したことを連絡したよ。あと、姉ちゃんの職場にも電話して合格したことを伝えたよ。
この日、既に高校を卒業した同じクラスメイト3名が待ち構えていた安佐南区図書館に行って合格したことを伝えてきたのを覚えてるよ。
「まじで〜。貴光も絶対おちて俺ら浪人メンバーの仲間入りしたと思ってたのにー(笑)」
「残念。ごめんなー(笑)」
高3の時のクラスメイトでいっつも俺と一緒に勉強してたメンバー4名(俺含む)の中では、俺と岩井(こいつは俺より一足先に広大経済学部合格が決定してた)だけが現役合格。
残ったよっこんは一年遅れて俺の後輩(中国語学科に入学)になり、じゃこは一浪の結果福岡大の経済学部に入学。
こんとき一緒に勉強したメンバーとはいまでも時々交流があるよ。やっぱ一緒に苦労しながら勉強したり、お互いの悩みを言い合ったメンバーだからね!

それからほどなくして、91年の4月に晴れて神戸市外国語学部英米学科の1年生になった俺。
途中、ニュージーランドにワーキングホリデー制度を利用して旅行しにいったり、フィリピンにボランティアの一員として診療所を建設するために訪れたり(時のアキノ大統領とも謁見したよ!)と外大生らしく国外をいろいろ飛び回ったりしたよなぁ。

大学1年の10月から始めたホテルオークラ神戸でのウェイターのバイトは、大学卒業するまでずっと続けたよ。
時給1360円のバイトってさ、今思ってもなかなかないよね?時給いい分、かなり肉体的にも精神的にもきつかったけど、ホテルでのマナーを覚えたりいい経験になったよ。

大学生活のことや、大学を卒業して最初に就職した伊藤忠商事入社までの話しについては、またいつか別の機会に触れるとするけど、13年前の俺があってこそ今の俺が存在するのは間違いのない事実。

行ける大学を選択して受験→進学というパターンじゃなく、最後まで自分が行きたい大学を目指して合格→進学できたという俺のパターンは、受験生からしてみたらかなり理想的なパターンだと思う。
でも、最初からそんなトントン拍子に話しが進んでいったわけじゃなく、色々な葛藤があってその結果、そうなったことはわかってほしいと思いながら、今日は「13年前の俺」というテーマで徒然なるままに書いてみました。

追伸:13年前の大学合格した3月14日。その日は、アストラムラインの上安駅近辺の橋げた落下事故が発生した日でもあり、多数の人が犠牲にあった日でもあります。なくなった方のご冥福をお祈り申し上げます。
2004/02/08(Sun)

善良なる日本国民?

うちの会社って外資系だからってわけじゃないんだろうけど、なぜか今月にボーナスが支給されました。
別に景気がいいってわけじゃないんだろうけどねぇ?
日本だけで決算をみると単体は赤字なんだけど、環太平洋グループ(アジアパシフィック)で総合すると黒字らしいからボーナスがでたのか?!

まぁ、でたものに対してこれ以上とやかく言うつもりはないんだけど、賞与金額が記載されている封筒を開けるときってドキドキするよねぇ(^^ヾ?
あれって、子供のころのお年玉袋の中身を確認するときの心境と同じなんだろうね。
「いくらもらえたんだろっ!」ってな感じで中身を確認するときの高揚感って言ったら、そりゃあうまく例えられんよねぇ(笑)

で、賞与金額を確認して「ふむふむ。こんだけもらえたら御の字だなっ」と納得した一方、「なんでこんなに摂られるんよ〜」とガックリ…。

_
その税率、計算してみると18%弱。

18%って言えばほとんど2割じゃん?!
例えば100万円もらったとしても、そのうち20万円は税金として国に納めることになるわけなんだけど、これって高くない?
小学生のころに習った「累進課税制度」なる言葉が久しぶりに頭の中に浮かんできた今日この頃。

そんな高所得者と言われるほど稼いでないっちゅーのになぁ…。

日々の給料からも所得税やら雇用保険・社会保険・厚生年金などといった様々な税金やら保険代が徴収されているんだけど、果たして本当に有益に運営されているんだろうか?と今の情勢をみているとほんと疑いたくなるよね(x。x;

そういえば、こないだNHKみていたら、フリーターが一生のうちに稼げる生涯賃金って6千万円もいかないんだって!それに対して、正社員で企業に就職した場合の生涯賃金は平均して2億円を超えるらしい。この差がいつしか税金の納税額にも影響していって将来の日本国家の運営が非常に危
うくなるって放送していたんだけど、そんなことは実際に現在フリーターしている人たちには全然実感ないことなんだろうか?

少ない稼ぎの中からもきちんと税金を納めているわけだから、我が国日本、もうちょっとしっかりして世界をリードして欲しいと願う一国民の意見でした。
2004/03/31(Wed)

イラクにおける日本人人質事件について思うこと

<イラク人質事件>福田官房長官、被害者を厳しく批判

 福田康夫官房長官は21日午前、イラク日本人人質事件の被害者について「本人たちの配慮が足りなかったことは否定できない。自己責任とは自分の行動が社会や周囲の人にどのような影響があるかをおもんぱかることで、NGOや戦争報道の役割、意義という議論以前の常識にあたることだ」と異例の厳しい言葉遣いで批判した。同事件に関する参院本会議での質疑の中で答弁した。

 さらに「自ら危険な場所へ行って信ずることをやりたいという人を政府が強制的に止めることはできない。しかし、多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、それを勧めたり称賛すべきだろうか」と述べ、5人の行動を支持する考え方にも疑問を呈した。【松尾良】(毎日新聞)

↑は、今日のヤフーニュース『海外トピックス』で目に付いたニュースの抜粋。

フランスの一部新聞紙では、今回の人質事件について↓のように紹介しているという記事も目にした。

自己責任論を批判 「若者誇るべき」と仏紙

 【パリ20日共同】20日付フランス紙ルモンドは、イラク日本人人質事件で、日本政府などの間で「自己責任論」が台頭していることを紹介、「日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、政府や保守系メディアは解放された人質の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている」と批判した。
 東京発の「日本では人質が解放費用の支払い義務」と題した記事は、解放された人質が「イラクで仕事を続けたい」と発言したことをきっかけに、「日本政府と保守系メディアの間に無理解と怒号が沸き起こった」と指摘。「この慎みのなさは制裁まで伴っている」とし、「人質の家族に謝罪を要求」した上に、健康診断や帰国費用の負担を求めたと批判した。
 記事は、「(人質の)若者の純真さと無謀さが(結果として)、死刑制度や難民認定などで国際的に決してよくない日本のイメージを高めた」と評価。パウエル米国務長官が人質に対して、「危険を冒す人がいなければ社会は進歩しない」と慰めの言葉を贈ったことを紹介した。(共同通信)

俺はどっちの意見に同意するのか?と尋ねられるとすれば、福田官房長官に同意するよ。

そりゃあ確かに「危険を冒す人がいなければ社会は進歩しない」という説法は理解できる。ただし、これもやはり時分の責任範囲内での行動における冒険を指すんじゃないのかなって思うんだよね。

つまり、「危険を冒す人がいなければ社会は進歩しない」という説法では、今回の人質になった人たちを擁護できないんじゃないの?って。
初めて宇宙に有人旅行した人や、深海に降り立った人たちのことをこうやって擁護するというか賞賛するのは激しく同意するけど、果たして今回の人質になった人たちはそんなに擁護されるようなことをしたの?

福田さんが言ってるように、『周りの多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、それを勧めたり称賛』するの?

まぁ、今回なんでここまでこの人たちが糾弾されるかといえば、それぞれの人たちの解放後のコメントが癪にさわったんだろうね。
「まだイラクに残って写真を撮り続けたい」だの
「こんなことをされてもイラクを嫌いにはなれない」だのといった言葉をさらと発言されると、
「なんでこんなことを言うような奴らために、俺らが高い金払って納めている税金をつかって救出しなけりゃいけないんだよ!」

といった具合にね?

『これくらいのことでテロに屈するつもりはない』と発言されるお偉いお方もどうかと思うけどね(x。x;

人の国のテロについてとやかく口出す前に、自国で起こったテロ行為(オウムによる地下鉄サリン事件を指す)に対する糾弾の手を休めないで、かつ、被害にあった人たちの救済措置についてもっと論じた方がよっぽど日本国のためになると思っているのは俺だけじゃなかろうに…。

危惧される我が国『日本』の行く末が心配です。

←人質になったメンバーの一人である今井君(18歳)とそのご家族。
2004/04/21(Wed)

必要は発明の母

最近、またしてもPCのサイト造りに精を出しているんだけど、やっぱ「必要にかられないと行動に起こさない」性質の俺としては、こういう環境におかれないとなかなかサイト更新しないんよね(^^ヾ
 で、しかも普通にフロントページみたいなサイト作成ツールと使ってサイト造り(更新)に励めばいいのに、なぜかやたらと新しいことにチャレンジしてみたりするのね(w

たとえば、最近でいえば「Flash」だとか、携帯端末(FOMA)向けの着モーションを作成してみたんだけどやっぱいきなりそんな応用めいたことをしようとすると無理があるよねぇ。
 ああいうのはコツコツと地道に勉強していって始めて(ドカ〜ン)とおっきいことが出来るんだと思っちゃいるんだけど、やっぱそんな地道なことは俺の性格には向いてないんよね(w

で、いきなりフラッシュ使ってサイトに動画をおいてみたいなぁって思っていろいろと試した結果、なんとか設置成功(でも丸一日は時間を費やしたかも・・・)。

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NTT Docomoの公式サイトをみてみても「着モーション」の作り方は全然触れちゃいないし…。
まぁ、著作権の問題とかが絡んでいるせいなんだろうと俺はにらんでいるんだけど、実際のところは…。

昔、auが「着うた」の設定を厳しくしていまじゃ素人が作れなくなっちゃったという事態になりかねんので、むしろ今のままの方が(すでに着モーションがつくれる技能を身につけた俺にしてみたら)いいのかも?と思ったりもしてます。

さて、今度はau機種向けの動画をつくってみよっかなって計画中〜。
vodafoneは…、昔の破竹の勢いがいまじゃ影も形もみれないvodafone。
一応、サポートはするけど他キャリアと比較しても情報開示量が少なすぎ(;_;)

このサイト(Biglobe)もトップページくらいはちょこっと模様替えしよっといいつつすでに2年くらいは経ったかな?
マジでそろそろ4年目を迎えるんで、これを機会にガラっと変えてもいいかも?
2004/09/06(Mon)

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