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Cafe日誌No.49
2009年05月10日日曜日 01時03分
大分夜も遅くなった頃、前に見たことがあるレディが入ってきた。ぴんきぃはいかにも追われている、そういう感じだった・・・。このレディが話すことといえばいつも男性の事だ。
無職 ぴんきぃ
「不適切でしたら消去お願いいたします。
かつてブログをやっていて今放置中のいつぞやの浪人生、今の大学生です。

前情緒不安定だったときの私の記事におじさんさまがコメントしてくださったアドバイスのうちのひとつに、
「バイトをして必要とされてる自分を感じてみる」ということがあって、
実際今の状況がそうだなあと感じ、おじさんさまのコメントを思い出したので、お礼を言いに来ました☆

ありがとうございました。

今はサークルと家庭教師バイトで頑張っております。
サークルやら人間関係やら恋愛やらはなかなかうまくいかないときもたくさんありますけど、まあ充実だけはしております笑
実際お金使う暇もないし、生活費は仕送りだけでやっていけるのに(親に感謝です)、なんでバイトしてるの?って聞かれたときに、あ、そうか、必要とされる感じがほしいんだな、と実感してしまいました。
でもそれがなんか幸せですね。重荷ではないです。

いろんなことに悩みながら、素敵な大人になりたいです。

では、またどこかで☆」
・・・不様としか言いようが無い。

仕方がないのでこう答えてやった。
マスター おじさん 2 2009年05月12日火曜日 15時41分
「ご無沙汰しております。
ごらんの通り時の止まったサイトですから、気が向いたら何でもお好きにお書きになって下さい。不適切なんてとんでもない。

充実の日々をお過ごしとのことで、まことにもって欣快の念に堪えません。
家庭教師を始められたのであれば、小生とご同業ということになりますな。これからはぴんきぃ先生と呼ぶことに致しましょうか。
口を糊するためにこの仕事を長年続けている小生などは、生徒や後輩であった若者が、次々と自分を乗り越えて輝く世界へ飛び込んでいくのを眩い思いで見ているのですが、直接教えたわけではないはずのぴんきぃさんにも、なぜかそれに近い感慨を抱いてしまいます。(失礼)

そういえば、昨年度担当していた生徒が、ぴんきぃさんの後輩を目指しておったのですが、惜しくも良縁を結ぶことはかないませんでした。
「そちらの大学に一人送り込んだので、いろいろ教えてやってくらはい〜」とかブログに書き込みにうかがいたかったんですがね。残念きわまります。ぴんきぃさんはよく精進なさったんだなあと再確認したりして。

素敵な大人になるための方法は、小生も模索中です。
ご発見のあかつきには、ぜひともご教示ください。
お互いになかなか見つからないかも知れませんから、そのための鳩首会談に、是非ともまたのご光臨をたまわりますよう。」

ぴんきぃはさらにこう言った。
無職 ぴんきぃ 2009年07月31日金曜日 00時33分
「こんばんは☆

テストが終わって、これから長い長い夏休みです。
ブログを移転いたしましたので、よろしければまたご覧ください♪
…とやろうとしたら、なぜか禁止されていて普通にできませんでした;;うーん。

今日(日付上昨日ですが)も家庭教師のバイトでした。
教えるって難しいですよね。
何回同じことを言っても覚えてもらえないとつい感情的になってしまいます;;
だけど結果が出ると、すごくうれしいですね。
おじさんさまくらい立派に教えられるように頑張りたいと思います。

では失礼いたします。」

なんとかこの客に諦めさせなければならない。
マスター おじさん 2009年08月04日火曜日 18時43分
「ご無沙汰してしまい恐縮の至りです。
ブログ移転のご連絡ありがとうございます。
是非ともうかがいたいと存じますので、後ほどメールいたします。

なお、当ページは、しばらく海外からのスパムがひどかったため、「http」を禁則文字に指定しておりましたところ、書き込みに際してサイトアドレス欄にデフォルト入力される「http://」までも禁則処理されてしまい、書き込みができない方が多々いらっしゃったようです。
ぴんきぃさんにもご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。お詫び申し上げます。
恥ずかしながら、設定の解除方法を完全に忘れてしまっており、つい先ほどようやく解除できました。
この禁則処理によってはじかれた書き込みが記録されていることにも気づいておりませんでした。多くの方の期待を裏切ったものらしく、既に見ておられないこととは思いますが、お詫びを申し上げておきます。

さて、小生は国語の担当ですが、国語という教科は精神年齢によって左右される部分が大きく、なかんずく現代国語にはその傾向が顕著で、わからない生徒には、いくら説明してもわからないものです。重々承知しているつもりでも、そこそこ難しいとされている大学を志望している受験生が指示語さえ全く理解できなかったりすると、さすがに暗澹たる気分に陥ります。
教える側に立ってはじめて見えてくる部分というのが存在する一方で、この歳になると教わる側からはどんどん遠ざかっていくばかりなので、何年も教えている自分にわかることは生徒にもわかって当然だ、というスタンスを取ることだけはないようにしたいものですが、なかなか難しいですねえ。

夏休みは書き入れ時ですからぴんきぃさんもあるいはご多忙のことと拝察いたします。炎暑の折柄、くれぐれもご自愛下さい。」

Cafe日誌No.48
2009年02月06日金曜日 22時20分
他の客も酔いが回ってきた頃に、何回かこの店を利用している美女が入ってきた。美女の美貌に店内中の未成年が息をのむ。額、首筋、わきの下を一通りハンカチで拭くと、唾を飛ばしながらこう言った。
無職 はるか
「いつもすみません。今回も宜しくおねがいします。
大和物語です。本文は、
《筑紫にありける檜垣の御といひけるは、いとらうありおかしくて、世を経ける物になむありける。歳月かくてありわたりけるを、純友が騒ぎにあひて、家も焼けほろび物の具もみなとられはてて、いといみじうなりにけり。かゝりともしらで、野大弐好古討手の使にくだり給て、それが家のありしわたりをたづねて、「檜垣の御といひけむ人に、いかであはむ。いづくにかすむらむ」とのたまへば、「このわたりになんすみ侍りし」など供なる人もいひけり。「あはれ、かゝるさはぎにいかゞなりけむ、たづねてしかな」とのたまひけるほどに、頭白き女の水汲めるなむ、前よりあやしきやうなる家にいりける。ある人ありて「これなむ檜垣の御」といひけり。いみじうあはれがり給てよばすれど、恥ぢて来でかくなむいへりける。

 むばたまのわが黒髪はしらかはのみつはくむまでなりにけるかな

とよみたりければ、あはれがりて、きたりける袙(あこめ)一襲ぬぎてなむやりける。》です。」
はい、お疲れさん。

なんとかこの客に諦めさせなければならない。
マスター おじさん 2 2009年02月07日土曜日 00時08分
「よそからコピペをしたら訳さない、と注意書きに書いておいたはずです。」

Cafe日誌No.47
2009年02月04日水曜日 06時20分
朝方、何回かこの店を利用している二枚目が入ってきた。二枚目は箱入り娘を探しているらしく、はるかは辺りかまわず罵った。
無職 はるか
「明日は古典のテストがあるので、すみませんがまた訳していただけないでしょうか?伊勢物語です。本文は、
「むかし、あてなる男ありけり。その男のもとなりける人を、内記にありける
藤原の敏行といふ人、よばひけり。されどまだ若ければ、文もをさをさしから
ず、言葉もいひ知らず、いはむや歌はよまざりければ、かのあるじなる人、案
をかきて、かかせてやりけり。めでまどひにけり。さて男のよめる。

  つれづれのながめにまさる涙川袖のみひぢて逢ふよしもなし

返し、例の男、女にかはりて、

  浅みこそ袖はひづらめ涙川身さへながると聞かばたのまむ

といへりければ、男、いといたうめでて、いままで巻きて文箱に入れてありと
なむいふなる。
 男、ふみおこせたり。得てのちのことなりけり。雨の降りぬべきになむ見わ
づらひ侍る。身さいはひあらばこの雨は降らじ、といへりければ、例の男、女
にかはりてよみてやらす。

  かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身をしる雨は降りぞまされる

とよみてやれりければ、蓑も笠もとりあへで、しとどにぬれてまどひ来にけり。」です。宜しくお願いします。」
独り言なのだろうか・・・・・?

私はこういう場合は穏やかに話すことにしている。
マスター おじさん 6 2009年02月05日木曜日 01時31分
「 昔、高貴な男がいた。その男のもとにいた人に、内記であった藤原敏行という人が求婚した。しかし(その女性は)まだ若いので手紙も一人前ではないし、言葉もわきまえがなく、ましてや歌などは詠めなかったから、その主人であった人が、(男からの求婚の返事の)草案を書いて、(女に返事を)書かせて(敏行のもとに)送った。(敏行はその返事を)ひどくありがたがった。そこで男(=敏行)が詠んだことには、

 手持ちぶさたのあまりに(あなたのことを思って)ぼんやりと物思いにふけっていると、長雨のように降るわたしの涙が川となってどんどん激しくなっていきます。なのに、この袖がぬれるばかりで、あなたに会うすべはないのです。

返歌を、例の男が、女に代わって(以下のように詠んだ。)

 (あなたの)涙の川は、まだ(私を恋しく思う気持ちが弱く、涙の量が少なくて)浅いからこそ、袖が濡れる(程度ですんでいる)のでしょう。(どんどん流れが強くなってあなたの)体までも流れるくらいまでになった、とでも聞いたならば、(あなたの求婚を)真剣に受け取りもしましょうけれど。

といったので、男は(この歌を)じつにたいそうすばらしく思って、現在に至るまで(手紙を)巻いて、文箱に入れてある(=大切に収蔵している)ということである。
 男(=敏行)が、手紙を(女のもとに)送った。(女を)我がものとした(=女と恋仲になった)後のことであった。「雨がきっと降りそうなので(あなたに)なかなか会いに出かけられないでいます。わたしの身に幸運が訪れるなら、この雨はふらないでしょう」と(女のところに)言い送ったので、例の男が、女に代わって(次のように)詠んで、(男のもとに)送らせた。

 (あなたがわたしのことを大切に)思っているのか思っていないのか、あれこれと尋ねることができないので、(そのような辛い境遇にあるわたしの)身の上を知る雨は(不誠実なあなたにいっそのことわたしのところへ来させまいとして)どんどん強く降っているのです。

と詠んで送ったので、(敏行は)蓑も笠もきちんと身につけずに、びしょ濡れになって取り乱しながら(女のもとに)やってきた。」

私は相手に誤解を与えないように噛み砕いて説明してやった。
マスター おじさん 6 2009年02月05日木曜日 01時35分
「いきなり明日とは急ですな。おじさんは留守にすることもたびたびありますから、こういうご要望はせめて数日前からにしておいていただきたいものです。
最後の和歌は、「知る」の主語が雨とも私とも取れます。ここでは、雨にしておきました。このあたりは学校の先生と違うかもしれません。」

はるかは何かに取り憑かれたかのように話を続ける。
無職 はるか 2009年02月05日木曜日 06時12分
「分かりました有難うございました。」

Cafe日誌No.46
2009年01月23日金曜日 20時40分
店も賑わいを見せる頃、前に見たことがある若者が入ってきた。若者の体から漂う高級な香水の香りが店内に異臭を放つ。バーボングラスをみつめながら、つぶやきはじめた。
無職 はるか
「たびたびすいません。
「沙石集」の乳母の教えを訳していただけないでしょうか?
本文は、《ある姫君、殿のもとへおはすべきにてありけるを、乳母教へけるは、
「やさしく尋常なることをば、物の姫君なんどのやうにとこそ申せ。
何となきことのみ、御口がましき御癖のおはしますことの、
しかるべからず覚え候ふに、殿の聞かせ給はむとき、いたく物を仰せられ候ひそ。
あはれ、この御前の、ものを仰せられよかし、聞かんなんどおぼしめすとき、ものは仰せ候へよ。
春の鶯のまがきの竹に訪れむを聞かむやうに、めづらしき御事にて候へよ。」
と教へ申しければ、「我は、乳母より先に心得たるぞ。何しに賢しく教ふる。」とのたまへば、
「御心得だに候はば、それこそ心やすく思ひ参らせ候へ。」とぞ言ひける。
さて、殿のもとへおはして後、二、三日はつやつや物ものたまはず。
これも余りなりと思ひけるほどに、殿と並びてもの召しけるに、
よによき酸茎のありけるを、なほ欲しく思はれけるにや、膝を立て、肩をすべ、
羽繕ひするやうにして、首を伸べ、声を作りて、「酸茎食う。」
と二声、鶯の鳴く声色にてのたまひける。
乳母、あまりに心憂くあさましくおぼえて、また言はせまじとて、
「やがて参らせむ。」と言ひけるが、遅かりければ、「きときときと。」 とぞ言ひける。
物の心を得ずして言葉に随ふこと、世間出世かくこそありけれ。
仏法もその心を得ずして言葉に随ふ時は、誤りあることこれに
違はざるをや。》です。
宜しくおねがいします。」
人間もここまで落ちぶれると大したものである。

私は他の客に聞かれないよう小声で話した。
マスター おじさん 2009年01月24日土曜日 02時32分
「ある姫君が殿のもとへいらっしゃる(=入内または結婚することをいう)ことになっていたのであったが、乳母が(姫君に)教えたことには、「風流で上品なことを『どこかの姫君なんかのように』と申します。(あなたは)たいしたことのないことにばかり口やかましいお癖がおありになるのは、よくないと思われますので、殿がお聞きになっているようなときには、ひどくおしゃべりになってはいけません。(殿が)『ああ、この方(=姫君)が何かお話しになるとよいな。聞きたいものだ』などとお思いになるようなときにお話しなさいませ。(そのように振る舞うのは)春の鶯が籬の竹にやってきて鳴くのを聞くように、すばらしいことでございますよ」とお教えしたところ、(姫君は)「わたしはあなたよりとっくにわかってるわよ。どうしてえらそうに教えたりするの」とおっしゃるので(乳母は)「わかってさえおられますなら、それは安心にお思いいたします」と言った。そうして(姫君は)殿のところへいらっしゃってのち、二三日はまったく何もおっしゃらない。(乳母は)これもあまりのことだ(=これはこれでひどい、これはまた極端だ)と思っていたところ、(姫君が)殿と並んで食事をなさっていて、実に美味な酸茎があったのを、もっとほしいと思われたのだろうか、膝を立て、肩をすくめ、羽繕いするようにして、首を伸ばし、声を作って「酸茎食う」(=「酸茎食う」は鶯の鳴き声によく似た言葉なのである)と二声、鶯が鳴く声色(=ものまね)でおっしゃった。乳母はあまりにもなさけなくあきれたことにおもわれて、もう一度言わせないでおこうと思って「すぐに(酸茎を)差し上げましょう」と言ったのだが、(酸茎を出すのが)遅かったので、「きときときと(=「はやくはやくはやく」の意であるが、鶯の鳴き声「ケキョケキョケキョ」の類似音でもある)」と言ったのであった。
意味を理解せずに言葉にしたがう(=字面のみを解釈したり採用したりして行動する)ことは、俗人も僧侶もこのようであることよ。仏法も真意を理解せずに言葉にしたがうときには誤りがあることは、この話と違わないなあ。」

はるかの言葉は次第に演説に変わる。
無職 はるか 2009年01月24日土曜日 05時25分
「いつも本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。」

Cafe日誌No.45
2009年01月21日水曜日 21時46分
他の客も酔いが回ってきた頃に、見馴れない一人の年増が店に入ってきた。無職仲間の間じゃそうとうの実力者だそうだ。荒ぶる魂を押さえつける事が出来ないのか私にそれをぶつけてきた。
無職 はるか
「今鏡の「この大臣の太郎にては、兼頼の中納言おはしき。〜それは、ひがごとにや侍りけむ。」
までの口語訳を教えてください!
お願いします!」
なぜここまで自信たっぷりに話せるのだろうか。・・・・理解に苦しむ。

私はこの客にこれ以上酒を飲ますのは危険と判断した。
マスター おじさん 5 2009年01月21日水曜日 23時22分
「本文を書いていただかないと訳しようがありませんな。」

はるかはさらにこう言った。
無職 はるか 2009年01月22日木曜日 04時37分
「すいませんでした。
本文は、[この大臣の太郎にては、兼頼の中納言おはしき。御母女御の一つの御腹なり。いと末のはかばかしきもおはせぬなるべし。次には右大臣俊家の大臣、大宮の右の大臣と聞こえ給ひき。この御末多く栄えさせ給ふめり。その御子は宗俊の大納言、御母は宇治大納言隆國の女なり。管絃の道すぐれておはしましける、時光といふ笙の笛吹きに習ひ給ひけるに、大食調の入調を「今今」とて、年経て教へ申さざりける程に、雨限りなく降りて、暗闇しげかりける夜出き来て、「今宵かのもの教へ奉む」と申しければ、悦びて「とむ」との給ひけるを、「殿の内にては、おのづからき聞く人も侍らん。大極殿へわたらせ給へ」と言ひければ、さらに牛など取り寄せておはしけるに、「御供には人侍らでありなむ。時光ひとり」とてみのかさきてなん有りける。大極殿におはしたるに、なほおぼつかなくはべりとて、ついまつとりて、さらに火ともしてみければはしらにみのきたるものゝたちそひたる有りけり。かれはたれぞと、とひければ武能となのりければさればこそとてその夜はをしへ申さで、かへりにけりと申す人もありき。またかばかり心ざし有りとて、をしへけりともきこえ侍りき。それはひが事にや侍りけん。]です。
宜しくお願いします。」

こういう客はどう返事していいものか悩む。
マスター おじさん 5 2009年01月22日木曜日 12時27分
「この大臣の長男としては、兼頼の中納言がいらっしゃった。母上は、女御と同腹である。(兼頼の)子孫でとてもしっかりしている(=出世するほどの才覚のある)方はいらっしゃらないはずである。その(=この大臣の)次のご子息は右大臣俊家の大臣で、(通称を)大宮の右の大臣と申し上げた方である。この方の御子孫はたくさん栄えておられるようだ。そのご子息は宗俊の大納言で、母上は宇治大納言隆国の娘である。(宗俊は)管絃の道に優れておいでであった。時光という笙の笛吹に(笙を)習いなさったのだが、(時光は)大食調の入調を「今(に教えよう)、今(に教えよう)」といっていながら年月が経っても(宗俊に)お教えしないでいた時期に、雨がこの上もなく降って、暗闇が深い夜に(時光が宗俊のところに)やってきて「今夜、例のもの(=大食調の入調)をお教えしましょう」と申し上げたので、(宗俊は)喜んで「はやく(教えてくれ)」とおっしゃったものの、(時光は)「あなたのお宅では、ひょっとすると聴いてしまうひともございますでしょう。大極殿へお越しください」と言ったので、(宗俊は)あらためて牛などを取り寄せておられたのだが、(時光は)「お供としては人がいないのがよろしいでしょう。時光ひとりが(お供いたします)」と言って蓑笠をきて出て行った。大極殿にいらっしゃったところ、(時光は)「やはり(誰か聞いていないか)気になります」といって松明をとってさらに火をともしてみたところ、柱の所に蓑を着た者で立ち添っているものがいた。「あれは誰か」とたずねたところ「武能」と名乗ったので、(時光は)「やはり」といってその夜はお教えしないで帰ってしまったと言う人もいた。また、あれほど(音楽への)こころざしがあるのだ、ということで(武能にも)教えた、とも耳にしました。(しかし)それ(=武能にも教えたという伝聞)は間違いだったのではないでしょうか。」

はるかは自分にもっと話させろと苛立った。
無職 はるか 2009年01月22日木曜日 18時50分
「ありがとうございます!
大変助かりました。
また、宜しくお願いします。」

Cafe日誌No.44
2008年08月21日木曜日 10時57分
敢えて長い話にはしたくないのだが、これだけは聞いて欲しい。
マスター おじさん 3
「 大阪は、現代の日本を東西に大きく二分したとき、西側の中心都市に当たる。
 地理的に近接している京都とともに、「上方」と呼ばれる文化圏を形成し、上方文化圏は、江戸時代には、その名の示すとおり、東京(江戸)の文化に比べ、水準と歴史の長さにおいて圧倒的上位にあるものとして、江戸っ子(江戸で生まれ育った庶民)たちの尊敬とコンプレックスの対象となった。
 江戸・大坂・京都は、江戸時代には「三都」と総称されたが、江戸の文化が武士的かつ町人的(庶民中心)、京都の文化が貴族的であるのに対し、大坂は、商都と称されるだけあって、商人的であることを特色とする。すなわち、合理的で、権威よりも実力を重視し、すぐに金銭に関連した発想へとつながりがちである。実際、第二次世界大戦直後しばらくの間まで、日本の金融・経済・産業の中心地は東京ではなく大阪であった。(これは、東京が、関東大震災・東京大空襲によって、短期間に二度も灰燼に帰したことにもよる)現在でも、東京人は物を高く買ったことを自慢する傾向があるのに対し、大阪人は安く買ったことを自慢する。現在では実際に聞かれることが稀になったとはいえ、かつて「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」という会話が庶民においても日常的な挨拶として用いらたが、これは本来商人間で交わされるものである。この都市において商業がいかに文化の根幹にまで食い込んでいるかがうかがわれる。
 大坂は江戸時代には幕府(中央政府)の直轄地であって、統治する大名(地方領主)がいなかったため、実質的には商業組合による自治都市となっていた。在地領主による権力的支配を直接受けることなく、経済の中心地でありつづけたことは、政治的権力に対する反骨精神を生むことになった。現在でも、たいていの大阪人が政治の中心地である東京に対して強い対抗意識を持っている。たとえば、大阪を本拠地とする野球チーム・阪神タイガースとそのファンは、東京を本拠地とする読売ジャイアンツを倒すことこそ永遠の課題と考えている。権威的なものへの反抗心と、そこから生じる前向きで自由な発想は大阪人の精神の特徴である。
 これらの気風が、大阪を「笑い」の町へと進化させた。既存の秩序を抜け出すための発想を持つものは、常識人にとっては突飛としか思われない滑稽な発想を連発したであろう。商人間の厳しい取引も、笑いを差し挟むことで、後腐れのない円満な継続的関係になる。大阪人はこの笑いを日常生活の一部として追究しつづけてきた。現在、日本で活躍している実力あるコメディアンの大半は大阪文化圏の出身者である。
 日本の笑い、とりわけ大阪の笑いは、諸外国と違って、抑圧された市民による政治的風刺や、パーティーにとけ込むための暗記用の話題といった、一種の知的道具としてのみ存在意義を持つものではなく、笑いそれ自体が目的となっている。したがって、日本では知的な作用や裏付けのない笑いもまた尊重される。知的に劣る者を大阪では「あほ」と呼ぶが、これには知的な裏付けのない笑いを自然と実践できる者をも含むため、大阪人は笑いを解する者から「あほ」と呼ばれることを喜ぶ傾向がある。「愚か者」を意味する語をもって呼ばれることに喜びを見いだす文化は、日本でもほぼ大阪のみの特徴である。おそらく世界的にも珍しいことであろう。」

逃げ出したい気持ちを押さえ、私はこう返事した。
マスター おじさん 2008年08月21日木曜日 11時02分
「このあと食文化等についても書こうと思ったが、もう飽きた。」

ピンボールで負けたぴんきぃが悔しそうに天を仰いだ。
無職 ぴんきぃ 2008年08月28日木曜日 20時32分
「こんにちは。いつもご訪問ありがとうございます。
興味深く読ませていただきました!
関西と関東の対立というかライバル意識ってそんな理由があったんですね。
考えたこともありませんでした。
いわゆる「大阪のおばちゃん」がああいう風になったのも歴史的な意味があるんですね。。。納得いたしました。」

私は「あちらのお客様からです」と嘘を付いてカクテルを出した。
マスター おじさん 2 2008年08月29日金曜日 22時04分
「やあ、ぴんきぃさん、ご来訪ありがとうございます。
新しい書き込みがあったのはひさしぶりです。
大阪人は大阪人気質について考えるのが好き(日本人ほど日本人論が好きな民族はいないと言われますから、大阪人こそ典型的日本人なのかもしれません)で、上に書いたことは、笑いの町となったことについての考察を除き、別段おじさんが考えたものではありません。(ちなみに、おじさんは、上方の笑いと江戸の笑いの質的差異についての考察を博士論文のテーマにしています。まだ書けていませんが)
「大阪のおばちゃん」がああなったのは、見た目こそ人間だが実は人間に似た新種の生物であるという説や、大阪の水源である淀川の上流から「おばちゃん粉」を撒いている人がいて、淀川の水を飲むと加齢とともにおばちゃんが発現するのだとの説も有力です。」

Cafe日誌No.43
2006年11月20日月曜日 21時28分
他の客も酔いが回ってきた頃に、この店の常連の珠里がいつものように入ってきた。一癖もニ癖もありそうな人物だ。何を思ったか自分は戦前の生まれなんだと激しく主張しはじめた。
スリ 珠里
「お久しぶりです。この前は訳していただき、本当にありがとうございました。語注は、訳だけでも十分わかりますので、お忙しければどちらでも構わないです。ところで、また忙しいのに、訳をお願いしたいと思い参りました。ゆっくりになっても全然構わないので、もしよろしければお願いします。今回は大和物語です。
 ならの帝、狩いとかしこく好みたまひけり。陸奥国岩手の郡よりたてまつれる御鷹、世になくかしこかりければ、になうおぼして御手鷹にしたまひけり。名と岩手となむつけたまへりける。それをかの道に心ありて、預かりつかうまつりける大納言に預けたまへりける。夜昼これを預かりて取りかひたまふほどに、いかがしたまひけむ、そらしたまひてけり。心肝をまどはしてもとむるに、さらにえ見いでず。山々に人をやりつつもとめさすれど、さらになし。自らもふかき山にいりて、まどひありきたまへど、かひもなし。このことを奏せでしばしもあるべけれど、二三日にあげず御覧ぜぬ日なし。いかがせむとて、内裏に参りて、御鷹のうせたるよしを奏したまふときに、帝ものものたまはせず。きこしめしつけぬにやあらむとて、また奏したまふに、面をのみまもらせたまひて、ものものたまはず。たいだいしとおぼしたるなりけりと、われにもあらぬ心地してかしこまりていますかりて、「この御鷹の、もとむるに侍らぬことを、いかさまにかし侍らむ。などかおほせごともたまはぬ。」と奏したまふに、帝、「いはで思ふぞいふにまされる」とのたまひけり。かくのみのたまはせて、ことごとものたまはざりけり。御心にいといふかひなく、をしくおぼさるるになむありける。これをなむ、世の中の人、もとをばとかく付けける。もとはかくのみなむありける。
 また長くなってしまってすみません。もしよろしければお願いします。」
未だに過去にすがって生きている。

これ以上騒ぎ立てられたら大事だ。
マスター おじさん 5   2006年11月23日木曜日 22時53分
「長い間不在にしました。
エアコンからもれた冷却水がパソコンにばちゃばちゃっとかかったので修理に出しておりましたが、今日戻ってきました。幸いハードディスクは浸水せず、データは飛ばなくて済みましたが、みなさんパソコン保険には入りましょうね。
訳は落ち着いてからで間に合いますかしらん。お急ぎならそれに合わせますが。」

セクハラしているのはこの客か。
マスター おじさん 2   2007年02月10日土曜日 22時22分
「反応がないのでやる気をなくしてしまいましたが、これを済ませてしまわないと誰も次の人がやってこないので、訳だけは済ませておきます。

奈良の帝(=平城天皇)は、狩りをたいそう畏れ多いほどお好みであった。陸奥国岩手の郡から(朝廷に)献上してきた鷹が、またとないぐらいかしこかったので、この上もなく(大切に)お思いになって、手鷹(=手元で飼う鷹)になさった。名を岩手とおつけになった。それ(=その鷹)をその(=鷹の)道に心得があって、(他人からの鷹を)お預かりして(訓練して)いる大納言にお預けになった。(大納言は)夜も昼もこれを預かって飼い育ててなさっていたときに、どうなさったのであろうか、(帝からお預かりした鷹を)逃がしてしまわれた。気持ちを錯乱させて探したが、全く見つけることができない。いろいろな山に人を派遣して探させたが、まったくいない。自分も深い山に入って、あちこち惑い歩きなさったが、その甲斐もない(=よい結果が得られなかった)。このことを帝に申し上げないでしばらく(そのまま)いられればよいのだけれど、二三日を置かずに、(その鷹を)御覧にならない日はなかった。(大納言は)どうしようかと思って内裏に参上して、鷹がいなくなったということを申し上げなさったときに、帝はなにもおっしゃらない。(大納言は帝が)お聞きにならなかったのであろうかと思って、また申し上げたところ、(帝は大納言の)顔を見つめられるばかりで、なにもおっしゃらない。もってのほかだとおもっておられるのだなあと、自分が自分でないような気持ちがして、縮み上がっていらっしゃって、「このお鷹が、探してもおりませんことを、どのようにいたしましょうか。どうしてお言葉もくださらないのでしょうか」と申し上げなさると、帝は「いはで思ふぞいふにまされる」とおっしゃった。このようにだけおっしゃって、他のこともおっしゃらなかった。(帝は)ご心中でたいそうむなしく、残念にお思いなのであった。これ(=いはで思ふぞいふにまされる)を世の中の人は、上の句をあれこれとつけたのであった。もとはこのようにあっただけなのである。(=「いはで思ふぞいふにまされる」は別に和歌として完全な形で詠まれたものではなかったのである)」

Cafe日誌No.35
2006年10月01日日曜日 21時24分
他の客も酔いが回ってきた頃に、前に見たことがある女子高生が入ってきた。出来ればグラス一杯で帰って欲しい・・そういう客だ。武田なおは思い出したかのようにこう言い出した。
無職 武田なお

<大伴旅人>「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも」万葉集より
この和歌の
*鑑賞
*主な語句・技法など
を教えて下さい。」
私はこの時の武田なおの笑顔を未だに忘れない。

私は子供に言い聞かせるようにこう言った。
マスター おじさん 1   2006年10月02日月曜日 17時07分
「「鑑賞」というのはどうすればいいのかちょっとわかりかねますが、まず訳をすると「私の家の庭に、梅の花が散っている。(これはまるで)空から雪が流れてきた(かのようである)ことよ」となります。
梅の花が散る様子を、まるで雪が空から流れてきたかのようだ、と見立てた歌(当然梅は白梅)です。「流れくる」は、万葉集以後、雪がふわふわ揺れながら降るさまを表す表現としてよく用いられた語ですが、この語を用いることによって梅の落花の様子がありありと思い浮かぶよう見事な比喩になっているといえるでしょう。

技巧としては、「天」という言葉を導く枕詞「ひさかたの」用いられていることがあげられます。(ほかに「光・そら」などを導くこともあります。枕詞ですから、訳しません。)また、「梅の花散る」が終止形で結ばれて、このあとで切れる二句切れの歌となっています。ほかには、前述の比喩(暗喩)がありますが、これは和歌の技巧とは見なさないのが普通です。
「園」は、邸宅などに付属した土地のことで、本当は「庭」は適切な訳語ではないのでしょうが、わかりやすように訳しておきました。「かも」は詠嘆を表す終助詞。

こんなところでしょうか。」

武田なおは時間も気にせず話を続ける。
無職 武田なお 2006年11月13日月曜日 21時40分
「遅くなりました!!ぁりがとうございましたm(_ _)mとても綺麗な和歌なのですね☆

ぁと「たとへば君 ガサッと落葉すくふように私をさらつて行つてはくれぬか」河野裕子

<この作品はいつかかれ、なぜ作られたのか>
<鑑賞>をお願いします♪”」

私は前にもした話をもう一度繰り返した。
マスター おじさん 6   2007年02月10日土曜日 21時50分
「こういう宿題丸投げ式のご依頼にはお答えしません。

<この作品はいつかかれ、なぜ作られたのか>
わかりません。短歌からは読み取れません。絶対に。
調べてこい、ということなら、それはわたしのやるべきことではありません。
「この和歌を鑑賞した結果、どういう経緯で作られたと思うのか、あなたなりに想像してみなさい」という質問であれば、非常に有意義な問いかけだとは思いますが、各個人個人の「読み」が問われることなので、他人に読書感想文を書いてやっても何の役にも立たないのと同じで、他人であるわたしがやっても何の意味もありません。(さらにいえば、絶対的な「正解」もありません)

<鑑賞>
現代語で書かれているので、意味はそのままです。
そこから何を読み取るのか、それは読み手次第です。
わたしの意見はあなたの意見ではありません。
あなたが私の意見をさも自分の意見であるかのように提出することはわたしにとって非常に不快ですし、そもそもそんなことをしてもただのその場しのぎにすぎません。
何も感じないのであれば、それだけで立派な意見です。「これこれしかじかの意味であろうが、そこから何の想像もふくらまない」と書けばよろしい。その言葉は、あるいはあなたの感性の貧困さを表すものでしょうが、授業を担当する先生や、この歌を詠んだ歌人に対して、さらなる高みを目指させる、痛烈な批判と成り得るでしょうから。(「何も思わない」と答える生徒を前にして、反省しない教師は、「教師」の名に値しません)
このページは学ぶものの手助けをすることを目的としているのであって、学ぶ意志もないものがズルをする手助けをするためのページではないのです。」

Cafe日誌No.42
2006年11月10日金曜日 17時58分
店も賑わいを見せる頃、この店の常連の珠里がいつものように入ってきた。珠里が入ってくるなり店内が静まりかえった。乙女から教わったというナツメロを歌い出した。歌詞の内容はこうだ。
スリ 珠里
「こんばんは。この前は、訳ととても分かりやすい説明、本当にありがとうございました。お忙しいところ、大変申し訳ないのですが、また訳していただけませんか?本当にすみません。宇治拾遺物語です。
これも今は昔、山科の道づらに、四の宮川原といふ所にて、袖くらべといふ、あき人あつまる所あり。その辺の下種のありける、地蔵菩薩を一体造りたてまつりたりけるを、開眼もせで、櫃にうちいれて、奥のへやなどおぼしき所に納め置きて、世のいとなみにまぎれて、程へにければ、忘れにける程に、三四年ばかりすぎにけり。
 ある夜、夢に、大路をすぐる者の、声だかに人よぶ声しければ、「何事ぞ。」ときけば、「地蔵こそ。」と、高くこの家の前にていふなれば、おくのかたより、「何事ぞ。」と、いらふる声すなり。「明日、天帝釈の地蔵会し給ふには、参らせ給はぬか。」といへば、この小家のうちより、「参らんと思へど、まだ目のあかねば、え参るまじく。」といへば、「かまへて参り給へ。」といへば、「目もみえねば、いかでか参らん。」といふ声すなり。うちおどろきて、なにのかくは夢にみえつるにかと思ひまはすに、あやしくて、夜あけて、おくのかたをよくよく見れば、この地蔵納めて置きたてまつりたりけるを思ひいだして、みいだしたりけり。これがみえ給ふにこそと、おどろき思ひて、いそぎ開眼し」たてまつりけりとなん。
 です。お忙しいところに本当にすみません。もしよければよろしくお願いします。」
股間を掻くのだけはやめてもらいたいものだ。

私は一つの古い話を客に聞かせてやった。
マスター おじさん 2   2006年11月11日土曜日 07時19分
「これも今となっては昔のことだが、山科への道端に(ある)、四ノ宮河原というところで、袖くらべという、商人が集まるところがあった。その辺り(在住)の身分の低い者がいたのだが、地蔵菩薩を一体お作りしたのを、開眼もしないで、とりあえず櫃に入れて、奥の部屋などと思われるところに納めておいて、(そのまま地蔵は放置して)日常の雑事にまぎれて時間が経ったので、(地蔵のことを)忘れてしまったところ、三四年ほど過ぎてしまった。
 ある夜、夢で、大路を通り過ぎる者が大声で人を呼ぶ声がしたので、(男は)「何事だろう」と(思いながら)聞いていると、(外にいる者の声で)「地蔵よ」と声高にこの(=自分の)家の前で言っているのが聞こえ、(家の)奥の方から、「何事ですか」と答える声が聞こえる。(外の声が)「明日帝釈天が地蔵会をなさるのにはうかがわれないのか」と言うと、この小家の中から「うかがおうとは思うのだけれど、まだ目が開いていないので(=開眼供養をしてもらっていないので)、うかがえなくってねえ」と言って、(また外の声が)「ぜひともおうかがいなさいよ」と言うと、(家の奥の声が)「目も見えないのだから、どうしてうかがえよう」と言う声がするのが聞こえる。はっと目覚めて、一体何がこのように夢に見えたのだろうと考えを巡らせると、(よくわからないので)不思議で、夜が明けてから奥の方をよくよく見てみると、この(=前述の)地蔵を(櫃に)お納めしておいたのを思い出して、見つけ出したのであった。これが(夢に)お見えになったのであるな、とはっと思い当たって、急いで開眼供養をしてさしあげたということである。

語注は明晩か月曜の朝に。あしからず。」

Cafe日誌No.41
2006年11月05日日曜日 19時40分
店も賑わいを見せる頃、この店の常連の苺がいつものように入ってきた。着やせはするが、体には自信があるらしい。苺はいかに若造というものが素晴らしいかを主張し始めた。
ティッシュ配り 苺
「お忙しいところすいませんッッ((汗
もし、時間があったらお願いできますか!?

竹取物語の「かぐや姫の昇天」なんですが…

その中に、王とおぼしき人、家に、「造麿、まうで来。」と言ふに、
猛く思ひつる造麿も、ものに酔ひたる心地して、うつぶしに伏せり。
いはく、「汝、幼き人。いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、
汝が助けにとて、かた時のほどとして下ししを、そこらの年ごろ、
そこらの黄金賜ひて、身を変へたがるがごとなりにたり。

です!!!大丈夫でしたらお願いしますッッ!!!!」
子供達が泣いてるぞ・・・。

私は他の客に聞かれないよう小声で話した。
マスター おじさん 1   2006年11月06日月曜日 16時29分
「おう、これは最後の一文の一部分だけ、某所で訳したことがありますな。その部分についてはよそに書いたやつをそのまま引用しておきます。
実はこの箇所には解釈上いろいろと問題があって学説も分かれてるんですよねー。

その中に王と思われる人が、家に(向かって)「造麿よ、出て参れ」と言うと、気丈に思っていた造麿も、何かに酔っぱらった気分がして、うつぶせに横になった。(王が)言うことには、「お前(=翁)、年の若い者よ。わずかな功徳を翁が行ったことによって、お前の助けになるようにと思って、ほんの少しの間(だけ人間界にかぐや姫を遣わそう)ということで(かぐや姫を)下したのだが、長年にわたってたくさんの黄金をお与えになって、(そのおかげでお前は)生まれ変わった(ように裕福になった)のだ。」

「まうで来」の「まうづ」は謙譲語ですが、主語は造麿(翁)ですから、動作の対象、つまり「王とおぼしき人」(天人)に対する敬意を表します。敬語は常に発言者からの敬意を表しますから、この表現は、天人が天人自身に対して敬意を表した、一種の自敬表現といえます。
「猛く思ひつる造麿も」の「猛し」は、気持ちがしっかりしている、ということ。
「ものに酔ひたる心地して」の「もの」は、接頭辞以外なら、たいてい"something, somebody, somewhere"のいずれかに理解しておけばよいでしょう。つまり、「何か、誰か、どこか」ということです。
「汝、幼き人。」は、解釈が分かれている箇所で、「幼き人」について、
1.「汝」と同格で、翁を指している
2.「汝」と並列されて呼びかけとなり、かぐや姫をさしている
3.かぐや姫を指すが、後ろの「下ししを」に対する目的語となってかかっている
この3通りの説があります。
多数派は1ですので、そのように訳しておきました。この解釈だと、天人という不死の存在から見ると、限られた寿命を生きているはかない人間は、たとえ翁であっても幼いというわけです。
2の説によれば、「なんじ(=翁)、幼い人(=かぐや姫)よ」という訳になります。すぐに成長したとはいっても、やはりかぐや姫はまだ幼いということになります。
3の説によれば、「お前よ、ちょっとした功徳を翁が行ったことによって、お前の助けにと思って、幼い人(=かぐや姫)を、わずかの間ということで(お前のもとに)下したのを」となります。
どれもそれなりに筋は通るのですが、まあ普通に読めば1でしょう。また、「幼き人」が「心をさなき人」となっている本もあります。その場合だと、「汝、心愚かな者よ」という呼びかけになり、天人である自分に対して刃向かおうとしたことに対して「ばかめ」とののしっていることになります。

(以下、某所に書いたものの引用)
「そこら」は「多く」の意味。「ここら」も同じ意味。
「年ごろ」は現在に至るまで複数の年月の間をあらわす。ふつう「数年来」と訳す。「月ごろ」「日ごろ」も同様に考える。
「給ひて」はかぐや姫が主語とも、話し手である天人が主語とも、どちらでもなく、天(天上界)が主語とも考えられる。かぐや姫もしくは天が主語であるように訳しておいたが、天人が主語であると考えると、いわゆる自敬表現となり、「(わたしがおまえに黄金を)与えてやって」となる。注釈書にはどの説を採用しているものもあるようであるが、人間界に流されたかぐや姫が自ら翁に黄金を与えるのは不自然とは考えられないか、天皇クラスが使う自敬表現を天人が使っても不自然ではないのか、という疑問が生じるので、おじさんは「天」が主語と考える。学校の先生はかぐや姫が主語と主張する可能性大。
「身をかふ」は「生まれ変わったようになる」あるいは「境遇が変わったかのようになる」の意。仏教的転生思想に基づく表現。」

苺はようやく本題に入った。
ティッシュ配り 苺 2006年11月07日火曜日 06時46分
「ありがとうございました!!!

とても助かりました♪

お忙しいのにすいませんッ

またお願します♪」

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