他の客も酔いが回ってきた頃に、見馴れない一人の年増が店に入ってきた。無職仲間の間じゃそうとうの実力者だそうだ。荒ぶる魂を押さえつける事が出来ないのか私にそれをぶつけてきた。
| 無職 はるか
「今鏡の「この大臣の太郎にては、兼頼の中納言おはしき。〜それは、ひがごとにや侍りけむ。」 までの口語訳を教えてください! お願いします!」
|
なぜここまで自信たっぷりに話せるのだろうか。・・・・理解に苦しむ。
私はこの客にこれ以上酒を飲ますのは危険と判断した。
| マスター おじさん 2009年01月21日水曜日 23時22分
「本文を書いていただかないと訳しようがありませんな。」
|
はるかはさらにこう言った。
| 無職 はるか 2009年01月22日木曜日 04時37分
「すいませんでした。 本文は、[この大臣の太郎にては、兼頼の中納言おはしき。御母女御の一つの御腹なり。いと末のはかばかしきもおはせぬなるべし。次には右大臣俊家の大臣、大宮の右の大臣と聞こえ給ひき。この御末多く栄えさせ給ふめり。その御子は宗俊の大納言、御母は宇治大納言隆國の女なり。管絃の道すぐれておはしましける、時光といふ笙の笛吹きに習ひ給ひけるに、大食調の入調を「今今」とて、年経て教へ申さざりける程に、雨限りなく降りて、暗闇しげかりける夜出き来て、「今宵かのもの教へ奉む」と申しければ、悦びて「とむ」との給ひけるを、「殿の内にては、おのづからき聞く人も侍らん。大極殿へわたらせ給へ」と言ひければ、さらに牛など取り寄せておはしけるに、「御供には人侍らでありなむ。時光ひとり」とてみのかさきてなん有りける。大極殿におはしたるに、なほおぼつかなくはべりとて、ついまつとりて、さらに火ともしてみければはしらにみのきたるものゝたちそひたる有りけり。かれはたれぞと、とひければ武能となのりければさればこそとてその夜はをしへ申さで、かへりにけりと申す人もありき。またかばかり心ざし有りとて、をしへけりともきこえ侍りき。それはひが事にや侍りけん。]です。 宜しくお願いします。」
|
こういう客はどう返事していいものか悩む。
| マスター おじさん 2009年01月22日木曜日 12時27分
「この大臣の長男としては、兼頼の中納言がいらっしゃった。母上は、女御と同腹である。(兼頼の)子孫でとてもしっかりしている(=出世するほどの才覚のある)方はいらっしゃらないはずである。その(=この大臣の)次のご子息は右大臣俊家の大臣で、(通称を)大宮の右の大臣と申し上げた方である。この方の御子孫はたくさん栄えておられるようだ。そのご子息は宗俊の大納言で、母上は宇治大納言隆国の娘である。(宗俊は)管絃の道に優れておいでであった。時光という笙の笛吹に(笙を)習いなさったのだが、(時光は)大食調の入調を「今(に教えよう)、今(に教えよう)」といっていながら年月が経っても(宗俊に)お教えしないでいた時期に、雨がこの上もなく降って、暗闇が深い夜に(時光が宗俊のところに)やってきて「今夜、例のもの(=大食調の入調)をお教えしましょう」と申し上げたので、(宗俊は)喜んで「はやく(教えてくれ)」とおっしゃったものの、(時光は)「あなたのお宅では、ひょっとすると聴いてしまうひともございますでしょう。大極殿へお越しください」と言ったので、(宗俊は)あらためて牛などを取り寄せておられたのだが、(時光は)「お供としては人がいないのがよろしいでしょう。時光ひとりが(お供いたします)」と言って蓑笠をきて出て行った。大極殿にいらっしゃったところ、(時光は)「やはり(誰か聞いていないか)気になります」といって松明をとってさらに火をともしてみたところ、柱の所に蓑を着た者で立ち添っているものがいた。「あれは誰か」とたずねたところ「武能」と名乗ったので、(時光は)「やはり」といってその夜はお教えしないで帰ってしまったと言う人もいた。また、あれほど(音楽への)こころざしがあるのだ、ということで(武能にも)教えた、とも耳にしました。(しかし)それ(=武能にも教えたという伝聞)は間違いだったのではないでしょうか。」
|
はるかは自分にもっと話させろと苛立った。
| 無職 はるか 2009年01月22日木曜日 18時50分
「ありがとうございます! 大変助かりました。 また、宜しくお願いします。」
|
|