広助の『丸山歴史散歩』
平成14年8月10日よりカウンター開始しました。

この「広助の『丸山歴史散歩』」は、長崎の名所旧跡史跡を毎日更新
でお届けしております。 コースはA〜Eまでの5コースで、A:長崎駅〜県庁〜日見峠、B:蛍茶屋〜田上、C:唐八景〜丸山〜戸町、D:思案橋〜出島〜浦上、E:稲佐〜神の島です。

ブログでは、まち歩きや丸山情報など
(仮称)山口広助のブログ

  平成23年 〜2011年〜
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C-404:米山町(こめのやままち)
米山町は江戸時代、佐賀藩深堀領土井頸村に属し、明治5年(1872)深堀村に合併し深堀村土井首名となります。明治13年(1880)西彼杵郡土井首村となり、昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字土井首、昭和24年(1949)大字土井首の一部が米山町となります。町名の由来は小字名米山からなるもので、地区にそびえるカギ山(猪見岳シシミダケ)がちょうどお米を盛ったような形をしています。




C-403:平瀬町(ひらせまち)
平瀬町は江戸時代、佐賀藩深堀領土井頸村に属し、明治5年(1872)深堀村に合併し深堀村土井首名となります。明治13年(1880)西彼杵郡土井首村となり、昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字土井首、昭和24年(1949)大字土井首の一部が平瀬町となります。町名の由来は小字名平瀬からなるもので、江川川の河口にひろがる地域つまり平たい瀬がある地域です。




C-402:毛井首町(けいくびまち)
毛井首町は江戸時代、佐賀藩深堀領土井頸村に属し、明治5年(1872)深堀村に合併し深堀村土井首名となります。明治13年(1880)西彼杵郡土井首村となり、昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字土井首、昭和24年(1949)大字土井首の一部が毛井首町となります。町名の由来は小字名毛井首からなるもので、長崎港に突き出る岬の根元あたりちょうどくびれた部分という意味の「首」に、毛が生えたように草木が生い茂った地域という意味です。




C-401:京太郎町(きょうたろうまち)
京太郎町は江戸時代、佐賀藩深堀領土井頸村に属し、明治5年(1872)深堀村に合併し深堀村土井首名となります。明治13年(1880)西彼杵郡土井首村となり、昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字土井首、昭和24年(1949)大字土井首の一部が京太郎町となります。地区は鹿尾川下流域の地域で、昔は燃えやすい石炭のような燃料のヨドロが多く採取できた場所で、特に木材が原料となったヨドロを木ヨドロといい、この木ヨドロがなまって京太郎になったといわれています。




C-400:三和町(さんわまち)
三和町は江戸時代、佐賀藩深堀領土井頸村に属し、明治5年(1872)深堀村に合併し深堀村土井首名となります。明治13年(1880)西彼杵郡土井首村となり、昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字土井首、昭和24年(1949)大字土井首の一部が三和町となります。町名の由来は土井部落、上郷部落、迫部落が合併して三和町となりました。




C-399:鹿尾町(かのおまち)
鹿尾町は江戸時代、佐賀藩深堀領土井頸村に属し、明治5年(1872)深堀村に合併し深堀村土井首名となります。明治13年(1880)西彼杵郡土井首村となり、昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字竿浦、昭和24年(1949)大字竿浦の一部が鹿尾町となります。町名の由来は町域に流れる鹿尾(カノオ)川にちなむもので、カノとは草原の意味。このほか新開地の場所を加納(カノウ)ともいい、のちに鹿尾となります。




C-398:磯道町(いそみちまち)
古道町は江戸時代、佐賀藩深堀領土井頸村に属し、明治5年(1872)深堀村に合併し深堀村土井首名となります。明治13年(1880)西彼杵郡土井首村となり、昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字土井首、昭和24年(1949)大字土井首の一部が磯道町となります。町名の由来は小字名磯道からなるもので、海岸沿いにひろがる地域を貫く道があったとことによります。




C-397:古道町(ふるみちまち)
古道町は江戸時代、佐賀藩深堀領土井頸村に属し、明治5年(1872)深堀村に合併し深堀村土井首名となります。明治13年(1880)西彼杵郡土井首村となり、昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字古道、昭和24年(1949)大字古道は古道町とります。町名の由来は大字名古道からなるもので、古道とは町域に御崎道が通っていたことによります。




C-396:土井首(どいのくび)
土井首は昔は土井頸とも書き、鹿尾川の下流域の地域と河口から海岸周辺の地域をいい、地名の由来はその河口部が岬になっていて、その岬の根元あたりのくびれた地域を「首」、そして鹿尾川には昭和30年代まで水田地帯が広がっていて、その水田には満潮時に潮が上がってこないように土手つまり土井が設けられていました。そこから土井のあるくびれた地域で土井首になったといわれています(他説あり)。
ここは肥前国彼杵郡で14世紀以降、深堀氏の領地になり、江戸時代は土井頸村と書き、明治4年(1871)から佐賀県、伊万里県を経て、明治5年(1872)長崎県に属します。そのとき深堀村に合併し深堀村土井首名となりますが、明治13年(1880)独立して西彼杵郡土井首村となり、明治22年(1889)市制町村制が引かれ土井首村、竿浦村、平山村が合併し新たに土井首村になります。昭和13年(1938)長崎市に合併し長崎市大字土井首ほかに分かれ、昭和24年(1949)土井首町ほか古道町、磯道町、鹿尾町、三和町、京太郎町、毛井首町、平瀬町、米山町、草住町、柳田町になります。




C-395:長崎県立水産高等学校跡
磯道町5(旧 土井首村大字土井首字磯道)【現 鶴洋高校艇庫】
明治33年(1900)深堀村に長崎県水産試験場が開設され、36年(1903)平戸村に移転します。明治41年(1908)には水産講習所が開設され、付設の缶詰工場では軍用缶詰の製造が行われます。明治44年(1911)両施設は長崎公園内の交親館に移転、大正3年(1914)丸尾町に移ります。昭和10年(1935)に廃止されますが、新たに県立水産学校が設置され、12年(1937)土井首村(現 磯道町)に移転します。昭和23年(1948)新学制により長崎県立水産高等学校となります。昭和45年(1970)新校舎が完成し現在の末石町に移転します。平成18年(2006)学校改革により長崎県立長崎鶴洋高等学校と改称します。鶴洋高校は長崎県の水産業の発展に広く寄与し、多くの人材を輩出しました。




C-394:国際海底ケーブル小ヶ倉陸揚庫跡
小ヶ倉町3-76-44(旧 小ヶ倉村)
碑文「明治4年(1871)デンマーク国の大北電信会社が長崎-上海間に海底ケーブルを布設。当地に陸揚げしこのケーブルによって わが国の国際電気通信がはじめられた。以来約一世紀にわたりこの設備はわが国の貿易、文化、外交の推進に大きな役割を果たしたが、科学の進歩により新方式に切換えねばならなくなり閉鎖されることになった。よってこの発祥の地に原型を復元し先人の偉業を顕彰する。昭和四十六年五月 長崎県 国際電信電話株式会社
陸揚庫はもともと千本山にありましたが、柳埠頭整備のため解体復元されました。県指定史跡。




C-393:柳埠頭(やなぎふとう)
小ヶ倉町3(旧 小ヶ倉村)
その昔、小ヶ倉の海岸には千本松原と呼ばれる松林が広がる小高い山があって、千本山または千本松などと呼ばれていました。昭和35年(1960)長崎港湾の荷役取扱量の増大に対し施設不足が生じたため、長崎県は長崎外港整備事業として小ヶ倉地区の海面を埋め立て臨海工業地帯と宅地造成を始め、昭和37年(1962)総面積116,930平方メートル、総工費約5.6億円で完成します。これにより千本山は姿を消し、さらに、長崎外港整備事業が再度認可され昭和47年(1972)小ヶ倉柳地区外貿埠頭、通称「柳埠頭」が完成します。昭和52年(1977)当時、世界一の豪華客船とうたわれた「クイーンエリザベス2世号」が接岸、多くの見物客に賑わいました。これは出島岸壁などの水深などの関係で柳埠頭が選ばれました。




○鍋島家陣屋跡【了願寺】
文化元年(1804)ロシアの遣日特使であるレザノフが来航し日本に開国を要求した際、了願寺のある高台は長崎港湾口ということもあり佐賀鍋島藩の佐賀兵が布陣した場所で、天保14年(1843)ごろには、同じく鍋島藩の深堀兵が陣屋を張ります。のちに佐賀鍋島藩と筑前黒田藩が交代で長崎警備にあたったときは武次権左衛門宅を常宿とし、この地に陣を設けました。幕末、嘉永元年(1848)には砲周りが5尺といわれた大筒が据えられました。




C-392:浄土真宗西林山了願寺(-せいりんざんりょうがんじ)
小ヶ倉町3-157(旧 小ヶ倉村)
江戸時代、小ヶ倉村には寺院はなく深堀村の浄土真宗円成寺の檀家となっていましたが、明治30年代(1897〜)に了願寺、大正5年(1916)に極楽寺が念仏道場として創建されました。そのうち村の南部を受け持つのが主に了願寺です。開基は僧:龍乗で、開創してすぐお堂は失火により焼失したため、小ヶ倉町2丁目(塩屋)に仮復旧され、明治35年(1902)第3代住持:月策のとき山梨県西山梨郡住吉村にあった了願寺より寺号を譲り受け、明治38年(1905)現在地に移転し本堂を再建します。平成3年(1991)台風被害を受け再建。現在の建物は平成7年(1995)落成しました。




○拝殿建設記念碑【小ヶ倉神社境内】
この記念碑は大正8年(1919)小ヶ倉神社の拝殿の建設を記念して建立されたもので、このほかにも石祠、幔幕などが奉納されました。なお、玉垣は大正2年(1913)の建立、昭和40年(1965)改修されました。

○拝殿改修記念碑【小ヶ倉神社境内】
大正8年(1919)に建設された拝殿は老朽化のため、昭和57年(1982)改修され、その記念にこの碑が建立されました。




○小ヶ倉町共有山林記念碑【小ヶ倉神社境内】
明治39年(1906)旧小ヶ倉村の住民215名が出資して旧小ヶ倉村有地7町6反8畝(約7.68ha=約23000坪)と、7町1反12畝(約7.22ha=約22000坪)の土地の払い下げを受けます。大正2年(1913)には長崎県と模範林の契約を結び造林によって収益を分収します。旧小ヶ倉町ではその収益金を公共事業や教育振興に利用するため昭和29年(1954)に小ヶ倉町共有物管理委員会を立ち上げ地域の発展に貢献します。この記念碑はその功績をたたえるため昭和59年(1984)小ヶ倉町共有物管理組合によって建立されました。




○忠魂碑(ちゅうこんひ)【小ヶ倉神社境内】
忠魂碑は小ヶ倉村出身の戦没者を慰霊するため大正4年(1915)小ヶ倉村在郷軍人分会によって建立されました。

○戦没者顕彰碑【小ヶ倉神社境内】
戦没者顕彰碑は小ヶ倉村出身で日露戦争(2名)と大東亜戦争(78名)での戦没者を慰霊するため昭和40年(1965)小ヶ倉地区遺族会によって建立されました。




○青年会創立碑(せいねんかいそうりつき)
大正2年(1913)小ヶ倉村に青年会が設立されました。この記念碑はそれを記念するもので兄弟同気連技と小ヶ倉村青年会によって建立されました。

○谷桜記念碑(たにざくらきねんひ)【小ヶ倉神社境内】
この記念碑は大正10年(1921)谷桜関が力士になったことを記念して地元の小ヶ倉村青年会が建立しました。




C-391:小ヶ倉神社(こがくらじんじゃ)
小ヶ倉町1-408(旧 小ヶ倉村)
小ヶ倉神社は小ヶ倉村の鎮守神としてお祀りされ、創建は不明ですが当初は大山祇神社と称し祭神は大山祇命で、本社は愛媛県今治市大三島町宮浦にあります。祭神は日本古来の神である大山積神で本来は山の神ですが、戦国時代に瀬戸内海を支配していた村上水軍が信仰したことから海上安全、海上守護の神ともなっています。また、一説には神奈川県の三浦半島を治めていた三浦氏の一族が茂木に移り、のちに深堀に入り深堀氏に性を代えるのですが、その際、守護神としていたのが大山祇神であったといわれています。そのため小ヶ倉村も深堀村に接するところから同じ祭神になったと考えられます。




C-390:九条武子歌碑(くじょうたけこ-かひ)【極楽寺境内】
九条武子(明治20:1887-昭和3:1928)は、本願寺第二十一代門主明如上人の次女として生まれ、幼い頃より広く宗門の教学や諸文芸を学び、23才の時、公爵家の九条良致(ヨシムネ)と結婚。その後、仏教婦人会活動や社会福祉活動に尽力されます。また、歌人としても有名で与謝野晶子、柳原白蓮と共に三大女流歌人と称されるほどでした。大正14年(1925)仏教婦人会連合本部の本部長としてご来教され、その様子を歌にされました。
碑文「なにかしらず われもひとしう 手を合わせ返さばやまた多くの人に
歌碑は平成12年(2000)極楽寺仏教婦人会によって建立されました。




C-389:浄土真宗西光山極楽寺(-さいこうざんごくらくじ)
小ヶ倉町1-170(旧 小ヶ倉村)
江戸時代、小ヶ倉村には寺院はなく深堀村の浄土真宗円成寺の檀家となっていましたが、明治30年代(1897〜)に了願寺、大正5年(1916)に極楽寺が念仏道場として創建されました。そのうち村の北西部を受け持つのが主に極楽寺です。また、大正14年(1925)には公爵家の九条武子さまがご来教されています。




林道改修記念碑【小ヶ倉小学校校庭】
小ヶ倉村の戸町岳と大山への林道工事は総工費27,608円にも及ぶ大工事で昭和9年(1934)に完成し、工事費の全額が村民による寄付で賄われました。このことは小ヶ倉村における画期的事業であり産業と交通の発展に寄与する事業となりました。この記念碑は工事に尽力した村長の小川傳雄、助役の武次□治、収入役の山口四郎のほか、吏員及び村議会議員の功績をたたえ昭和10年(1935)のちの村長である松本勝記ほか村会議員、主任技師、技手らによって建立され、あわせて高額寄付者、土地寄進者名が記されています。




C-388:長崎市立小ヶ倉小学校
小ヶ倉町1-408(旧 小ヶ倉村)
小ヶ倉小学校は明治10年(1877)小ヶ倉村立として小ヶ倉村字中郷にあった地蔵堂そばの畑地に建てられ、簡易小ヶ倉小学校、尋常小ヶ倉小学校、小ヶ倉尋常高等小学校、小ヶ倉国民学校と改称し、昭和24年(1949)新学制によって長崎市立小ヶ倉小学校となり今に至ります。校庭には昭和52年(1977)に小ヶ倉地区自治会連合会によって建立された創立100周年記念碑があり、碑文文字は小曽根星堂によって書かれています。
碑文「風雪に耐えて歩みし一世紀 米寿翁小曽根星堂書」




故長濱仙蔵氏記念碑【八幡神社境内】
小ヶ倉の地は安政年間(1854-1860)創業の煉瓦製造業の地として知られ、明治時代には平瀬町に日本練炭会社長崎工場がありました。長濱仙蔵(慶応2:1866-昭和元:1926)は窯業界、炭鉱界に名を馳せた人物で、明治中期、福島県の湯本の炭鉱で石炭を使った新たな燃焼方法を確立し、さらなる発展のため明治37年(1904)旧満州へと渡り土質を視察。満州鉄道沿いにレンガなどの焼き物の発展に尽力します。この記念碑はその功績をたたえるため昭和5年(1930)南満州煉瓦同業者同志によって建立されたものです。




C-387:八幡神社(はちまんじんじゃ)
小ヶ倉町1-570-1(旧 小ヶ倉村)
八幡神社は久保持兵衛によって天保4年(1833)ごろに建立された神社で、安政4年(1857)には武運長久を祈り村民よって鳥居が建立されました。その後、現在の小ヶ倉小学校の体育館付近に移り、昭和48年(1973)にさらに移転。昭和62年(1987)現在地に移ります。翌63年には小ヶ倉村が長崎市に合併して50周年の節目を迎え、有志によって境内に桜が植樹されました。祭神は第15代応神天皇(武神の神)です。




C-386:小ヶ倉の褶曲地層(-しゅうきょくちそう)
小ヶ倉町2-398-14(旧 小ヶ倉村)
この地層は昭和35年(1960)小ヶ倉団地開発中に発見された地層で昭和38年(1963)に県指定天然記念物に指定されました。この地層は横臥褶曲と呼ばれる第三紀以前の白亜紀の地層で、海岸部から山手にかけて分布した地層は最下部は水平、上部は逆転した地層分布で、灰白質砂岩に黒灰色の頁岩(ケツガン)が混ざっているのが特徴です。




C-385:「この丘に立ちて」の碑
小ヶ倉町2-355(旧 小ヶ倉村)
この碑は平成元年(1989)当時の小ヶ倉地区老人連合会で小ヶ倉三丁目自治会長であった濱崎傳家によって建立された碑で、この小ヶ倉3丁目の地が開発され発展していく姿を見て、歴史的変化や第二次大戦時の苦難を想い世界平和を祈念し、さらなる発展を願った記念碑です。




C-384:ダイヤランド
ダイヤランドは昭和56年(1981)三菱開発によって標高約100メートルの斜面を開発した住宅地で、もともとは小ヶ倉町2丁目、3丁目および古道町、磯道町の一部に属していましたが、平成3年(1991)にダイヤランド1〜4丁目と住居表示がなされました。地名の由来は、この住宅地が三菱開発によって開発したことから三菱のマーク「スリーダイヤモンド」から初めは「南長崎ダイヤランド」と売り出され、のちにダイヤランドとなりました。なお住宅地入口にある看板「1984(昭和59年)」は、第一次分譲が始まった年に由来します。




C-383:二子島力士・熊ヶ谷力士墓所
新小ヶ倉2-6-6(旧 小ヶ倉村)
二子島関は文政から天保年間に江戸相撲で活躍した力士で、天保10年(1839)深堀藩の方へ巡業した際、病気もしくはけがで倒れこの地に埋葬されたものと思われます。一方、熊ヶ谷関は地元宮相撲で活躍した力士でやはり病気やけがで倒れこの地に埋葬されたものと考えられます。この地は御崎道が通りゲンネン茶屋(源右衛門茶屋)があった場所です。両力士の墓は多くの人にお参りしてもらうためにここに建立されたものではないでしょうか。なお、記念碑はその茶店の子孫:茶屋義行氏によって平成4年(1992)に建立されました。




C-382:領境石標(りょうきょうせきひょう)
新小ヶ倉1-1付近(旧 小ヶ倉村)
領境石碑があるところは江戸時代、大村藩戸町村と佐賀藩深堀領小ヶ倉村の境界でこの碑は佐賀藩によって建立されました。
碑には「従是南佐嘉領」と刻されています。




C-381:蓑川永太郎翁記念碑(みのがわえいたろうおうきねんひ)
新戸町1-2-42(旧 戸町村蓑尾郷)
蓑川永太郎(慶応元:1865-大正10:1921)は市制町村制が引かれた明治22年(1889)から村議会議員として学務委員を務め、明治34年(1901)蓑尾小学校の創立や大正元年(1912)蓑尾地区の道路整備に自ら現場監督として指揮を取り、郷土の発展に寄与。その献身的な姿に多くの表彰を受けます。この記念碑はその功績を後世に伝えるため昭和3年(1928)蓑尾郷青年団、小ヶ倉村青年団支部長:蓑田重市、元小ヶ倉村長:志波原三郎らによって建立されました。




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