| -- タイムスリップした漱石猫 -- 第9話その3
原作(猫語): 書き猫知らず
人語翻訳:とっと
いやはや、こうして見るとこのかふぇなるものは本当に奇想天外な人間のたまり場という他あるまい。もちろん時間帯によっては普通な客も来ているのであるが、そう言う者達は異様な雰囲気を醸しだす常連達におされてか、カウンターには近寄らず、用が済めばさっさと店を出て行ってしまう。君子危うきに近寄らず。食事が目的であれば、それに専念し、それ以外には手を出さないということだ。 吾輩も他の客を見習って、常連には近づかないのが懸命とは思っている。思ってはいるがなかなかそうはいかないのが現実というものである。こちらがどんなにそれを望まなくても、相手が吾輩を放っておかぬ。現に今も吾輩の目の前には一人の客が紙とペンを手に鎮座しておるのだ。 ふたつの黒い瞳が吾輩をじっと見つめる。 「さあて、今度はなにをするのかな〜」 そう呟きながらもふたつの眼は瞬きひとつせずに吾輩を見続ける。 この風変わりな客、名前を「muraさん」と言うらしい。女性である。間違ってもデカ部屋で片目を細めて唇を突き出し鷹揚に頷いているオジさんとは似ても似つかないので混同しないように。 なに? そんなのは知らぬ? 今どきのものが太陽に吠えろも知らぬのか? 嘆かわしい。刑事ドラマの代表作だと言うのに。 明治生まれで平成の世に転生してきたお前が何故昭和のドラマを知っている等と言うなよ。ここの奥方がミステリーファンで、「やっぱりミステリーと言ったら刑事ドラマよね」とか言って先日も「太陽に吠えろ スペシャルエディションDVDBOX」なるものを(注 そんなものは存在しません緒で真剣にAmazonとかで検索をかけないように)買って毎日見ておるのだ。この奥方がそのむらさんと言う親父が大好きなのだ。 さて話が逸れたが、このmuraさんと言う客、実は女性である。そして漫画の原作家でもあるらしい。吾輩に張りついて片時も目を離さないのも、その漫画のネタの為だと言うことだ。 娯楽の少ない明治の御世ならともかく、現代社会において猫の観察記録など読むものがいるのだろうか? 吾輩のそんな疑問を察したかのように彼女はこう答えた。 「宇宙の大海原を駆けめぐる戦艦や、汽車の話を描いた偉大なるSF漫画家だって昔は猫が主役の少女漫画を描いていたんだからね」 それが彼女が吾輩を観察する理由になるのかどうかはいま一つわかりかねたが、まあそんなものなのだろうと思うことにした。終始見つめられると言うのはあまり落ち着かぬ気分ではあるが、それ以上の実害はない。爆弾で飛ばされることや、おでんの具になる危機を考えれば問題などないに等しい。それどころかまたまた吾輩が主役となる話が世に出るのであれば、それは実に誇らしいことであると言えるかもしれない。ただ、ひとつ注文をつけるのであれば、用を足す時ぐらいは一人にしてほしいと思うものである。
さて、この店の常連客も残すところはただ一人。やはりトリはこの人物しかあるまい。 活動写真のテロップ等なら主役、脇と紹介された後、最後に少し離れてほとんど画面に一人だけで名前が出てくるような大物である。それ故に扱いも難しい。なにか気に障るようなことでもしようものなら、「ややわぁ、そんなことしはって。ぶ・す・い」とか言いながら笑顔で土手っ腹にドスでもブスリとやりそうな怖さがある。 この大物常連客、店に入ってくるなりいきなり啖呵を切ると言う。「姓は☆Hit !! 、名はMe !!☆ 」等といきなり叫ばれたときには、すわ! 出入りか!? と一同飛び上がったものだ。 一節によるとこの御仁、PSと言う部類に属するとも言われている。PSとはおそらくは「ぱーふぇくと・そるじゃー」の略ではないかと考える。と、言うのもこの御仁をPSと定義づけた人物が無類の特撮・アニメ好きであるのだ。詳しくは黒コートの男の店へ行き、Gift-textのページを見てほしい。いろんな都合でここでは多くは語れないのである。
ガッコーン!
いきなり吾輩の頭の上にタライが降ってきた。 「だまって聞いていれば、好き勝手言ってくれはりますなぁ」 主人公イジメの好きなオーナーが仕掛けた罠かと思ったら、どうやらこの御仁が仕業であったらしい。 「それじゃあまるでわたしが極悪人みたいやないの」 いや、いきなり人の……いや猫の頭の上にタライを落すなど十分極悪人だと思うのだが……。 「ややわぁ。これはお約束やないの」 お約束って……。 「ちゃんとボケと突っ込みが出来ひんかったら、次は水バケツやからね」 そう言うと彼女は吾輩の尻尾をつかみグリグリと回した後に離れた行った。
全くもって生きた心地がしない。 しっぽをつかまれた時にはそのまま投げ飛ばされるかと思った。 さらにはボケと突っ込みだと? 出来ねば水バケツとかも言っておったような……。 吾輩のこめかみに一筋の冷や汗。そんなのは猫じゃないと言う突っ込みは勘弁してもらいたい。要は「いめーじ」の問題なのだ。とにかくあの御仁の言葉から鑑みるに吾輩にも漫才をやれと言っているように思われた。 吾輩はガックリと頭と垂れる。 やらねば次は本当に水バケツを被るであろう。あの御仁の水バケツも某爆弾女の爆弾と同じで何故か牡にのみ有効と来ている。猫とて同じであろう。猫に水とはこれほどの拷問があろうか……。 吾輩はそのときの自分の姿を想像し、途方に暮れるのであった。
今日も非常に疲れる一日であった。 ここの常連客にかかると、身も心も休まる暇がない。 このままではせっかく助かった命もいつ果てるとも判らぬ。そんな危機感を覚える今日この頃である。 (明日にはここを出て、新しい住処を探そう……) ここに来るまでも苦労したが、今ここで味わう苦労に比べればそれがいか程のことがあろうか。 吾輩がそう決心した瞬間、目の前に小さな皿が差し出される。 その皿に主が牛乳を注いでくれた。 ここの牛乳は牛乳と言ってもただの牛乳ではない。引佐の低音殺菌牛乳だ。六十三度で三十分以上かけて殺菌する本当の牛乳だ。その味は百二十度で加熱する高音殺菌牛乳や百四十度加熱のロングライフ牛乳などとは比べるべくもない。 吾輩は皿に注がれた牛乳を舐め取りながら、先程の決心はどこへやら。もう少しここに居てみようかなどと思っている。いつもこの繰り返しなのである。
了 | 2006/02/28 | |